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安室奈美恵

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 アムロックの60s、70s、80sが良く、ここ数ヶ月、マイ・ヘビーYouTubeローテーションであり続けているものの、とはいえ、そこはさすがに37歳、「YouTubeで十分、CDは“ケン(見送り)”」との判断を一旦下したのだが、ベスト盤のあのジャケ、そしてDVD付き、という条件にいよいよ魅せられ、その「Best Fiction」をついに購入という愚行に及んだ。
 CDに封入されていたパスワードで携帯の静止画&フラッシュ待ち受けを入手、早速サニー・ボーイ・ウィリアムスンからアムロックに壁紙を設定し直したが、音楽的には、やはり60s、70s、80sだけがすげえいいので、CDは買う必要なかった。
 というわけで、秀逸なアムロック、ベスト5。

3位
70s「Rock Steady」
c0005419_015938.jpg「て・こ・と、わかってもらうには」がいい。「Do it, Do it, Do it, Do it」もいい。


2位
80s「What A Feeling」
c0005419_021187.jpg「I Love to Dance yeah, Everybody Call Me Dancin' Queen」のノリがすげえいい。「オ・オ、バ・ア、ヒ・イ・ト」が艶かしい。「Get on up, Get on up,...」のくねくねした振り付けもいい。「日が昇り始めるまで」の時に人差し指を裏拳で突き上げるのもいい。


1位
60s「New Look」
c0005419_014585.jpg「よ・お・な」がいい。衣裳と振り付けもすげえいい

by ichiro_ishikawa | 2008-08-30 23:56 | 音楽 | Comments(0)  

死刑執行


 宮崎勤と同時期に、陸田真志にも死刑が執行されていた。殺人罪で死刑を宣告されていた陸田真志。故・池田晶子と生前、往復書簡をかわし、「死と生」「善と悪」について実に本質的な対話をしていた彼だ(往復書簡は「死と生きる—獄中哲学対話」に収録)。
 「死と生きる—獄中哲学対話」は、キワモノ的見方をされがちだが、実はま逆、哲学を処世術という意味で使っている数多の自称哲学書とは一線を画す、極めて価値の高い、言葉本来の意味での哲学書だ。強欲の塊だった殺人者が、池田晶子の書と出会い、往復書簡を始めることで思索を促され、更生していくのだが、道徳教条的なところやセンチメンタルな部分は全くない。「善」に目覚め、「生」と「死」の本質を誰よりも掴んでいく様は壮絶極まりない。更生の過程を追った道徳本でもなく、難解な哲学用語や哲学者の名前が出てくることもない、日常語だけで正しく叙述された(=思考された)哲書である。
 先に池田晶子さんが逝くとは思いもよらなかったが、獄中、彼の思索はずっと続いていたらしく、しかもそれを書き留めていたらしい…。稀有な“考える人”がまた亡くなった。

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by ichiro_ishikawa | 2008-08-25 00:43 | 文学 | Comments(0)  

10勝記念・下柳写真集

 去る8月21日(木)、下柳が4年連続2ケタ勝利を達成。40歳代での年間10勝以上は史上5人目の快挙。最多勝、最優秀防御率の2冠を祈念し、下柳写真集をここに繰り広げん。

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by ichiro_ishikawa | 2008-08-23 01:18 | 日々の泡 | Comments(0)  

プレーンソング

 もはや書を捨ててWINSにばかり通っていることで、いろいろな人が離れていったが、実はこっそり古典を丹念に読んでいるし、福田和也「昭和天皇」にも取りかかっているので、思うところは結構あるから、馬以外にも話したい事は山ほどあるのだが、話す相手が生憎(あいにく)いないので、こうしてたまに己が心に語りかけているのだけれど、ずっと好きだった保坂和志のデビュー作「プレーンソング」をやっと読んだことを、てめえに報告したい。

 なぜこれまで手に取らなかったかと言えば、ネコが出て来るからだ。俺はネコとか少年とか若い女とか出て来るのが嫌いで、特に恋愛とか青春とか苦悩とか人殺しとか自殺とかもダメ、さらに人の心理描写や、告白も嫌いなので、そも、大抵の小説は嫌いなのだけれど、保坂は、いい。とはいえ、やはりネコとか出されると読む気が失せてしまう。
 じゃあ、なぜ読んだかと言えば、主人公が競馬に行くからだ。

 この小説は、競馬仲間との話とネコの話が、交互に綴られていて、競馬のところだけ丹念に読み、ネコの部分は、ストーリーは追わず、「おっ」と思うところだけ抜き読みした、という寸法だ。保坂の事だから、その2つは最後までリンクしねえなとは感づいていたし、そも、いわゆる、ストーリーというものがない事も承知だったから、特に問題はないわけだ。

 とはいえ、そんな感じで一読した後、もう一度、今度はすべてをちゃんと読んでしまった。ネコの可愛さとかは、全然分からないのだけれど、やはり、文章が秀逸だ。何気ない会話や描写は、そこに何か深い意味を宿らせているわけでもなく、クールで知的だが、村上春樹的なハードボイルドを気取ったいやらしさもなく、ただ、「いる」ところが、いいのだった。何も起こらない、普通の日常がリアルでいい、のではない。もちろん過剰なドラマ性よりはましだが、そんな低レベルな、普通さ、ではない。虚無、悲観や楽観、客観や主観、そういうどうでもいいことが一切無い、そこが、いい。じゃあ、何があるのか。……無私かもしれぬ。

 保坂の小説は、本質的な意味で、明るく、元気がある。
 

by ichiro_ishikawa | 2008-08-21 01:53 | 文学 | Comments(3)  

貴重映像緊急入手


 俺が大のお笑い好きである事はこの場でもしばし公言して来たから知る人は数多(あまた)いようが、
「8時ダヨ!全員集合」(1976年頃~80年のひょうきん族登場まで)
「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(伊東四朗、小松政夫/1976年)
「THE MANZAI」(1980年)
「ドバドバ大爆弾」(1980年)
「俺たちひょうきん族」(1981~1984年頃まで)
「まんがチョップ」(シャネルズ/1983年頃)
「コラーッ!とんねるず」(1985~1986頃まで)
「とんねるずのオールナイトニッポン」(1985~1986頃まで)
「夕焼けニャンニャン」(1985年~1986頃まで)
「東京イエローページ」(竹中直人/1989~1990年)
「マージナルマン」(リリー・フランキー/1990年)
といったところがフェイバリットであったのだが、忘れてならないのが「お笑いスター誕生」(1980〜83年頃まで)だ。

 “たいていある”事でお馴染みのYouTubeで、当時最も好んでいた、自分の笑いの核を作ったと言ってもいいあるコンビの貴重な映像を発掘した。

 その名も「象さんのポット」。明るく、ノリとテンポがいい、勢いのあるお笑いが全盛の当時にあって、象さんのポットは極めて異彩を放っていた。
 ネクラ漫才として知られ、朴訥とした低いテンションのベシャリが延々と続く。あからさまなボケとツッコミはなく、舞台でよく、黙る。この手のシュールさは、竹中直人、リリー・フランキーに連なるものだ。

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by ichiro_ishikawa | 2008-08-13 05:31 | お笑い | Comments(0)  

哀悼、アイザック・ヘイズ


 ソウル・シンガー/作曲家/プロデューサー、アイザック・ヘイズが8月10日、テネシー州メンフィスの病院で亡くなった。享年65。
 アイザック・ヘイズは作曲家としての才が冴えた。
 彼の残した数作が、ソウル・ミュージック界に部類の宝玉を与えていることを思いながら、その偉業をYouTubeで振り返らん。


Shaft (1971)予告編
c0005419_0214878.jpg70年代の映画は、カーティス・メイフィールドといい、サミュエル・ホイといい、音楽が相当すげえ。この空気感は何だ。


Soul Man by The Blues Brothers
c0005419_0212791.jpgサム・アンド・デイヴの曲をブルース・ブラザーズがカバー。ジョン・ベルーシとダン・アイクロイドによるサタデーナイト・ライブでの秀逸なダンスがYouTubeで見られたのだが、残念ながら今は削除されている。秀逸なギターはスティーヴ・クロッパー(白人)。


Hold On I'm Coming by Sam and Dave
c0005419_0225423.jpg最強のソウル・チューン。いいダンス。バックはブッカー・T&The MG's。デヴィッド・ポーターとSTAXのスタジオで作曲をしている時、トイレに行ったポーターをせっかちなヘイズが急かすと、「ちょっと待って、今行くから(Hold On, I'm Coming)」と答えた途端、ヘイズは「これだ!」と閃き、5分でこの曲を書いたという。

by ichiro_ishikawa | 2008-08-13 00:10 | 音楽 | Comments(0)  

競馬と俺 プロローグ


 俺が春ぐらいから毎週末、時には平日も、競馬をやっていることを知る人は…、結構いるがそんなにはいまい。ブログを更新しなくなったのもそのせいだ。
 テレビを見るのが時間の無駄かつバカになると悟った1989年以来、うちにはテレビが無いが、競馬を始めて半年弱、競馬も相当、時間の無駄でバカになる。

 とはいえ、テレビは見ないが、競馬は続行だ。
 なぜか。負けがかさんでいるからだ。額は言うまい。もう引き戻れない額だとだけ言おう。それを回収せねばならない。

 賭けた馬は来ない。賭けないと来る。不思議なものだ。
 外出すると雨が降る、常態としてドタマと腹がうすら痛い。元来、地球との相性がそうとう悪い俺だが、その悪さが、競馬のような舞台では、如実に表れる。天が俺を笑う。

 競馬なんてレジャーだ、十分楽しんだし、それに払った代価だ。そう思えばいいか。否。熱しにくく冷めにくい質(たち)の俺は、何ごとでも一旦掴んだら離さない覚悟で事に処す。
 周囲からは「終わった…」と吐き捨てられ、友は去り、恋人もやがては離れていくだろう。……親には内緒だ。

 競馬はレジャーじゃない。賭けだ。人間の思惑などまったくおかまいないしの、理性がまったく太刀打ちできない自然。支配はできぬ。従うまでだ。自然の一部と化すように、俺は、馬に賭けよう。親には内緒だ。

by ichiro_ishikawa | 2008-08-11 01:51 | 日々の泡 | Comments(0)  

赤穂浪士と俺


 俺が今「赤穂浪士」を読んでいることを知っている人は、人の鞄を覗き見た奴か、半蔵門線か銀座線で俺の背後にこっそり立っていたことのある人間だ。

 なぜ今「赤穂浪士」か。
 不合理は重々承知。負けも必定。しかしそれでもやらねばならぬ事というものがある。恩に報いる。それが出来ずして何が男ぞ。という気分に今あるからか。そうかもしれぬ。そんな気もする。だが、否。
 
 浅野内匠頭が吉良上野介に切り掛かった時、思い知ったかと大声を発したらしい。
だが、「思い知ったのは当人であった事に、間違いあるまい。ところで、彼は、何を思い知ったのか」と、小林秀雄が俺に思わぬ問いを浴びせて来たからである。
 さらに、事件を巡り、当時の儒者たちがその正、不正をやかましく論じていた時、
「近松門左衛門は、ただこれは芝居になると考えていた。事件は、まず何を措いても劇的であると考えていた」
という、エピソードが面白かったからである。

 小林秀雄は視点が秀逸だ。奇を衒っているわけではない。ただ、無私の精神で事の本質に迫ろうと思うと、そういう視点が立ち表れてくるだけの話だ。

「事件は、極くつまらぬ事から起こった二人の武士の喧嘩に始まり、決着のつかなかったところを、人数を増やした大げんかで始末をつけたというだけの事だ」(以上、すべて「考えるヒント2」収録の「忠臣蔵」より)。

 ただそれだけのことが、なぜ俺の心を捉えて離さないのか。離さない、その当の物は何か。それを明らかならしめる事は、すなわち、己を知る事であろう。
 とすれば、己を知るために、今俺は「赤穂浪士」を読んでいる、という事になるな。


 それに関連するかどうかは分からない。
 多分しないのだが、今、気になってしようがない小林秀雄の講演CDの中の言葉。

 無私ってものは、得ようとしなければ得られないものだ。
 客観的になるって事とは違う。
 そこに、何にも私を加えないで、そこに私が出て来るってことがあるのだ。
 自分で自分を表そうったって、そんなもの表れやしないよ。
 自分で自分を表そうなんてやつは、気違いです。自己を主張してる人はみんな狂的です。あれは本当にすぐ病院に行かなきゃいかんです。自己を主張する者は、それが傷つけられると人を傷つける。

 結局ドストエフスキイが分からなかったのは、キリスト教が分からなかったからだ。
 てめえの願いを聞いてくれない神なんていたっていなくたって同じだ。
 山には山の神がいて、海には海の神、森には森の神がいる。
 日本古来深く信じられて来た八百万の神。
 それが一番しっくりくる。

by ichiro_ishikawa | 2008-08-07 02:06 | 文学 | Comments(3)