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Nirvana ベスト5

Nirvanaは、ニルヴァーナでなくナヴァーナと発音する。

Come As You Are



All Apologies



Breed



Heart-Shaped Box



Lithium



In Bloom



Smells Like Teen Spirit



The Man Who Sold The World (David Bowie)



Rape Me



Pennyroyal Tea




by ichiro_ishikawa | 2016-02-21 18:46 | 音楽 | Comments(0)  

Julie Electroのロック10選



Sonic Youth
Teenage Riot
1988



The Rolling Stones
You Can't Always Get What You Want
1969



R.E.M.
It's The End Of The World
1987



The Smiths
There Is A Light That Never Goes Out
1986



Velvet Underground
Pale Blue Eyes
1972



Television
Marquee Moon
1977



Billy Bragg
Greetings To The New Brunette
1986



R.E.M.
Sitting Still
1984



The Byrds
Mr. Tambourine Man
1965



Julian Cope
World Shut Your Mouth
1986



selected by Takashi Kobayashi in 1997



by ichiro_ishikawa | 2016-02-21 18:14 | 音楽 | Comments(0)  

長渕剛 1988-1993


『LICENSE』(1987年)で完成を見、ポップシーンで頂点に立った長渕の1988〜1993年は、パブリックイメージ的にはヤクザ期、セールス的には安定的ビッグヒット連発期。その内実は「今に見てろよ〜」から「そ〜ら見やがれ」へ、世間への復讐完了期。泣いてチンピラがヤクザに昇格し、かつ政官財からも一目置かれる組長に。『LICENSE』までに見られたヒリヒリ感はないが、それでもこの『昭和』〜『Captain Of The Ship』期の楽曲のクオリティは、相当高い。
95年以降は誰も文句が言えなくなり、家庭教師やラーメン屋、定食屋の雇われ店長的、はたまた組に裏切られる義理人情が踏みにじられたヤクザといった市井からのメッセージが、社会的地位を確立した上からのメッセージにと立場をかあ、個が結果として普遍へと結実していたのが、ハナから普遍へと踏み込むような作風になっていく。


とんぼ
 1988年「夜のヒットスタジオ」(32歳)より
(シングル1988年10月26日 → included in 『昭和』1989年3月25日)



激愛 1989年3月8日「夜のヒットスタジオ」(32歳)より
(シングル1989年2月8日 → included in 『昭和』1989年3月25日)




しょっぱい三日月の夜 1989年12月13日「夜のヒットスタジオ」(33歳)より
(シングル1989年12月8日 → included in 『Jeep』1990年8月25日)



お家へかえろう 1990年2月28日「夜のヒットスタジオ」(33歳)より
(included in 『Jeep』1990年8月25日)



JEEP 1990年7月25日「夜のヒットスタジオ」(33歳)より
(シングル1990年7月25日 → included in 『Jeep』1990年8月25日)





親知らず 1990年12月31日「紅白歌合戦」(34歳)より
(included in 『Japan』1991年12月14日)



しゃぼん玉 カラス LIVE FROM ’90 – ’91 JEEP TOURより
(シングル1991年10月25日 → included in 『Japan』1991年12月14日)




巡恋歌'92 1990年7月25日「夜のヒットスタジオ」(33歳)より
(シングル1992年10月28日)



RUN
(シングル1993年9月22日 → included in 『Captain of the Ship』1993年11月1日)





by ichiro_ishikawa | 2016-02-21 10:00 | 音楽 | Comments(0)  

BOØWY幻のスタジオアルバム

 1987年12月24日のライブを持って活動を終えたBOØWY
 直後、氷室京介はソロアルバムの制作に入り、布袋寅泰は山下久美子のプロデュースを継続すると同時に自身のソロプロジェクトをスタート。
 翌年には早速それぞれがアルバムをリリースした。

1988年6月21日 山下久美子『Baby alone』
1988年9月1日 氷室京介『Flowers For Algernon』
1988年10月5日 布袋寅泰『GUITARHYTHM』

 もし、BOØWYが解散していなかったら、これらの3枚のアルバム中の楽曲群が『サイコパス』の次のアルバムとして構成されていたかもしれず、その場合おそらくこうなっていたであろうという、幻の、7thオリジナルスタジオアルバムを考えてみた。タイトルは『STRANGER』。

1.ANGEL
2.C'est la vie
3.GLORIOUS DAYS
4.ROXY
5.MATERIALS
6.ALISON
7.DANCING WITH THE MOONLIGHT

8.微笑みのその前で
9.STRANGER
10.Stop Stop Rock'n' Roll
11.DEAR ALGERNON
12.WAITING FOR YOU
13.STRANGE VOICE
14.独りファシズム

以上。

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by ichiro_ishikawa | 2016-02-17 02:25 | 音楽 | Comments(0)  

山下久美子の黄金期

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 山下久美子は何と言っても布袋とのコラボ時期(1985〜95あたり)が最強で、特に『BOØWY』から『GUITARHYTHM』に至る1985〜88年は布袋のクリエイティビティのピークと山下の成熟時が見事に重なった、最高にロックな数年間で、ロック史にしかと刻印されるべきピリオドである。
 『BLONDE』は『JUST A HERO』で、「GIRL-FRIEND」「BOY-FRIEND」「SINGLE」『1986』は『BEAT EMOTION』で、「リリス」『POP』「MELODY」は『PSYCHOPATH』。「微笑みのその前で」『Baby alone』はBOØWYの幻のラストシングル、アルバムだ。
 約3年の休養を経た後の91年以降も「Tonight (星の降る夜に)」「真夜中のルーレット」「宝石」「DRIVE ME CRAZY」といった良作を出し続けたが、良質のJ-POPどまりで、ロックではなくなっている。山下本人が落ち着いて、成熟し、ロックの女王から優しく可愛い大人のポップシンガーに変わった。その後、布袋との離婚を経てシングルマザーとなり、今では大沢選手とのコラボを中心にいい感じの活動を続けているが、現在、公式プロフィールに布袋の名前はなく、そのディスコグラフィも抹消されているのは仕方がないが、ロック史に残る宝石がなかったことになってしまうのは残念でもある。
 ということで、山下久美子×布袋寅泰の黄金期を、時系列に、布袋のキャリアを軸として、ここに辿らんとす。



布袋との初コラボレーション
(1985年『BOØWY』期)
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 いつからかは明確ではないが、山下のレコーディングにスタジオミュージシャンとして布袋が参加したのが最初の出会い。おそらくBOØWYがYUI音楽工房、東芝EMIと契約する前後、1984年ごろではないかと推測される。当時の山下は赤道小町で一発当て、すでに歌謡/ロック界の寵児となっており、知名度はまだアングラ的場所にいた布袋の比ではなかった。それに比例して経済的な格差も顕著で、布袋は原宿のボロアパートを出て山下の住む青山の高級マンションに転がりこむ。始まりは格差婚であった。

「いいギター弾くじゃん」と山下は一発で布袋を気に入ったらしいが、それは187cmのシルエットとも相まってであろう。譜面の読めないことを隠しながらのスタジオミュージシャン期、山下久美子というロックの女王に見初められた布袋は、間もなくメジャー契約を果たし、『BOØWY』を生み出すわけだ。山下のあげまんぶりは凄まじい。まさに幸運の女神である。氷室、山下との出会いが布袋をメジャーに押し上げた。近年のタランティーノに匹敵する、いやそれ以上の、人生の転機となった運命的邂逅、大抜擢である。
いうまでもなく当時BOØWYは世間的にはまだまだ知られておらず、布袋? という人が殆どだったはず(中2の俺は少年マガジンのピモピモ広場の新譜紹介欄で3rdBOØWY』を知ったのがBOØWYとの初接触)。山下の先見の明が光る。BOØWYはBOØWY』以降のメジャー展開で、アイドル全盛のシーンを一気にロックに塗り替えていき、ポップシーン全体での頂点へと登りつめていくわけだが、その黎明期である1985年秋、すでに山下久美子とのコラボ第一弾『BLOND』は放たれている。ポップネスがまだやや薄いのは布袋の若さゆえか。トンガリ感強い。山下への、世間へのロックアピールかもしれない。

  1985年2月24日 BOØWYアルバム『BOØWY』レコーディング開始(ベルリンのハンザ・スタジオ)
  1985年3月12日 BOØWYライブ at マーキー・クラブ(ロンドン)
  1985年4月13日 BOØWYコンベンションライブ at 赤坂ラフォーレミュージアム
  1985年6月1日 BOØWYシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」
  1985年6月21日 BOØWYアルバム『BOØWY』
  1985年8月22日 BOØWYシングル「BAD FEELING」

1985年11月21日 山下久美子アルバム『BLONDE』
  
  1985年12月24日 BOØWYライブ at 渋谷公会堂(「BOØWY'S BE AMBITIOUS TOUR」、山下との結婚を発表)
  1986年2月1日 BOØWYシングル「わがままジュリエット」
  1986年3月1日 BOØWYアルバム『JUST A HERO』



布袋絶頂期のPOP連打
(1986年『BEAT EMOTION』期)
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 最も生き生きとしていたのがこの時期だろう。呼吸がそのまま名曲になってしまうような、布袋はメロディメイカーとして神がかっていた。山下版ビートエモーション期である。1986年という日本おいてロックが歌謡曲を凌駕した記念すべき年をアルバム名にしたことも興味深い。『ビートエモーション』はか1986で、ビートルズでいう『リヴォルバー』。いわゆるイギリスと日本のポップ時差20年説の根拠の一つがこれである。

1986年7月21日 山下久美子シングル「GIRL-FRIEND」
1986年7月21日 山下久美子シングル「BOY-FRIEND」

  1986年7月31日 BOØWYアルバム『“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986』

1986年8月4日 山下久美子シングル at 新宿都有3号地(「ウォーター・ロック・フェス」、BOØWY、吉川晃司と共演)



  1986年9月29日 BOØWYシングル「B・BLUE」

1986年10月1日 山下久美子シングル「SINGLE」



1986年10月21日 山下久美子アルバム『1986』

  1986年11月8日 BOØWYアルバム『BEAT EMOTION』

1987年3月1日 山下久美子シングル「REINCARNATION」



BOØWY・山下久美子の完成
(1987年『PSYCHOPATH』期)
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 1987年というのは、ポップシーンを席巻し、その頂点に立ったロックの喧騒が止み、王者として金字塔を打ち立てていく年。周知の通り長渕のライセンス、BOØWYのサイコパスがその象徴なわけだが、山下久美子の『POP』もその到達に肩を並べるものである。到達、完成は終わりでもある。そして新しいことの始まりである。

1987年7月1日 山下久美子シングル「リリス」



1987年7月21日 山下久美子アルバム『POP』

  1987年7月31日 BOØWYライブ at 神戸ワールド記念ホール(GIGS CASE OF BOØWY
  1987年8月7日 BOØWYライブ at 横浜文化体育館
  1987年9月5日 BOØWYアルバム『PSYCHOPATH』

1987年10月21日 山下久美子シングル「MELODY」



1987年12月1日 山下久美子ライブアルバム『ACT RESS』



BOØWYラストアルバム的『Baby Alone』
(1988年『PSYCHOPATH』と『GUITARHYTHM』の間)

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 「到達」したためにBOØWYを解散させた布袋は、この時点ですでに吉川晃司とのCOMPLEX結成を決めていたのだが、その前に一発ソロアルバム『ギタリズム』を放っておく必要があったという逸話は有名だが、同時に解散できないソロシンガーである山下久美子のプロデューサーとしての活動は止めるわけには行かなかった。呼吸がそのまま名曲になる奇跡の季節はまだ続いており、矢継ぎ早にまた傑作を送り出す。『Baby Alone』は、BOØWYが解散していなかったらアルバムに入っていただろう楽曲がズラリと並ぶ、実質的BOØWYラストアルバムと位置付けられる。ギタリズムと同時進行で、かつBOØWYとCOMPLEXの間を埋める、「シンガーの横の布袋」の才能が爆発している点が重要だ。

  1987年12月24日 BOØWYライブ at 渋谷公会堂(解散宣言)
  1988年4月4日、5日 BOØWYライブ at 東京ドーム(LAST GIGS)

1988年5月21日 山下久美子シングル「微笑みのその前で」



1988年6月21日 山下久美子アルバム『Baby alone』





布袋・松井・池畑を従えた集大成としてのギグ
(1988年『GUITARHYTHM』期)
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 以上数年の奇跡の集大成がこの時期のライブで、見事にパッケージで残された。『Stop Stop Rock'n Roll』は山下版ラストギグズである。ソロシンガー山下は音楽的にピークを迎えた。しかし布袋はバンドを終えただけで、これからソロ活動が本格的にスタートするのであって、そのズレは見ようによっては不幸なものだった。創造は生活にどうしても犠牲を要求する。あるいは生活に合わせた創造となる。精神と肉体。これを併せ持つ人間の宿命、必然として、2人は数年後、訣別する。ああ人生…。


1988年8月26日 山下久美子ライブ at MZA有明サウンドコロシアム(「Baby alone in BABYLON Tour 1988」)※布袋、松井恒松、池畑潤二、ホッピー神山と共に参加。

  1988年10月5日 布袋寅泰アルバム『GUITARHYTHM』
  1988年10月26日・11月15日 布袋寅泰初ソロライブ『GUITARHYTHM LIVE』
  1988年12月 COMPLEX結成

1988年12月5日 山下久美子ライブ at 東京ベイNKホール(『stop stop rock'n'roll "LIVE"』)
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1989年2月1日 山下久美子アルバム『Stop Stop Rock'n Roll』






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by ichiro_ishikawa | 2016-02-16 00:11 | 音楽 | Comments(0)  

Apple Musicと俺 結論


Apple Musicで全音楽をシャッフル無限ループで24時間聴いていて分かったことは、実にいろいろな音楽があるな、という事だ。

by ichiro_ishikawa | 2016-02-05 09:50 | Comments(0)  

続 Apple Musicと俺


Apple Musicのラインナップは強力で、iPodやCDでのリスニング習慣を完全に駆逐する。パソコンに取り込む代わりに、曲やアルバムを検索して「マイミュージック」に保存していくだけで独自のライブラリーができる。ストリーミングだが、聴くという行為においてはダウンロードもストリーミングも結果同じことだ。プレイリストで独自の切り口によるオムニバスアルバムも作れる。端末をアンプとスピーカーに繋いでステレオで聴いている。


重要なほぼ全アルバムが網羅されているから、それらを全て「マイミュージック」に入れてもっぱら全シャッフルで聴いているが、さながら「俺有線」がかかっている感じだ。バーニーケッセルのあとに「誘惑光線クラッ」がかかり、N.W.A.に変わったと思うとディランが流れてきたりする。この節操の無さが、CDやレコード鑑賞ではできない良さだ。もちろんアルバムごとアーティストごとジャンルごとにも聴けるので万能だ。また、一般有線と違って良いのは、くだらねえ曲が流れないこと。「マイミュージック」に入れてないから当然流れてこない道理だ。

ほぼ全網羅と書いたが、なんせハリー・スミスのコレクションまであるっていう。ボックスものなどCDでは高価なものも充実している。また、リマスター、周年デラックスなど、オリジナルアルバムが微妙に姿を変えて再リリースされると、ちょっと買うかどうか迷うのだが、それらもラインナップされている。これは嬉しい。買わなくてよかった…と安堵。

いずれにせよ、なんせプレスリー、ディラン、ビートルズ、ストーンズが網羅。その上コステロ、スクイーズ、R.E.M.、ソニックユース、スミスがあるわけだから。

しかし日本のものはまだあまりないようだ。提供されているのを書き出した方が早い。
RCサクセション、バンバンバザール、ボ・ガンボス、布袋寅泰、シャネルズ、ラッツ&スター、鈴木雅之、松田聖子、早見優、薬師丸ひろ子、ピンクレディー。

これだけあれば充分だが、待望は、長渕剛、吉川晃司、氷室京介、BOφWY、はっぴいえんど〜大滝詠一系、寺尾聰、中山美穂、小泉今日子、キャンディーズといったところか。

これはもうCDは売れないだらう。Apple Musicがミュージシャンやレコード会社に支払う仕組みはよく分からないが、ミュージシャンは食って行けるのか。ライブをやらない人はキツイだらう。会員が1000万人なら、かける1000円で月100億。うち20%ぐらいがApple Musicの儲けか。月20億。凄まじい。ミュージシャンへは10%ほどか。10億。提供している1万ミュージシャンに均等に払っても1人あたり月1万円。Apple Musicだけが儲かる。じゃあなぜ提供するのか。リスナーには有難い限りだが。宣伝と割り切ってライブに誘導するのか。俺のようなライブには行かないというマニアも大勢いそうなものだがどうするのか。

1998年以降、まともなミュージシャンは1人も出ていないのはそういうことか。確かに俺の中でもヘディオレッドが最後の新人で、以降のミュージシャンや曲はなにも知らない、興味がない。しかし1920〜97年ですでに充分すぎるアーカイブは生み出された。それらが今後100年繰り返し繰り返し聴かれていく、というのがポップミュージックの未来だらう。映画しかり。文学しかり。20世紀までの大いなる遺産だ。





by ichiro_ishikawa | 2016-02-02 10:11 | 音楽 | Comments(0)