<   2007年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 

俺・俺・俺(無私の精神)

 本が売れない、雑誌が売れない。時代はいよいよ変わった。ネット連動だ、ケータイ向けコンテンツだ、クロスメディアだ、二次販売を見据えて、云々。
 俺は、こういう物言いを、まったく信用していない。

 俺が信用していようがいまいが、どうでもいいことだろう。そも、その「俺」って誰よということだろう。ただ、その俺は、そういう風潮が強くなればなるほど、「ならば、“本だけ”の力で売ってみせようじゃないか」と奮い立つ(逆に本だけの力でとか言われれば、クロスメディアだと奮い立つがな!)。

 時代に敏感に反応している人間というのは、すべてとは言わないが、えてして、実は自分では何も考えていない人間だ。考えている人間をうまく使うことを考えている人間だ。きゃつらは、時代の流れに柔軟に、局面局面で臨機応変に対応している風に一見見えて、実はウロウロしているだけだ。様々なる意匠をとっかえひっかえしているに過ぎない。右に傾いたり左で悦に入ったり、その時そのときの趨勢に従って右往左往忙しい。平和論を戦わせた末、殴り合いのケンカをする類いの人間だ。
 たとえば、ネットで成功している奴というのは、時代に敏感に反応をした奴ではない。鞍替えした奴ではない。ネットが普及する前からじっとネットを見据えていた奴なのだろう。
人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。

 この事実に驚いているかどうか。てめえの宿命の主調低音を聴くこと。大事なのは、自分の個性と戦うことだけだ。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-31 01:23 | 文学と音楽 | Comments(0)  

古典礼賛

 日々、明日へ、新しいものへ向い、何かを「創造」せんとする人より、過去へ、とにかく古いものへ遡り、古典を「研究」したがる人の方に魅力を感じる。もう、俺は終わっているのか。どうか。

 80年代をティーンネイジャーとして過ごした36歳のあたしは、20代においては、60〜70年代が、掘り下げるべき古典であった。古くてもビートルズ、ストーンズ、そしてジョン・レノン絡みでエルヴィス。せいぜいベスト盤でのボ・ディドリー、リトル・リチャード、チャック・ベリー、バディ・ホリーどまりだった。
 80〜90年代前半は、かろうじてロックやブラックミュージックがまだ光り輝いていたから、同時代を追いながら、同時に古典もひも解くという塩梅で、せわしなかったが、1997年からロックもブラックミュージックも全くつまらなくなってしまったので、その頃から、もっぱら過去を愛でるだけの日々になり、現在に至っている。
 
 文学とは違って、ポップ・ミュージックの世界は19世紀後半〜20世紀初めが、その幕開けで、レコードということでいえば20年代からしか音としては聴けないから、掘り下げるのもそんなに気が遠くなる話ではない、というのが良い。
 最古のものはアメリカのソング(小唄)やバラッド(物語唄)、ゴスペルやクラシック・ブルーズであり、そこからカントリー・ブルーズ、スウィング・ジャズ、ジャンプ、ジャグ、シティ・ブルーズ、ビ・バップ、初期リズム&ブルーズと大黄金期に突入する。それは30〜45年頃である。ここら辺がやはり一番面白い。
 45年以降、いわゆる戦後(第2次世界大戦というのは本当にどでかい節目である)は、アーバン・ブルーズ、リズム&ブルーズ、ハード・バップなど、より洗練されていって50年代にロックンロールが爆発するわけだが、この辺りもまだまだ刺激的だ。
 60年代、特にブリティシュ・インベイジョン以降は、ロック黄金期、ブラック・ミュージックにおいてもソウルが花開き、その辺りはポピュラーミュージックが世界をひっくり返す力を持った時期で、大変スリリングなのだが、ちょっと聴き飽きた感があり、食傷気味、ということで、今は、「20年代〜50年代がすごいことになっている」わけであった。

 20代までは、とにかく新しいものを求めていた。「ブルーズをこよなく愛し、デブでハゲのくせに、長髪でヒッピーまがいの恰好をして、てめえの青春時代のノスタルジアに浸っているオッサン」、というのが、とりあえず嫌悪の対象であった。そういう輩はいつの時代にもいるようで、今なら、「LEON」「OCEAN」「Z」「BRIO」「ROLLING STONE日本版」を愛読してしまう人間がそれにあたるのだろう。
 てめえがオッサンになったいま、我が身を振り返るとどうか。そういうスタイル優先、結局てめえが可愛いだけのオッサンとは一線を画しているか。どうか。
 
 今は、「万葉集」「平家物語」「徒然草」あたりがジャストで、カントリー・ブルーズとビ・バップを研究中だ。今起こっていること、これから起こりうることにはほとんど興味が湧かず。新聞とテレビはここ10年見ていないし、流行語も知らぬ。でも、そんなの関係ねえ。過去を積極的に「思い出す」ことで日々充実している。だが、こんなことをしている場合ではない。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-29 01:30 | 文学と音楽 | Comments(2)  

最初のロックンロール・レコードは何か

 わけあって、最初のロックンロール・レコードは何かを検証しているが、一般的にはエルヴィス・プレスリーの初吹き込み「That's All Right」(1954)やビル・ヘイリーと彼のコメッツ「Rock Around The Clock」(1954)あたりを挙げる向きが多く、あるいは、黒人こそロックと居直る人は、チャック・ベリー「Maybellene」(1955)、リトル・リチャード「Tutti Frutti」(1955)、ボ・ディドリー「Bo Diddley」(1955)とするだろう。
 中にはもっとリズム&ブルースを掘り下げて、レイ・チャールズ「I've Got A Woman」(1954)と言ってしまう強引な人間も多いのには驚くが、ちょっと気の利いた奴は、エルヴィス以前のサンレコードにジャッキー・ブレンストンが吹き込んだ「Rocket 88」(1951)が嚆矢だと主張するやも知れぬ。また、ブルーズ愛好家の中ではロバート・ペットウェイ「Catfish Blues」(1941)をこそ最初のロックンロールと言ってはばからない人も多くいる。

 これは難問だ。まずロックンロールの定義があいまいだからだ。ブルーズにブギーのビートを取り入れてリズムを強化したリズム&ブルーズを白人がやればロックンロールと、ひとまずは言えるわけだが、前述の「Catfish Blues」やジョン・リー・フッカーの「Boogie Chillen」(1948)、マディ・ウォーターズ「Rollin' And Tumblin'」(1950)などのブルーズの圧倒的なリズムを前にすると、それをロックンロールと呼びたい衝動に駆られるし、烈しいシャウトということでは、ビッグ・ママ・ソーントンの「Hound Dog」(1953)など、すでにロックンロールなわけだ。ノベルティ要素が必須と考えるならば、スティック・マギーの「Drinkin' Wine Spo-Dee-O-Dee」(1949)、やはりジャンプが原点だということでは、ルイ・ジョーダン「Saturday Night Fish Fry」となる。
 もうこうなると、不毛な思索と思えてしまうわけだが、私は、やはり、それらの要素をすべて含め、プラス、きらめくギターとぶっといベース、そしてセクシャリティとかっけえツラ、これが揃って初めてロックンロールなのだと言いたい。となるとエルヴィス・プレスリー「Hound Dog」(1956)が、最初のロックンロールなのだった。それ以前のものは、エルヴィス自身も含めて、リズム&ブルーズだ。

Elvis Presley 「Hound Dog」(YouTube)
c0005419_17311959.jpg


「きらめくギターとぶっといベース、そしてセクシャリティとかっけえツラ、これが揃って初めてロックンロールなのだと言いたい」と締めくくったものの、やはり、違和感がある。いきなりツラとかを出してしまっては尚更だ。
 要は、黒人に憧れた白人が黒人のマネをしてR&Bをやったものがロックンロールだ、でいいような気がする。白人が黒人をやっても、どうしても白い音になってしまう。エルヴィス然り、ジョン・レノン然り、ポール・バターフィールド、ジョン・メイオール、ヤードバーズ、クリーム、そしてローリング・ストーンズ然り。だが、こう並べてみると、彼等こそロックンロールだと言えることが分かる。ということは、その白さこそがロックンロールということになる。この白さは純白ではない。黒く塗らんとした白さだ。この、ロックンロールをロックンロールたらしめている白さは、疾走感と言ってもいいかもしれない。前のめりな、走ってしまう感じ、福田和也が言うところの「バンド全体が立ち上がり、今すぐ駆け出そうとするような躍動感と、どこにも行く事は出来ないという焦燥が一体になった感触」(「日本人の目玉」より)だ。
 とすると、やはり最初のロックンロール・レコードは、エルヴィス・プレスリー「Hound Dog」と、結果的にはそうなる。

by ichiro_ishikawa | 2007-10-27 17:20 | 音楽 | Comments(2)  

私家版・ユダヤ文化論


 2002年、小林秀雄生誕100年の節目に、新潮社は季刊誌「考える人」を創刊し、同時に「小林秀雄賞」というものを設立した。その前年からは新たに全集が刊行されていて、2001年〜2002年は、周知の通り世間的に大・小林秀雄ブームだったわけだが、その約1年半の間、俺は30歳という節目に面接し、会社勤めを中断していたこともあって、ほとんど「小林秀雄だけ」を1日8時間は読んで毎日を過ごしていた。

 そんなわけで俺は小林秀雄賞にも敏感なのだが、第1回は『文章読本さん江』(筑摩書房)で斎藤美奈子が受賞した。斎藤美奈子は、当時、自分の中の「出れば即買う作家リスト」に名を連ねていたので、やはり俺の好むものは、どこか「小林秀雄的なるもの」があるかどうかがポイントになっているのだなと、ややひとりごちた。その後も第2回(2003年)の吉本隆明『夏目漱石を読む』(筑摩書房)、第4回(2005年)の茂木健一郎『脳と仮想』(新潮社)が選ばれているが、1年に2〜3冊しか新刊を買わない俺が購入したものは、かなりの確率で小林秀雄賞を受賞する運びになっていて、つくづく自分と小林秀雄の結びつきの強さに感嘆の念を禁じ得ない。

 c0005419_1725287.jpg2007年の小林秀雄賞の受賞作は『私家版・ユダヤ文化論』内田樹(文藝春秋)で、今回は、読んでいないものが受賞となった。なぜか知らぬがアラブとイスラエル、旧ユーゴ界隈の紛争といった「やっかいなもの」に尋常ならざる興味を覚え、常日頃から「文化論」と「ユダヤ」という両タームにも強力に惹かれていた俺は、当然触手を動かされたのだが、「内田樹」という名前が、違う意味で引っかかった。本屋の入り口付近でよく見る名前である。芸術の分野で売れているものは、悉く駄作という経験則から、即買いには至らなかった。
 
 その日、ディスクユニオンの神保町ブルーズ&ソウル館で、1枚800円の戦前ブルーズの中古盤をしこたま買い終えた俺は、ブルーズの歴史的な部分を細かく著述している書籍を探しに三省堂の4階へ向った。4階は哲学書のコーナーもあるせいか、小林秀雄賞コーナーが設けられていた。コーナーの看板書は、もちろん件の『私家版・ユダヤ文化論』。俺は、足を止めた。
 やはり「ユダヤ」はすこぶる気になる。さらに小林秀雄賞受賞作、養老孟司推薦という「買うべし」ファクターは揃っている。それと、「内田樹」=よく見る名前=売れている人=ブタ野郎、というわがままな俺公式による「棚に戻すべし」ファクターがピタッと釣り合っていた。この均衡を破壊するものは何か。それが現われないと俺は、この三省堂から出られないではないか。
 まず状況が均衡を破った。近くには「ランチョン」がある。この三省堂で大枚をはたかなければ、最高に美味い「グリルチキンとライス」1400円が食える。「棚に戻すべし」ファクターが一つ増えたことを受け、ランチョンへ向うことが決定した。最後の見納めとばかりに俺は本を手に取り、帯の惹句(じゃっく)を一瞥。「私はこの“強さ”を買う」と養老さんは推薦している。“強さ”ね、なるほどな、小林秀雄賞だものな、そりゃ論理を超えた強さがあるのだろうよ。だが、俺はランチョンをとります、養老さん。じゃまた今度! と書を置こうとしたその刹那、裏表紙のある文字が目に入った。
 「リーバー&ストーラー」。
 よく読むとこうある。「キャロル・キングとリーバー&ストーラー抜きのアメリカン・ポップスが想像できないように、マルクスとフロイトとフッサールとレヴィナスとレヴィ=ストロースとデリダを抜きにした哲学史は想像することもできない」。
 キャロル・キングはともかく、「リーバー&ストーラー」を持ち出し、アメリカン・ポップスを引き合いに出してくるのならば話は違って来る。ランチョンは吹っ飛び、「買いや否や」の目盛りは、一気に「買い」に振れた。俺は、本書を片手に、興奮のあまり、平積みになっている他の書籍を片っ端から手ではじき飛ばしながら、セカンドラインのビートに乗って、微笑をたたえたスキップでレジへ向った。

 俺は、すぐに読み干したい衝動に駆られたため、タンゴが流れる小さな喫茶店ミロンガに飛び込み、グァテマラを注文すると、今の陽気的に、着てくるには若干早すぎたレアルレザーのブラックコートを脱ぐのも忘れ、本書を貪り読み始めた。
 キャメルマイルドを一箱空け、俺以外の客が10回転した頃、とっくになくなっているグァテマラのおかわりを促すこともなく、水と灰皿を何度も取り替えてくれていた、阪神の金本似とはいえ独特の弥生美人的なキュートさを持つウェイトレスが俺に言った。
「ごゆっくりどうぞ」。
「さらにか!」。俺は少し感動した。「おうともよ! まだ半分も読んでないからな、あと2、3時間、何も注文せずいさせてもらうぜ」。俺は遠慮なく言い放ち、ついに読了したのだった。

 本書は、概して、文化論、ユダヤ人論というよりも、深いところでの哲学、宗教について考えさせられる、考えるヒント的な本で、久しぶりに新刊で読んでよかったと思わせるものであった。

FIN

てめえのための補記

by ichiro_ishikawa | 2007-10-19 16:05 | 文学 | Comments(1)  

80s歌謡曲ベストテン



 幼少時分から教会で黒人ゴスペル・クワイヤーの一員として活動していたこともあってか、音楽への興味は人一倍早かったあたしだが、意識的にてめえから求めるようになった音楽原体験はと言うと、やはり80s歌謡曲にあると言わねば嘘をついていることになろう。10代後半の地下室の手記時代から半ば故意に歌謡曲に背を向けていたが、ここへ来て、ラブ・ザ歌謡曲熱が再燃。グワッグワッと聴き直す日々が続いている。歌詞、音、声、そしてカタルシス、やっぱり80s歌謡曲はとんでもない。アメリカの60sブリルビル・ポップをどうしても彷彿とさせるのであった。

 80年代は5つの季節に分けられる。

1=1980年
2=1981~83年
3=1984、1985年
4=1986、1987年
5=1988、1989年

1980年は、さすがにまだ70年代を引きずっているのが特徴。フュージョン、AOR、クロスオーヴァー色が強く、つまり、本格、技巧指向の名残があり、そこにポップの波が少しだけ来ている。
もんた&ブラザーズ 「ダンシング・オールナイト」
クリスタルキング 「大都会」
久保田早紀「異邦人」
五十嵐浩晃 「ペガサスの朝」
沢田研二 「TOKIO」

1981~83年は、大ポップ時代である。とにかく弾けたグッド・メロディが世界を支配している。余談だが、ジャンプとプロレスとジャッキー・チェン、そしてザベストテンが最高潮に達した時だ。
寺尾聰「ルビーの指環」(1981)
松田聖子「夏の扉」(1981)
松山千春「長い夜」(1981)
松任谷由実「守ってあげたい」(1981)
南佳孝「スローなブギにしてくれ」(1981)
矢野顕子「春咲小紅」(1981)
薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」(1981)
シャネルズ「ハリケーン」(1981)
石川ひとみ「まちぶせ」(1981)
松田聖子 「赤いスイートピー」(1982)
中森明菜 「少女A」(1982)
坂本龍一・忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」(1982)
サザンオールスターズ 「チャコの海岸物語」(1982)
中島みゆき 「悪女」(1982)
山下久美子「赤道小町ドキッ」(1982)
一風堂「すみれSeptember Love」(1981)
シュガー「ウエディング・ベル」(1982)
杏里「CAT'S EYE」(1983)
松田聖子「瞳はダイアモンド」」(1983)
中森明菜「禁区」」(1983)
安全地帯「ワインレッドの心」(1983)
THE ALFEE「メリーアン」(1983)
YMO「君に、胸キュン。」(1983)
RATS&STAR「め組のひと」(1983)
原田知世「時をかける少女」(1983)
長渕剛「GOOD-BYE 青春」(1983)
小泉今日子「半分少女」(1983)

1984、1985年は、原色、カラフルな時だ。パワーステーション的ドラム&ベース、シンセ。ニューアカ、スキゾ、軽チャーが全盛を極め、思想までもがファッション化。根暗、冬の時代である。
チェッカーズ「涙のリクエスト」(1984)
中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」(1984)
吉川晃司「モニカ」(1984)「サヨナラは八月のララバイ」(1984)「ラ・ヴィアンローズ」(1984)
サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」(1984)
杏里「悲しみがとまらない」(1984)
小泉今日子「渚のはいから人魚」(1984)
郷ひろみ「2億4千万の瞳」(1984)
高橋真梨子「桃色吐息」(1984)
舘ひろし「泣かないで」(1984)
安全地帯「恋の予感」(1984)
チェッカーズ「あの娘とスキャンダル」(1985)
小泉今日子「魔女」「なんてったってアイドル」(1985)
C-C-B「Romanticが止まらない」(1985)「Lucky Chanceをもう一度」(1985)
安全地帯「悲しみにさよなら」(1985)
TOM★CAT「ふられ気分でRock'n Roll」(1985)
吉川晃司「にくまれそうなNEWフェイス」(1985)「RAIN DANCEが聞こえる」(1985)
とんねるず「雨の西麻布」(1985)
杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」(1985)
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」(1985)
アン・ルイス「六本木心中」(1985)
レベッカ「フレンズ」(1985)
小林明子「恋におちて」(1985)
おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」(1985)
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1985)
斉藤由貴「卒業」(1985)
松田聖子「天使のウィンク」(1985)
BOOWY「ホンキー・トンキー・クレイジー」(1985)

1986、1987年は、ポップ感はそのままに、一転して色彩は黒になる。ロック到来。初めてロックが歌謡界に食い込んできた。DCブランド、ブラックスーツ。
BOOWY「Bad Feelin'」「Only You」(1986)
中森明菜「DESIRE -情熱-」(1986)
KUWATA BAND「BAN BAN BAN」「スキップ・ビート」「ONE DAY」「MERRY X'MAS IN SUMMER」(1986)
TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」(1986)
小泉今日子「夜明けのMEW」(1986)「木枯しに抱かれて」(1986)
石井明美「CHA-CHA-CHA」(1986)
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1986)
本田美奈子「1986年のマリリン」(1986)
小林旭「熱き心に」(1986)
とんねるず「やぶさかでない」(1986)
テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」
中山美穂「クローズ・アップ」(1986)「WAKU WAKUさせて」(1986)
安全地帯「プルシアンブルーの肖像」(1986)
池田聡「モノクローム・ヴィーナス」(1986)
杉山清貴「さよならのオーシャン」(1986)
レベッカ「ラズベリー・ドリーム」(1986)
吉川晃司「キャンドルの瞳」(1986)「MODERN TIME」(1986)
1986オメガドライブ「君は1000%」(1986)
おニャン子クラブ「じゃあね」(1986)「お先に失礼」(1986)
国生さゆり「バレンタイン・キッス」(1986)
新田恵利「冬のオペラグラス」(1986)「不思議な手品のように」(1986)
長渕剛「ろくなもんじゃねえ」(1987)
BOOWY「Marionette」(1987)
小泉今日子「木枯しに抱かれて」(1987)「水のルージュ」(1987)「キスを止めないで」(1987)
とんねるず「迷惑でしょうが・・・」(1987)「嵐のマッチョマン」(1987)「大きなお世話サマー」(1987)
桑田佳祐「悲しい気持ち (Just a man in love)」(1987)
南野陽子「話しかけたがった」(1987)
中山美穂「WAKU WAKUさせて」「50/50」(1987)「派手!!!」(1987)
安全地帯「じれったい」(1987)
今井美樹「野性の風」(1987)
鈴木聖美withラッツ&スター「ロンリー・チャップリン」(1987)

1988、1989年は、80年代が死に向って行く時代である。下手な自作自演でロックと称し悦に入る輩が急増し、歌謡曲は蔑視の対象に。パーティは終わり、壁は崩れ、ソ連は崩壊する。歌謡界は、嘘がばれ、硬派、リアリズム、シニシズムの世に変わっていく。90年代のDJによる拡大再生産時代へと移ろって行くのだった。
長渕剛「とんぼ」(1988)「激愛」(1989)
氷室京介「ANGEL」(1988)
COMPLEX「BE MY BABY」(1989)
浜田麻里「Heart and Soul」(1988)
山下達郎「GET BACK IN LOVE」(1988)
玉置浩二「キ・ツ・イ」(1989)
ザ・タイマーズ「デイ・ドリーム・ビリーバー」(1989)
ユニコーン「大迷惑」(1989)
レベッカ「One More Kiss」(1989)
矢沢永吉「SOMEBODY'S NIGHT」(1989)
氷室京介「SUMMER GAME」「MISTY」(1989)
THE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」(1988)
バービーボーイズ「目を閉じておいでよ」 (1989)
小泉今日子「Fade Out」(1989)
森高千里「17才」(1989)
Wink「淋しい熱帯魚」(1989)
今井美樹「彼女とTIP ON DUO」(1988)
南野陽子「吐息でネット」(1988)


というわけで、2007年の今から見た80年代の日本歌謡曲ベストテン。
ロック・サイド
①寺尾聰「ルビーの指環」(1981)
②大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」(1985)
③安全地帯「ワインレッドの心」(1983)「悲しみにさよなら」(1985)
④南佳孝「スローなブギにしてくれ」(1981)
⑤シャネルズ「ハリケーン」(1981)
⑥坂本龍一・忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」(1982)
⑦玉置浩二「キ・ツ・イ」(1989)
⑧鈴木聖美withラッツ&スター「ロンリー・チャップリン」(1987)
⑨中島みゆき 「悪女」(1982)
⑩一風堂「すみれSeptember Love」(1981)
⑪山下久美子「赤道小町ドキッ」(1982)
⑫YMO「君に、胸キュン。」(1983)
c0005419_16222252.jpg
ポップ・サイド
①小泉今日子「半分少女」(1983)「渚のはいから人魚」(1984)「夜明けのMEW」(1986)「木枯しに抱かれて」(1986)
②舘ひろし「泣かないで」(1984)
③松田聖子「夏の扉」(1981)「天使のウィンク」(1985)
④斉藤由貴「卒業」(1985)
⑤中山美穂「クローズ・アップ」(1986)「WAKU WAKUさせて」(1986)「派手!!!」(1987)
⑥KUWATA BAND「BAN BAN BAN」「スキップ・ビート」「ONE DAY」「MERRY X'MAS IN SUMMER」(1986)
⑦サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」(1984)
⑧桑田佳祐「悲しい気持ち (Just a man in love)」(1987)
⑨杏里「CAT'S EYE」(1983)
⑩C-C-B「ないものねだりのI Want You」(1986)「Lucky Chanceをもう一度」(1985)
⑪松任谷由実「守ってあげたい」(1981)
⑫松山千春「長い夜」(1981)
⑬TOM★CAT「ふられ気分でRock'n Roll」(1985)
⑭とんねるず「迷惑でしょうが・・・」(1987)
c0005419_16121168.jpg
番外編
BOφWY長渕吉川ベストテン

①BOφWY「Only You」(1986)
②吉川晃司「モニカ」(1984)
③COMPLEX「BE MY BABY」(1989)
④長渕剛「ろくなもんじゃねえ」(1987)
⑤氷室京介「ANGEL」(1988)
⑥吉川晃司「サヨナラは八月のララバイ」(1984)
⑦吉川晃司「にくまれそうなNEWフェイス」(1985)
⑧吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」(1984)
⑨長渕剛「とんぼ」(1988)
⑩長渕剛「GOOD-BYE 青春」(1983)
⑪吉川晃司「RAIN DANCEが聞こえる」(1985)
⑫吉川晃司「すべてはこの夜に」(1986)

c0005419_822074.jpg

by ichiro_ishikawa | 2007-10-12 01:46 | 音楽 | Comments(4)