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ピーター・バラカンの黒人音楽ライブ


 ブラック・ミュージックを特集したピーター・バラカンのトーキング・ライブが、2007年8月25日(土)17:00から池袋マイルス・カフェで行なわれた。40年代からかけ始めたが、ソウルが誕生する50年代半ばでタイムリミットとなってしまい、あとはランダムに、アル・グリーンやリー・ドーシー、アリーサ・フランクリンらの激レア映像を流した。もう凄まじいラインナップで、ピーターのコメントも冴え渡り、パート2の開催を予告して幕を閉じた。早速自宅の書斎で、本日のプレイリストを作って聴いているが、やっぱりとんでもねえ。
 最後に、「今」のミュージシャン、Amy WinehouseのRehabのPVが登場。これがすげえ良かった。さすがピーター・バラカン。
 以下、当日のセットリスト。

Nat King Cole "Straighten Up And Fly Right"
Charles Brown "Driftin' Blues"
T-Bone Walker "Stormy Monday"
Louis Jordan "Saturday Night Fish Fry"
Roy Brown "Good Rockin' Tonight"
Fats Domino "The Fat Man"
Professor Longhair "Mardi Gras In New Orleans"
Stick McGhee " Drinking Wine Spo-dee O-dee"
Percy Mayfield " Please Send Someone to Love"
The Dominoes "Sixty Minute Man"
Hank Ballard "Work With Me Annie"
Etta James "Dance With Me Henry"
Jackie Brenston "Rocket 88"
Jimmy Reed "Baby What You Want Me To Do"
John Lee Hooker "Boogie Chillen"
Clovers "One Mint Julep"
Drifters "Money Honey"
Lloyd Price "Lawdy Miss Clawdy"
Ruth Brown "Mama He Treats Your Daughter Mean"
Big Mama Thornton "Hound Dog" (DVD)
Coasters "Riot In Cell Block #9"
Ray Charles "I Got A Woman"
Bill Doggett "Honky Tonk"
Al Green "Let's Stay Together" (DVD)
Lee Dorsey " Ride Your Pony" (DVD)
Aretha Franklin " Say A Little Prayer" (DVD)
Aretha Franklin "Natural Woman" (DVD)
Aretha Franklin "Call Me" (DVD)
Sam And Dave "Soul Man" (DVD)
Sly & The Family Stone "I Want To Take You Higher" (DVD)
Amy Winehouse "Rehab" (DVD)

by ichiro_ishikawa | 2007-08-26 23:54 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄への信頼


 母が死んだ数日後の或る日、妙な経験をした。誰にも話したくはなかったし、話した事はない。尤も、妙な気分が続いてやり切れず、「或る童話的経験」という題を思い附いて、よほど書いてみようと考えた事はある。今は、ただ簡単に事実を記する。仏に上げる蠟燭を切らしたのに気附き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮れであった。門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もない様な大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。ところで、無論、読者は、私の感傷を一笑に付する事が出来るのだが、そんな事なら、私自身にも出来る事なのである。だが、困った事がある。実を言えば、私は事実を少しも正確には書いていないのである。私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異なって実によく光るとか、そんな事を少しも考えはしなかった。私は、後になって、幾度か反省してみたが、その時の私には、反省的な心の動きは少しもなかった。おっかさんが、蛍になったとさえ考えはしなかった。何もかも当たり前であった。従って、当たり前だった事を当たり前に正直に書けば、門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。つまり、童話を書く事になる。(「感想」小林秀雄全集 別巻1所収)

 例えばこういうことを書くというところを信用している。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-21 23:40 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄は難しいか。Oui



 小林秀雄の難しさは、人生の難しさと同じことだ、小林秀雄が難しいのではない、人生が難しいのだ、という根本的、本質的な事を前回書いたが、ちょっと具体的事例を出してくれと、またしても俺が俺に言うので、うまくいくとは思えないが、「この世はやってみなければわからないことだけで成り立っている」と小林秀雄が言っていたのを思い出したので、とりあえずやってみる。
 多くの優れた文学者がみな優れた哲人であるように、小林秀雄もまた大きな哲学に触れている。小林秀雄の最も晦渋な部分というのは、この哲学的思索の発露にある。「秋」、フランスの哲人ベルクソンについて書き未完に終わった「感想」なとがその代表だが、その辺りについては別の機会にじっくり取り組むことにする。
 本稿では、文章自体の難解さに触れたい。
 パスカルついての文の中で、人口に膾炙したパスカルの「人間は考える葦である」を取り上げ、小林秀雄は次のように言う。
 人間は考える葦だ、という言葉は、あまりに有名になりすぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦のように弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一たまりもないものだが、考える力がある、と受け取った。どちらにしても洒落を出ない。
 パスカルは、人間はあたかも脆弱な葦が考える様に考えなければならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来るような気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。そう受け取られていさえすれば、あんなに有名な言葉になるのは難しかったであろう。

 一段落目は分かるだろう。二段落目が分からないのではないか。
 小林秀雄の難しさは、こういうところにある。ここに専門用語はひとつもない。ひとつひとつは全く日常の言葉が選ばれている。
 小林秀雄は、「AはBと一般的に言われるが、実は違う」と言うとき、違う理由を合理的に説明しない。ここでも「洒落を出ない」の一言で済ませている。
 そして唐突に結論に飛ぶ。「実はCなのだ」。凄まじい断定の力でそう言い切るのだが、その「C」がまた一筋縄ではいかない。「C」自体は、なにやら謎めいた暗号のようだ。そんなわけで「C」と言われたとき、凡才な俺の頭上には素朴な「?」が点灯する。
 次にその「C」が具体的に展開されるのだが、その展開は元の「C」のさらなる説明や論証ではない。「C」の具体的な姿を描写するだけだ。而して俺の頭上では「?」が点滅し続け、とりあえず文頭に戻る事にならざるを得ない。
 二度、 三度読んでも、分からない。だが、そのもの凄い言い切りに、ただならぬ凄みを感じているから、俺は考え込む。その凄みにやられ続ける俺はその言葉という事件のただ中に放り出される。事件は解決されなければならない。俺はホシが残した言葉を、暗誦聖句のように、あるいはお経や呪文のように、心の中で唱え続ける。そんなある日、突然、頭上の「?」は「!」に変わる。読み返す。俺は、この言い切りに独断的なもの、比喩や空想めいたものはひとつもない、これはこうとしか言えなかった、という事を悟る。

 小林秀雄の醍醐味は、この「?」の発祥ならびに持続、そしてやがて「!」に至るという一連の精神の躍動にある。普通に生きている限り、点灯しない「?」というものがまず現われ、まず点灯しない「?」だからこそ、それは持続し、「!」の衝撃は、己が人生に、おのが精神に焼き印を残す、痛い、あるものなのである。
 それはあたかもニュートンが、星は落ちないのに林檎が落ちるという、普通はまず点灯しない「?」にやられ、何も説明しない林檎の落下という事件の渦中に放り出され、やがて自ら万有引力という「!」を導いた、というような精神の流れを作り出させる。考えるヒントとはよく言ったものだ。
 AはBなぞではない、Cである。そういうとき、CはAの答えではないのであった。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-21 01:28 | 文学 | Comments(4)  

小林秀雄は難しいか。否


 小林秀雄の文章は難しいと言われるが、これは、本人も語っているように、人生自体が難しいからだ。易しく言えないのか、という妹の質問には、「無理だね」と即答している。自分は難しい人生を書いているから、そりゃその文章も難しくなる。俺は分かり易く伝えようとはしているが、分かり易く解釈はしない。簡単なことを難しく書くのは単なる虚栄だが、難しいことを書いて、それが難しくなるのは仕様がないことだ。そういう意味のことを小林秀雄は言っている。

 難しい人生を易しく分かりたいということは、難しい人生を自分の分かりたいようにでっち上げるということだ。小林秀雄が嫌い抜いた、イデオロギーや何々主義といった様々なる意匠というやつは、微妙で曖昧だが確かな真実を、自分に都合のよいように解釈して、結局まったく違うものとして作り変えてしまう。小林の仕事は、易しく解釈され、ある意味、矮小化された真実を、本来の難しい姿に戻す作業なので、やっぱりそりゃ難しいのである。
 だが何度と読むうちに、その秘密は自ずと明かされる。情熱は情熱によってのみ動かされるがごとく、無私の精神は無私の精神にのみ、その秘密を明かす。無私というのは何も難しいことではない。分かったようなフリをしなければいいだけだ。
 愛に対して理知で答えることのばからしさは常識だろう。優れた恋文に心打たれたとして、その打つものはレトリックや語彙ではないはずだ。その人の魂を感じるからだろう。そのとき魂と言葉は2つのものではないだろう。ラブソングには愛する心持が必須なのである。

 小林秀雄は10枚書いたものを結果2~3枚にするのだという。いかに多くの事を言わずに我慢したかを知ることは大事だ。読む側は、その選びに選び抜かれた、書き手が喜びも悲しみもすべて託したそれらの言葉と対峙するという覚悟が必要である。その言葉を、吟味したい。やはり知識を得るのとは根本的に違うのだ。味わう、ということだ。恋人の片言隻句を噛み締めるように、小林秀雄の言葉を抱きしめたい。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-15 02:40 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄というラブソング(4) 徒党は組まない

 新聞の論説や週刊誌の見出し、報道テレビ番組キャスターの物言い、政治家の発言、党のマニフェストといった、要するに公のステートメントというやつが、何か気に食わないのはなぜか。俺はそれらを目にし、耳にすると、自分が怒られているような気になってしまう。はあ、えろうすんまへん。だが、貴様は誰だ? 
 それは特に少年時代から敏感に感知していたことだ。何かずるい。気持ち悪い。学級委員や生徒会長、先生の言う事というものが信用できないという子供の直感は正しいのではないか。
 内容自体はまあいい。いろいろな考えがあろう。問題は、その立ち位置なのだ。何かもっともらしい言葉を吐く時のきゃつらの後ろには常に巨体の黒人ガードマンが聳えている。俺たちがすごすご退散せざるを得ないのは、その後ろにあるものに逆らえないからだ。それは、抵抗したり、乗り越えたりできる類いのものではない。それらは目に見えない実在だからだ。そのあるものとは、世論、風潮、正論といったやつだ。

 俺は昔からよく悪いこと(たわいのない部類)をして他者に怒られ続けてきたけれど、全然反省したことがない。言っている内容はごもっともだ。だがあんたを信用する事は出来ない。
 一度だけ、怒られて自分の非を認めた事がある。高校1年、欠席と遅刻と早退を繰り返していた俺に、当時20代半ばだった担任の新米教師は言った。「面倒臭えから、ちゃんとしろ」。この「面倒臭え」というのは、注意するのが面倒ということだ。担任という立場上、注意しない訳にも行かない。貴様の人生なんてどうでもいいんだけれど担任という立場上、怒るらざるを得ないじゃないか、仕事増やすんじゃねえよ、新婚なんだから早く帰りたいしよ。
 言っている内容は滅茶苦茶だけど、このセリフに正論という後ろ盾はない。当人がきちんと責任を持った言葉だ。俺は以来、彼を信用するようになった。
 赤いスポーツカーで出勤というのも中々だったし、英語の授業では「小林克也のアメリ缶」という市販の教材をラジカセで流して自分は何もしないという割り切りも潔かった。体育祭や文化祭の日は、「俺は興味ないし新婚だから帰るけど、君たちは自由に楽しめ」というスタンスも良かった。職員室に呼ばれると、別室では、その教師も他のベテラン先生たちによく怒られていた。
 国語のテスト用紙の裏に、斜めはすかいから見た森鴎外の似顔絵を書いたことがあった。当の国語の先生は流した(気づかなかった?)が、英語担当である彼はどこで知ったか、「あの絵は秀逸だ、だがその角度何やってんの?」とわざわざツッコみに来た。「あ、そこ気づくんだ?」と俺はますます彼を信用した。
 赤点連発、偏差値30、出席日数と友達足らず、かつ大腸炎でありながらも、ギリギリ卒業はできたが浪人が決まり、若干自信喪失気味だった俺に、「本さえ読んでいれば間違いない」との名言を残して、彼は去って行った。

 思わず回想が長くなった。小林秀雄の言葉を抜き書きしたかったら本稿を書き始めたのだった。
 実に無責任ですよね、今日のインテリっつうのは。「韓国のある青年を救え」。君、責任取んの? 取りゃしないよ。責任なんか取れないものばっか人は言うんですよ、ワーワーワーワー。よく見て見なさいよ、本当に責任取ってるか? 自分の言う事に。
 信ずるという事は、責任を取る事です。僕は間違って信ずるかもしれませんよ。万人の如く考えないのだからねえ、僕は。僕流に考えるのですから、もちろん僕は間違えます。でも責任は取ります。それが信ずる事なんです。
 だから信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるんです。そうすると人間は、集団的になるんです。会が欲しくなるんです。自分でペンを操ることが信じられなくなるから、ペン倶楽部が欲しくなるんです。ペン倶楽部は、自分流に信ずる事はできないです。倶楽部流に信ずるんです。そんなバカなことは無いですよ。倶楽部流に信ずるから、イデオロギーというものがあるんじゃないか。そうだろ? 自分流に信じないからイデオロギーというものが幅を利かせるんです。だからイデオロギーは常に匿名ですよ。責任を取りませんよ。そこに恐ろしい力があるじゃないか。それが大衆、集団の力ですよ。責任を持たない力というのは、まあこれは恐ろしいですね。集団ていうのは責任を取らないですからね、どこへでも押し掛けますよ、自分が正しいと言って。こういう時の人間なんてものは恐ろしい事になる。集団的になると現われる僕らの悪魔ですよ。
(講演CD「なぜ徒党を組むのか」より)

 この辺りは、小林秀雄の「政治は虫が好かない」発言にも敏感に関わってくるので、次回は「政治と文学」(文春文庫『考えるヒント3』所収)から、小林秀雄の心を慮ってみたい。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-12 10:11 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄というラブソング(3) 親の恩

親の恩

 小林秀雄の現存する最古の文章は、小学校の作文で、当時からその文体は独特の輝きを放っている。

おやのおん   尋常二年男 小林秀雄 

 私のきものは、お母さんがこしらへてくださつたのです。学校へくるのは、お父さんやお母さんのかげ(ママ)です。うちでは、私はかはいがつてくださいます。このおんをわすれてはなりません。おんをかへすのには、お父さんやおかさんのいひつけをよく、きいておやにしんぱいをかけないやうにして、学校で はせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせる(ママ)のです。

「明治四十三年度、各学年綴方優作集」(白金尋常小学校)


なんと美しいことよ。
グルーヴィーで、愛に溢れ、これは、すでにスウィート・ソウル・ミュージックではないか。

「この恩を忘れてはなりません」の矛先は、自分なのか他者なのか。他人に言うのも自分に言うのも同じことだ。続く「〜のです」連打の、断定口調はどうだ。小2でこの確信はどうだ。
 他者への感謝、自分は他人によって生かされているという謙遜、そして直覚したところを、自己流に責任を持って信じるという覚悟が、すでに見える。
 文は人なり。人間の品格は、文にこそ最もよく現われる。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-10 03:56 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄というラブソング(2)


知的孤高を貫いた批評の神様として知られ、 眼光鋭い洞察力でおなじみの小林秀雄だが、日常生活においては「もしやバカなのか」と思われるほどの愚行を多く残している。ロックミュージシャンなどにありがちな生活の破綻とかではなく、単なるおっちょこちょいだ。

●結婚式の招待状で「出席・欠席」どちらも消さずに返信
●欠席を消して無署名で返信
●部屋を歩くとき物を踏んづけて壊して回る
●20年住んでいる自宅の開かずの扉を開けようとして「ここは開かないのか」と気づく。
●人の歯ブラシで歯を磨く
●人の眼鏡をかけて生活する
●ホテルをのチェックアウト時「釣りは要らない」と勘定を済まして出るが、全然足りてない
●場所の見当を付けずトイレに向かい、片っ端からドアを開けて回る
●次また行くときも片っ端からドアを開けて回る

出欠を明記しないのは中庸の精神の表れとしても(うそ)、
バカだなあ、秀雄は。


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by ichiro_ishikawa | 2007-08-09 15:58 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄というラブソング(1)

 という題で何か書けと、俺が俺に言うので、今後、書いていく。

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            小林秀雄くん(1902-1983)

ヒデと俺

 中学生ぐらいからずっと、「批評」には、なんとなく興味があった。一般的に、批評家とは、「高見から偉そうなことを言うばかりで実地には何もしない奴」と揶揄されるが、何かと懐疑に満ち、理屈っぽく、傲慢で独善的な性格だった俺は、その揶揄にピッタリと当てはまる人間だった。批評とは本来そういったものではないのだが、そんな人間が、批評に興味を持つようになったというのは、凡人が辿りがちな分かりやすい道である。
 数ある音楽誌の中でも「ロッキング・オン」という雑誌を、文体が硬派で自分の気質に合っていたという理由から購読していたが、愛読するうちに、執筆陣の渋谷陽一や岩谷宏らが書いている文章は「批評」であり、「ロッキング・オン」も音楽誌ではなく批評誌なのだと気づいた。その頃から、その独特な力を持つ「批評」というものが、自分の中で特別な位置を占めるようになっていった。
 「ロッキング・オン」は、吉本隆明の「試行」という同人誌がモデルになっている。その流れで吉本隆明を中心に、浅田彰、柄谷行人、蓮実重彦らを愛読するようになったが、小林秀雄も、当時はその同じリストに並列で並んでいた。小林秀雄以外の批評家から学んだものは、論理的な思考法と思想史、そして思想用語というもので、それらを読破していくことで知識が増えていくというカタルシスはあったし、理論武装に大いに役立った。そんな中、小林秀雄は俺をこう訝った。
「理論武装の鎧は頑丈だろうが、さぞ重たかろう」。

 小林秀雄だけが異彩を放っていた。いままで読んできた文学者とは決定的に違う。文章は、説明的でなく極めて詩的であり、なにやら謎めいた暗号のようだが、何かおそろしく正しいことを言っている。そして、何より、その姿こそが抜群に美しい、と直覚した。ロックから感じたものと同じものを嗅ぎ取ったと言ってもよい。俺は、小林秀雄の虜になった。

The 無私

 小林秀雄は、若年期にアルチュール・ランボオにやられ、フランス印象派詩人を愛読していたことが凄く影響して、その文章は批評文とはいえ、まず詩的な美しさという絶対的な姿があり、小林を愛でることは、まずその文章を「感じる」ことが第一で、もしかしたらすべてなのだが、本稿では内容的なところに触れていきたい。
 小林秀雄は、いっとうはじめに、「様々なる意匠」を疑った。何々主義とか何々派とか意匠をたくさん身に纏い、取っ替え引っ替えし、徒党を組む人たちを嫌った。きゃつらは結局自分が可愛いだけなのだ。自分のために、あれこれ主張したいだけなのだ。小林は、まさに彼等と対極の存在である。小林が、批評の要諦とし、終生言い続けたのが、「無私」の精神である。「様々なる意匠」における「批評とは畢(つい)に己れの夢を懐疑的に語ることではないのか!」とは、「無私」ということだ。
 「無私」とは自分をなくすことではない。自分と対象が一つになるということだ。小林の批評を読むと、小林が言っているのか、その対象が言っているのか分からなくなるのはそのせいだ。
 小林のこの態度は、対象への「愛」による。小林はまず感動し、打ちのめされ、黙って愛する。そこから、何かが沸き上がり、批評の可能性を感じたら、その愛情を言葉という形で整えていく。
 小林秀雄は「愛」の人なのである。合理性より情緒を重んじ、人間と自然、そしてそれらを超えた絶対主への畏怖と愛情が、ベースにある。
 不安だの孤独だの言っていた俺に、小林はこう言った。「いつも自分のことしか考えていないからそんなことを言うのだ。もっと人のことを考えれば、そんなこと言っている場合じゃなくなる」。
 「歴史」ということについても、そのベースは愛だ。小林は「歴史とは、死んだ子を想う母親の悲しみだ」という。何が何時どこでどう起こったかということは瑣末なことだ。母親には子がもういないという悲しみだけが切実なのだ。歴史とは、過ぎてもう還らない、様々な人物を「思い出す」ということだ。そしてそこに自分を見つけることである。歴史上のあの人物は、俺だ。

Le 中庸

 もうひとつ、小林の核になるのが、「中庸」である。これは「右でも左でもなく、中立だ」ということではなく、「日和見」ということでも「間(あいだ)を取る」ということでもなく、「常に正しく考えたいという願い」だ。取り替えの効くイデオロギーや主義主張に惑わされず、正しく射抜くという態度だ。
 小林秀雄は、誰もひとりで生きている人などいないという点で、人と交わらず孤独を愛でる人を否定し、ひとりで静かにものを考えることの大事さから、人と騒いでばかりいる人も否定する。実行することの重要さを重んじるがゆえに、空想家・物知り人を否定し、思索の大事さから、実行家を否定する。 これでは全否定のようだが、そうではない。小林秀雄は、ひとりでいることと人と交わること、考えることと実行すること、これらが同じことだと考え、実際そのように生きた人だ。
 「一方の極端まで達したところで何も偉い事はない、同時に両極端に触れて、その間を満たさなければ」。とは、中庸の精神のことだ。小林秀雄は、そのように考え、そのように生きた。

 まず核について触れたので、以降、細かく独白していく。
 次回は、「おっちょこちょいな秀雄」。

by ichiro_ishikawa | 2007-08-06 00:33 | 文学 | Comments(2)