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カナ書き「ロックス・オフ」


『Exile on Main St.(メインストリートのならず者)』がすげえと昔から言ってるピーター・バラカンがミック・ジャガーの歌詞が聞き取れねえと言っていてホッとした。ネイティヴでも聞き取れねえミックの歌は、聞こえたままに、つまりミック風になぞるのが正しい。従って、まずは軽快なオープニング・トラック「Rocks Off」をカナにおこしてみんとす。



「Rocks Off」(Jagger / Richards)

アイ、エーユーツォーキン ウェナイモンザスツイー
I hear you talking when I'm on the street,

ヤ マウドンムーベッ アイケインヘイーユースイー
Your mouth don't move but I can hear you speak.

ワッツェマラウェアザボーイ
What's the matter with the boy?

ヒドンカマラーンノモー
He don't come around no more,

イズィチェキンナウフォショーオ
Is he checking out for sure?

イズィゴーナ コーザドーオンミー
Is he gonna close the door on me?

アイモーウェイズヒアウィ ヴォイソゾンザスツイー
I'm always hearing voices on the street,

アイウォントゥシャウ バッ アイケインホーディスピー
I want to shout, but I can't hardly speak.

アイワズメイキンラーディスナーア
I was making love last night

トゥイダンザフレンドマーアイン
To a dancer friend of mine.

アイキャンシーダステーインステッ
I can't seem to stay in step,

カーモッ ツァーイザッチ ペイロウ エンフォミー
'Cause she come ev'ry time that she pirouettes over me.

アイ(オンリーゲッジェモッ! オンリーゲッジェモッ!)ドゥリーイイイ(オンリーゲッジェモッ! ゲッジェモッ!)
And I only get my rocks off while I'm dreaming, (only get them off)

アッオンリーゲッマイ(オンリーゲッジェモッ!)ロックソフ ワイライ スリイーイイイピン
I only get my rocks off while I'm sleeping.

by ichiro_ishikawa | 2010-07-30 02:12 | 音楽 | Comments(0)  

ピックアップ「Stop Breakin' Down」


「Stop Breaking Down」Robert Johnson

from『Exile on Main St.』(1972)


from『The White Stripes』(1999)


Original Version (1937, Dallas)

by ichiro_ishikawa | 2010-07-28 00:43 | 音楽 | Comments(0)  

映画「ストーンズ・イン・エグザイル」


 「70年代初頭、僕らは若く、ハンサムで、愚かだった。いまは愚かなだけだけどね」
  ミック・ジャガー談(2010年、カンヌ)

 今年5月、カンヌ国際映画祭の監督週間で特別上映作品として上映された『ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実』、バウスシアターにて鑑賞。
 exileは、英語のカナ表記にうるさいピーター・バラカンによるとエクサイルらしく、劇中でもミックはエクサイルと言っていた。イギリス発音はおそらくエクサイルだな。そういやヴァン・モリスンも「トゥーロング・イン・エクサイル」と歌ってたな。バラカンガナで言えば「ハッピー」は「ハピ」、「モンキー・マン」は「マンキ・マン」。
 93%の所得税から逃れる為、1971年にフランスへ移ったローリング・ストーンズは『メイン・ストリートのならず者』(1972年リリース)を、南仏のキース・リチャーズの別荘で録音、LAでフィニッシュが行われたのだが、南仏、すげえいい。しかしビル・ワイマンはイギリスの紅茶を筆頭に、生活グッズの違いに不平ばかり言い、終始ホームシックで哀しそうだった。
 それにしても、この頃のミック・ジャガーは抜群に美しいな。
 ブルーズ、リズム&ブルーズ、カントリー、50sロックンロールと、米国南部のルーツ・ミュージック愛が素晴らしく感動的だった。ビル・ワイマンはイギリスが恋しそうだった。
 
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(C)Dominique Tarlé

by ichiro_ishikawa | 2010-07-25 01:52 | 音楽 | Comments(0)  

エセー「ロック部長」


 ふだん、基本、総理大臣的な、もっといえば神的な視点ですべてを見張っている俺は、企業の社長が働かないダメ社員にイラつくように、ドトールなどで昼の日中から数独(すうどく)などをやっている輩を見ると、この世からクビにしたくなるのだが、この猛暑の中、一億総ブタ野郎の監視などしていたら、それこそ優しさ紙芝居的な熱中症にでもなってしまうので、口をつぐんでじっとしている。
 画期的な「みんなの党」は、ボンクラ世襲議員や、どう考えても脳が天気なタレントなどには全く見向きもせず、在野の本当に有能なヤツを集めており、票獲得や与党取りなどの本末転倒なことより、あくまで政策ありき、アジェンダの一致を最優先に事を進めているところを俺は評価しているわけだが、江田さん、そろそろ俺をロック部長的なところでスカウトされたし。妙案アリ。

by ichiro_ishikawa | 2010-07-23 09:12 | 日々の泡 | Comments(2)  

感想「村上春樹インタビュー」


 新潮社の季刊総合誌『考える人』最新号に、編集長・松家仁之氏による村上春樹へのロング・インタビューが掲載されている。同誌の創刊者でもある松家氏は今回で編集長を退くとのことだが、彼の執筆しているメルマガはテーマが気が利いているばかりでなく非常に示唆に富む内容で、いつもうなりながら読んでいたので、非常に残念だ。
 文章というのは怖いもので、その人の全人格のきわめて重要なものを露呈する。こういう文章を書く人ならテーマの視点がいいし、掘り下げ方や何より信念が信用できる、などということが如実に分かる。たとえば、編集後記を読めばその雑誌が自分と合うかは一発で分かる。
 メディアに露出しない村上春樹がインタビューに応じたのも松家氏の人格への信頼というのがあったからだと察する。インタビューは二泊三日で行われたという。
 インタビューに応じることになった村上氏による返信、

 The author should be the last man to talk about his work.

 という、前提を確認するような前置きから、インタビュー記事は始まる。この言葉がとても重要だ。これがなかったら読まなかったとさえ言える。

 最新作『1Q84』が全盛期のジャンプ(1981〜83)並みに売れている村上春樹の人気の理由は、俺があれこれ言うまでも無く分かりきっていることだろうが、一つ言えば、熟読再読を要請しない、あの分かりやすさにある。それでいて、あの主人公のクールさタフさ、セリフまわしや洒落た比喩が、そして「何かを隠している」雰囲気が、漠然と何か深い思想を有している感を出しているから、「読書した」「文学に入った」恍惚感を読者に与える。純文学以下、Jブンガク以上という、プチ知的なサブカル好き大衆の心をつかむ絶妙な位置に君臨し続けている。
 だが、その「分かりやすさ」というものが曲者で、それはイージーということではない、ということが重要だ。月並みな言い方だが、ポップなのであろう。それは大衆的という意味ではなく、もっと創作における態度、技術に踏み込んだところの意味で、たとえば、難解でアバンギャルドなものよりもポップなものを作る方がハードでタフな精神力を要する、というポップである。シュガーコーティングでない、本質からくるポップだ。

 このインタビューでもまず遺憾なく発揮されていることは、説明のうまさ、分かりやすさだ。話の筋が論理的、比喩が上手い、ということもあろうし、それは小説でも顕著だが、それは瑣末なことだ。本質は、ものを徹底的に考えた末のギリギリの言葉だけを吐いているというシンプルさにある。つまり簡潔なのだ。
 冒頭に掲げた言葉通り、小説の内容や作者の意図というもの(これが一番つまらない)が明かされるわけでは必ずしもないが、作者の文学的教養、生活態度、趣味嗜好といったものが多く語られるとき、村上春樹という人間の底深さ、創造者としての理想や覚悟の座り具合を感じることが出来た。村上春樹が作品中に書かずに我慢していたものが見えたような気さえした。それはこれまでの作品の読みが甘かったということでもあろう。
 そのポップネス、思想の分かりやすさ、というところが隠してしまっている村上春樹の本質を見極めるのも、ヒマな俺にはいい時間つぶしになるやも知れない。現役バリバリの一流作家の書いた『1Q84』、文庫に入ったら買おうと思う。

by ichiro_ishikawa | 2010-07-21 23:30 | 文学 | Comments(0)  

エセー「国家と俺」


 齢40近くにもなるとどうやら国家のことを考えるようになるらしい。それもそのはず、野球選手やサッカー日本代表がすべててめえより年下になってしまったのみならず、そも世の大半は自分より年下、一方、年上は次々と耄碌、あるいはこの世を去っていく次第で、そうなるとやはり思索と経験豊富な年長者が引っ張るというのは自然のなり行きなのであろう。
 ロックミュージシャンが世界平和やエコ活動などを行うようになる例は古今東西あまたあるが、それは年を経て、地位と名声と金を得て創作意欲が減衰する一方、生活者として社会の一員としての目覚めが起こる故だろう。そのために音楽を使用するのは往生際が悪くどこか違和感を伴うけれど、さっぱり音楽を引退してそうした市民活動に従事するのは、これまた自然な成り行きだと思うわけである。俺は地位と名声と金はないけれど、やはりなんとなく国家のことを考えるようになってきているのは年齢的には当然のことなのやも知れぬ。

 国家のことを考えるのは、新聞を唯一の情報媒体として選択し、毎日熟読する習慣がついたこととも関連しているようだ。
 テレビがない生活をしていると、社会との接点は、媒体としては口コミとネットと新聞なわけだが、やはり新聞の情報というのはアテになる。広大な取材網を駆使して集めたニュース群の中から紙面に載せるべきものを厳選しているから、基本的には大事なことしか載っていないということがまずある。また、口コミに比せば、人間が話すことはリアルである一方、思慮が浅いことがしばしばだ。書き言葉は書くという行為がそも思索であるから、特に新聞ともなると、まず教養豊かな人間が書いている、かつ、思慮深い人間がチェックした上で発信されるわけだから、文章の質(文学とは別)は高いので読むに値する。
 ネットに比して言えば、これは読者が超不特定多数で、閲覧サイトによっては何でもアリな訳で、情報の量としては膨大も膨大、だが物理的に非常に制約のある人間という生物がそんな溢れんばかりの情報を必要とするはずも、また処理できるはずも無く、さらには、その文章が書き殴られる場合が多々あるという点からも、これらを能動的に検索して自分で取捨選択しつつ噛み砕く必要がある。つまり、実は異様なパワーを要するわけである。その点、与えられる情報の質がある程度保証され、編集がすでに成されているという点において、新聞は使い勝手がいいのであった。

 また、新聞だけ、と割り切れば、限られた情報を熟読玩味する方向に自ずと向うという効用もある。それに、紙媒体の利でもある「切り抜き」という行為が拍車をかける。
 切り抜きの一番の効用は、福田和也も言っているように、切り抜くためにはまずどれを切り抜くか熟読玩味する必要があるがゆえに、切り抜いた後にそれを読み返すことよりも、その前段階の熟読玩味、それ自体にある。つまり、切り抜くときにはその記事の内容は必然的にすでに自分の血肉になっているというわけだ。切り抜いたものを後で網羅的に閲覧する機会がよしんばあれば、思索がなお深まったり、違った視点が見えてきたりもするが、それはおまけのようなもので、自分の経験から言っても実はあまり読み返さない。万が一の保存資料的な位置に収まるのが常だ。
 さらに言えば(もういいよ)、新聞には識者、文化人のオピニオンやシリーズ連載があるから、短中期的に一トピックを追うことも出来るし、世のエリートが何をどう考えているかを知ることも出来る。それを鵜呑みにすることはもはやないけれど、最低限何がどう議論されているかを知ることは、思索のきっかけを与えてくれはするというものだ。
 同じような効用を持つものとしては週刊誌や総合誌があるが、やはり物理的制約からあまりあれこれ手を出しては、量的海におぼれてしまうのがオチだ。ひとつを信用してそこを狙い撃ちし続ける方がいいように思われる。それは、かつて1990年暗黒の浪人時代に、あれこれ参考書や問題集を手当たり次第にこなすより、ひとつの問題集を繰り返しやる方が効率的である、と悟った経験からも来ている真実だ。

 そんなこんなで唯一の情報ソースである新聞を熟読し続けて半年、国家のことをいろいろ考え、俺がそろそろなんかしなきゃな、という思いを強くしているのだが、昨今においては、「みんなの党」が実はいい、という発見があった。江田はいい。ついに現れたかもしれないな、という気がしている。彼の言う事や党の理念は、非常によろしい。国家のことは彼に任せておけば、俺が口出しするまでもない。ただ人間が変わることだけを見張ってようと思う。人の心なんてお天気で変わるからな。

 とはいえ、夏バテで、ジャズをうっすら流しながらボーッと昼寝ばかりしている39歳の盛夏。

by ichiro_ishikawa | 2010-07-21 20:50 | 文学 | Comments(0)  

エセー「年季と俺」


 俺は今やんごとなき事情により短歌の世界にいるが、短歌と一口に言っても1300年の伝統を誇る故、その世界は広く、実に深い。
 季語が不要な31文字の短詩型という型は、小説や随筆など他の文学ジャンルに比べ実作の敷居をぐんと低くさせてもいて、新聞歌壇の隆盛からも分かるように、一応は誰でも作れるその形式ゆえ、世に露出している作品の99%は文学とは程遠い、31文字の態をなした単なる標語、川柳であることは否めない。だが、その一方、一撃必殺の文学的破壊力を持つ、というのも確かな事実である。

 俺の住む世界は、その一撃必殺の文学的破壊力に賭けている歌人が住む文学世界であり、そうなると、それら人々と交渉するとは、つまり、てめえもそういう覚悟が必要で、かつ、実際の知識が要求される場に放り出されているという事である。この事実を前に、俺はある意味の不可能性を感じる。
 たとえば、これまでJ-ROCKやPOP、あるいはクラシックやジャズなどしか聴いていなかった人間が2、3年ロックを聴きだしたからと言って、「その筋の」人間と、まともな会話が成立するはずがない、ということを経験的に実感しているゆえ、40年、50年短歌と向かい合い続けた歌人と俺のような短歌歴半年の人間が、短歌についての会話を成立させられるはずがない。

 だが、そうもいっていられないという状況がある場合、ロックやジャズ、映画、はたまた小説や随筆、批評、詩といったてめえの得意ジャンルに鑑みて短歌を考えていくという方法はどうか。たとえば60年代の前衛短歌は70年代のパンクにその性質が近いと仮定できれば、パンクの成立過程やそのアティテュード、盛衰を見つめることが、前衛短歌の本質を明らかにする一助にはなるやもしれない。また短歌の「私、われ」の問題は、西洋の私小説、近代日本の私小説の問題と密接にリンクしている、というか根本は同一であるから、それを一助として、短歌の「私」問題にも入っていける、など、苦肉の策で、そういう対応をしている昨今だ。ただ、ジャンルが違えばそれぞれがそれぞれの微妙かつ複雑な暗部、秘密を有しているわけで、あくまで参考程度、我田引水になったり、分かったような気にならないようには気をつける必要がある。

 とはいえ、夏バテで、ジャズをうっすら流しながらボーッと昼寝ばかりしている39歳の盛夏。

by ichiro_ishikawa | 2010-07-21 19:22 | 文学 | Comments(0)  

激クール「ギル・エヴァンス」




La Nevada (Evans)
from The Album "Out Of The Cool" (1960)

The Gil Evans Orchestra
Piano: Gil Evans
Guitar: Ray Crawford
Bass: Ron Carter
Trombones: Keg Johnson, Jimmy Knepper
Bass Trombone: Tony Studd
Tuba: Bill Barber
Drums: Charli Persip & Elvin Jones
Trumpets: Johnny Coles & Phil Sunkel
Alto Sax, Flute & Piccolo: Ray Beckenstein
Tenor & Soprano Saxes: Budd Johnson
Bassoon, Flute & Piccolo: Bob Tricarico

by ichiro_ishikawa | 2010-07-20 00:26 | 音楽 | Comments(0)  

名唱「ソウルシンガーベスト5」

基準はハイトーンの太さとざらつき。

鈴木雅之
RATS & STAR 「What's Going On」1985年(cover マーヴィン・ゲイ)


忌野清志郎
RCサクセション「君が僕を知ってる」1980年(Kiyoshiro & Chabo 1994年バージョン)


氷室京介
BOφWY「Only You」1986年


大沢誉志幸
「そして僕は途方に暮れる」1985年

by ichiro_ishikawa | 2010-07-19 21:49 | 音楽 | Comments(0)  

写真「生と死」

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by ichiro_ishikawa | 2010-07-16 01:28 | 日々の泡 | Comments(1)