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世と俺の接点2007

1月
LIVE「CSS(Cansei de Ser Sexy)」初来日(渋谷)
■落語「志の輔らくご in PARCO 2007」(渋谷PARCO)
LIVE「バンバンバザール」(東京メトロ銀座駅内コンコース)
■映画『ディパーテッド』
CSSの発見は事件だった

2月
■映画『硫黄島からの手紙』
奈良・京都探訪
■LIVE「ヨ・ラ・テンゴ」(渋谷オンエア・イースト)
池田晶子逝去
池田晶子の死はまだ納得がいかない

3月
■映画『ドリームガールズ』
本『俺はあやまらない』福田和也

4月
LIVE「バンバンバザール」(千葉・まとい亭ギグ)
■映画『吠えろ!鉄拳』(鈴木則文/真田広之、志穂見悦子、千葉真一)
■本『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』中村昇
■CD『ザ・コンプリート・スタックス/ヴォルト・シングルズ1959-1968』
DVD『ドント・ルック・バック 〜デラックス・エディション〜【完全生産限定盤】』Bob Dylan
外付けハードディスク急逝

5月
■北海道探訪
■日本ハム×オリックス観戦(札幌ドーム/ビルダッシュ完投勝利)
ハワイ偵察

6月
■トーキングライブ「ピーター・バラカン」(銀座アップル)
■映画『ゾディアック』
■本『リマーク 1997-2007』池田晶子
■7日、俺36歳(プリンス49歳、パチョレック47歳)

7月
■巨人×広島(東京ドーム/黒田完投勝利)
■映画『ボウイ&キーチ』
■映画『マラノーチェ』
■本『古事記(日本の古典をよむ 1)』
※小学館『日本の古典をよむ』シリーズ刊行開始
■本 『平家物語(日本の古典をよむ 13)』
DVD『アトランティック・レコード:60年の軌跡』
■本『吉本隆明 自著を語る』吉本隆明
■本『暮らしの哲学』池田晶子

8月
トーキングライブ「ピーター・バラカン」(池袋マイルスカフェ)
■CD エイミー・ワインハウス『バック・トゥ・ブラック』

9月
■映画『長江哀歌』
■映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』
■本『日本書紀 上 (日本の古典をよむ 2) 』
■本『日本書紀 下、風土記(日本の古典をよむ 3)』
■本『アラン・ローマックス選集 アメリカン・ルーツ・ミュージックの探求 1934-1997』アラン・ローマックス
デス・プルーフ in グラインドハウスは俺パルムドール

10月
■映画『ブラック・スネーク・モーン』
■ トーキングライブ「ペドロ・コスタ×諏訪敦彦」(青山abc)
本『方丈記、徒然草、歎異抄(日本の古典をよむ 14)』
■CD『多羅尾伴内楽團 Vol.1&Vol.2 30th Anniversary Edition』
本『私家版・ユダヤ文化論』内田樹

11月
■LIVE「バンバンバザール」(高円寺ジロキチ)
■映画『大統領暗殺』
■ムンク展
■トーキングライブ「ピーター・バラカン」(池袋マイルスカフェVol.2)
■本『枕草子 (日本の古典をよむ 8)』
本『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』保坂和志

12月
■映画『ここに幸あり』
■LIVE「ケイ赤城トリオ」(青山・自由が丘タイム&スタイル)
■舞台「座頭市」コマ劇場
映画『アイム・ノット・ゼア』
■CD アリーサ・フランクリン『レア・レコーディングス』
■本『This Is Your Brain on Music: The Science of a Human Obsession』Daniel J. Levitin
■本『宇治拾遺物語、十訓抄(日本の古典をよむ 15)』
■DVD『 “GIGS”BOX』BOφWY
新作CDはついに4枚で終了。純粋な新録は1枚。音楽業界危うし。ケイ赤城(晩年のマイルスバンドのピアニスト)の杉本智和、本田珠也とのトリオは凄まじい。イオセリアーニは初めて観たが(『ここに幸あり』)、すげえいい。また、「Oh! My Jully」ライヴバージョンはとんでもねえ


2007年総括
池田晶子の死で、頼れる生身の人間がいなくなったので、いよいよ自分でなんとかするしかなくなった。

by ichiro_ishikawa | 2007-12-31 14:20 | 日々の泡 | Comments(0)  

Rock of The Year 2007


LOVEFOXXX (CSS)
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by ichiro_ishikawa | 2007-12-28 05:36 | 音楽 | Comments(0)  

哀悼オスカー・ピーターソン

オスカー・ピーターソン 1925年8月15日-2007年12月23日

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名手ジョー・パス(g)とのライブ
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名曲「You Look Good To Me」
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by ichiro_ishikawa | 2007-12-27 02:44 | 音楽 | Comments(0)  

I'm Not There


 いきなり「Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again」が鳴り響き、「Like A Rolling Stone」、「I'm Not There(ソニック・ユース・バージョン)」で幕を閉じるまで、全編ディラン・ソング(ヨ・ラ・テンゴなど他者によるカバー含む)が流れっぱなし! トッド“ベルベット・ゴールドマイン”ヘインズ監督によるボブ・ディランの伝記的映画『I'm Not There』は、そういうことになっていた。

 c0005419_0273130.jpg日本一般公開に先駆けること半年、ある筋から試写会のチケットを譲り受け、渋谷のシネマライズで本作を観る機会に恵まれた。各方面で絶賛の嵐という触れ込みだったが、個人的には正直、映画としてはイマイチだった。ディランは、アルバムですべてを物語る類いの最たる人なので、アルバム以外はコンサート・フィルムぐらいしか、取り立てて必要とも思えない。監督のトッド・ヘインズが、映画人として、なんとかディランという存在を映画で表現したかった、その気持ちは分かるし、失敗しているとも思わないが、あれらの曲をあんなに流してしまったら、それらがすべてを凌駕してしまうのはやむを得ない。可愛そうだが、映画人の出る幕では無かった。
 本作は、ディランの人生の6つの時期を切り取り、それぞれが違う俳優によって演じられ、それぞれが必ずしも時系列ではなく綴られていく。時期、キャストは以下の通り。

●アルチュール・ランボオ(ベン・ウィショー)
65〜66年頃のディラン。当時インタビューで答えていたようなセリフを交えながらナレーター的な役割を務める。ディランはランボオにひどく影響を受けていたことで有名。
●ウディ・ガスリー(マーカス・カール・フランクリン)
62年にデビューする前のディラン。ディラン(この映画での名はウディ・ガスリー)が入院中のウディ・ガスリー(ややこしい)を見舞うエピソードは良かった。
●ジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベイル)
60年代初頭、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで、新進プロテスト・フォーク・シンガーとして華々しくデビューを飾った頃のディラン。
(『時代は変わる』『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』)
●ジョン牧師(クリスチャン・ベイル/二役)
70年代後半〜80年代前半、再生派キリスト教(ボーンアゲイン・クリスチャン)の洗礼を受け、聖書の物語に傾倒していた頃のディラン。
(『スロー・トレイン・カミング』『セイヴド』『ショット・オブ・ラヴ』)
●ロビー・クラーク(ヒース・レジャー)
『フリーホイーリン』のジャケで有名なガール・フレンド、スーズ・ロトロと、65〜77年の元妻サラという2人の女性のあいだで揺れるディラン。
●ジュード・クイン(ケイト・ブランシェット)
65〜66年、エレクトリックなロックへと転身を遂げた頃のディラン。本作のメインで、ウィンスレットは頑張っているが、途中から、どうしてもケイト・ブランシェットにしか見えなくなって困った。
(『ブリンギン・イット・オール・バック・ホーム』『ハイウェイ66リヴィジテッド』『ブロンド・オン・ブロンド』)
●ビリー・ザ・キッド(リチャード・ギア)
66年のバイク事故後、ウッドストックで隠遁生活を送っていた頃のディラン。ミスキャスト…。
(『ジョン・ウェズリー・ハーディング』『ナッシュヴィル・スカイライン』『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』、ローリングサンダー・レヴュー)

 何はともあれ、サウンドトラックがものすげえ。
 ソニック・ユース、ヨ・ラ・テンゴ、テレヴィジョンのトム・ヴァーレイン、ウィルコのジェフ・トゥイーディー、元ペイヴメントのスティーヴン・マルクマスと、完全にそっち方面の面々がずらりと並ぶ。またこのサントラのためだけに結成されたザ・ミリオンダラー・バッシャーズのメンツは、リー・ラナルド&スティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)、ネルス・クライン(ウィルコ)、トム・ヴァーレイン、ジョン・メデスキー、スモーキー・ホーメル、トニー・ガルニエ(現ディランバンドのベース)。
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by ichiro_ishikawa | 2007-12-24 00:19 | 音楽 | Comments(1)  

東京イエローページ

 俺が私生活において関西人とあまりウマが合わないというのはマスコミ等でもよく知られているが、それは主に笑いのベースの違いによるところが大きい。笑いのセンスというのは人格の根本を成すものだから、そこのズレがすべてのズレにつながるのは当たり前なのかもしれない。関西系は、東京人は「おもろない、気取ってる」という認識があるらしい(まさにこのブログ)。それはよしとしても、その「おもろい」の基準が関西の笑いにあることが事を面倒にしている。その基準を絶対とする自負はどこから来るのか。俺は訝ってやまない。

 吉本をはじめとする関西系の芸人は、さすがにベースラインが高い、新人でもそこそこ面白いと思えるし、たいてい、レベルがかなり高い。だが、突出して面白いと思えるのはそうそういない。ボケ、突っ込み、いずれも予定調和で、安心して見られはするが、明日になれば忘れてしまう。うまいなあ、と感心こそすれど、すげえという驚きは無い。「ベタ」から最先端まで、すべて「ベタ」である。松本・浜田でさえも。どんなに秀逸なボケであろうと、ツッコミであろうと、ここでボケる、ここでツッコむ、とタイミングが決まっている時点で、少し興ざめしてしまう。別に悪いというわけではないのだけれど。

 やはり、俺には東京系(非関西系)、モンティ・パイソン、香港コメディといったイギリス系の方が肌に合う。シュールと言えばそうなのだけれど、シュールを目的としたスノッブな笑いほどたちの悪いものも無く、非常に微妙だのだけれど、天然のラジカルさが重要なのだ。要はロックという事か。ボケでない笑い。ツッコミではない返し。掛け合いとは違う「間」。いずれにせよ、こちらの想像が「全く」追いつかないものに、俺は惹かれる。
 その最高峰と言えばやはりタモリや竹中直人で、その集大成はTBS系で深夜放送されていたコント番組「東京イエローページ」(89〜90年)だ。その中のさまざまなコントの中で最も秀逸なのが西田康人や布施絵里の居方(いかた)が効いている「サラリーマンコント」や「家族コント」だが、ここでは90年の流行語大賞にもなった「そっちの方がすげえ」をYOU TUBEから転載する。「家族ゲーム」「家族ゲーム2」「親子ゲーム」「親子ジグザグ」「とんぼ」と共に、いま最もDVD化が望まれる作品のひとつだ。

伝説のオープニング
(そっちの方がスゲェ〜スペシャル from 東京イエローページ)
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1分5秒〜27秒のところがものすげえ。音楽がかぶせられたのは放送事故になるからか。

by ichiro_ishikawa | 2007-12-16 02:31 | 日々の泡 | Comments(0)  

Mr.Soul セェアム・クック

 今日、12月11日はセェアム・クック Sam Cooke(1931-64)の命日。
(ちなみに10日はオーティス・レディング、8日はジョン・レノン。去年の25日にはジェイムズ・ブラウン。ソウル・シンガーは12月に死ぬ…)
  ソウル・スターラーズ時代のゴスペルもすげえし、ソロになってからは言わずもがな、「Change Is Gonna Come」の出だし「アーイワズ、ボォォォォーン」を聴いて失禁しない女子はいないし、名盤『サム・クック・ライブ ~ハーレム・スクエア・クラブ 1963』での一部始終は、否が応でも聴く者をソウルのクラブにトリップさせる。

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by ichiro_ishikawa | 2007-12-11 13:13 | 音楽 | Comments(1)  

芸人以外で芸人ばり或いは芸人以上におもしろいやつベスト5

芸人以外で芸人ばり或いは芸人以上におもしろいやつベスト5

1.リリー・フランキー(1963年、福岡県出身)
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2.福島康之(1968年、東京都出身) バンバンバザール
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3.いとうせいこう(1961年、東京都出身)
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4.みうらじゅん(1958年、京都府出身)
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5.山田五郎(1958年、東京都出身)
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共通項は洞察力と視点の鋭さ、それから語彙(ごい)のキレだな。

by ichiro_ishikawa | 2007-12-06 02:25 | 日々の泡 | Comments(0)  

エッセイ「酒とオレ」



 ヨーロッパの映画にはよく食卓が出てくるが、あの食卓、すげえいい。ワインボトルやデキャンタが散乱し、色とりどりのオードブルが雑然と並べ置かれている。大抵パイみたいなものがあり、種々のパンがあり、ギャートルズ的なでかい肉がデンと置かれている。人々は、パンナイフでバスッバスッとバゲッツを裂きながら、他愛のない激論を交わしたり、歌ったり、バンジョーを奏でたり、踊ったりしている…。
 ああいうのを観た後、俺は決まって酒を飲みたくなる。おお、酒よ、酒宴よ!

 昔はビールぐらいならジョッキ2杯は飲めたが、あれは常時飲んでねえとどうも弱くなるらしい。最近は、ワインをグラス一杯空けると、決まって後頭部やや内側からてっぺんにかけての部位がジンジン痛み出し、胸が苦しくなり、ゲボが出そうになる。俺は精神的な苦しみにはめっぽう強いが、物理的な苦しみには36.5の熱で稼動不可能になるほどすげえ弱いため、もがき苦しむことになる。そんなとき、「一生、酒なんて飲んでやらねえ」と思うのだった。
 だから、普段、俺は酒を飲まない。
 
 とはいえ、リリー・フランキーをして「シェイカー振ってそうだよね」と言わしめるだけあり、俺は、傍目には「ブランデー」を飲みそうな酒飲みの面(つら)らしいのだ、どうやら。そうした「己が意に反したパブリック・イメージ」というのを、俺は否定するどころか、大事にしているし、裏切りたくないので、「酒は強い。大好きだ」ということにしているが、実際の現場ではウーロン茶しか飲まない。となると当然周囲には不審がられ、大抵、「え、飲めないの?」的な応答が始まることになる。
 「飲めないんじゃない、飲まないんだ」と吐き捨てると、当然、「なんで?」とくる。まあ、くるだろう。こうした問答が面倒くさい。というか、うまくない。これまで「茶もこの上なく好きだから」といった無難なものから、「氷室も長渕も福島君もいいシンガーはみんな下戸だ」といったポップなフレーズまで、いろいろな文言を用意してきたけれど、どうも歯切れが悪いというか、決定的な文句をずっと見出せずにいた。
 そんなある日の寝しな、ふと、これ以上無い、いい文言が降りてきた。

「車なんで」

 この、奇を衒わない、地味ながらも切れ味鋭いフレーズを発見したときは小躍りしたい気分だった。血液型を聞かれたときの答えとして「Dm(ディー・マイナー)」を見出したときと同レベルのしてやったり感だ(この場合、相手によっては「あ、間違えた、Csus4(シー・サス・フォー)だった」と畳み掛けるのも有効だ)。

 当然、その後の流れも必然的に、教科書的ではあるが次のように決まってくる。
「へぇ、何乗ってんの?」
「黒のコルベッツ。昔は赤い魂ってやつだった」
「へぇ車好きなんだ」
「特にシャシーには目がない、ホッケンハイムにも行った」
「どの辺走るの?」
「深夜よく第三京浜をぐるぐる流してる」
「へぇ、今度乗せてよ」
「ワイノット? ただしデス・プルーフ仕様だがな!」

FIN



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by ichiro_ishikawa | 2007-12-05 02:45 | 日々の泡 | Comments(5)  

ジャマイカの月の下で


 フュージョン、AORというと、ロックから最も離れた、緊張感の無いイージー・リスニングなムード・ミュージック、BGMというイメージがあるだろうが、実はこれは相当すげえ、ということに気づくのに、36という年輪が俺には必要だった。

 70年後半から80年代前半、というと日本では歌謡曲全盛期だったわけだが、海外では、フュージョン、AORが流行っていたことは、ローティーンだった俺もやや感じていた。だがその時代ローティーンだったということは、思春期が始まりつつあったということであり、硬派で不良品気質な俺は当然ロックに向っていったわけで、ニューアカとか軽チャーという当時の空気感みたいなものにすごく反発していたのとほぼ同じ理由で、フュージョン、AORも「しゃらくせえ」と感じ、30代に入るまでその「ぬるい感じ」「口当たりの良い感じ」「わかってる大人な感じ」が嫌いだった。

 嫌いという感情は不毛だ。侮蔑の行く先は袋小路だ。と小林秀雄が言っているが、いまだ、たまに俺の中にはこの「嫌い」という感情が湧き上がるし、世の大半の人間を豚野郎扱いしてしまうことに、ほとほと弱っている。
 「嫌い」という言葉に敏感に反応して、おもわず話が少しずれた。このままその説を展開しようとも思ったが、ヒデの話はもういいよと、誰かがうんざりしている様が目に浮かんだので、戻す。

 最近、ブルーズ、R&B、ソウル、そしてジャズという黒人音楽をずーっと聴いてきて、フュージョン、AORから、「ブラック魂」を感じ取る様になった。フュージョン、AORは、ロック同様、ブラックの洗礼を受けていることが明らかになった。フュージョン、AORは、カーティス・メイフィールドやドニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダーといった70年代のニュー・ソウルの流れを汲んだ完璧なブラック・ミュージックだった。
 確かに、引っかかりの無い、気軽に聴き流せてしまうスムースな音楽、とは言える。だが、よくよく聴き込むと、涙が出るほどすげえいい演奏をきゃつらは繰り広げている事が分かる。
 実はベースとドラムがものすげえ。そしてギターとか管楽器も地味にすげえ。アレンジがかっけえ。
 演奏がすげえ巧いというと、「巧いけどつまらない」など分かった風な事を言う輩が絶対に出て来るが、「ここまで巧ければつまらないとか言わせねえ」というレベルがある事を知るのはいい事だ。
 すげえいいフュージョン、AORは、「巧いけどつまらない」に敏感なロックあがりの人間の耳をもグワッと惹き付けるものがある。それはリズム感だったり音色だったり、まあ全体の質感なのだけれど、やはり、それよりなにより「わび、さび」なんだろう。
 もともと、世間への恨みつらみ、自己憐憫や不安といった「青さ」の吐露が基調となった、「俺見て」的青春芝居調の日本の「泣ける」小説や情緒過多の日本のロックとは相容れない「質(たち)」ではあったが、フュージョン、AORは、そうした「青さ」から最も遠い音楽だ。スタジオ・ミュージシャンという無私な人間たちがそのサウンド・メイキングにおいて猛威を振るっているというのも、その所以だろう。彼等がストイックに「完璧なサウンド」を目指した時、それは「巧い」を通り越して「ロック」になった。ただそれが「ロック」だということに気づくのには時間がかかる。
 人はつい、なんでもかんでも「てめえ」を尺度にして「いい」「悪い」の判断をイージーにしてしまうけれど、たとえば、悪い、つまらないと感じても、そう感じるのは「てめえの感度」が悪いのかもしれない、という謙虚さを少しは持った方がいい。
 ロックで言えばディランが俺にはそうだったし、文学で言えば、トルストイが今やっと良いと思える様になってきた。ランボオは100回以上は読んでいるが、いまだわからない。もはや、読むというより字面を眺めて日々過ごしているが、まあ死ぬまでに何とかなればいいと悠長に構えるようになった。何にしても時機というのがある。その、人生の節々での、その節々ならではの出会いというのは、意外といい。

超名盤
『イタリアン・グラフィティ』ニック・デカロ(1974)
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奇しくもニック、36歳の作品。ボーカル&キーボード、アレンジはニック・デカロ、プロデュースはトミー・リプーマ、エンジニアはアル・シュミット。ギターはデヴィッド・T・ウォーカー、フィル・アップチャーチ、アーサー・アダムズ、ベースはウィルトン・フェルダー、ドラムはハーヴィー・メイソン。オープニング・トラック「Under The Jamican Moon」にしびれる。

by ichiro_ishikawa | 2007-12-02 23:19 | 音楽 | Comments(1)