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特集「大滝詠一ベスト5」

①福生ストラット(パートII) 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
②あつさのせい 『大滝詠一』(1972年)収録
③ハンド・クラッピング・ルンバ 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
④シャックリママさん 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
⑤楽しい夜更し  『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
⑥いつも夢中 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
⑦CIDER '73 '74 '75 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
⑧びんぼう 『大滝詠一』(1972年)収録
⑨ロックン・ロール・マーチ 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)収録
⑩ウララカ 『大滝詠一』(1972年)収録


 思いきり片寄った。大名盤『ロング・バケイション』から1曲も入らないという。まあ、こうしたベスト5ものは、日々の気分で左右されるものなので、そも、あまりシリアスな順位付けはしていない。

 以下、「すごい」としか言ってない解説。

①ニューオリンズ・サウンド爆発。本家ミーターズも舌を巻くド・ファンキー・グルーヴィー・ロックンロール・チューン。「♪フッサ、行きの、切符買って〜」のノリが最高。ついでに、「♪おーまも りーに」のコーラスもカッコいい。日本語をここまでグルーヴさせる手腕、ただの手や腕じゃない。驚愕としかいえない。

②本ブログ1/26付・不定期連載「このボーカルがすごい」参照

③「♪ヘーン、クラップ、ヘーン、クラップ、ッルンバッ」のノリが最高。「♪水道蛇口ひねるとジャーだよ拍手手拍子、いつでもホカホカご飯はジャーだよ拍手手拍子」という歌詞の内容の無さにも驚かされる。

④本ブログ2/24付・不定期連載「このシャックリがすごい」参照

⑤特にメロディが凄い。凄いポップチューン。「♪たのしいよ」のコーラスも楽しい。

⑥「グンナイベイビー」でお馴染み日本が誇る激凄コーラスグループ、キングトーンズとの共演。「♪ジニジニバ、ジーニジニバッ」のコーラスが面白凄い。コーラスが大滝のメインボーカルよりやや前に出たミックス加減もいい。大滝の唄うメロディーラインの旋律も物凄いことになっている。聴いていると物凄すぎて顔が紅潮して汗が出てくる。

⑦CM曲。すげえサイダーが飲みたくなってくる。完璧なCMソング。これはクライアントは仰天だろう。売り上げが500%伸びたという(推定)。メロディーがキャッチーだが奥深い。とんでもないメロディーメーカーだ、大滝は。

⑧「福生ストラット」と同様、ウルフルズがカバーしたことで有名なファンキーチューン。「♪あせだ、クニッ! クニッ!(汗だくに)」や、「♪宝クジッ!クジッ!」、「♪食べるニクニクッ(肉)」と、またしても日本語のリズムとメロディーの乗せ方が、グワッと憎い。

⑨またしてもニューオリンズ・サウンド爆発。腰をくねらせながらウキウキ大行進したくなる。また途中のエルヴィス・プレスリーの物真似がすごい。サビの「♪ロックンロール・マーチ」に対する「♪ゴー!ゴー!」というバカコーラスも気分を高揚させる。

⑩フィル・スペクタープロデュースの「ダ・ドゥー・ロン・ロン」へのあからさまなオマージュ。こんなにもあの「ポップネス」を自分のものにできるとは、どんだけ50〜60'sアメリカンポップスに造詣が深いんだ、という驚きのナンバー。

by ichiro_ishikawa | 2005-02-25 20:49 | 音楽 | Comments(0)  

不定期連載「このシャックリがすごい」

第1回「シャックリ・ママさん」by 大滝詠一
収録アルバム『ナイアガラ・ムーン』(1975年)

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 シャックリ・ママさん台所
 水を飲んでも びっくりしても
 どうにもシャックリ止まらない

 シャックリ・ママさんお洗濯
 洗剤値上がり止めたいけれど
 まずはこのシャックリ止めて

 シャックリ・ママさん庭掃除
 帚かかえて歌唄う
 背中で鳴ってるトランジスター・ラジオ

 シャックリ・ママさん編みもの
 手を止すませて呟いた
 どうも浮き世は儘ならぬ

 シャックリ・ママさん大欠伸
 手で口押さえお茶にごし
 肩がこったとひねる首


 ロックンロール・オリジネイターのひとり、バディ・ホリーが生みの親とされるシャックリ唱法というのがあって、やる人がやるとこれがすこぶるカッコいい。この「シャックリ・ママさん」はそのタイトルからしてあからさまな、シャックリ唱法やってます宣言にして、シャックリ唱法の金字塔である。

 大滝詠一『ナイアガラ・ムーン』の楽曲は、サウンドとボーカルが抜群にカッコ良く、歌詞もなんだか英語のようで、普通に聴いている分には高級なアメリカのロックを聴いている感覚にとらわれる。なんといってもノリが素晴らしく音楽に合わせ腰をくねってダンスせざるを得ない。ところが歌詞をよく聴いてみると、実は日本語なのである。そして、意味がとんでもなくくだらない。中ではまだマシな方であるこの「シャックリ・ママ」さんも、こんなカッコいいサウンドとボーカルでこんなこと言ってんの!?とずっこけてしまう。

 大滝詠一はこの『ナイアガラ・ムーン』ではありとあらゆるサウンドと唱法を駆使していて、それはあたかもミュージック大全集の様相を呈している。ロックンロール、ルンバ、カントリー、ドゥーワップ、ポップ、ファンク、ニューオーリンズ……。どれも著しくハイ・クオリティで、歌詞が著しくくだらないという。
 ともすると、この高級感がスノッブになり権威主義的になりがちだけれど、決してそうならず、むしろそうしたものの対極にあり得るのは、全編を貫く主調低音——グルーヴとセクシャリティのためだ。どんな高級なことをやろうとも、常にどんな主義主張とも相容れない位置にい得る。すなわちロックである。そこが大滝が、立教出の天才音楽家・細野晴臣や、文学青年・松本隆、ギター小僧・鈴木茂とまったく違うところだ。大滝詠一の根本にはプレスリーがある。

by ichiro_ishikawa | 2005-02-24 20:26 | 音楽 | Comments(2)  

吉川晃司私論

吉川晃司ライヴリポート
2005年2月1日 日本武道館 
「KOJI KIKKAWA 20th〜21st LIVE GOLDEN YEARS“Thanks 0201”」

 吉川は一時、異様なまでにロックにこだわっていた時期がある。西暦でいうと1986年から1989年、1965年生まれの吉川が21〜24歳の時期である。作品でいうと、布袋寅泰もギターで参加している『Modern Time』以降、COMPLEX期までである。
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 とはいえ、吉川は映画スター兼アイドル歌手としてデビューしたものの、作曲家陣はNOBODY(「モニカ」)、大沢誉志幸(「La Vi En Rose」)といったロック寄りのミュージシャンが顔を並べていて曲自体はロック調だったし、テレビでのパフォーマンスも従来のアイドルの型をはみだすものだった。 1985年の紅白歌合戦ではギターを燃やしステージで叩き割りNHK出入り禁止処分を受けたりしている。要するに、所属事務所、渡辺プロダクションからはアイドルという枠でプロデュースされながらも、内に煮えたぎるロック的なるものは常に燃え続けていた。
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 そうした内なるロック的なものを発散させるためにアイドルという居方(いかた)が窮屈になっていたのが、86年頃で、折しも隣の畑、ロックシーンでは、インディーズとメジャーの垣根が崩れはじめんとしていた頃だった。吉川は、同業のアイドル歌手らとの付き合いを一切せず、布袋寅泰をはじめとするBoφWY一派、大沢誉志幸、尾崎豊、岡村靖之、アン・ルイスらと親交を深めていた。アイドル歌手=テレビサイズ、という枠から自由な彼らのスタンスに吉川は憧れ、アイドルと呼ばれることを嫌悪し、それがテレビ出演拒否、自作自演への渇望、ロックサウンドの追及といった行動に現れていった。
 当然の成りゆきなのか、レコードセールスは下降線を辿り、煮詰まり、一時、活動を中止する。ちょうどその頃、盟友、布袋寅泰がBOφWYを解散した。
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「とりあえずソロアルバムを1枚作りたい」という布袋の意志を汲み、その間吉川は1年の充電期間を経て、1989年春に満を持して布袋寅泰とのユニット、COMPLEXとして再活動することになる。てめえの存在感がハンパでない布袋は、その前に立てるシンガーは、氷室京介以外では吉川しかいないと思っていたし、ロック・ミュージシャンというステイタスをなんとか掴みたかった吉川にとっても、布袋というロックの代名詞的人物とユニットを組むということは、その最も有効な手段だった。
 だが、そのCOMPLEXは2枚のアルバムを残し、活動を休止する。「仲のいい者同士がユニットを組むと別れたときにその溝は仲が良かった分だけ修復不能なぐらい深くなる」という、結成時の2人に音楽評論家・渋谷陽一がなかば冗談半分に呈した苦言が不幸にも的中してしまう。
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 原因は音楽的方向性の不一致だが、内実は音楽的なものではなく、互いが求める位置関係の不一致だ。具体的にいえば吉川をマリオネット的に扱いたかった布袋、布袋のロック的なるものを取り入れつつもやはり自分を主役に置きたかった吉川、という図式がある。普通に考えれば、吉川は作曲家としての布袋にしっかりと寄り添い、自分は歌詞に集中してシンガーとしてやっていればバンドのクオリティ的には申し分ないはずだったが、「俺も曲を書く」だったのである、吉川は。そうした「俺が俺が」と前に出ざるを得ないこの2つの超個性は、袂を分かつことになる。
 だが、COMPLEXでロック・ミュージシャンとしてのステイタスを得た吉川は、そのロック・スピリットをより研ぎ澄ました方向で走る。音楽的にはさまざまなものを布袋から吸収し、大衆に訴えうるロックというものを学んだと言える。楽曲はロック的な意味でよりポップになり、それは、「せつなさを殺せない」(93年)、デビュー10周年という節目での「KISSに撃たれて眠りたい」(94年)、そして30歳を迎えるにあたっての所信表明「Boy's LIFE」で完成する。
 その後はもう、ロックとかアイドルとか歌謡曲といったカテゴライズがまったく不要になっていく、存在がロックという、真の意味でのロック・ミュージシャン吉川晃司ができあがったわけである。近年のテレビバラエティや映画、CMへの出演というのはなんのことはない、何をやっても吉川ならロック、そこまで来ているのである。
 そんな吉川の魅力とは外的にはアクションと色気、内的には破天荒なところだろう。
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「ロックとは成熟にはなく、熟すまでの緊張にある」とは大滝詠一の言葉だが、まさにそうした緊張が吉川には常にある。それが、ああしたアクションと色気につり合っている。そして、それはあのタッパ、肩幅でなければなし得ないものである。
 吉川はロックであり、アイドルである。というか、ロックとはアイドルでなければならない。エルヴィスがまさにそうであった。歪ませたギターをうつむきながらかき鳴らせば文学的でロックだ、ロックはとは知性だ、といったありふれたテーゼを文字どおり一蹴する。吉川は言うだろう、ロックはセックス&バイオレンス、そしてユーモアだ。
 今日も吉川はベタな英語風日本語でシャウトし、バック宙を決め、シンバルを蹴り挙げ、腰をくねらせてダンスする。それが吉川晃司だ。

※写真はパープルスネーク吉川晃司より無断で拝借しております。

Webザテレビジョンでのリポート

by ichiro_ishikawa | 2005-02-02 18:13 | 音楽 | Comments(4)