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ハードボイルド・エッセイ「強風と俺」

 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる「悲劇」について、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思う。それは私自身にとって忘れがたい貴い記録であると同時に、恐らくは読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料となるに違いないと思われるから。


オープニング(←以下読む前にクリック)

 朝の11:00から千葉・船橋のららぽーと内のホテルで、マタニティ関連のイベントがある、そこに私の敬愛するPB氏が出演し「男の子育て」についてトークをするというので、休日の楽しみ「iTunes & YouTube」を返上、いざ参加せんと思い立ち、前夜「新Mr.BOO! アヒルの警備保障(吹き替え版)」を観て楽しい夜更かしをしたにもかかわらず朝9:00にグワッと起床、少し気になったBreakFastを済ますと、ヘッドフォンを装着して、i-Podでチャーリー・パットンの「スプーンフル・オブ・ブルーズ」を流し、口笛を吹きながらスキップで休日の街へと繰り出した。

 車で行こうと思ったが、酒が振る舞われることもあると忖度し、電車で向った。ららぽーとというのは最寄り駅は南船橋で、JR京葉線とかJR武蔵野線とかふだん滅多に乗らないマイナー線しか通っていない。我が邸宅は江東区の住吉という所にあり、住吉の駅は東京メトロなので京葉線か武蔵野線に接続しようと思うと何十回と乗り継ぐ事になる。そんなに遠くない距離をちょこちょこ乗り換えしながら迂回して進むのもどうかと思い、寒風吹きすさぶ中、まず徒歩20分かけてJR錦糸町駅に出、そこから武蔵野線に接続する西船橋駅がある総武線で現地まで向う事にした。
 ただし、市川と船橋の間にある西船橋は、快速が停まらない。悩ましいのは、錦糸町−新小岩−市川−(本八幡)−(下総中山)−(西船橋)−船橋という路線順で、市川で各駅電車に乗り換えて3駅先の西船橋まで行くべきか、船橋までグワッと行ってしまって、1駅戻る形で西船橋に行くべきか。トータルな時間は殆ど変わらないが、接続次第でグッと差が出る。だが、接続は神のみぞ知る事。一般的には7:3で市川下車だろうから、逆をついたろうと思った刹那、「天の邪鬼なあいつの事だから一般と逆を選ぶだろう」という世間の声が聞こえたので、あえてストレートに市川下車を選んでやった。「Huh, Huh!」とグランドマスター・フラッシュばりに腹からの嘲笑を世間に浴びせながら嬉々として市川で降りると、各駅停車がまったく来やしねえ。逆に上り電車はバンバン走っている。2、3台の上り電車を見送り、いよいよおかしいと思った私は、i-podsが鳴っていたヘッドフォンをゆっくり取りはずすと、何やらわめき続けているホームのアナウンスに耳を傾けた。「強風のため、ダイヤが乱れています」。おいおい、弱えよ、総武線各駅下り! 朝方は下りの乗客が少ないから被害も少ないと思ってるのか。
 やや憤りながら待つ事15分。やっと入って来た各駅電車に乗り込むと、「やっぱ、自分らしく船橋まで行くべきだったか…」と悔やみかけたが、「利口な奴はたんと反省するがいい。俺は馬鹿だから反省などしない」との小林秀雄の言葉を思い出し、まあよし、とした。

 流れを変えるため、戦前ブルーズからヒップホップへとi-podsのジャンル毎シャッフルを50年シフトし、なんとか西船橋駅に若干のタイムロスで到着。武蔵野線に乗り換えるためホームの階段を2段抜かしで闊歩していくと、上の溜まりに妙な人ごみができていた。ノイズキャンセリングのヘッドフォンの中で大音量で鳴っていたパブリック・エネミー「Fight The Power」を一時停止すると、「京葉線、武蔵野線は強風のため、運転を見合わせています。他の路線をご利用ください」とのアナウンス。ここもか! しかも「遅れ」ではなく「運行中止」だという。私は冷静にOS 11.3搭載のマイ・プレインを稼働させる。どうする私!? ここは西船橋。YES。目的地は南船橋? 否、ららぽーと! 遅疑なく私は「タクシー」を選択した。金をケチってちまちま振替輸送を利用している場合じゃねえのだ。俺はうろうろしている群衆の間を、豚の群れをすり抜ける力石の様なフットワークでかいくぐり、時にはパンチを食らわせながら、タクシー乗り場に直行した。

 そこには、まるで ホブソンズの前に並ぶ行列みたいに長蛇の列ができていた。概算で30人。しかもピンと思しき乗客が多い。とりあえず、最後尾に付いたが、タクシーがまったく来やしねえ。東京だったらバンバン来るという感覚があるが、ここは千葉の西船橋。2分に1台来るか来ないかといったところだった。この2分というのはこの状況では相当長く感じる。2分×30人で60分!? しかも戸外のこと、強風が吹き荒れている。西船橋だから空が広く、ビュンビュン北風が砂埃をまき散らして派手にうなり声をあげている。「この仕打ちにはどうやら黒幕がいるな…」。そういぶかりつつも、私はじっと待った。わめくまい。わめけばわめくほどやつの思うつぼだ。私はヒップホップからビ・バップへと切り替え、冷静にスウィングしながら時を待った。時刻は11:00。「ふふ、もう始まってるな…」。微笑さえたたえながら、何ごともないかのようにチャーリー・パーカーのアルト・サックスに耳を傾ける。
 60分後、やっと乗れた。この60分の無駄な待ち、それを導いた判断を私は悔いない。鼻水を垂らし真っ赤に凍える鼻や、砂埃まみれになったコートも気にしない。私はそんなヤワな人間じゃない。颯爽と後部座席に乗り込み「ららぽーとまで」と告げる。すると、「え?」。「ららぽーと」。「え?」と90歳と思しき老人は繰り返す。ついてねえ、これだから田舎は…!
「ららぽーと!」
「いや、そっちは行かないんだ」
「行かない!?」
「そっちは行かないの」
 行かない、の意味が全くわからなかったが、行かないのなら仕方あるまい、私は行かねばならぬのだ。私は、車を降り、次のタクシーを待った。行かないとはどういうことだろうか…。やつは何を言っているのだろうか。私はヒッチハイクをしたわけではあるまい…。かろうじて冷静を保ったまま次のタクシーに乗り込み、「ららぽーとまで行ってください」と懇願した。
 運転手は「はい」とも言わず、スタートした。まあ、いい。行くだけましだ。ところが3分経ち、5分経ってもなかなか着かない。あれ、そんなに遠いっけな…。と不審に思っているとJR船橋駅を通り過ぎた。しまった、ららぽーとは西船橋より船橋の方が全然近いつけ! 一番最初に船橋まで行ってタクシーに乗っていれば、今頃とっくに…! 「たられば」はよそう。結果論にすぎまい。あの時は、そうするしかなかったのだ。
 さらに5分後、ららぽーとに到着。「この中に“プレシャス船橋”というホテルがある筈なのでそこへ」と告げると、「ちょっとわからないんでここで降りて」とのたまう。メーターは1,790円。ワンメーターで行くと思っていたし、このままグルグル探し回るより、徒歩で探した方が早いと即断し、「じゃあ降りる」と、2,000円を差し出すと、釣りは110円。「100円足りないよ」。「あ、こりゃ失礼」。こいつ、ちっちぇえ…。とても不快な気分で100円をぶんどると、礼も言わずに飛び降りた。ちくしょう、どいつもこいつも。これはいよいよ黒幕がいるな…。

 ららぽーとは広かった。端から端まで15分かかる。私が降りたところは一面改装工事中でどこに行けばいいのかイマイチ要領を得ない。やっとの思いで地図らしき看板を見つけ、覗き込むと、そこには白色の紙が貼付けられ、「改装中」の文字が。Son of a Bitch!
 Fuck! Fuck! と連呼しながら、再び、豚をすり抜ける力石よろしく、群衆をかき分けながら、時にパンチを浴びせながら、カンでプレシャス船橋を探し歩く。結構行ったところで館内地図を発見したが、真逆を進んでいた事が発覚。「Jesus Christ!」。「Goddamn!」を連呼しながら、来た道を戻り、やっとのことプレシャス船橋に辿り着いた。結構でかいホテルだ。ここを知らぬとはあのタクシーの野郎…という沸き立つレイジを抑えつつ、会場の扉を開き、強風で長髪が乱れまくった態のまま、幾つも並んだ円卓からひとつを選び、ドカッと鎮座した。
 司会の中年女性が、いいオムツやら、有益な「子育て110番」的なものの解説を矢継ぎ早にまくしたてている。周りを見ると若夫婦ばかり。そういやマタニティのイベントだった。子供はおろか、妻さえ持たぬ私が、なぜここにいるのか。自分でもいぶかった。
 すると、関係者が言う。「PBさんは、商用で赴いていた札幌から来る筈でしたが、強風で飛行機が欠航。今日はキャンセルとなりました」。
 私は不敵な笑みをたたえながら、いいオムツの説明に耳を傾けた。

FIN

by ichiro_ishikawa | 2008-02-24 17:42 | 日々の泡 | Comments(0)  

hear me talkin' bout Hip Hop


 俺が、実は大のHip Hop(RAP)好きだということを知っている人は、80年代後半から90年代前半にかけて俺と交際があった人で、そのほとんどはすでに故人だから、大抵の人にとっては「おや、意外」ということになろうし、そも、その「俺」って誰? と訝る人がそれ以上に多くいることは、変人の皮をかぶった常識人である俺には、重々分かっている。

 俺は71年生まれだから物心がついた14歳の時には、すでに海外においてロックは下火だった。いわゆるニューウェイヴのムーヴメントが終焉を迎え、MTVがすっかり市民権を得た頃。それでも、エルヴィス・コステロは健在だったし、ザ・スミスやU2、その後もストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、ラーズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが登場し、アメリカではR.E.M.やソニックユース、ナヴァーナ、ペイヴメントらが出て来たから、かなり同時代のロックは充実していて、同時に60〜70年代の音楽をひも解く作業にも忙しかったから、そんなロック下火の状況を憂いてる暇はなかった。

 そんな中、初期ロックのような“勃興感”、爆発力でもって、ミュージックシーンを跋扈(ばっこ)していたのが、ヒップホップとエレクトロ・ミュージックだった。ロックを求めてロンドンに渡った92年は、街中がテクノとヒップホップに席巻され尽くしていて、「あれ?」と拍子抜けしたものだ。ロックは明らかに流行遅れになっていた。基本的に流行に左右される質ではない俺でも、その“グワッと何かが始まっている感”には、惹き付けられずにはおれなかった。

 ヒップホップは70年代末に勃興しており、俺が飛びついた時にはすでに音楽専門誌でも十分話題になっていたので、ロックはもちろんヒップホップにおいても俺は遅れて来たファンなのだが、ヒップホップが自分にとって最も響く部分というのは、そのメッセージやギャング的なライフスタイルではなく、「英語」のノリだ。
 高校時分に「小林克也のアメリ缶」を聞いて英語を学んだとき、小林克也の英語はラップだった。英語の、あの変な母音と、子音の連なり、ハネる感じに魅力を感じたものだ。英語の特徴を、日本語との違いにスポットを当てていうと、まず母音の種類が多い事、子音がそれぞれ独立している事、すべての言葉にアクセントが付く事の3つだ。日本語にない母音は聞き取れないし、独立して鳴らされる子音の連なりは、とても日本語耳には追いつけず、言葉の中、文の中でのアクセントのつかない部分は看過されがちだ。どうでもいいか。というか、知ってるか。
 というわけで、マイ・フェイヴァリッ・ヒッホッ(78〜94)、ベスト5。

13.My Philosophy / Boogie Down Productions (1987)
あのKRS ONEを擁した、ブロンクスを代表するオールドスクールの超大型ユニット。87年の名作『Criminal Minded』をリリース後、ストリートの喧嘩の仲裁に入ったメンバーの、スコット・ラ・ロックは射殺された。こういう切った張った感も、ヒップホップの凄さだ。
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12.Straight Outta Compton / NWA (1988)
アイス・キューブ、Dr.ドレーを擁したギャングスタ・ラップのパイオニア。
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11.Planet Rock / Afrika Bambataa (1982)
エレクトロファンクの先駆けにして、クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュと並ぶ、ヒップホップの創始に関わった3大DJのひとり。さらにハウス、デトロイト・テクノなどのエレクトロミュージックにも影響を及ぼした重鎮。
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10.Boom Shake The Room / DJ Jazzy Jeff and The Fresh Prince (1992)
初めて訪れたロンドンでこの曲がずーっと1位だったのには閉口した。The Fresh Princeは、ウィル・スミス。
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9.Sure Shot / Beastie Boys (1994)
ピースティ・ボーイズは白人だけに、すごくポップで、スタイルから入っているところがいい。多分インテリだ。
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8.The Message / Grandmaster Flash & The Furious Five (1979)
グランドマスター・フラッシュは、アフリカ・バンバータ、クール・ハークと並び、ヒップホップの創始に関わり、スクラッチを発明した人物と言われている。このオールド・スクール感が俺は好きなのだった。
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7.Walk This Way / Run-D.M.C featuring Aerosmith (1986)
ロックとヒップホップの政権交代劇をビデオクリップによって見せつけた。でも、「Walk This Way」というスティーヴン・タイラーのだみ声の迫力はすげえし、洒落がわかっていて良い。
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6.Subterranean Homesick Blues / Bob Dylan (1965)
ディランの曲はほとんどがラップっちゃあラップだ。
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5.It's The End Of The World As We Know It (and I Feel Fine...) / R.E.M. (1987)
この名曲も、ラップっちゃあラップだった。ちなみにマイケル・スタイプはモリッシーの唯一の友達。そしてマイケル・スタイプが凄くおしゃれだという事に気づくのは良い事だ。
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4.Loser / Beck (1994)
ロックで唯一ヒップホップに対抗できたのがベックだ。これが出た時はレコード屋に勤めていたのだが、この輸入盤のシングルが飛ぶように売れていたのを思い出す。
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3.Fight The Power / Public Enemy (1989)
最高にカッコいい。低い声がチャックD、高いのがフレイヴァー。
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2.Nuthin' But A G Thang / Dr. Dre featuring Snoop Dogg (1992)
えれえかっけえ。ドスの効いた低い声がDr.Dre、背と声が高いのがスヌープ・ドギー・ドッグ。4分40秒ごろに出て来る子供は可愛い。
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1.Rapper's Delight / Sugarhill Gang (1978)
Chicの「Good Times」をサンプリングしてできた、ヒップホップの金字塔。デカ、デブ、チビのバランスがいい。あと、英語の音が面白い。i said a hip hop the hippie the hippie to the hip hip hop, a you dont stop the rock it to the bang bang boogie say up jumped the boogie to the rhythm of the boogie, the beat.
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by ICHIRO_ISHIKAWA | 2008-02-18 14:25 | 文学 | Comments(1)  

クリントン対オバマ


 池田晶子の慧眼は、話の主題ではなく、“ツマ”にこそ、それを語る人の本音が出る、と見抜いている。日本の政治家の失言は、ほとんどがこのパターンだ。演説の後に、合間に、余談的にポロッと出る発言には、台本に含まれていない、その人本来の資質を表す本音が発現してしまう。政治家は聖人君子ではない。むしろブタ野郎の代表なのだから、その本音がいかに醜いものかは子供でも知っている。ただ、それを出すかどうかは、政治家は「公人」であり、公人が発するのは「公の言葉」なのだという、認識如何にかかっている。

 ディベート最先進国アメリカで、そのプロ中のブロは政治家であろう。さらにその頂点は大統領であろう。その演説は練りに練られ、「公の言葉」という認識は、日本人政治家とは比較にならぬ程、深く、徹底している。

 大統領選の民主党の候補指名争いで、ヒラリー・クリントン上院議員とオバマ上院議員が戦っている。オバマの演説受けの良さを意識したクリントンが、「言葉で変化が起きると思う人もいるかもしれない。でも、あなたも私もわかっている。言葉なんて安っぽい」、「(オバマ氏は)演説をするが、私は解決策を示す」「私たちの違いは『言葉対行動』だ」と演説したそうだ(朝日新聞2月16日朝刊)。

 バスカルならこう言うだろう。
「ふとした事で、お目出度さから馬鹿な事を言うのは、あり勝ちな病気だが、計画的に馬鹿な事を言うとは我慢ならぬ事である」

 クリントンは、オバマを、「口先ばかり」「行動が伴わない」と批判したかったのだろうが、そんなストレートな物言いでは文学的なセンスに欠けると思ったのか、そのような言となった。余程、いい作家が付いているのか。

 俺のことを悪く言うのは構わないが、親を悪く言うのは許さない。

 これは人間の生活に深く根ざした良識で、だからこそ、我々は他人に対しても絶対にそうしないと肝に銘じて生きている。だが、クリントンはやってしまった。しかも計画的に。
 そも、人をけなす事で自分を良く見せようという野党的心性が醜悪なのだが、クリントンはオバマに勝つために、彼の演説の内容を批判しようとして、その演説を支えている「言葉自体」の価値を貶める手段を取った。

 我々が、ある人に動かされるときは、いつだってその行動に動かされる。それは間違いない。だが、どんな人のあらゆる行動も、それは必ず、「言葉」によって支えられているのである。「人民の人民による人民のための政治」と言ったリンカーン然り、「私には夢がある」のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア然り。まず、はじめに、言葉がある。理想がある。行動は、その言葉の覚悟の深さ、理想の高さから来る。「言葉」と「行動」は対立する概念ではない。同じことなのだ。ダメな行動の裏には、必ずダメな言葉が潜んでいる。過去の偉人は、言葉を何よりも大事にしていたからこそ、その言葉は行動とイコールになった。

 言葉を「安っぽい」としている人間の、どんな行動も、俺は信じられない。 

by ichiro_ishikawa | 2008-02-16 16:35 | 文学 | Comments(1)  

小林秀雄の典型的なやり口の福田和也による秀逸な分析

 
 小林秀雄について論じた人は数多いるが、そのほとんどが、どうもピント外れに思えてしょうがない。江藤淳や吉本隆明でさえ。小林秀雄は、核が極めてはっきりしているが、非常に微妙なもので、しかもその微妙さは「感じる」類いのものなので、理知で分析しようとすると、やはり巧く貫けないのだろうか。
 ズバリど真ん中を射抜いていたのは故池田晶子だが、池田晶子は批評家ではなく、ある意味、詩人だから、詩として、小林と同じことを表現したまでだが、小林と同じ批評家として、非常に明晰に小林の凄さを言葉で紡ぎ得たのが、福田和也だ。
 来歴を語り、説明などを繰り返して、対象の匂いや手触りを喚起しながら、よいものはよいのだ、という判断の断崖に読者を追いつめておいて、その断崖から見える視野とその崖の高さを語って見せた後に、突然一つの情景を描きだす。その情景は、読者を批評家の価値観や判断について説得するためではなく、その価値自体を、あるいは価値の発見を体験させる文章として造形される。(日本人の目玉/ちくま学芸文庫)

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by ichiro_ishikawa | 2008-02-10 00:02 | 文学 | Comments(0)  

養老孟司と小林秀雄


 前回、養老孟司の文を載せたところ、各方面から、「分かりやすくて、いい」との評を受けた。これは当然、常日頃引用している小林秀雄に比して、ということであることは間違いない。

 小林秀雄はどうも分からないらしい。

 小林秀雄は、一読しただけでは分からないように工夫して書いている的なことを自ら語っている。何度も何度も繰り返し読まなければ分からないように、書いているのだと。確信犯である。何の為に。てめえで考えさせる為にだ。小林の文は考えるヒントなのである。答えではないのだった。「1+1」は2だが、「人生とは?」に答えがあろうか。否。

 たとえば、養老の文は、「なるへそなるへそ~!」と、スッキリするが、メシ食って寝ちゃえば、翌朝、特に何も残らない(養老はかなりの慧眼なので、そういうと極端すぎるが)。考えていることはすげえし、表現も秀逸だが、必ずしもロックじゃない(というか確信犯的にロックであろうとはしていない。実はそこもすげえ)。生きる糧にはなろう。上等のエンガワみたいなものだ。

 小林はメシじゃあない。やはり、文学なのだ。

 前回の養老の文は、俺の中ではエッセンスだけ血肉となり、後は排泄物として処理された。だが、前々回の小林の文は、なんかこう、いつまでも眺め愛でていたい、そういうものである。
 グッと近づいたり、ちょっと離れてみたり、カーテン越しにチラと覗いたり。その都度、稲妻が走るのである。
 おいおいおいおい、とんでもないことになってるじゃないか!

 お気に入りのグッド・ミュージックのように、小林秀雄の言葉は、俺の中で、「歌われる」。


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肖像画

by ichiro_ishikawa | 2008-02-08 03:19 | 文学 | Comments(1)  

エセー「文学」


 「あらすじで読む文学」みたいな本が売れているけれど、その「あらすじ」は「文学」ではないのは言わずもがなだ。文学を実用書として吸収しようとする事から起こる愚かな勘違いである。文学は生活の役に立たない最たるものだ。では何故文学か。知らぬ。ただ、あらゆる文学のあらすじを理解する暇があれば、たった一編の小説の再読を重ねる方がよほど凄まじい文学体験となる事は間違いなく、その凄まじい文学体験は、やはり人間の芳醇さと密接に関係してくる事は疑えない。 

 文学の面白さは細部にある。その一文一句を自分が生きる事にある。誤解を恐れずに言えば、ストーリーなんてものはなんでもない。だから、あらすじなんてものは文学から最も遠いところにある。
 文学の醍醐味のひとつは、考える喜びだろう。読中、読後に、必ず深い思索を促される。読む前と読んだ後で違う自分になっている。
 小林秀雄の面白さは、考えることと、実行することが二つのことではないところで、つまり、小林秀雄の、考えるは、生きると同義である。空想めいたものはひとつもない。

 たまたま手にした、白水社のモンテーニュ「エセー」の中に入っていたチラシに養老孟司の文章が載っていて、面白かったので全文転載する。
 自分で考える人は、あんがい少ない。自分で考える人と、そうでない人の区別は、簡単である。話が面白いか、面白くないか、それで分かる。
 ただし「面白い」という言葉の真意は単純ではない。解剖をやっていたとき、私が「解剖は面白い」といったのを、伝え聞いたある人から咎められたことがある。不謹慎だという。
 モンテーニュのエセーは「面白い」。内容は不謹慎かもしれないが、面白いのである。読む本に困ると、本棚から「エセー」を取り出す。どこから読んでも、差し支えない。それがたいへん便利である。
 自分で考えるためには、自分で生きなければならない。すべてのことを、結局は自分でやらなければならない。モンテーニュもそうだった。領地の面倒を見て、さまざまなトラブルを片付けた。当時のフランスは、日本の戦国みたいな時代だったと、私は勝手に想像している。そういう時代の小領主は、いまでいえば、中小企業のおやじさんであろう。なんでも自分でやる。
 そうやって生きると、当然ながら「自分で考える」ようになる。だから話が面白い。組織に属して給料をもらうと、それができない。仕事の中の決まった部分しか、やらないからである。それも、うっかり自分の考えでやろうとすると、さまざまな面倒が起こる。だから決まりどおりにやろうとして、決まった生き方をするようになる。
 そのほうが生きやすい。でも生きやすいとは、じつは「面白くない」ことである。それでも人々は生きやすいほうを望むらしい。自分がそうだと思うなら、たまにはモンテーニュを読んでみたらいかがか。アッと思うかもしれないのである。

by ichiro_ishikawa | 2008-02-03 22:34 | 文学 | Comments(1)  

歴史について

 俺が「歴史」という言葉に敏感だということは、遍(あまね)く知られるところだが、この歴史に対する胸騒ぎのようなものの正体は何なのか。

 昨今、ドストエフスキイの新訳文庫版が過度に売れていることが話題になっているが、小林秀雄は30代の半ばの数年を、本格的にドストエフスキイに対峙して過ごした。対峙して、とは妙な言い方だが、研究でもないし、分析でもない、ただドストエフスキイについて書くことで、ドストエフスキイを抱きしめようとしている様が分かるので、そう言うより他がなく、本人の文学としての言葉で言えば「蘇生させようと」していた。
 「ドストエフスキイの生活」(1939年)がその結実で、序文のサブタイトルが「歴史について」なのである。この13ページほどの短文は、まさに珠玉という言葉がふさわしく、全文、サビだけで出来ている。この13ページ、1万字程度の文章に、どれだけのものが詰まっていることか。

 個人的な事で言えば、本編は2〜3回通読しただけだが、この序文は凡そ187回は読んでいる。序文で短文だから10分もあれば読めるのだが、その10分間、俺は毎度、クワッとなる。この世のものではない、ある、凄まじい精神の躍動が起こる。文学の醍醐味がまさにここにある。
 というわけで、全文書き取りをしたいのだけれど、短文とはいえ、ネット上に1万字というのは、さすがに長いので、追々、全文はあげていくとして、ここでは抜粋していくことにする。

「ドスエフスキイの生活」 序(歴史について) 抜粋集

 例えば、こういう言葉がある。「最後に、土くれが少しばかり、頭の上にばら撒かれ、凡ては永久に過ぎ去る」と。当たり前な事だと僕等は言う。だが、誰かは、それは確かパスカルの「レ・パンセ」のなかにある文句だ、と言うだろう。当たり前な事を当たり前の人間が語っても始まらないとみえる。パスカルは当たり前の事を言うのに色々非凡な工夫を凝らしたに違いない。そして確かに僕等は、彼の非凡な工夫に驚いているので、彼の語る当たり前な真理に驚いているのではない。驚いても始まらぬと肝に銘じているからだ。ところで、又、パスカルがどんな工夫を凝らそうと、彼の工夫なぞには全く関係なく、凡ては永久に過ぎ去るという事は何か驚くべき事ではないだろうか。

 言葉を曖昧にしているわけではない。歴史の問題は、まさしくこういう人間の置かれた曖昧な自体のうちに生じ、これを抜け出る事が出来ずにいるように思われる。 歴史の上で或る出来事が起こったとは、その出来事が、一回限りの全く特殊なものであったという事だ。僕等は少しもそれを疑わぬ。その外的な保証を何処にも求めようともせずに、僕等は確実な智慧のなかにいる。

 子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理知は、物事の掛け替えの無さというものに就いては、為すところを知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、この時何が起こるかを仔細に考えれば、そういう日常経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智慧を読み取るだろう。それは歴史史実に関する根本の認識と言うよりも寧ろ根本の技術だ。其処で、僕等は与えられた歴史事実を見ているのではなく、与えられた資料をきっかけとして、歴史事実を創っているのだから。このような智慧にとって、歴史的事実とは客観的なものでもなければ、主観的なものでもない。この様な智慧は、認識論的には曖昧だが、行為として、僕等が生きているのと同様に確実である。

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も亦旅人なり」と芭蕉は言った。恐らくこれは比喩ではない。僕等は歴史というものを発明するとともに僕等に親しい時間というものも発明せざるを得なかったのだとしたら、行きかふ年も亦旅人である事に、別に不思議はないのである。僕等の発明した時間は生き物だ。僕等はこれを殺す事も出来、生かす事も出来る。過去と言い未来と言い、僕等には思い出と希望の別名に過ぎず、この生活感情の言わば対称的な二方向を支えるものは、僕等の発明した僕等自身の生に他ならず、それを瞬間と呼んでいいかさえ僕等は知らぬ。従ってそれは「永遠の現在」とさえ思われて、この奇妙な場所に、僕等は未来への希望に準じて過去を蘇らす。

 ドストエフスキイという歴史的人物を蘇生させようとするに際して、僕は何等格別な野心を抱いていない。この素材によって自分を語ろうとは思わない、所詮自分というものを離れられぬのなら、自分を語ろうとする事は、余計な事というより寧ろ有害な空想に過ぎぬ。無論在ったがままに彼の姿を再現しようとは思わぬ、それは痴呆の願いである。  僕は一定の方法に従って歴史を書こうとは思わぬ。過去が生き生きと蘇る時、人間は自分の裡の互いに異なる或は互いに矛盾するあらゆる能力を一杯に使っている事を、日常の経験が教えているからである。あらゆる資料は生きていた人物の蛻の殻に過ぎぬ。一切の蛻の殻を信用しない事も、蛻の殻を集めれば人物が出来上がると信ずる事も同じように容易である。立還るところは、やはり、ささやかな遺品と深い悲しみとさえあれば、死児の顔を描くに事を欠かぬあの母親の技術より他にはない。彼女は其処で、伝記作家に必要な根本の技術の最小限度を使用している。困難なのは、複雑な仕事に当たっても、この最小限度の技術を常に保持して忘れぬ事である。要するに僕は邪念というものを警戒すれば足りるのだ。
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by ichiro_ishikawa | 2008-02-02 22:07 | 文学 | Comments(0)