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ダンス・ダンス・ダンス


 今年に入って、俺の中でものすげえニューヨーク・ファンク・ブームが来ていることを知っている人は、俺の歩くステップが微妙にグルーヴィーになっていることに気づいている人で、おそらくそう多くはない。
 ファンクとは、ジェイムズ・ブラウンを祖とし、ミーターズ、スライ&ザ・ファミリーストーン、ファンカデリック、グラハム・セントラル・ステーション、クール&ザ・ギャング、プリンス、アヴェレージ・ホワイト・バンド、ザップなどとそのリストが綿々と続く、バックビート(裏拍)の取り方が絶妙な演奏主体のブラックミュージックだ。
 だが今、俺の腰をくねらせているのは、中でも、ニューヨーク寄りのファンクで、それはつまり、ちょっとスマートで、ある意味、地味なファンク、一見あまり熱くないファンクだ。その演奏はズバリ、タイトでクール。
 
 そのひとつが、スタッフ。8ビート基調のスウィンギーなビートを叩き出すスティーブ・ガッドのドラム。リチャード・ティーのこってりフェンダーローズ、コーネル・デュプリーとエリック・ゲイルのドライでウェットなギター、ゴードン・エドワーズのうねりまくりのベース! 超一流のスタジオ・ミュージシャンが集結したからスタッフという名前になったというのもいい。無私の精神が感じられよう。
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「Foots」(1976)

 もうひとつが、Chic(シック)。スタッフと違い、誰もが知っているメガヒット・バンドで、メガヒットバンドを敬遠するというのは本質射抜きファンにとっては常道なのだけれど、ことシックに関してはそれは誤った判断だ。
 レイト70sのディスコブームに乗って登場して大ヒットを連発したため、コアなブラック・ミュージック・ファン、特にスタックスとかを好む南部のディープなファンは、Chicには背を向けそうだが、実は数多のディスコ・バンドとは明らかに一線を画している。
 それは、ナイル・ロジャースのギターと、バーナード・エドワーズのベースがすげえからだ。特に、バーナード・エドワーズのベースはすげえ。すげえぶっとく、粘っこく、グワッとグルーヴィー。ナイル・ロジャーズのギターは、ほとんどカッティングなのだが、ドライかつシャープに、小さい音で、ティッティキ、ティッティキなっているところがたまらない。また、両者とも間(ま)、つまり、黙り方がすげえ。
 Chicはおしゃれだから、上に、ストリングスや女性ヴォーカルが乗っていて、世間はそこをまず聴くし、そのキャッチーさとおしゃれさとノリの良さで、もの凄いセールスを記録したのだろうが、その上モノとノリを生かしているのは紛れもなく、底でうねっているギターとベースとドラムのすごさで、その辺りに当然気づいたデイヴィッド・ボウイやミック・ジャガーは、80sの自身のアルバムのプロデューサーにナイル・ロジャースを起用し、延命措置を施している。
 シュガーヒル・ギャングにサンプリングされてヒップホップ誕生に一役買っている「Good Times」をはじめ、「Dance, Dance, Dance」、「Everybody Dance」、「Le Freak」、「I Want Your Love」と、本当にギターとベースとドラムがすげえいい。

 特に「Dance, Dance, Dance」、5分28秒あたりから約1分続く、ギターとベースとドラムだけの間奏部、ものすげえ。ギターの音、すげえのに音がちいせえ。それがえれえかっけえ。ベースうなりすぎ。その1分をずっとループさせたとしても、1時間はもつ。ああ、すげえ。

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「everybody dance」
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「Good Times」
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「Le Freak」

by ichiro_ishikawa | 2008-01-26 21:24 | 音楽 | Comments(0)  

左腕ベスト5

 意外にも俺は大のスポーツ観戦好きで、実際の試合はほとんど観ないがネット上の防御率ランキングなどをかなり長時間眺める。いま、一番好きな記録はホールドだ。
 だが、さらに意外なことに、やる方はもっと好きなのだった。現在は歳なので一切やらぬが、多分やれば、かなりすごいことになるのではないか。

 下柳(39)の阪神残留が決定し、すげえ嬉しい。俺は、下柳のことがダイエー時代からずっと好きなのだった。
 左腕で、足が長くて、ツラ構えがすげえかっけえ。
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 同じ左で、阪神が実質的に優勝した1992年の抑え、田村と同じぐらいすげえ好きだ。田村は、投げ方と表情がすげえかっけかった。
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by ichiro_ishikawa | 2008-01-22 22:54 | 日々の泡 | Comments(0)  

保坂和志の慧眼


 小説は論文じゃない。朝起きたり道を歩いたりすることをわざわざ書く。そのこと自体が何かでなければおかしい。

 小説とは読後に意味をうんぬんするようなものでなく、一行一行を読むという時間の中にしかない。音楽を聴くことやスポーツを観ることと同じだ。いま読んでいるその行で何が起こっているかを見逃してしまったら小説の興奮はない。そこにあるのは言葉としての意味になる以前の、驚きや戸惑いや唐突な笑いだ。

 小説家は意味ではなく一つ一つの場所や動作や会話を書く。それが難しいのだ。読者もそう読めばいいのだが、やっぱりそれが一番難しいから意味に逃げ込む。

保坂和志(2008年1月13日付 朝日新聞より抜き書き)

by ichiro_ishikawa | 2008-01-14 16:44 | 文学 | Comments(0)  

エッセイ「タバコと俺」

 俺が愛煙家であることは広く一般に知られているが(喫煙というのは目に見える行為だから他者に知られるのも容易だ。当たり前だが)、愛煙の都パリでさえ、いよいよカフェエで全面禁煙となったことが象徴する通り、世界中で嫌煙ムードが広がっている。愛煙家にとっては、史上最悪の逆風が吹いていると言えよう。
 それはいい。別に。風潮なんてものは大した事じゃないし、嫌煙に限らず、「地球の自転」という事実が、俺にとっては逆風だ。さらにいえば、人間であるということがすでに逆風を浴びている。人はいずれ例外無く死ぬという事実を鑑みても、そも、人間は生きるのに向いていない。これは逆風なんて生易しいものじゃない。日々、命がけで生きている。世の禁煙ムードなんて可愛いもので、俺にはまったく関係ない。

 ただ、この流れの中で俺が言わねばならぬ事は、「禁煙ムード」をかさに、正義面した嫌煙家がのさばる事に対する違和感だ。
 きゃつらは、法律だか、条例だかを後ろ盾に付けて、学級委員の様に、喫煙者を「叱る」。

 たとえば、社会的に「禁煙」と決められた所で喫煙をした場合、それは喫煙者が悪いし、叱られても文句を言える筋合いではない。だから、俺は、叱られれば謝罪し、直ちに消して去る。とはいえ、反省するわけではない。金で解決がつくのなら罰金を払って、またそこで吸おう。喫煙のルールを、俺は必ずしも守るつもりはない。
 また、歩きタバコをしていて、すれ違い様に眉をひそめる人などを見ると、俺は、その人の顔に煙を優しく吹きかけたあげく、ポイ捨てして、ブーツのかかとでもみ消すことにしている。それは眉をひそめたその人のため、よかれと思っての行為だ。眉のひそめ方にもよるし微妙なのだけれど、要は、その時に「何かを後ろ盾にしている」かどうか、が問題なわけだ。

 そういう人間を見ると、学校の合唱コンクールを思い出す。ウブで青く自意識過剰な当時の俺は、合唱コンクールで歌う自分という姿をひどくカッコ悪いと思い、一切歌おうとはしなかった。すると、気の強い女子ども数人が、「ちゃんと、う・た・い・な・よ〜」と独特のイントネーションのユニゾンで叱咤して来る。俺は、その物言いに腹が立ち、「このブスどもが!」とばかりに、きゃつらのケツにケリ、延髄切り、ローリング・ソバットを決めるという対処しかできなかった。今思えば、その時のきゃつらの、何かを後ろ盾にした、「あたいら=正義、あんた=悪」という思慮の浅い幼稚な二元論、自分は正論を主張しているだけという、ある種の「無責任さ」に、直覚的に憤っていたのだと思われる。だから、「あの〜、申し訳ないのですが、一応せめて口パクだけでも…どうかひとつ…体裁を保ちたいもので…」とか言われれば、口パクでなく、得意のテノールで朗々と歌い上げてもよかったはずだ。

 今の禁煙ムードで厄介なのは、禁煙を主張するものが権力者だという事だ。高圧的なのだ。たとえば、煙にひどく迷惑している子供がいたり、副流煙を気にする人が、喫煙者に喫煙を控えるよう促す勇気がなくじっと耐えていたりする状況などでは、たとえそこが禁煙区域でなくとも俺はその場を静かに立ち去る。
 喫煙のマナー、社会のルールというけれど、それらは、マニュアルや行動規定があるわけではなく、状況に応じて、人間と人間の間の情、機微、わびさび、といった顕在化しにくいが確実に我々の生を根底で支えている、お勉強では決して身に付かないものが、そのベースにあるという事を見失いたくない。
 それらは必ずしも合理的なものではない。「空気を読む」ということが最近よく言われるが、空気を読む能力を身につけるために、「空気を読む」技術なる本を読むとしたら、それ自体、すでに空気が読めていない。ロックをやるため「ロック・スクール」に行ったら、その時点ですでにロックではないのと同じ事だ。

by ichiro_ishikawa | 2008-01-12 18:57 | 日々の泡 | Comments(1)  

エッセイ「年末年始と俺」


 年が明けると、今年の目標は…、とか呑気に言う極めてイージーな奴がちょいちょい出て来るが、俺ともなると、2008年〜2010年という、短中期的視野で目標を定めている。
 俺の2008年〜2010年の目標は、2億稼ぐ。あるいは、2億稼ぐメドをつける、だ。
 そして2011年からは、1億ででっかい家を建てて、家族全員をそこに住まわせて、俺は残り1億を少しずつ切り崩しながら、ゆっくりコーヒーでも飲みながら読書でもして静かに余生を過ごす。

 明日で、俺が1年で一番好きな季節「年末年始休暇」が終わる。
 そんな最も愛おしい季節に、何をしていたか? ズバリ、何もしていない。
 正確に言えば、「なんかしなきゃ、なんかしなきゃ」とせき立てられ続けながら、日々は無表情に過ぎていった。今年も無駄に過ごしちまった。
 失われた時は還らない。ああ、せつない。早くまた年末年始が来ねえかな。次こそは充実させてみせる。ああ年末年始…。
 
 明後日からは、また、悪夢のような日々がやってくる。憂鬱だ…。
 俺ぐらい仕事が嫌いな人間はそういないのではないか。すげえやだ。
 何がいやかといえば、まず他者と接するのがこええ。次に朝起きるのが面倒くせえ。まあ、この2点に尽きるのだが。

 思い起こせば、学生時分からそうであった。休暇最終日は、すごく、ものすごく憂鬱な気分に襲われ続けてきた。ああ学校行きたくねえ…。
 だが新学期、学校へ行くと、みんなはキャッキャキャッキャ騒いでいる。なんでそんなに浮かれているのか。じめじめと暗く腐った憂鬱な日常がまた始まったというのに、なぜどんよりふさぎ込んでいないのか。暗いツラをしていても始まらないから、楽しいフリをしているのか。あるいは本当に楽しいのか。
 仕事もまたしかり。なんかみんなバリバリやっている。喫煙所では笑い声なんかも聞こえて来る。おいおい、楽しい事なんか別にねえベよ。もっと暗澹たる気持ちを素直に出して、うつむいていようぜ。明日死ぬようなツラでいようぜ。そのうちエンジンがかかってきたら、まあ「仕事のようなもの」を徐々にしていこうじゃないか。次の年末年始まで。

 そう、年末年始だ。
 俺は、年末年始を有意義に過ごすために、まず、計画を立てる必要があった。俺は、じっくり考えてから行動するタイプなのだ。木を見て同時に森を俯瞰していないと落ち着かないのだ。常にいま自分が東西南北のどっちを向いていて、太陽がどのような傾きをしていて、ということすら把握していないと落ち着かない。たとえば、考えずに走るときも、実は「考えずに走ろう」と考えてから、走っているのだ。計画ぐせは、こうした資質にもよる。また、何かをしているときに、「あ、こんな事している場合じゃないやも」という疑念に苛まれないようにするため、という合理的な理由もある。
 たとえば、やることベスト5を羅列してみて、「毎日の円グラフ」の中に、それぞれを配置していく。そうすれば、あることをやっている時に、「あっちをやるべきでは?」と疑念が頭をかすめたとしても、その「あっち」は別の時にやる事にすでになっているわけだから、安心して今やっている事に専念できる、という塩梅だ。
 俺はまず、長考の末、「プロジェクトA」と、その年末年始の計画名を定めた。次にやる事ベスト5を羅列した。今回は7つほどあった。それらベスト5を巧い具合に配置したかったのだが、どうもうまく行かない。もしかすると、その7つを「やりたくない」のではないか? という新たな疑念が浮かび上がった。いや、やりたくなくてもやらねばならぬ。とりあえず、配置しろ。これは朝だろ、これは年内に片付けとこう、これは毎日寝る前に毎日やるべきだ、などといろいろ思案する。
 あ、ひとつ忘れていた。この計画練りの最中にどんな音楽を流すべきか。そうさなあ、ここはストレートに「プロジェクトA」を流すか。
 あ、そうだ、もしかしたらYOUTUBEに「笑ってはいけない病院」がUPされているかもしれぬ。探してみよう。あった。19回に分けて全部UPされているとは! 削除される前に全部落としておくべきか。いや、でもこういうのは後で見返したりしないから、とりあえずいま観てしまえぱいいか。
 4時間つぶれた。さらになんと「親子ゲーム」の第8話だけUPされているつけ。観よう。プロジェクトAは、明日やるか…。
 というわけで、計画も一向に進まず、計画が組まれていないわけだから、当然やる事ベスト5もひとつも手をつけられずに、ただ、計画立てなきゃ、立てなきゃと「焦る事だけ」で、俺の年末年始は終わった。

 「やばい、こんなことしてる場合じゃない」と、常に強迫観念に駆られているから、休んだ気がひとつもしねえし、結局なにもやらずに時は過ぎていく。これまで36年間、ずっとそうだった。なにもしてねえ。やばいよ、これじゃ。なんとかしねえと。
 よし、まず何をすべきか、思索しよう。よし、じゃあその前に、タバコを1本吸うか。そしてちっと音楽でも流すか。うん、いいねえこれねえ。ついでにちっと本でも読むか。パラパラ…。あ、こんなことしてる場合じゃねえ。よし、まずなにをすべきか思索しよう。よし、じゃあその前に、タバコを1本吸うか。そしてちっと音楽でも流すか。うん、いいねえこれねえ。ついでにちっと本でも読むか。パラパラ…。あ、こんなことしてる場合じゃねえ。よし、まず何をすべきか、思索しよう。よし、じゃあその前に、タバコを1本吸うか。そしてちっと音楽でも流すか。うん、いいねえこれねえ。ついでにちっと本でも読むか。パラパラ…。あ、こんなことしてる場合じゃねえ。よし、まず何をすべきか、思索しよう。よし、じゃあその前に、タバコを1本吸うか。そしてちっと音楽でも流すか。うん、いいねえこれねえ。ついでにちっと本でも読むか。パラパラ…。あ、こんなことしてる場合じゃねえ。よし、まず何をすべきか、思索しよう。よし、じゃあその前に、タバコを1本吸うか。そしてちっと音楽でも流すか。うん、いいねえこれねえ。ついでにちっと本でも読むか。パラパラ…。あ、こんなことしてる場合じゃねえ。

by ichiro_ishikawa | 2008-01-06 00:22 | 日々の泡 | Comments(2)