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哀悼、ノーマン・ホイットフィールド


 モータウンの、いやソウル・ミュージックの、いやポップ・ミュージック全体における最重要人物の一人、ノーマン・ウィットフィールドが9月16日、ロサンゼルスの病院で亡くなった。享年65。死因は糖尿病による合併症と発表されている。

 モータウンスタジオの雑用係りから作曲家へとのしあがったノーマン。その足跡はこのブログに詳しい。

 「ノーマンはもっとも優れたソングライターであり、レコード・プロデューサーの一人だった。彼は彼が作った音楽を通して、永遠に生き続ける」
(スモーキー・ロビンソン)

「ノーマンは、かつて、自分はスライ(・ストーン)をなんとか越えることだ、と言っていた。彼のサウンドは新しく、そのグルーヴは素晴らしい。スライはサイケデリックをつかんだ。だが、リズム、ホーンセクションなど、ノーマンの仕事振りは、スライに匹敵すると思う」
(マーヴィン・ゲイの自伝『ディヴァイデッド・ソウル』を書いたデイヴィッド・リッツ)

 ノーマンの追悼として、いわずと知れた超名曲「Heard It Through The Grapevine(悲しい噂)」のいろいろな人のバージョンをお届けする。最後のポール・ウェラーとエイミー・ワインハウスのバージョンは、元スクイーズ、ジュールズ・ホランド司会のイギリスの音楽番組から。


Marvin Gaye
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Gladys Knight and the Pips
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Creedence Clearwater Revival
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Paul Weller & Amy Winehouse
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by ichiro_ishikawa | 2008-09-23 14:08 | 音楽 | Comments(0)  

歴史と俺 プロローグ


 今俺が明治時代を生きている事を知っている人は、相当な俺マニアと言えよう。離れていても俺の事を何でも知っている母親でさえ、思いもよるまい。

 レコードコレクターズの最新号辺りが出ているやも、とぶらり入った本屋で、音楽誌コーナーに行く途中、腹が痛くなり、踵(きびす)を返してトイレに向おうとした刹那、「この痛さ、例の小人が腹の内部からバターナイフでシャーッシャーッと下腹部裏を刻んでいるこの痛さからして、長期戦になるな…」と気づいた俺は、個室にて時間をつぶしうる適当な本を見繕う事にした。そこでふと目に止まったのが福田和也の新潮新書「日本の近代 (上)」。数少ない「出れば買う」リストに名を連ねる福田の新刊を手にレジに行き、735円をカードで支払うと、バターナイフの痛みに耐えながらも、個室に向うのがちょっと楽しみになって来た。
 
 本屋の入っている錦糸町の駅ビルの男子和式トイレは、大抵、卵とじのようなものが便器脇に散乱しているため、俺は女子トイレで用をたす習慣があるのだが、まあそれはどうでもいいのだが、案の定、個室では長期戦が待っていたのだけれど、充実した60分となった。
 
 本文中、「白村江の戦い」などという実に懐かしい言葉が続々と登場するのだが、学生時分、初めて「白村江の戦いに出くわした時のノスタルジアが蘇る…。「白村江」で「はくすきのえ」だという。「白村江」が「はくすきのえ」つけ! 俺は我慢ならなかった。「はく」とケツの「え」はよかろう。「の」もまあよい。「の」は、勢いで勝手に入って来る事はままある。しかし、「す」と「き」はありえねえ。「村」が「ソン」だし、「村主」を「すぐり」と読ませる同級生がいたから、百歩譲って、何かの拍子でちょっと「す」になってしまったとしても、次の「き」はどうだ。ありえねえ。「す」と「き」はありえねえ。
 当時、それがどんな戦いだったのかはそっちのけで、そのあり得なさに、ずっとしびれていたのだった…。地球の平均海水面を延長した結果得られる地球の曲面を「ジオイド」というのだと知った時もかなりしびれたが…。

 話がそれたついでに明かすが、小1の時、「キン肉マン事件」があった。ジャンプのある号で、キン肉スグルが「予定変更」というセリフを言っていたのだが、俺は「更」の漢字が当時初見だったためか、「便」と勘違いして、「よていへんべん」と読んだ。すると脇にいた輩が、「いや、へんこう、だべ」と言う。俺は「バカ、便所の便だべよ、ベン。だからヘンベンだべよ」。
 しかしその輩は折れない。「へんべんて何だよ。そんな言葉ねえべよ。予定と来たらヘンコウだべよ」。
 「バカお前、でもこれはベンっていう字だべ。だからヘンベンだよ」。
 「確かにベンだよ。でもヘンベンて言葉はないからヘンコウだべよ」
 「バカ、言葉は無いけど、ベンをコウって読むわけもねえべよ」…
 と、論争は遂に決着はつかなかった。まあ、今思えば、俺が間違っていたわけだが、相手も「確かにベンだけど」と間違っているからあいこだ。

 長くなったが戻す。
  福田和也の新潮新書「日本の近代 (上)」を1/3ほど個室で読み終えた俺は、腹の痛みが治まった安堵と喜び、そしてそれ以上に、西郷隆盛や伊藤博文といった維新〜日清・日露戦争あたりを生きた屈強な明治人たちの魂をかいま見た興奮で心が充たされていたのであった。
 もうすぐ、近代の通史を描いたこの本が読み終わるが、恐らく次は、明治維新だけを300ページぐらい書いた本に当たる事になろう。

 学問の究極であり、最も面白い「歴史」というものを、単なる「暗記もの」に貶めてしまっている日本の歴史教育に苦言を呈した小林秀雄の言葉でしめよう。

建武中興なら建武中興、明治維新なら明治維新という様な歴史の急所に、はっきりと重点を定めて、そこを出来るだけ精しく、日本の伝統の機微、日本人の生活の機微にわたって教える、思い切ってそういう事をやるがよい。


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by ichiro_ishikawa | 2008-09-05 03:17 | 文学 | Comments(0)