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発見「レッドベリーを語る」


 ブライアン・フェリーとナイル・ロジャースがレッドベリーについて語っている貴重な動画を発見。


by ichiro_ishikawa | 2010-09-24 00:24 | 音楽 | Comments(0)  

ミッドナイト論考「本はなくならない」


 本が売れなくなった、これからは電子だ、としたり顔でぶっている出版関係者がよくいるが、そういうのは大抵、出版でなくてもテレビでもレコード会社、広告でも「業界」なら何処でもよかった、80年代就職組(40半ば〜50代前半)、つまりバカだ。そも、自分が読書人でないから、本への愛着はないし、本の価値がわからないので売れるか売れないかでしかその価値を測れない。
 本が売れないのは、あくまで相対的な話で、いつの時代も一定の読書人はいるのだし、そも、その総数は、学校のクラスでひとりか二人しか本を読んでいるやつはいなかったように、極めて少ない。だが、そういう人の読書欲というのは衰えを知らないから、常に一定数の本は、それが「価値」がある限り、売れているのだ。実売数が減ったのは(例えば80年代、文庫は初版4万スタートだったらしいが今は数千)、読書人ではない浮動票があっただけで、それを常態としたビジネスモデルを組んでしまっている大手出版社は、この不況で右往左往してしまうのだ。本を読む人は、クラスでひとりか二人という、原点を見つめれば、本なんて1000〜2000部しか売れない。つまりビジネスにするには、人件費を筆頭に原価をギリギリまで削ぎ落とした小さな精鋭集団でやるしかない。金を儲けたい人は、もっと別の仕事をやればいいのになぜか、読書人でない出版人に限って出版人を自負してその椅子にしがみついているから不思議である。
 本の出版は文化事業で、人格を陶冶する本当に価値あるものを作る審美眼と信念が必要で、さらに意欲的ならば、クラスでクラスでひとりか二人の本読みの絶対数を、その価値の絶対において増やそうとする、志と熱意に負う所がすべてだ。そうした読書人は、生活のために本を読むのではないので、消費者ではなく、本も本質的には商品ではない、という事実をきちんと捉えられている人だけが出版を支えることができる。もちろん本を作って、世に宣伝、頒布、そして著者に継続・集中的に執筆に専念してもらうためには資金が必要だから、本は売れなければならないが、売れる唯一の理由はその内容の価値なので、まず売れる内容を考える、というのは順序が逆、何より価値ある内容のものを作る、ということが、まず第一に考えられなければいけないのだ。極端に言えば、価値あるものを作って世に出せれば、あとはどうでもいい、という潔さ。一定の読書人は間違いなく買うのである。ただ、この間違いなく買う、という確信は、作り手がやはり同じ読書人でなければ得られないものなので、それは、結局、「てめえが読みたいものを作る」ことに尽きるのであった。

 電子書籍を買う人には、読書人もそうでない人もいるだろうが、本を買う人は、いよいよ読書人だけになるだろう。つまり正常に戻る。そう考えた方がいい。電子書籍は漫画やライトノベルは繁盛するだろうが、文学のようなものは絶対に発展しない。ただ読書人でなくとも本に接する人の数自体は増えるから、そこに勝機が見えよう。つまり読書人向けの本は、電子版を宣伝ツールと見なすのが正解だ。無料で全文、ばしばし電子化した方がいい。目に触れる機会をひたすら多くする。「価値」あるものは、必ず再読を要請するから、それは手に触れられる物質としての本へと必ずや導かれる。これまでと宣伝方法ががらりと変わる機なのだ。電子書籍は本の代価品ではなく、宣伝ビラの様な性質ものだ。しつこいようだが、一定の読書人は不滅で、彼ら彼女らは宣伝されようがされまいが、各々の読書歴が誇る嗅覚で嗅ぎ付け、売れていようが売れていまいが、やはりそれぞれの読書歴が保証する信念に基づいて購読する。電子書籍は潜在的な読書人を掘り起こし、真の読書人を生み出す機会である。つまり、出版の革命というより、宣伝の革命である。どう考えても、読書環境にとって追い風なのである。
 最後に言っておくが、読書人は、紙の本への愛着がマジハンパねえ。次回、本のすげさを、その精神的威力と紙の本という形態の秀逸さの2点から、くだまく。

by ichiro_ishikawa | 2010-09-23 23:35 | 文学 | Comments(0)  

超貴重「1936-37年のハイチ音楽集」

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Alan Lomax in Haiti (W/Book)
Various Artists


 みすず書房から3年前に翻訳が上梓された『アラン・ローマックス選集 アメリカン・ルーツ・ミュージックの探究1934-1997』によると、1936年12月からアラン・ローマックスは、ハイチへ音楽収集の旅に出ているのだが、その時に収集した50時間に及ぶフィールド・レコーディングの音源が、10枚組BOXで発売されることになったので、円高に乗じて、通常16,492円のところ、AMAZONマーケットプレイスにて同じ新品を11,499円でゲットン。到着は10月予定。

 アラン・ローマックス(Alan Lomax 1915-2002)は、ルーツ・ミュージック研究家で、アメリカ・ポピュラー音楽史における最重要人物。アメリカのフォークソングを中心に膨大な量の貴重な音楽を記録・保存してきた。1930年代から、父ジョン・ローマックスと共に米国内各地を旅行し、フォーク、ブルース、ジャズなど、ジャンルを問わず民俗音楽の発掘・収集を続けた。アランは、レッドベリーのデビューに立ち会い、ピート・シーガー、ウディ・ガスリーの活動を支え、ジェリー・ロール・モートンを熱意を込めて録音した。彼とハリー・スミスの仕事なくして、ディラン、ストーンズ、ビートルズは生まれなかった。(参考:みすず書房HP

 本作は、布張りの豪華BOXの中に、SPアルバム風に仕立てられたケースにCD10枚が収められ、168ページに及ぶハードカバーの解説書の他、アランが書き残した200ページの調査日記に、調査当時にアランが使っていたハイチの地図、さらに写真2枚が封入され、総重量1.9kgだという。
 10枚のCDは、録音調査順に分類・整理され、都会のポピュラーソングから田舎のワークソング、さらにはヴードゥー儀式とディープな世界に入って行く。disc 1はクラリネット、バンジョーを擁した2つのメラング楽団の演奏のほか、クラシック・ピアニストによるヴードゥー曲の演奏、ヴードゥー司祭の歌などを収録。Disc 2はキューバのソンの影響色強いトルバドール。Disc 3はマルディグラのカーニバル音楽。Disc 4はララの音楽。Disc 5は子供たちによる無伴奏コーラスの遊び歌集。また、ララの楽団が行進するカラー映像を含む10分16秒の記録映像も収められている。Disc 6はフランス起源のロマンス(バラッド)、カンティック(賛美歌)、コントラダンス。Disc 7は女性歌手が歌うハイチ伝承歌集。Disc 8はヴードゥーで歌われる歌とカトリックの賛美歌。Disc 9はコンビットと呼ばれる農民のワークソング。Disc 10はヴードゥー儀式の録音。ヨーロッパとアフリカとカリブ周辺国の音楽がつづれ織りになった、ハイチ音楽の多様なクレオール性が堪能できる。(参考・引用:「レコードコレクターズ10月号」)

by ichiro_ishikawa | 2010-09-23 19:20 | 音楽 | Comments(0)  

ローリングサンダーレヴュー「『SIDE B』SIDE A」


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最初に言っておくと、このアルバムはアナログ盤で聴くとそのすげさがグンバツに上がる。おそらく20年後にこの限定アナログ盤は10万で取り引きされる事になるから、将来なんかあった時のために10枚持っておけば100万になるっていう寸法だ(経済通)。

Aー1 「好事魔」
 アルバムの1曲目という場所は、ジャケットと共に、その作品のイメージをバシッと決めてしまう、極めて重要なポジションであることは言わずもがなだが、『リサイクル』の「世紀の楽団」、『できました』の「こんにちは」、『4』の「Friday Night エビフライ」、『スゲバンバ』の「JUST MOMENT PLEASE 」、『ジェントルマン』の「ロックンロール」、『十』の「明るい表通りで」、とバンバンバザールは、そのポジショニングにおいてことごとく成功を収めてきた。これはつかみの難しさを体で熟知している百戦錬磨のライブ・バンドならではでもあるし、曲作りは無論、企画宣伝業務から野外ライブで使う鍋の買い出しまで、バンバンバザール運営のための会社経営的事務処理すべてをバンド自らがこなすDIYな戦略家気質も一役買っているが、何よりも、古今東西数多の名盤を聴き倒してきたプロ・リスナーとしての嗅覚こそが、なせるワザであろう。
 「根が明るいもんで、これまでマイナーキーの曲を作ったことがない」と、いつか福島康之は言っていたが、パーッと幕が開いたワクワク、ドキドキの度合いがいつにもましてものすごいことになっているのが、このオープニング・トラックだ。
 「好事魔」。このトランペットのイントロ! その後ろでドン、ドン、シャカシャカなっているドラム! それに次いで流れてくるギター! そしてピアノ! ドラム with ペットの間の手! とソロ回し的フィーチャリング各楽器が転がりまくったあと、満を持して入る歌が、「好事魔、好事魔、好事魔…」。最高だ。この瞬間、このアルバムが傑作であることが既に保証されてしまう。
 「だから心配しなくていいぜ、こんな最低な夜にゃよ」。「好事」でないから、「魔」が「差すはずがないぜ」。とてつもなく、かっこいいフレーズ。「夜にゃよ」が福島節。おお、好事魔…好事魔…。ここ数ヶ月耳にこびりついて、離れない。挨拶代わりに「おお、好事魔」と言う小学生が増殖中というのもうなずける。クラスの小島は、しっかり「俺のテーマ」に認定してしまってはばからない。
 歌はこの短いワン・パラグラフでおしまい、ビシッとワンレーズのみ、というのがまたかっこ良く、アウトロはペット、そしてドラム・フィーチャーで終わる。音楽が全世界を包み込む、とんでもないアルバムの始まり、ってわけだ。

Aー2「情熱のありか」
 そんな小粋なオープニングに続いて、いきなりの普遍の名曲である。2曲目にこの手の名曲を配置するのもバンバンの手だ。『4』の「夏だったのかなぁ」、『スゲバンバ』の「さよならと言ってくれ」、然り。ピアノのイントロがいい。こういう良質のポップソングがかけるところが、数多のジャグバンド、ブルーズバンド、ジャズバンドと一線を画す。
 とまれ、この1、2曲目のワン・ツーで、もう「Rolling Stone」誌の「Album of the year」が確定した。

Aー3「フジヤマ」
 と思ったら、それよりすげえ曲が次々と出てくることになろうとは誰が思いますか!? これはPVも出来ている旅バンドならではの超秀逸な叙景/抒情歌。激・名曲。気張らない牧歌的なリラックスムードで進展する中、1番のブリッジ「浪裏には船が揺れて」で、失禁は免れない。異様な緊張感から変な汗が出てくる。このゆとりある雰囲気の中、哀しみが……。これはおそらく無常観、ってやつか。極めつけは、2番のサビ「僕の心はどこにあるの」の、歌詞カードにはないケツの「の」。海賊版『カバーデイル・デヴィッド』の最後に収録されているアクースティック・バージョンでも、きっちり「の」が入っているところをみると、意図的だ。ちなみにそのアクースティック・バージョン、イントロの、おそらく福島康之によるアルペジオが、ものすげえヤバい。

A−4「快速エアポート」
 まさか、である。すわ、このレコードは、曲を追えば追うほど、よりすげえ曲が出てくるっていうのか!? A−4という、野球で言う7番ぐらいの比較的地味な位置に配されたこの曲が、何を隠そう今作ナンバーワンだ。イントロのギター、低音の歌い出しがヤバすぎる。「窓の水滴が君の頬を流れていたんだ」のブリッジ。そして、「エアポート 快速でお願い」。かなり地味な曲とも言えようが、既に200回は聴いているというのに一向に飽きることない、「最高のB面感」が、ここにはある。この曲によって、「Rolling Stone」誌の特集「The All Time Best Album」で、ビートルズやストーンズやディランやレイ・チャールズと肩を並べることになった。

A−5「ブルーシャドウ」
 あまり名曲を連発してしまってはベスト盤になってしまうので、ここで少し緩急をつけてきた。とはいえ曲のクオリティは衰えない。非常にムーディーな佳曲だ。森と泉にかこまれたジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ 」を意識しつつ、「A Whiter Shade of Pale」の邦題「青い影」を逆英訳した秀逸なタイトル。「アルテミスの馬車が 横切る交差点」、「あの角を曲がると もうすぐ見えてくる 君の寝息も浮かぶ灯り 我が家」といった歌詞のすげさ。「番犬のいびきも 聞こえそうな夜です」の比喩、「月の光」と「月に雁」のふざけたライミング。素晴らしい…。

A−6「奥様 どうぞご勝手に」
 『十』の「浮かれたオートモービル」で開発された、黒川修のメタボ・セクシャルなボーカルをフィーチャーしたアクセント曲。「と〜き」「か〜い」「けれど〜」という文字では全く伝えようがない、黒川修の天才的節回しがものすげえ。。白眉は2番の出だし「っどこかはぁあ!」だ。
 それにしても、浮き出てしまうのが、黒川修の裏でにやけながら糸を引いているプロデューサー福島康之である。「浮かれたオートモービル」もそうだが、完璧な歌詞のフレーズ、構成、物語、オチ……完璧なプロデュース。「信じ難いね」「つがいになった」という表現センス、「恋はアモーレ 食事はマンジャーレ 歌はカンターレ」、そして「鳴らせファンファーレ」。プロのワザだ……。「奥様 どうぞご勝手に」という、男尊女卑的な思想を宿しつつの紳士的、謙譲的な別れ際のカッコ良さも、福島節といえる。
 そんなこんなで、「あー笑った…」と言って、レコードをひっくり返すと……。
 驚くべき、信じられないことが、まさか、起こるのであった……!!

 to be continued......

by ichiro_ishikawa | 2010-09-14 02:13 | 音楽 | Comments(0)  

CD発売「ブルームーンカルテット」


 ブルームーンカルテットのCDが出ていることが、バンバンバザールのギタリスト、富やんこと富永寛之のブログ「聞きっぱなし 言いっぱなし 食べっぱなし」にて発覚。

ブルームーンカルテット「シーズン1」(フェルトケース入り)
8曲収録 定価1,500円
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「チャンクロ(黒川修/ベース)が腰痛と戦いながら車や電車の中でノートパソコンで仕上げた盤面」がふるっている。「アジア圏ならではのヤリ口」が、非常に気に入っているという。バンバンバザール周辺は、細部のシャレがいちいち秀逸だ。

ブルームーンカルテットとは、black bottom brass band と ban ban bazar の自称スタープレーヤーで結成された軽音楽カルテット。古今東西のスタンダードからオリジナルまで粋で酒脱に聴かせる。2008年結成、以後マイペースながらもライブを続けている。

 普通、こういうプロフィールを書く際は、こちらの文体と文意に沿って適宜編集を施すのだが、ことバンバンバザール周辺に限っては、文の表現がいちいち秀逸なので、まま転載した方がクオリティが高い、という事態になる。以前、当ブロムで「バンバンバザール富永寛之は文もすげえ」ことに触れたが、この富永寛之ブログも、更新頻度と文字量がマジハンパねえ。富やんは、何かをきちんと伝えたい性分で、文書き好きなのだろう。文の端々からは文書きに対する一種のリスペクトも感じられる。内容も当然読ませるウィットに富みまくっていて、余技とはいえかなり高レベル。ギターも文もすげえとは、どういうことなのか。

by ichiro_ishikawa | 2010-09-13 13:12 | 音楽 | Comments(0)  

名曲喫茶「そして僕は途方に暮れる」


「そして僕は途方に暮れる」大沢誉志幸
作詞:銀色夏生 作曲:大沢誉志幸
(1984年9月21日発売/EPIC RECORDS)

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見慣れない服を着た
君が今 出ていった
髪形を整え
テーブルの上も そのままに

ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてに すればいい

そして僕は 途方に暮れる

ふざけあったあのリムジン
遠くなる 君の手で
やさしくなれずに 離れられずに
思いが残る

もうすぐ雨のハイウェイ
輝いた季節は
君の瞳に何を うつすのか

そして僕は 途方に暮れる

あの頃の君の笑顔で この部屋は
みたされていく
窓を曇らせたのは なぜ

君の選んだことだから
きっと 大丈夫さ
君が心に決めたことだから

そして僕は 途方に暮れる

見慣れない服を着た
君が今 出ていった

by ichiro_ishikawa | 2010-09-13 00:33 | 音楽 | Comments(0)  

考えるヒント「街場のメディア論」


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 小林秀雄賞作家、内田樹の「街場のメディア論」(光文社新書474)がいい。
 メディアの本質論だ。速報性、情報の信頼性、ソースへのアクセシビリティ、情報に対する代価の適切性、情報処理に必要とされる端末機材の価格・ポータビリティ・操作の容易さなどの副次的な問題と、本質的な問題が明確に意識されているところが信頼できる。

 「潜在能力が爆発的に開花するのは、自分のためというよりは、むしろ自分に向かって『この仕事をしてもらいたい』と懇請してくる他者の切迫」、「『世のため、人のため』に仕事をするとどんどん才能が開花し、『自分ひとりのため』に仕事をしていると、あまりぱっとしたことは起こらない」という、仕事論から始まり、「知性の不調」「技巧化されたイノセンス」の醜悪、「最終的な責任を引き受ける生身の個人」の不在、といった諸問題への自覚が希薄なことから来る「マスメディアの凋落」、それとの関連で、「消費者的デマンドには一切配慮しない」ミドルメディア(blog等)の利点、役割、そして、「インターネットとメディア」「著作権」「書物は存続するのか」という問題への本質的な考えを平明に(もとは神戸女学院大学の2年生にむけた講義がベース)書き綴っている。

 書籍出版を中心にした論だが、出版に限らず、音楽や映画といった「本質的には商品ではないもの」を作る活動に関わっている人すべてに目から鱗な文章である。
 以下、適宜編集した上で抜粋(見出しは俺)


メディアの価値

 メディアの威信を最終的に担保するのは、それが発信する「知的な価値」です。「その情報にアクセスすることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」。それによってメディアの価値は最終的には決定される。


電子書籍の真の優位性

 電子書籍が読者に提供するメリットの最大のものは「紙ベースの出版ビジネスでは利益が出ない本」を再びリーダブルな状態に甦らせたことです。絶版本、稀覯本、所蔵している図書館まで足を運ばなければ閲覧できなかった本、紙の劣化が著しく一般読者には閲覧が許可されなかった本、そういった「読者が読みたかったけれど、読むことの難しかった本」へのアクセシビリティを飛躍的に高めたことです。

 読者は「採算ラインを超える数に達しない限り、存在しないものとして扱われる」というルールを僕たちはずっと黙って受け入れてきた。けれども、電子図書サービスは「読む人が現時的にいようがいまいが、いつかアクセスしたい人が出てきた時にすぐにアクセスできるようなシステム」を作り上げました。これまで読者として認知されなかった人たちを読者として認知したこと、それこそが電子書籍の最大の功績だと僕は思います。そこにはたしかに読者に対するレスペクトが示されている。

 電子書籍と紙ベース書籍の最大の違いは、電子書籍は、読者が本を読むことから受ける利益を、それ以外の関係者たちの利益よりも優先的に配慮しているということです。
 

著作権の本質

 僕はネットで公開した自分のテクストについては「著作権放棄」を宣言しています。それは僕に取って書く事の目的が「生計を立てること」ではなく、「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」だからです。物書く人間がそれで安定的に生計を立てようと望むなら、まずなすべきことは、ひとりも漏らさない課金システムをつくりだすことではなく、ひとりでも多くの読者を得ることだと思うからです。
 著作権というものが自存するわけではない。それに価値を賦与するのは読者や聴衆や観客のほうです。紙やCDや電子パルスやフィルムそのものに価値が内在するわけではありません。あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。「ありがとう」という言葉が口にされて、そのときはじめて、その作品には「価値」が先行的に内在していたという物語が出来上がる。


相手は「消費者」ではなく「読書人」

 僕たちは全員が、例外なしに、「無償の読者」としてその読書歴を開始します。そして長い「無償の読書経験」の果てに、ついに自分のお金を出して本を買うという心ときめく瞬間に出会います。その本を僕たちは自分の本棚にそっと置きます。

 電子書籍を基盤とするビジネスモデルについて、僕は楽観的ではありません。このビジネスモデルは、僕の直感では、本をあまり読まない人間が設計したものです。本をアンパンのように「ときどき欲しくなるもの」というふうにしかとらえていない人間が考案したものです。
 出版文化がまず照準すべき相手は「消費者」ではなく、「読書人」です。書物との深く、複雑な欲望の関係のうちに絡めとられている人々です。出版人たちが既得権を守りたいとほんとうに望んでいるなら、この読書人をどうやって継続的に形成すべきか、それを最優先的に配慮すべきだろうと思います。
 それは「選書と配架にアイデンティティをかける人」の絶対数を増やすことです。この「読書人」たちの絶対数を広げれば広げるほど、リテラシーの高い読み手、書物に高額を投じることを惜しまない人々が登場してくる可能性が高まる。単純な理屈です。図書館の意義もわかる、専業作家に経済的保証が必要であることもわかる、著作権を保護することの大切さもわかる、著作権がときに書物の価値を損なうリスクもわかる、すべてをきちんとわかっていて、出版文化を支えねばならないと本気で思う大人の読書人たちが数百万、数千万単位で存在することが、その国の出版文化の要件です。
 そのような集団を確保するために何をすべきなのか、僕たちはそのことから考えはじめるべきでしょう。

by ichiro_ishikawa | 2010-09-12 22:32 | 文学 | Comments(0)  

特集「スコセッシが影響を受けたギャング映画」


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 アメリカのニュースサイト「The Daily Beast」 に、マーティン・スコセッシが「若く、何かを吸収しようと敏感だった頃に観た、てめえのキャリアに最も影響を与えたギャング映画たち」を書いているので、以下、全文転載する。

Scorsese's Favorite Gangster Movies
by Martin Scorsese


Here are 15 gangster pictures that had a profound effect on me and the way I thought about crime and how to portray it on film. They excited me, provoked me, and in one way or another, they had the ring of truth.
I stopped before the ‘70s because we’re talking about influence here, and I was looking at movies in a different way after I started making my own pictures. There are many gangster films I’ve admired in the last 40 years—Performance, the Godfather saga, Leone’s Once Upon a Time in America, The Long Good Friday, Sexy Beast, John Woo’s Hong Kong films.
The films below I saw when I was young, open, impressionable.


The Public Enemy (1931)
The shocking, blunt brutality; the energy of Cagney in his first starring role; the striking use of popular music (the song “I’m Forever Blowing Bubbles”)—this picture led the way for all of us.

Scarface (1932)
[Howard] Hawks’ film is so fast, so fluid, so funny, and so excitingly expressionistic. The audacity of it is amazing. It was finished by 1930, but it was so violent that it was held up by the censors.

Blood Money (1933)
Rowland Brown, a largely forgotten figure, made three tough, sardonic movies in the early ‘30s, each one very knowledgeable about city politics, corruption, the coziness between cops and criminals. This is my favorite. The ending is unforgettable.

The Roaring Twenties (1939)
In 1939, Raoul Walsh and Mark Hellinger’s classic was seen as a sendoff to the gangster genre, which seemed to have run its course. But it’s more than that. Much more. It plays like a journal of the life of a typical gangster of the period, and it covers so much ground, from the battlefields of France to the beer halls to the nightclubs, the boats that brought in the liquor, the aftermath of Prohibition, the whole rise and fall of ‘20s gangsterdom, that it achieves a very special epic scale—really, it was the template for GoodFellas and Casino. It also has one of the great movie endings.

Force of Evil (1948)
John Garfield is the mob lawyer, Thomas Gomez is his brother, a numbers runner who’s loyal to his customers and his employees. The conflict is elemental—money vs. family—and the interactions between the brothers are shattering. The only gangster picture ever done in blank verse, by Abraham Polonsky. Truthfully, it had as great an impact on me as Citizen Kane or On the Waterfront.

White Heat (1949)
Cagney and Walsh bit into this movie about a psychopathic gangster with a mother fixation as if they’d just abandoned a hunger strike. They intentionally pursued the madness of Cagney’s Cody Jarrett, a psychopathic gang leader with a mother complex. The level of ferocity and sustained energy is breathtaking, and it all comes to a head in the scene where Cagney goes berserk in the dining hall… which never fails to surprise me.

Night and the City (1950)
Desperation, no holds barred. We all loved and admired Richard Widmark from his first appearance in Kiss of Death, but his performance as Harry Fabian marked us forever. As did the rest of this hair-raising picture set in post-war London, the first made by Jules Dassin after he escaped the blacklist.

Touchez pas au Grisbi (1954)
Jacques Becker, who had worked as Jean Renoir’s assistant, made this picture with Jean Gabin, about an aging mobster who is forced out of retirement to save his old partner. The style is elegant and understated, the aura of weariness and mortality extremely powerful.

The Phenix City Story (1955)
A completely unsentimental picture by Phil Karlson that closely follows the true story of wholesale corruption, intimidation, racism, and terrifying brutality in the once-notorious town of Phenix City, Alabama—where it was shot on location… in 10 days! Fast, furious, and unflinching.

Pete Kelly's Blues (1955)
A beautifully made picture, in glorious color and Scope, directed by and starring Jack Webb as a cornet player in the ‘20s whose professional life is infiltrated and turned inside out by a Kansas City gangster (Edmund O’Brien). This kind of situation happened over and over again in the big-band years and later during the doo-wop era. It’s also at the center of Love Me or Leave Me, another tough Scope musical made around the same time.

Murder by Contract (1958)
A highly unusual, spare, elemental picture made on a low budget by Irving Lerner—a lesson in moviemaking. It’s about a hired gunman (Vince Edwards), and it’s from his point of view. The scenes where he’s alone in his apartment preparing for a hit were very much on my mind when we made Taxi Driver, and we studied the haunting guitar score and its role in the action when we were working on the music for The Departed with Howard Shore. For me, an inspiration.

Al Capone (1959)
This sharp, spare low-budget film by Richard Wilson, one of Orson Welles’ closest collaborators, deserves to be better known. Rod Steiger is brilliant as Capone—charming, boorish, brutal, ambitious. There’s not a trace of sentimentality. Wilson also made another striking crime film, Pay or Die, about the Black Hand in Little Italy right after the turn of the century.

Le Doulos (1962)
The French master Jean-Pierre Melville, a close student of American moviemaking, made a series of genuinely great, extremely elegant, intricate, and lovingly crafted gangster pictures, in which criminals and cops stick to a code of honor like knights in the age of chivalry. This is one of the best, and it might be my personal favorite.

Mafioso (1962)
A transplanted northerner living up north with his wife and family (the great Alberto Sordi) goes home to Sicily, and little by little, gets sucked back into the old loyalties, blood ties, and obligations. It starts as a broad comedy. It gradually becomes darker and darker… and darker, and by the end you’ll find the laughs catching in your throat. One of the best films ever made about Sicily.

Point Blank (1967)
This was one of the first movies that really took the storytelling innovations of the French New Wave—the shock cuts, the flash-forwards, the abstraction—and applied them to the crime genre. Lee Marvin is Walker, the man who may or may not be dreaming, but who is looking for vengeance on his old partner and his former wife. Like Burt Lancaster in the 1948 I Walk Alone, another favorite, he can’t get his money when he comes out of jail and enters a brave new corporate world. John Boorman’s picture re-set the gangster picture on a then-modern wavelength. It gave us a sense of how the genre could pulse with the energy of a new era.

by ichiro_ishikawa | 2010-09-12 21:41 | 映画 | Comments(3)  

報告「聲のライブラリー」


第62回 聲のライブラリー
(文=Haru Sumiya/文責=ロックンロール・ブック2)


 日 時 2010年9月11日(土) 2:00~4:00
 会 場 日本近代文学館
 出席者 永田和宏(歌人・細胞生物学者)
     野谷文昭(ラテンアメリカ文学研究者、翻訳家)
     稲葉真弓(作家・詩人)
 司 会 樋口 覚


 永田先生は、「今日は妻(河野裕子)の歌を朗読します」と、歌、エッセイを20分間朗読。
 短歌の朗読は、初めて。「短歌は、朗々と節つけるのは何か恥ずかしいな。だから浪々と節はつけず、自然に読みたい」。
 途中で、何度も声を詰まらせながら、泣きながら読まれました。歌人、短歌はこんなにも、裸の自分を見せることなのかと改めて気がつかされる時間でした。
「永田さんと出会ってなかったら、私はね、もう若い時に死んでいたのよ」と2ヶ月前に河野先生から聞いた言葉をまた思い出しました。

 「私が死んだらあなたは風呂で溺死する」そうだろう酒に溺れて
 白梅はあちらこちらと見えながら病後のひとの歩幅はかなし
 君よりもわれに不安の深きこと言うべくもなく二年がこえる


 以下は死の前日に河野先生が詠われた歌。河野先生が口で話したことを永田先生が原稿用紙にうつしたのだそうです。

 あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひのこすことの何ぞ少なき
 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が


 朗読のあと、座談会。学問の根底、学ぶことの根底が「愛」なんだということに気がつかせてもらいました。
 以下、永田先生の言葉。

「一人の人間のなかにある遺伝子を全て伸ばせば、地球と太陽を往復できるくらいの長さ。一人ですよ!! 人間みんなが太陽と地球を往復できちゃうような距離と同じ長さを遺伝子を持っているんです。すごいでしょ。それ知ってたらなあ、殺人も自殺もいじめも起きないちゃうんかなあって思うんですよ。これは子どもたちに一番教えてあげたいこと。」

「昔、藤原俊成の『古来風体抄』読んで感動したことがあって。俊成はね、日本人が桜を美しいというのは、桜そのものを愛でているのではなくて、桜を詠った歌を日本人が蓄積しているから桜を美しいというと書いてるんです。なるほどと思いましたね、これを読んだとき何だか新しく見えてくることがありましたね。」

by ichiro_ishikawa | 2010-09-12 16:38 | 文学 | Comments(0)  

早くも流出「『SIDE B』別バージョン」


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『SIDE B』の興奮、いまだ全く冷めやらぬ中、「情熱のありか」別テイク(デモ?)、「Bell Desk Blues」ライヴヴァージョン、「ブルーシャドウ」ライヴヴァージョン、「さらば花よ」ライヴヴァージョン、「フジヤマ」別テイク(テンポ早めアクースティック)などを収めた海賊盤『スネイクホワイト』がすでに流出している。これら『SIDE B』の新曲群のバージョン違いが堪能できる素晴らしさと、既発曲では、「Friday Night エビフライ」での全編でべろべろに歌いまくる富やんギターがものすげえ事(他曲でもライブバージョンは例外なく爆発しているが)、「ちょっとだけブギ」でのエルヴィス・タイム(客にも強要)がとんでもねえ事を、取り急ぎ特筆しておく。

by ichiro_ishikawa | 2010-09-11 14:37 | 音楽 | Comments(0)