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超推薦「兄小林秀雄との対話」


 俺が小林秀雄を敬愛している理由の大事な点のひとつを簡単に述べるなら、それは、彼が「愛し」「行う」人間だ、というところだ。
「考える」ことと「やってみる」ということを分けていない。机上の空論や空想、比喩を好まず、物事を素直にストレートにとらえ、とにかくやってみる、という考え方をする。
 そして、自分がどういう立場にも立たず、つまり、偏見やちっぽけな自我を捨てて、対象のあるがままを見る、認める「無私」を「得る」ことを目指している。理知や合理性より、情緒、愛をこそ信用している。人に対して、人生に対して、歴史に対して非常に謙虚であり、そういう自分を無くすことの結果、強力な個性となって立ち現れているその全人格を、俺は信用しているわけだ。
 多くの批評家や知識人、実行家は、てめえが一番大事、功名心ばかりで、論客にしろ事象にしろ、対象を倒す事を狙っている。自分だけを愛している。批評とは竟に己の夢を懐疑的に語る事だと勘違いしている。
 小林秀雄はその対極にいる。池田晶子や埴谷雄高もそうだ。

 小林秀雄の著書の難しさは、人生、人間そのものが難しいというのと、同じ意味であって、それゆえ、価値があるものなのだが、世にはどうしても、楽にわかりたい、難しいこと嫌い、というバカが多い為、小林秀雄は敬遠されることも多いようだ。
 人それぞれの人生なので俺は別に構わないのだけれど、利口になりたいけど根がバカ、という輩を俺は放っておくことができない性分で、というか実は俺自身がそれなのだが、小林秀雄はそういう愛すべきバカにこそ読まれるべき、小林秀雄がそういう読者を想定していた、と俺は感じるので、ロックンロールという切り口で事象の本質を考える当ブロムに小林秀雄が頻出するのは当然の成り行きだ。知識と教養を振りかざす点数稼ぎの俺俺知識人の対極に居る小林秀雄。彼のソウルを抱きしめたいと思うと同時に、ある種のバカたちに伝えたい、そうしたある種ブルーな使命感を持っている。

 本を読むと数秒で睡魔に襲われる、一次方程式はギリわかるが二次となると頭が爆発、というバカは、まずは『考えるヒント』を読まれるべし。デビュー作「様々なる意匠」から入ると、いきなり「使嗾」が読めなくて頓挫してしまうだろうから。
 また、一次方程式も覚束ない、まあ九九は半分は分かるぐらいの、もっとバカは、小林秀雄の妹、高見沢順子の『兄小林秀雄との対話』(講談社現代新書)が、ものすごいおすすめだ。
 高見沢順子も実はインテリだけれど、いわゆる普通の学がある人で、小林秀雄の文才、詩才にはついていけないところがあるらしく、だが、妹という立場から、素直にストレートにぶしつけに、分からないことを質問しており、秀雄も、「書かれていることがすべて、それを分かりやすく話す、ということは不可能」と明言しながらも、愛する妹のために、丁寧に誠実に、彼女の質問に答えている。人生、歴史、文学、読書、無私、批評、愛、情緒…小林秀雄の著作の核をなす部分が、妹に対して、平易に語られている。小林秀雄の著書への入り口として、或は著書の解説的意味合いのある副読本として、おすすめだ。但し絶版(最安値古書、現在amazonで254円+送料340円)。

by ichiro_ishikawa | 2010-04-29 15:25 | 文学 | Comments(0)  

中押し「軽くて深い 井上陽水の言葉」


齋藤 孝・著『軽くて深い 井上陽水の言葉』
絶賛発売中!
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4/29付けの朝日新聞の広告掲載により、注文殺到!
同社内刊行本でバンテが低いのは担当者の政治力を物語る!?
だがamazonで在庫切れなのはどういうわけだ!? 購買意欲が削がれるぞ。
しっかり配本しろよ、もっと刷れよ、版元! 及び腰か!?
男なら戦う時が来る 誇りを守るために命をかけて
男なら旅立つ時が来る 愛する者たちに別れを告げて
っておぼたけしが言ってたぞ。

 個人的にしびれたのは、リリー・フランキーに「井上陽水なのに何でメールで絵文字使うんですか?」と問われ、「言葉だけだと伝わり過ぎちゃうじゃないですか」と切り返す場面。以来、俺も絵文字使用率急増。ただ送る相手があまりいねえ。
 ほか、「みなさん、お元気ですかぁ」がなぜ可笑しいのか、あのグラサンの真意は? などなどファンも思わず納得、グラサン木こりぐらいの知識しかない素人集もしびれること必至、職探しに瞑想しているストリートチルドレンも、ひとつ楽になること請け合い。ニーチェ、ゲーテ級の深さとリリー・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドばりの軽さとユーモアを併せ持つ井上陽水の言葉に、煙草410円時代の今こそ耳を傾けたい。






by ichiro_ishikawa | 2010-04-29 14:41 | 総務便り | Comments(0)  

必携「ディランとルーツ・ミュージック」


 ボブ・ディランがなぜいいかと言えば、ディランはルーツ・ミュージック、ポップ・ミュージックの伝統の上に確りと立っているからで、結果、その楽曲群も、ある意味匿名性が非常に強いものだからだ。己を空しくして音楽そのものの価値の確立と回復を目指している。そこに強い個性が表れている。

「ショーの主役は僕ではなく歌だ」

「ぼくはメロディ作家でないことをわかってほしい。ぼくの歌は、昔のプロテスタントの賛美歌やカーター・ファミリーの曲やいろいろな形のブルースを基本にしている。
 どんな風かを言うと、何かの曲を選んで、それをただ頭の中で弾いてみる。そうやって瞑想をするんだ。
 頭の中の歌を聴いている。やがて違う歌詞が浮かんできたら、そのとき曲をつくりはじめる」

「(「ライク・ア・ローリング・ストーン」について)ああいう歌は、霊が書いたような感じだ。霊は歌を渡すといなくなる。どこかへ行ってしまう。どういうことなのかわからない。ただ、霊が僕を選んであの歌を書かせたことはわかる」

「『風に吹かれて』はたぶんカーター・ファミリーのレコードで聞いた昔のスピリチュアルに言葉をつけて、10分ぐらいでつくった。フォークの伝統的なやりかただ。『時代は変わる』は、スコットランドの古いフォークソングからとったはずだ」


ボブ・ディランからルーツ・ミュージックのすげさを知るベスト5

ボブ・ディラン自伝
c0005419_21184657.jpgディランが赤裸々にてめえの人生を語る貴重。


「ボブ・ディラン 全年代インタビュー集 完全保存版」
c0005419_21191794.jpgディランの肉声。


ボブ・ディランのルーツ・ミュージック
c0005419_21201240.jpgディランの人生を辿りながら、その都度ディランが聞いてきたルーツ・ミュージックを紹介。著者が自分で確かめたという衛星ラジオ「テーマ・フロム・ラジオ・アワー」全106回の完全選曲リストも併載。白夜書房、すばらしい。誤字があり、必要な接続詞がなかったり、副詞のセレクトが今イチだったり、各章で内容がものすげえかぶっていたりと文が下手なこと、本文の紙が厚過ぎ、貴重なラジオ選曲リストだけが紙を横使いにしていて読みづらい、など、本としては不満がところがすげえ多いが、企画自体はいい。


ボブ・ディラン全詩集-1962-2001
c0005419_21194941.jpg2001年までのオリジナル詩352曲(354篇)をすべて収録。アルバム未収録詩篇もあり。ディランの真髄は歌詞。


Anthology Of American Folk Music (Edited By Harry Smith)
c0005419_211754.jpg1927年〜1935年に商業的にリリースされた(と思われる)78回転レコードから音源が採られた6枚組コンピレーション。カントリー・ブルースからケイジャン・ソシアル・ミュージック、アパラチア地方のマーダー・バラードまでを網羅。ディランの原点。


Anthology Of American Folk Music Volume 4 (Edited By Harry Smith)
c0005419_21182072.jpg一度ボツになって発売されなかったハリー・スミス編纂のアンソロジーの4枚目(CD7、8枚目)。


ボブ・ディランのテーマ・タイム・ラジオ・アワー
c0005419_211735100.jpgディランがDJを務めた衛生ラジオ番組『テーマ・タイム・ラジオ・アワー』のファースト・シーズンでオンエアされた曲の中から厳選された50曲を収録した番組公認のコンピレーション。ジャズ、ブルース、フォーク、カントリーから現代のロックまで、新旧/ジャンルを問わず幅広い選曲。豪華執筆陣による全曲解説、収録曲のジャケット写真など資料性が極めて高い豪華48ページ・ブッレット付。


ボブ・ディランのテーマ・タイム・ラジオ・アワー~シーズン2
c0005419_21175772.jpg公式コンピレーションの第二弾。2007年9月から2008年4月まで放送されたシーズン2から選りすぐられた50曲を収録。ブルース/ジャズ/ R&B/ソウル/フォークの古典からキャプテン・ビーフハート、サン・ラまでの痛快な選曲がいい。ビリー・ブラッグが序文を寄稿。


アラン・ローマックス選集-アメリカン・ルーツ・ミュージックの探求 1934-1997
c0005419_21143131.jpgルーツ・ミュージックの超貴重な記録と研究。ディランもビートルズもローリング・ストーンズもこの活動なくして存在しなかった。

by ichiro_ishikawa | 2010-04-24 18:07 | 音楽 | Comments(0)  

ザ・スミス「まだ病んで」



by ichiro_ishikawa | 2010-04-24 16:37 | 音楽 | Comments(0)  

エセー「哀しみと俺」


 ボブ・ディランとウィルコ、この二大ミュージシャン/バンドの立て続けの来日公演をスルーしてしまったのは、すべてゴトシのせいだ。出不精、対人恐怖症、腰に異様な重量を持つ俺は、チケットを取るという行為すら出来ないのだが、ディランもウィルコもチケットを知人が用意してくれたにもかかわらず、つまり、会場に行ってその知人に金を渡せば良い、という出来過ぎなお膳立てがあったにもかかわらず、ゴトシが俺を阻んだ。これが悔しい。そのゴトシとは、あんぱん工場でベルトコンベアーで流れ来るあんばんにごまを乗せる人を監視する人を監視することだ。ちなみにその後ろにもさまざまな監視する人がいる。この行為とディランのライブを見るという行為の二択があったとき、前者を選ばなければ行けないというこの状況。深い哀しみに暮れてしまう。

 小林秀雄はゴトシ、彼の場合、書く事を、生活に於いて一番大事にしている、力を入れている、ということを妹に語っている。書くというのは小林にとって宿命であり、命を賭するものだったが、今の俺はまったくそういう感じでない。ゴトシなど人生のほんの一部分、しかも人生がすべてではない、という思いがあるから、いよいよ微々たる事項に過ぎない。こういうか考え方はまずいのだろう。
だが、ディランとウィルコ、ひいてはポップミュージック、俺を俺たらしめてしまった、抜き差しならない関係を結んだ、この音楽が、そういうゴトシに阻まれる、という事態をどう考えるか。生活しなければならないからしょうがない。生活できてこそ、ディランとウィルコのチケットを買える。文化を享受できる。食えない人たちは、美術館に行くより、職を探す。腹を空かす人たちは、レコードを買う金があったら米を買う。すべては肉体あってのモノダネだ。

 ゴトシに空しさを覚えたとき、俺は、原始時代を思い出すことにしている。すると、それは空しいとかそういう問題では全くない、ゴトシはゴトシ、労働である、ということに深く思い至る。
 一人で生活できない以上、人と協同することが必要で、自分が生活の糧を得る為には他人に奉仕しなければならないという原理がある。原始、狩りが苦手なヤサ男は、竪穴の住居に絵を描く代償として、狩りが出来るその住人から肉を得ていた。文化の始まりだ。
 文化の創出で食うとは、まさに、食うためのその物を生産する、第一次産業に勤しむ人がいて初めて成立する。全員が絵を描いていたら、絵の交換だけしか起こらないから、いくら絵を交換し合ったところで、その絵に感動を抱いたところで、腹は満たされない。衣も住も得られない。衣食住の建設に勤しむ輩が居て初めて文化は現れる。江戸文化が花開いた元禄、文化・文政時代は、経済が安定した時だった。
 そう思うと、俺の空しさは一応静まりを見せる。ただ、労働に於いて、信念が損なわれいようには気をつけたい、とは思う。食うことは必須だが、人生がすべてではないように、食わねばならないというのは自分が自分に勝手に課した義務であり、実は信念を損ねててでも食う必要はなく、つまりのたれ死にしてもいいわけだ。
 こういうことを呑気に言えるのも、侘しいとはいえ、一応は衣食住が足りているからか。実際、衣食住が満たされないと、信念なんかどうでも良くなるか。そも、その信念てなんだ。
 38にもなって、14から思い続けていることを、そのときと全く同じように、何の突破口も見いだせないまま、思いあぐねている。
 つべこべ言わずやれ、とは14の俺に言い放って、未だに言い続けるB型の父親の弁。まあ、そうだな。
 

by ichiro_ishikawa | 2010-04-24 13:27 | 日々の泡 | Comments(0)  

悲劇エセー「ああ無力」


「en-taxi」が新装刊した。判型が元に戻った。大きくなった判型がやや気に入らなかったので、これは良い決断だ。また、表紙の大竹伸郎の絵が俺はあまり好みでなかったので、今回はホンマタカシの写真だが、これもいい。色と質感がいい。中味はずっといいので、いい。新装刊第1号の特集はボブ・ディラン。文芸誌でボブ・ディラン、いい。あれは文藝でもある。だが、ボブ・ディランについて書く、というだけで何か文藝的なニュアンスが成立してしまうので、危険と言えば危険。駄文の羅列になる恐れが多々あるが、今回は、そうした失敗は一部に留まり、概ね、質が高かった。もう人選がすごいものな。一番良かったのは浦沢直樹の漫画だけどな。しかし、小林秀雄特集の原稿を「With The Memphis Blues Again」とした福田和也がなぜ書いていない?
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 とはいえ、ディラン特集でいえば、青土社「現代思想」に軍配は上がる。ロサンゼルス・タイムスでの未邦訳インタビューが実に素晴らしく、ピーター・バラカンと菅野ヘッケルの対談。友部正人の随筆、バリー・ファインスタインとディランの写真詩集、和田ラヂヲなどへの「俺とディラン」的アンケート。読み応えがある。1800円だが買い。
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 (文章メインの)雑誌を読むのは、昔ほどの情熱はなくなったが、まだ好きだ。だが、作るのは苦手だ。あれは相当難しい、と端から見て思う。実際作っている人だったらいよいよ実感しているはず。まず関わる人間の人数がマジハンパねえ。しかもみんな一癖ある。その折衝だけで、俺なんかもうダメだ。一人と相対峙するだけで、身も心もへとへとになってしまうからだ。
 そして、中味。20字のキャプションでさえ、とんでもない。書くのも、推敲するのも、読むのも。言葉は宇宙だからだ。それにデザインやら何やら、制約が実際は多少あるにしろ、原則ほぼ自由、何やってもアリだから、ものすげえクリエイティビィが必要だ。その上、原価計算とか請求書処理とか事務処理事項もありすぎる。その前に企画会議から営業部との部数決議やらプレゼンプレゼンまたプレゼン。数字だけ見て売れねえ、つまんねえ、散々ケチつけられながらも、それらを一個一個、論理と情熱で論破して行く。すげえ疲れる。上記のうち、一個やるだけで俺の場合は、2年かかる。それを毎月やっている、というだけで尊敬する。教養と信念と情熱とクリエイティビティと事務処理能力、そして社交術、全部を高いレベルで持っている人がいる。すげえ。

 新潮社の「考える人」メルマガが頻繁に送られてくる。てめえで好んで購読したからだが、このメルマガひとつとっても、その文章のすげえこと。内容が深くてかつ読みやすくて丁寧。これだけでひとつの文藝。無料メールとはいえ、この緻密さ。これは教養と信念と情熱とクリエイティビティと事務処理能力、そして社交術、全部を高いレベルで持っている人でなければできない。

 と、今日もまた、てめえの無力感に打ちのめされ、誰もいないところに行こうかな…何もしねえで月30万入ってくるシステムねえかな…それより、誰か食わせてくれねえかな…、いやいっそ、しん……いや、言うまい。ある種ブルーな38歳、春。

by ichiro_ishikawa | 2010-04-23 00:35 | 日々の泡 | Comments(1)  

翻訳に挑戦「カインド・オブ・ブルー」


 今日4/22は、51年前に、『カインド・オブ・ブルー』のM4.「All Blues」とM5.「Flamenco Sketches」が、ニューヨークの教会を改造した「30丁目スタジオ」で録音された日らしい。
(M1.「So What」、M2.「Freddie Freeloader」、M3.「Blue In Green」は3/2。レビューは高野雲の快楽ジャズ通信参照。ここも音楽的な部分が詳しい)

 ロック・ファンにも愛聴者の多い、言わずと知れたマイルス・デイヴィスの名盤で、超独特なムードがものすげえ。キャノボー・アッダレイ (as)、ジョン・コッツレイン(ts)、ビル・エヴァンス(p)、ウイントン・ケリー(p/on 2)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)といった全員がピンをはれるオールスターキャストをマイルス(tp)が、目だけで仕切っている(想像)。

 この独特のムードが「カインド・オブ・ブルー」と名づけられたわけだが、これは翻訳が難しい。厄介なのが、「ブルー」の訳だ。これはいつもほとほと厄介で、「It's All Over Now, Baby Blue」など、babyとともに、訳しようがない。つまり日本語がないのではないか。
 ここはブルーを訳さず、外来語的に取って、「ちょっとブルー」「ある種ブルー」がベターか? あるいは意訳して、「まあブルー」?
 しかしこれは逃げだ。「鯖(さば)」の漢字の説明で、「魚片にブルー」と言う、ブルーを日本語として血肉にしている長嶋とかならともかく、多くの日本人にとってブルーはやはり英語なのだ。
 無理やりやってみると、『カインド・オブ・ブルー』の場合のブルーは、オブの後だから名詞ということは確実で、つまり青、憂鬱、だから「ちょっと青」「ある種、青」「ちょっと憂鬱」「ある種、憂鬱」となる。どれもいまいちピタッと来ないだろう。  
 だがもうひとつの問題は、ブルーには青も憂鬱もあるが、青には憂鬱という意味はないし、逆もまた然り、という事だ。マイルスがブルーにどちらの意味も持たせたのだとしたら、これはもうお手上げだが、しかしそれでは「勝手に翻訳家」の名が廃るので、あえてここは、憂鬱、を採りつつ青をも想起させる言葉を迎えよう。
 ズバリ意訳で、「クラウディ・ハート」、としようか。


by ichiro_ishikawa | 2010-04-22 18:57 | 音楽 | Comments(0)  

お笑い「さまぁ〜ずとサンドイッチマン」


 たまたまいい番組が始まっていても、こうしてYouTubeで見られるので、テレビがない生活に特に支障はない。さまぁ〜ずとサンドイッチマンは、吉本のすげえいい芸人らと違って、「俺ら分かってる」みたいなイヤミがないのがいい。2/3のつなぎの芸人も、初見だったが、いい。

※追加注:下の動画、削除されたので、コント部分のみ。スリムクラブ、いい。


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by ichiro_ishikawa | 2010-04-22 00:27 | 日々の泡 | Comments(0)  

詩「遠い君の家」


嘘っぱちのSOSで
やって来たのさ
遠い君の家
それでもいいんだ
会いたくなったら
嘘も本当も
嘘の本当の嘘の嘘さ
夜に話した二人だけの約束も
誰かに聞かれたら
笑われるラブコメディさ
眠らず走る車の音
夜が明けるまで
続くよ無駄話

by ichiro_ishikawa | 2010-04-20 02:08 | 音楽 | Comments(0)  

ベスト5「間奏ギター」


Le Jumpin' Route10 Bandのボーカル&ギター(末っ子気質)が自身のblogでのギター特集でなかなかいい選曲をしていたので、YouTubeで探してみた。

「I'm Mandy, Fly Me」10cc
(from『How Dare You』邦題:びっくり電話)


「You're So Great」Graham Coxson


「You Are a Light」Pavement


「Some Fantastic Place」Squeeze


以上、blogから抜粋。

俺のベスト・間奏ギターはこれ(日替わり)。
「Sympathy for the Devil」The Rolling Stones
2.52〜3.27。ギターはこのためだけに出て来て、大仕事をして去って行く。

基本的に、ソロでも単音弾きよりカッティング、ストロークがいい。

by ichiro_ishikawa | 2010-04-20 01:14 | 音楽 | Comments(0)