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美しい花

「美しい花がある、花の美しさというものはない」

 これぞ、小林秀雄の核心がよく現れたフレーズだ。
 いや、どのフレーズにもその核心は秘められているのだけれど、最もキャッチーなフレーズのひとつとしてピックアップしてみた。

 美しい花を見て、花びらの色がどうだ、付き具合がどうだ、枝のしなり具合がどうだ、あれこれ抽象して、その花から美しさを分析するというやり方を、小林は嫌った。美しい花がある、ということだけが重要で、それは全的に直覚されなければ何を言ったことにもならない。その全的に直覚されたところからのみ、小林はものを言う。直覚されたものが自ずと自らを明かし始めるのを辛抱強く待ち、じっと耳を傾ける。結果、現れるのは、美しい花、それ自体であり、小林の精神はこのとき、無私なのだ。小林が語るのではない、対象がその秘密を明かす。この時、小林と対象は2つの異なるものではない。小林がとりあげ、語るもの、美しい花であれ、陶器であれ、デカルトであれ、パスカルであれ、ニーチェであれ、ドストエフスキーであれ、ランボオであれ、モオツァルトであれ、菊池寛であれ、志賀直哉であれ、それらはすべて小林秀雄の思うところのそれらではなく、それら自体だ。同時に小林秀雄だ。小林秀雄の批評とはそういうものだ。

 ああ、うまく言えねえ。うまく言えねえし、すげえとりこぼしてる。ということは、分かってないということ。ちゃんと分かってから書けばいいものを、せっかちなせいでつい。

by ichiro_ishikawa | 2005-07-27 21:11 | 文学 | Comments(1)  

池田晶子と小林秀雄

 池田晶子は小林秀雄フリークで、「小林秀雄への手紙」という著作もあるぐらいだが、ついに小林秀雄『考えるヒント』の“カバーアルバム”とも言える『新・考えるヒント』を上梓した(といっても2年前)。小林の『考えるヒント』を、“もう一度、書く”という試みだ。これは暴挙だ。ずるい、というか、うらやましい。結局、この本は小林秀雄への壮大なラブレター以外の何ものでもない。最後にはちゃっかりと、再び「小林秀雄への手紙」という表題のもと、小林に直接語りかけている。池田は自分にとってもはや恋のライバルで、小林への理解度すなわち愛の深遠度をはりあわなければ、小林を奪われてしまう。だが、俺の方が愛している、としか言えない自分の筆力をただ呪うばかりだ。
 『新・考えるヒント』では、「歴史」「常識」「考えるということ」「哲学」「学問」などを“カバー”している。これは、小林秀雄を解釈しようという試みではなく、小林風にいうならば、“原譜を忠実に弾く”という試みで、実際、小林の魂という原譜を非常に忠実に弾いている。だが、そも池田晶子と小林秀雄は、その語らんとする本質は同じだから、忠実に弾けるのは読む前から分かっていたし、実際読んでみて、「わかってんな〜」という以上の感慨はない。だが、決定的に違うことがある。それを伝える際の「文」が、やはり、違う。池田が事象そのものをいきなり語るのに対し、小林は“人”の生きざまを通してその事象の本質を明かす(生きざまと事象の本質は2つのことではない)。それは、言わば、哲学と批評という立場、性癖の違いという以上のものではないけれど、どちらも言葉を使う以上、文学者である小林のほうが、やはり、面白い。池田の文章を読むと、その直感力、洞察の鋭さ、思索の深さに畏れ入るけれど、小林のものを読むと、それらプラス、文学の総合力というものを思い知る。打ちのめされる。分厚い全集のどの頁を繰ってみても、どの箇所をつまんでみても、面白い。まったく、無駄がない。小林の文章は批評の形を便宜上とってはいるが、実は、散文詩であり、それ自体が美であり、芸術である。
 だが、池田本人は、そんなことは百も承知だった。後書き的な意味合いの「小林秀雄への手紙」で、その小林の文学力を畏怖し、てめえの才の欠如を吐露し、勉強しなければと引き締めているのである。俺はといえば、小林と池田が確実に交感しあっているのを傍らで指くわえて見ているだけである。ジェラシーを眠らせるのはそう容易いことではないが、とりあえず、小林秀雄全集の全文書き取りというライフワークを地道に続けていくことで、ジェラシーを微笑みに変えていこうと思う。

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ジョン・レノンの『ロックンロール』のような名カバーアルバム

by ichiro_ishikawa | 2005-07-27 14:17 | 文学 | Comments(1)  

江戸時代の考える人

 たとえば、同時代のU2やソニックユース、R.E.M.に触れたことによって、ビートルズやエルヴィス・プレスリー、クラシック・ポップ、ブルーズの森に入っていかざるを得なかったように、たとえば、コステロやポール・ウェラーのフィーリングにやられたことでソウル、リズム&ブルーズのグルーヴィンを辿るはめになったように、ある種の感動なり美学というものは、必ず伝統や歴史という事象に面接させるのが常だ。現在を生きることによって過去を思い出し、過去を生き、過去を甦らせる、そしてまさしくそこで過去とは現在であるという事実に驚かされるという。
 小林秀雄を読むと(その精神と交わると)、小林が著作の中で交わっている人々との魂の交感が行われる。これは素敵なことで、人生の醍醐味だ。最近は、『考えるヒント2』がヘビーローテーションとなっていて、この『2』は、孔子を愛した荻生徂徠や伊藤仁斎、本居宣長といった、過去の日本の“考える人”にスポットが当てられている。教科書でしか知らなかった彼らが小林によって語られると、教科書の記述がどれだけ大事なことを見落とし、彼らの存在が、“お勉強”としての知識の枠に押しやられていたか、痛切に感じるのだけれど、今さらながら、彼らの考えていたこと、つまり生きざまを、己が心の中で甦らせたいと願うのである。
 とりあえず、基本的な素性を明らかならしむるため、大辞林の教科書的な説明を羅列しおさらいしておく。

伊藤仁斎
(1627-1705) 江戸前期の儒学者。古義学の祖。京都の人。名は維(これえだ)、字(あざな)は源佐(げんすけ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き、直接古典、ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(きゆうこう)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ、門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。

契沖
(1640-1701) 江戸前期の国学者・歌人。俗姓、下川。字(あざな)は空心。契沖は法号。摂津の人。大坂高津(こうづ)の円珠庵に隠棲。和漢の学、悉曇(しつたん)に精通、復古の信念に基づくすぐれた古典の注釈研究、古代の歴史的仮名遣いを明らかにするなど、その文献学的方法は近世国学の基盤をつくった。著「万葉代匠記」「古今余材抄」「勢語臆断」「和字正濫鈔」、「円珠庵雑記」など。

荻生徂徠
(1666-1728) 江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)、字(あざな)は茂卿(しげのり)、通称は惣右衛門。徂徠は号。物部氏より出たので物(ぶつ)徂徠などと称する。初め朱子学を学んだが、のち古文辞学を唱え、古典主義に立って政治と文芸を重んずる儒学を説いた。柳沢吉保・徳川吉宗に重用された。著「弁道」「論語徴」「園随筆」「南留別志(なるべし)」「訳文筌蹄」など。

荷田春満
(1669-1736) 江戸中期の国学者・歌人。姓は羽倉とも。京都伏見稲荷神社の神官。国学四大人の一人。記紀・万葉、有職故実を研究、復古神道を唱えた。弟子に賀茂真淵・荷田在満(ありまろ)などがいる。著「万葉集僻案抄」「万葉集訓釈」「日本書紀訓釈」「創学校啓」、歌集「春葉集」など。

賀茂真淵
(1697-1769) 江戸中期の国学者・歌人。本姓、岡部。号、県居(あがたい)。遠江(とおとうみ)の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、のち田安宗武に仕えた。万葉集を中心に古典を広く研究し、純粋な古代精神(古道)の復活を説いた。門下に本居宣長・村田春海・加藤千蔭・荒木田久老・楫取魚彦(かとりなひこ)らがいる。著「万葉考」「歌意考」「国意考」「冠辞考」「祝詞考」など。

本居宣長
(1730-1801) 江戸中期の国学者。伊勢松阪の人。芝蘭・舜(春)庵・中衛と号し、鈴屋(すずのや)と称す。医者を開業する一方、古典研究を行い語句・文章の考証を中心とする精密・実証的な研究法により、古事記・源氏物語など古典文学の注釈や漢字音・文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。また、復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。国学四大人の一人。著「古事記伝」「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「漢字三音考」「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」「玉勝間」など。

平田篤胤
(1776-1843) 江戸後期の国学者。旧姓大和田。通称、正吉・半兵衛。号は大壑(だいがく)・気吹舎(いぶきのや)など。秋田の人。本居宣長没後の門人。古典研究から進んで、尊王復古を主張する古道学を説き、幕末国学の主流平田神道を形成。神代文字日文(ひふみ)の存在の主張は有名。国学四大人の一人。著「古史徴」「霊能真柱(たまのみはしら)」「古道大意」「気吹舎歌集」など。

福沢諭吉
(1834-1901) 思想家・教育家。慶応義塾の創立者。豊前中津藩士。大坂の緒方塾で蘭学を学んだのち、江戸に蘭学塾を開き、また英学を独習。幕府の使節に随行し三度欧米に渡る。1868年塾を慶応義塾と命名。73年(明治6)明六社の創立に参加。82年「時事新報」を創刊。個人および国家の独立自尊、社会の実利実益の尊重を主張した。著「西洋事情」「学問ノススメ」「文明論之概略」など。

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「忠臣蔵Ⅰ」「忠臣蔵Ⅱ」「学問」「徂徠」「弁明」「考えるということ」「ヒューマニズム」「還暦」「天という言葉」「哲学」「天命を知るとは」「歴史」「常識について」収録。ベストトラックは「歴史」「常識について」
(全198頁/読書所要時間4時間/魂掌握所用時間=一生/賞味期限=無限)

by ichiro_ishikawa | 2005-07-27 14:12 | 文学 | Comments(0)  

ジャズ雑感

 ジャズという特異な音楽ジャンルがある。例えばロックだったら、ポップス、ブルース、フォーク、カントリーなどとの区別は容易じゃない。というか、それらのコンプレックス=複合体がそもロックなのだから、ロックという形態の幅はかなり広い。エレクトロニカだってテクノだって、ヒップホップだって、ソウルだってロックっちゃあロックだ。
 特異というのは、ただ唯一ロックじゃないのがジャズ、という意味でだ。
 ジャズとロックはポピュラー音楽の中の両横綱である。ロックとジャズは、その音楽的形式、志向において、基本的に真逆を向いている。ロックは、作り込まれた作品で、ライブなどではそのオリジナルの複製、再現が求められるのに対し、ジャズの場合は、その場その場でいかに「くずすか」が試される。ロックは本質的にポップであることを求めるが、ジャズはいかにポップから遠く離れるかが問題だ。例えばソニック・ユースのようにどちらにもいかない、そう単純に割り切れないミュージシァンも多いけれど、まあ基本的にそうであろう。だから、リスナーはその嗜好においてジャズとロックでは、きっぱりと別れる。両方好きだという輩も多いだろうが、いざ聴くという段になると心のスウィッチを意識的にせよ無意識にせよ、切り替えていることだろう。

 有名なビ・バップの誕生物語がある。生活のために大衆向けのポップスを演奏していたチャーリー・パーカー(as)やディジー・ガレスピー(tp)が、そうした音楽にもの足りず、ライヴがはねた後に、自分達のやりたいように、また演奏の腕をミュージシァン同士で競うべく夜中延々とセッションを続けたという。それがジャズを進化させた。そういうわけで、基本的にジャズは、己がための演奏であり、他の演奏者との競い合いであり、結果、ポップに背を向けて歩むことになる。ジャズは絶えず聞き手を裏切る方向に進み、表現力は高い演奏力を必然的に要求する。結果、大衆はジャズから遠ざかり、たいていのミュージシァンは、表現力さえあれば技術をさほど要しない手軽なロックを目指す。

 最近、ジャズを好んで聴く。昔は、ただその雰囲気が好きで、浴びるようにポップスを聴いた後、そのあまりのポップネスに飽きると、たまにマイルズ・デイヴィスのレコードをターンテーブルに乗せたりする程度だった。それが最近は、ジャズがちょっとしたヘヴィ・ローテションだ。i−podの手軽さのせいもあろう。
 ジャズ、俺風聴きどころは2つ。
●ミュージシァンのかけあいのスリル
●ポップじゃないメロディのスリル
●その場でどうアドリブしていくかのスリル
●各々の音色、全体のアンサンブルのスリル
(ただし、音楽的な細かいところは全然わかりません)

 要はすげえスリリングなところだ。だから、ジャズでもラウンジ的、BGM的なものは聴けない。ピリピリとした緊張感がなければ聴けない。
 というわけで、いいジャズメン、ベスト5。
(ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズ、エレクトリック・マイルス、ヒップホップ・マイルスなどは、ロックの部類だと感じるので割愛)

バド・パウエル(p)
オスカー・ピーターソン(p)
セロニアス・モンク(p)
チャーリー・パーカー(as)
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
ディジー・ガレスピー(tp)
チャールズ・ミンガス(b,cond)

 スリルというとロックの専売特許のようだが、そうではない。ロックとジャズは真逆と言ったが、それは音楽的様式に対してであって、スピリチュアルな意味では、ほぼ同じことを目指している。あるスリルを指して、ある人はジャズというし、ある人はロックと呼ぶ。また、孤高たらんとする意志をジャズといってもロックといっても同じことだ。そうした「精神のあり方」にまでジャンル名が及んでいるということも、ロックとジャズが両横綱たる所以である。

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今、聴きたい観たいジャズ『真夏の夜のジャズ』DVD
(1958年ニューポート・ジャズ・フェスティバルの模様)

by ichiro_ishikawa | 2005-07-12 19:38 | 音楽 | Comments(1)  

リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会

 去る7月2日、土曜日、東京・六本木青山ブックセンター内、奥のレジ近く、特集コーナーの辺りで、リリー・フランキー『東京タワー』刊行記念サイン会が執り行われた。
 周りには扶桑社、abcのスタッフと思しき面々が5〜6人いる。第三者がそんなにズラッといるとトークの邪魔だよ、ピリピリするじゃんよと不満を感じていたら、ちょっと離れたところにはBJの姿が見える。スタッフなのに、離れたところで客然として居るところが、なんとも分かっているBJ。
 あたしらはそこから入り口に向かって縦1列に整理番号順に並ばされる。10番ひと組で順に呼ばれ、列を作る。開始から30分ちょっと遅れて着いたときは、まだ30番だった。私の整理番号は79番。この日は100番ちょっといたらしい。
 リリーはロフト・プラスワンでのトークショーの時もそうだったけれど、ファン1人1人と長々と話をすることで有名。1人1人、リリーの前に着席すると、リリーはその1人1人に軽いいじりを交えながら、めいめいが持ち寄った『東京タワー』にゴールドのペンでサインをしていく。オトンのペンになる中表紙の文字と同じ色で、大胆に、めいめいの名前と日付を書き添え、サインをしていく。
 リリーのいじりに対して、俺は果たしてどうきり返していくのか。それが今回のテーマだった。
 
 俺を見るなり、リリーは言った。
 「酒作ってそうだよね」
 「(あ…、さ…さけ…)」
 そんなことを言われたのは初めてで、いや、月並みなことは言われないことは分かっていたのだが、言葉が何も出ず芸もなくただ逡巡していたところに、
 「シェイカー振ってそうだもんね」
 と重ねられる。セコンドが投げた白いタオルを視認した。ゴングが鳴って2発でTKO負け。秒殺だ。
 勝負は終わったとはいえ、放送時間はまだまだ残っていたので、世間話的に、サシでの対面は実は3度目だと伝えると、リリーは昔、ともに竹中直人のライヴを見たことを憶えてくれていた。
「リキッドルームだよね」
「そうです」
ドクトクくんの頃だよね」
「そうです」
「あれ、何年前かな」
「ちょうど10年ですね」
「うちにも来ましたよね」
「お母さまに麦茶もらいました」
 オカンが出たところで、『東京タワー』の本質である“悲劇の誕生”と、それがオカンを永遠に生かしたことを絶賛したかったのだが、そんな真面目な話をする雰囲気ではなかったので言葉を飲み込んで繰り出す時機を待つ。
 暇もなく、サインも終わり、リリーはインクが対向ページに染みないよう丁寧に半紙を挟み、私たちは別れた。
 「好きです」のひと言も言えないシャイネス・オーバードライブな俺、34歳の初夏。

by ichiro_ishikawa | 2005-07-07 12:18 | 日々の泡 | Comments(0)  

福田和也のリリー・フランキー評

 日本の作家の中で極めてロック的(中庸)な人物というと、小林秀雄を筆頭に、現役では池田晶子と斉藤美奈子、リリー・フランキーが群を抜いている、というか、その3人しかいないのだけれど、最近、福田和也が気になっていた。当初はデブという時点でナシだったし、多読家というだけで立花隆、筆が早いというだけで村上龍といった烙印を押して素通りしてきたが、文芸誌『en-TAXI』や『週刊新潮』の連載「闘う時評」でその文章を熟読するにつけ、この人は高い教養があるだけでなく、その教養はいよいよ単に教養に過ぎないことを熟知し、本質を射抜くことに常に照準を定めている人だと分かってきた。
 『en-TAXI』は、扶桑社の編集者が責任編集として福田和也、リリー・フランキーを集めたと勝手に思っていたが、発起人はどうやら福田で、リリーに声を掛けたのも福田だったことが、今週の「闘う時評」で初めて明らかになった(俺に)。

 福田がリリーを知ったのにはこういう経緯があった。大学で学生たちにコラムを課した際、いいなあと思う文章に共通のスタイルがあることに福田は気付いた。あきらかに誰かの影響を受けていると思い学生らに問うてみると、みなリリーのファンだったという。福田は、その後、リリーの著作『誰も知らない名言集』『女子の生きざま』『美女と野球』を読むにつけ、
 「烈しく打ちのめされました。
 こんなにシンプルに、とてつもなく本質的なことを語れるとは

 『en-TAXI』の責任編集同人としてリリーを指名した理由もふるっている。
 「小説とかエッセイといった枠を取り払ったところで、言葉を用いてなんらかの表現をする人間という形で見廻したとき、この人が一番手強い、優れた人だと思いました
 
先日リリースとあいなった『東京タワー』については、
 「クダラナいものにしか見えない日常から誰も書かなかった、けれども誰もが持っているかけがえのない煌めきを、作者は鮮やかにすくいとります
と評し、その本質を
 「著者の周囲の人々の人生に対する賛歌
ズバッと射抜く。

 好きな人に対して、その好きたる所以を余すところなく表現するのが文章の神髄だろうが、おのが母親に対してその神髄を発揮した『東京タワー』という書物に対して、福田はその神髄を発揮した。
 いい文章とは、こういうことで、すなわち読書の醍醐味とはこうした神髄に触れることにある。
 
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by ichiro_ishikawa | 2005-07-01 17:45 | 文学 | Comments(0)