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天才無免許医師

 YouTubeのせいで最近ずっとPCばかり見ていてどうしようもないし、早く始めなければならないのだけれども、人類永遠のテーマ「不老不死」について語った天才無免許医師の貴重なインタビューを発見したので転載する。

モーニングビッグ対談
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by ichiro_ishikawa | 2007-02-25 20:12 | 日々の泡 | Comments(1)  

奈良 2007冬

 
旅中、「時間のお化け」という概念が、終始、頭にこびりついていた。
東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺といった、奈良の古寺を巡り、様々な仏像に見入り、帰りしな、京都の東寺に寄った。そのほとんどが国宝にして世界文化遺産である。
ハイライトは、東大寺の「修二会(しゅにえ=a.k.a.お水取り)」でもお馴染みの二月堂。
奈良の二月堂を訪ねるというのは、実は、ここ十数年来の企みであった。
 
東京帝国大学を卒業したばかりの小林秀雄は、1928年の約1年弱の間、26歳の時、奈良に滞在していた。
それから20年が経ち、小林秀雄は、再度、奈良を訪れる。
そして、東大寺の二月堂において、小林秀雄の脳髄には、「時間というものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じた」。 
そこで生み出されたのが小林秀雄の最高傑作「秋」。
(本稿の最後に、その秀逸なイントロを掲載)
俺の企みとは、その「秋」の追憶であったが、とりあえず俺は、形から入った。
そんな形、ベスト5。
1.二月堂に登って、ぼんやりする。

2.欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾(しび)の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍(いらか)の陰影、生駒の山肌、いろんなものを眼を細くして眺める。

3.御堂の脇の庫裡めいた建物でやっている茶屋を訪れる。

4.茶屋の、すすけきった天井と柱、黒光りしている幾つも並んだ茶釜、油と汗で煮しめたような畳を確認する。

5.般若湯を一本、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめを一皿注文し、ひっくり返ってプルウストを読む。

6.「失われし時を求めて」という気味の悪い言葉を、頭の中でキイのように叩いてみる。

以下、実行の結果報告。

c0005419_3541298.jpg二月堂に登って、ぼんやりせんとす
c0005419_315572.jpg欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、いろんなものを眼を細くして眺める
c0005419_3154214.jpg光る大仏殿の鴟尾(左)、もっと美しく光る銀杏の葉っぱ(冬なので無し)、甍の陰影(手前他)、生駒の山肌(遠方)
c0005419_3153233.jpg御堂の脇の庫裡めいた建物でやっている茶屋。畳は奇麗だった
c0005419_31581.jpgc0005419_315195.jpg黒光りしている茶釜(左)。幾つもは並んでいない。すすけきった天井と柱(右)
c0005419_314537.jpg般若湯、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめは売っていない。というか何も売っていない。実は茶屋ではなく、単なる休憩所だった。とりあえず、ひっくり返って「秋」を読む


「秋」(1950年)

 よく晴れた秋の日の午前、二月堂に登って、ぼんやりしていた。欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾(しび)の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍(いらか)の陰影、生駒の山肌、いろんなものを眼を細くして眺めていた。二十年ぶりである。人間は、なんと程よく過去を忘れるものだ。実にいろいろな事があったと思うのもまた実に程よく忘れているというその事だ。どうやら俺は日向の猫に類している。
 御堂の脇の庫裡めいた建物で、茶屋をやっている。天井も柱もすすけきって、幾つも並んだ茶釜が黒光りしている。油と汗で煮染めたような畳の上に、午前の清らかな陽が一杯に流れ込んでいる。ここにはよく昼寝に来たものだ。
(中略)
 この茶屋は、夏は実に涼しいのである。私は、毎日のように、ここに来ては、般若湯を一本、恐ろしく塩からい雁もどきの煮しめを一皿注文し、ひっくり返ってプルウストを読んでいた。特にプルウストを好んでいたわけではない。本と云えば、それだけしかなかったのだ。当時、私は、自分自身に常に不満を抱いている多くの青年の例に洩れず、得体の知れぬ苦しみを、半ば故意に燃やし続けていた。その為に何事にも手に附かず、会う人にはひどく退屈で暇な振りをしていた。プルウストに熱中していた伊吹武彦君に、たまたま京都で会った時、彼は土産物でも持たすように、膨大な著作の初めの二册を、私に持たした。そして、どういう結果になったかと言えば、プルウストからただ般若湯と雁もどきを連想する始末である。覚束ない語学力で、ぎっしり詰まった活字を辿って行く事は、あたかも人生のほんのささやかな一とかけらも無限に分割し得るという、著者の厄介な発見を追うのにふさわしいように思えたが、いつもやがて気持ちのいい眠りが来た。夏は終わり、プルウストも二巻目の中程で終った。以来、プルウストを開いてみた事がない。高級な文学が甚だ低級に読まれるという世の通例を私は実行したまでの事だ。恥ずかしがるにも及ぶまい。この通例の全く逆も屢々起こり得るのだ。
「失われし時を求めて」−−気味の悪い言葉だ、とふと思う。私はそれを、頭の中でキイのように叩いてみる。忽ち、時間というものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じた。ああ、こりゃいけない、順序がまるで逆ではないか、プルウストは、花の匂いを吸い込む事から始めた筈である。私は、舌打ちをして煙草を吹いた。思いも掛けず、薄紫の見事な煙の輪が出来て、ゆらめきながら、光の波の中を、静かに渡って行った。それは、まるで時間の粒子で出来上がっているもののように見え、私は、光を通過するその仄かな音色さえ聞き分けたような思いがした。不思議な感情が湧き、私は、その上を泳いだ。
以下、もの凄い事になってゆく。
新潮文庫『Xへの手紙・私小説論』所収

by ichiro_ishikawa | 2007-02-14 03:59 | 紀行 | Comments(3)  

いま最も勢いのある雑誌ベストテン

 
 俺がかなりの雑誌マニアだということは意外と知られていない。
70年代後半から80年代半ば、幼少〜ローティーン期には、肉親が勤める美容室に入り浸っていた関係もあって、そこに置いてあった女性週刊誌や少年・青年漫画誌、ファッション誌はもちろん、「POPEYE」「BRUTUS」といったマガジンハウス系、そして伝説の「シティ・ロード」から「ロードショー」「スクリーン」の類にはかなり親しんで来た。
 80年代後半から90年代半ば、高校〜20代中盤期には、マガジンハウスを離れ、rockin'on系にシフト。さらに欧米、アートかぶれだったので、カルチャー誌、文芸誌から洋雑誌までも積極的に手を伸ばしていた。

 そんな、雑誌カルチャーに一家言ある俺だが、30代に入ってから、めっきり雑誌への愛情が薄れてきた。ウェブサイトという新しいメディアの影響などというキャッチーな理由からでは全くなく、思うに、やはり、世の出来事に関心がなくなってきたのではあるまいか。社会人という、世俗にどっぷりまみれた生活を日々送っていると、仏・神系、イエス様やお釈迦様、天照大神、八百万の神といった宗教、あるいはソクラテスやプラトンといった哲学、吉田兼好とか荻生徂徠といった古典文学など、あまり生活に関係のない、いや、生活に直截的な作用はないが、それを根底で支え、深いところで必ずや作用しているであろう、いわば、存在自体の大前提、みたいなところにしかあまり興味が持てないのであった。
 DAKARA、もっぱら書籍である。
 情報など要らぬ。ビジュアルも要らぬ。生活の知恵など無用の長物。本質だけをグワッとえぐっていれば、応用は利くのである。
 そんな人間がセレクトした、いま、最も勢いのある雑誌、ベストテン。


5.UNCUT(英国・ IPC MEDIA)

c0005419_2171027.jpg世界中の音楽誌がダメな今、孤軍奮闘しているのがこのイギリスのオヤジ雑誌。OVER30、あるいは40を読者に想定していると思われるが、あからさまな回顧趣味ではなく、ある程度耳の肥えたオヤジにも響くものなら新人も紹介する、要は、真にいいものを取り上げるというスタンスがいい。


4.SIGHT(rockin'on)

c0005419_2173444.jpgラス・メイヤー特集で幕を開けた「H」が女子供向けのサブカル誌に堕し、欧米誌デザイン+トレント・レズナー表紙で勢いよく創刊された「buzz」も「JAPAN」みたいにナヨナヨしはじめ、本誌「rochin'on」も増井修・田中宗一郎・宮﨑広司を失って虫の息、最後の牙城「CUT」も変な日本映画寄りになった今、かつては赤線引いて熟読玩味していたrockin'on社の作品にまったく用がなくなる中、唯一すげえのが、この総合誌。ただ版型が変わったのが惜しい。


3.en-taxi(扶桑社)

c0005419_2175688.jpg「東京タワー」を生んだことで一躍有名になったが、アレは別格として、「文学の器」「作家の遺影を撮る」「ラスト・ワルツ」などいい企画が目白押し。丸山応挙や松方弘樹、大江慎也など、俎上に載せる題材も秀逸。判型が変わったのは、やや気に入らない。


2.芸術新潮(新潮社)

c0005419_2181580.jpg芸術というやつを切るには、高尚になるか、スノッブな感じにサブっぽく軽やかになるかのどちらかで、本当にくだらねえのだけれど、この雑誌は、なんといっても本質をこそ、グワッと抉っていこうという意気込み、そして、それを形にする手腕がすげえ。「日本の仏像誕生!」「おそるべし! 川端康成コレクション」「芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ」といった、切り口にすごく工夫がある。


1.サライ(小学館)

c0005419_2183366.jpg他のジジイ雑誌が、「若者がオッサンになった」という事実に即しただけの、処世術や趣味を扱うことに終始していて全然ダメなのに対し、「古都奈良」や「落語」、「孔子論語」「小倉百人一首」といった特集の素材が硬派で気が利いているのがまず良いし、なんといっても切り口が、すげえ。要は、料理の仕方がすげえ。

by ichiro_ishikawa | 2007-02-08 02:22 | 文学 | Comments(2)