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ここは地の果てアルジェリア 


 サザン「みんなのうた」を、車両ナンバー893のベンツのカーステでノリノリでかける舎弟の運転手つね(哀川翔)に、
「消せ。そんな日本人なめくさったような歌、消せ」
 小川英二(長渕)は、後部座席でふんぞり返りながらそう吐き捨てると、
「ここ~は地の果て アルジェ~リア どう~せカスバの 夜に~咲く」と鼻歌を歌いだす。
 それが抜群のメロディで、歌詞も強烈だった。
 鼻歌でも食えるのが長渕という歌手だ。

 その『とんぼ』(88年、TBS系)以来、この曲が何という曲かは知らないまま、己が心の奥底で静かに眠っていたのだが、近年のITの発達で、覚めた。原曲及び楽曲詳細を易々と入手することができたのだ。現在、iTunesとiPodのヘビーローテーションとなっている。ちなみにYouTubeでは、上述のシーンもUPされている。
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           『とんぼ』より(from YouTube)


 小川英二の鼻歌により、現代によみがえったこの曲は、「カスバの女」。昭和30年(1955)、芸術プロの映画『深夜の女』の主題歌として作られた。宇多田ヒカルの母親・藤圭子も歌っており、『新宿の女』に収録されている。
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      「カスバの女」
      大高ひさお作詞・久我山明作曲
      唄:エト邦枝

      涙じゃないのよ 浮気な雨に
      ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
      ここは地の果て アルジェリヤ
      どうせカスバの 夜に咲く
      酒場の女の うす情け

      唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
      セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都
      花はマロニエ シャンゼリゼ
      赤い風車の 踊り子の
      今更(いまさら)かえらぬ 身の上を

      貴方も女(わたし)も 買われた命
      恋してみたとて 一夜の火花
      明日はチュニスか モロッコか
      泣いて手をふる うしろ影
      外人部隊の 白い服

by ichiro_ishikawa | 2006-11-28 15:47 | 音楽 | Comments(0)  

マハトマ・ガンジー、かく語りき

「言って分からねえ奴は殴れ」
確かガンジーもそう言っていた。

 前回、そう書いたことには、2つの思惑があった。
 
 1つは、知っての通り「非暴力」主義を貫いたマハトマ・ガンジー(1869-1948)にそう言わせる事による、「非暴力」主義と、イジメっ子ヘの鉄拳制裁は、矛盾するものではない、という逆説的真理の提示。
 1つは、「非暴力」主義のガンジーにこそ、そう言ってほしいという願い。
 いずれにせよ、事実無根で書いた。

 ところが、実際にそう言っていたという事実が、一昨日判明した。

「ガンジーにたいして、ある人がその非暴力の教えは、例えば家に強盗が押し入って父親が殺されそうな時も貫かねばならないのか、と尋ねました。ガンジーはそんなバカなことはない、と答えたのです。彼は、そこに棒があったなら、棒で戦え、包丁があったなら包丁で戦え、鉄砲があったなら鉄砲で戦え、『非暴力』は『卑怯』とはまったく違うのだ、と教えました」
(「続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」福田和也/1997年)

 福田は出典を明らかにしていないが、ブログなんかとは違い公に本になっているということは、幾人もの良識ある人の検閲を経ていて裏は取れているはずなので、おそらく事実だろう。よしんば、そうでないとしても、非暴力について徹底的に考えた人だったら、そう言うことは当たり前なので構わない。
 空調の効いた部屋で、空論を弄んでいる輩に限って、「体罰はいけない」だの、「戦争反対」だの、うるさい。寝言は寝ながら、馬鹿は休み休み言ってもらわなければ迷惑だ。「戦争反対」なんて当たり前じゃないか。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-28 01:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

いじめられている君へ

「いじめで自殺」が横行している。
ここ最近、朝日が「いじめられている君へ」というタイトルのもと、各界の識者の寄稿を一面に載せている。たいてい、こういうのは全然ダメなものだが、鴻上尚史という輩の寄稿は、輪を掛けてダメだった。
骨子は「逃げて逃げて」。
822万人もの人々にそんな寝言をぶってどうするか。
逃げてどうするか。

逃げるのがいけない、と言いたいわけではない。ましてや、逃げるな、立ち向かえなどと根性論を振りかざすつもりも毛頭ない。
逃げ場などない、ということをすっかり見落としているところが、寝言なのだ。

「死んでもいじめたやつらは反省しません」というのは当たり。
「この世の中はあなたが思うより、ずっと広いのです」という。それもそうだ。
でも、どこに逃げたって根本が変わらなきゃ、同じ事。
行く先々でいじめられること請け合いだ。
引き蘢って恨み節抱いても、性格が悪くなるだけ。そうなったら大人になったときいよいよ本格的に不幸というもの。
実際、逃げるってどこに? 
実は逃げる「場所」なんてない。
いや、実はあるのだが、それは鴻上の言う「広い世界」の中に、だ。
だがその「広い世界」という概念は、成熟して大人にならないと、実は持ち得ないのだ。
そんな場所を見つけられる様な気の利いたガキだったら、そも、いじめられてなんかいない。
普通、子供の視野なんて半径3mだから、その世界が全世界。
大人になれば、自然に「広い世界」に出られるかもしれないが、子供の一日は長いからね。
大人になるまでの間イジメられ続けるなんて地獄の苦しみだろう。
そりゃ死んだ方がましだってなるわな。

鴻上は、一見子供の立場にリアルに立っている様に見えて、実は、大人お得意のいつもの机上の空論を弄しているにすぎない。「空疎」の単なる新しいヴァリエーション。
とは言え、朝日の読者の99%はブタ野郎だから、「お、さすが鴻上、良いこというねえ」みたいな事になりかねない。そうなると当事者が可愛そうだから、柄ではないが、俺もヘラルド・トリビューンに寄稿して一席ぶちたい。

だいたい小中学校なんてところは、未開人ばかりのゲリラ地域みたいなもんで、
拳がモノを言う、まさに弱肉強食の世界。
未開人に論理や理性は通用しない。
So、
「いじめる奴の顔面にストレートをぶち込め」
ジャブでもいい。
肘を脇から離さぬ心構えで、やや内側を狙いえぐりこむように打つべし。
まあいじめられるお前の事、きっと腕力はねえから、
返り討ちでぼこぼこにされるだろう。
でもちょっと我慢すれば、誰かが止めに入る。死にはしない。
よしんば死んだとて、もともと死のうとしていたのだから文句あるまい。
ただ、もう、いじめられる事はなくなる。
それしか方法は絶対に無い。
あ、ギターを燃やす、というのも手やもしれぬ。

古い考え? 単純? 非現実的?
健全な常識だと思うのだが。
「言って分からねえ奴は殴れ」
確かガンジーもそう言っていた。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-19 05:23 | 日々の泡 | Comments(0)  

バンバンバザール meets サム・ムーア

Nack5 79.5FMでのバンバンバザールのレイディオ番組
「GOO GOO RADIO」
11/21(火)放送分にて、
「ちょっと待って、今行くから」「魂男」などのヒット曲でおなじみ、
現在ブルーノート東京公演中の元サム&デイヴ、
サム・ムーア(高音担当)がゲストで登場!
(バンバンバザールHPのBBSより)
必聴!!

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(左)サム&デイヴ。いい目線。
(右)サム(高音担当)が70歳にして放ったソロ最新作『Overnight Sansational』は、スティーヴ・ウィンウッド、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、スティングら豪華なメンツが参加。1曲目アン・ピーブルズのカヴァー「I Can't Stand The Rain」は、今は亡きビリー・プレストンの生前最後の演奏らしい

ブルース・ブラザーズ(ジョン・ベルーシとダン・アイクロイド)
による「Soul Man」(from You Tube)も必見

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このダンス、マスターしてえ

by ichiro_ishikawa | 2006-11-15 00:57 | 音楽 | Comments(3)  

吉川晃司私論2・今の吉川

 吉川晃司が「おもしれえ物体」として、いじられ始めた昨今。
 その最たる物、最終形と思われるのが、このPVだ。

「Juicy Jungle feat.吉川晃司」
Disco Twins (YouTube)

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 昔(84~96)、吉川は、普通にすげえカッコ良かったが、ワンセグでweb2.0な上、iTunes7.0な21世紀においては、「ベタなアクション歌手」として捉えられている節がある。
 手足をくねくね痙攣させたり、打点の高いローリングソバットで特設シンバルを蹴り上げたりといったステージング、「タ・テ・ト」→「ツァ・ツェ・ツォ」などの英語風日本語歌唱、「濡れたままの唇で Smack for good night」「エスプリックな眼差しに プリマドンナ夢中なのサ 」「最初からベイビー・イッツ・オーライ」「濡れたままの唇でジョーゼット」などの発語して気持ちいい優先の英語交じり歌詞、グラサンに派手なスーツといったルックス。90年代においてダサさの象徴だったこれらが、今は「笑い」の対象へと変じた。
 吉川は、笑い飛ばされるまでに、熟したということだ。
 悪くない。
 「それでも“ロック”な、吉川はすげえ」、との感嘆の念を禁じ得ない。
 ただ、上述した吉川の要素は、誰にも真似できねえ(したくないでも同じこと)ことだと気づくのは良い事だ。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-09 14:48 | 音楽 | Comments(0)