<   2017年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

 

福島康之の音楽教養講座(実演付き)


c0005419_15210658.jpg


下北沢に住居と仕事場を構える友人の粋な計らいで「空飛ぶこぶたや」での福島康之ギグ「福島 丸山のライブ【実家に帰らさせていただきます 下北沢編」】」を滑り込み鑑賞。
今回は丸山朝光(vo.Banjo/ハチャトリアン楽団)とのデュオ。
「ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデンのアルバムをなるべく再現する」といふ隠れテーマで、様々なるジャズ、ブルーズのスタンダードナンバーを、ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデン的解釈で奏でるといふ激シブ・マニアックな試みであり、キャパ10数人の小屋ならではの、好きな曲を勝手に演奏してみるといふ、ツアーの仕込み風、自宅セッション的ギグであつた。

「大抵どの曲も同じコード進行なので間奏で何の曲かわからなくなるシリーズ」の開陳や、「Beneath」や「Dawn」といつた語彙の斡旋の妙、好きだ云々よりハードストーキングやDV、君からの手紙のつもりで自分で自分に手紙を書くといつた、過ぎた行為の歌詞の魅力の解説などなど、結果的に、福島康之の音楽教養講座(実演付き)の様相を呈した。
MCでの福島節も全開で、その場に居ないメンバーや元メンバーいじりを含め、書き残せない発言も多数。「Bring It On Home To Me​」は、渋谷B.Y.G.(since 1969)店主のために用意して居たが、彼が曜日を間違へて幕張に居るため聴かせられなかつたといふ曰く付き。

なお、ロニー・ジョンソンは戦前ジャズ、ブルーズ界のカリスマギタリストで、戦後は第一線から姿を消し、ビルの掃除夫として働いてゐたところ、60年代の「フォーク・リヴァイバル」ブームで「再発見」された人物。エルマー・スノーデンは、1900年生まれのバンジョー奏者。
「再発見」の際、招聘サイドは、ロニーにはギターを録音してもらひたかつたが、「そのころはすつかり、歌しか歌はねえ、といふことになつてゐた」。だがその歌がまたものすげえといふことで、音楽マニアだつた福島康之は齢21で漸くギターを手にし、バンドを結成していくことになつたとのこと。

ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデン
c0005419_02053561.jpg


[第1部]
​1. ​​Lazy River
(Hoagy Carmichael​​​, Sidney Arodin, 1930)

​​2. ​​​​Sweet Sue, Just You
​(Victor Young, Will J. Harris, 1928)

3. ​​Memories of You
​(Andy Razaf, Eubie Blake, 1930)

4. ​​Sunny Side of the Street (version A)
(Jimmy McHugh, Dorothy Fields, 1930)

​5. Slow Boat to China
(​Frank Loesser​, 1948​​)
​​​​
​​6. It's A Sin​ ​to Tell A​ ​Lie
​(Billy Mayhew, 1936)

​​7. All​ ​of Me
​(Gerald Marks, Seymour Simons, 1931)​

​​​​8. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter
​(Fred E. Ahlert, Joe Young, 1935)​
​​
​9. ​シンシア​(​よしだたくろうとかまやつひろし​)​
​(​吉田拓郎, 1974​)

10. ​Bring It On Home To Me​
(Sam Cooke, 1962)

[第2部]
1. The Song Is Ended (but the Melody Lingers On)
(Irving Berlin, 1927)

2. I've Got world On a String
(Harold Arlen,Ted Koehler, 1932)

3. Jesus On The Main Line
(Mississippi Fred McDowell, 1969)

4. St.Louis Blues
(William Christopher Handy, 1914)

5. Georgia On My Mind
(Hoagy Carmichael, Stuart Gorrell, 1930)

6. Please Don't Talk About Me When I'm Gone
(Sam H. Stept, Sidney Clare, 1930)

7. 待ち合わせ(友部正人)
(友部正人, 1993)

8. You Always Hurt the One You Love
(Doris Fisher, Allan Roberts, 1944)

9. 曲名不明、情報求む(おこりんぼう)

10. あの頃~Ano Koro~(ハチャトゥリアン楽団)
(ハチャトゥリアン楽団, 2013)

11. 夏だったのかなあ(バンバンバザール)
(福島康之, 1999)

12. ニューオリンズにて(バンバンバザール)
(福島康之, 1994)

13. 早稲田通り(バンバンバザール)
(福島康之, 2005)

14. 俺とタシロと校庭で(バンバンバザール)
(福島康之, 2010)

15. バーボンストリートブルース(高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンド)
(Assunto Frank, Fred and Jac, 高田渡, 1977)

16. On the Sunny Side of the Street (version B)
(Jimmy McHugh, Dorothy Fields, 1930)





by ichiro_ishikawa | 2017-07-25 01:26 | 音楽 | Comments(0)  

1981年の明るさ


1985〜86で日本の歌謡界がロック一色に染まる前夜の1980〜84はアイドルポップスが大爆発した時代で、ビートルズ前夜のブリルビルポップを彷彿させるわけだが、紛れもなくその先駆けは松田聖子のデビューであつた。
その後、河合奈保子か追随し、中森明菜、早見優、小泉今日子といつた才能が続々登場して、黄金期を作り上げることになる。ここでは1981年の明るさを象徴する2曲にスポットを当てたい。

松田聖子
「夏の扉」
c0005419_14325695.jpg



河合奈保子
大ヒット「スマイル・フォー・ミー」
c0005419_14325792.jpg

レコード版、ブリッジの「♪あなただけよ他には何も見えないの もつとそばにゐさせて 肩が触れ合ふくらい」の時のベースとギターもいい。
作詞の竜真知子は、矢沢ファミリーで、初期吉川をも手がけたNOBODY相沢行夫の妻。


共演 松田聖子×河合奈保子
「ふりむかないで」
c0005419_23040258.jpg




by ichiro_ishikawa | 2017-07-23 13:01 | 音楽 | Comments(0)  

BOØWY 19871224 complete


1987年12月24日、BOØWYが渋谷公会堂でのライブをもつて解散して、今年でちようど30年。

BOØWY 20171224

『BOØWY 19871224 complete』
奇跡的に撮られてゐた、BOØWYのギグの中で最も重要なあの日の一部始終を、楽屋、場外、渋谷の街の様子と共に完全パッケージすることは可能なはずだ。

c0005419_23123024.jpg




by ichiro_ishikawa | 2017-07-20 23:01 | Comments(0)  

1986年の長渕

STANCE
この大阪城ホールはヤバい。
c0005419_22330530.jpg



Super Star
元気?の言い方がすげえいい。頑張って、もよい。
その二言及び行間にものすごいものが詰まつてゐる。
別れを乗り越えた男のギラギラした目がロック。
c0005419_22343565.jpg



Don't Cry My Love
c0005419_22381811.jpg



Stay Dream
c0005419_22411710.jpg



ボウイ
ONLY YOU
c0005419_23054882.jpg




1987年
ろくなもんじゃねえ

何の矛盾もない
c0005419_23314822.jpg


1988年
とんぼ

1989年
天河大弁財天社シークレットギグ
c0005419_23001841.jpg


1990年
巡恋歌

カラス、JEEP




by ichiro_ishikawa | 2017-07-20 22:15 | 音楽 | Comments(0)  

本日の失敗


齢40半ばにして肉体改造を始めてゐる俺が、昼の1食以外、炭水化物を抜いてゐるのはよく知られるが、大のパン、ライス好きの俺にとつてはちよつとした修行の様相を呈してゐる。しかし屈強な精神力を持つてここ半年、昼以外は炭水化物を完全に断つてゐる。

しかも、昼の摂取量ですら控えめにしてゐる。本日はデニーズのランチセットであるカットステーキだつたわけだが、注文の際、ボーイが「ライス大盛り無料ですが?」と言ふ。

咄嗟に俺は、
「いや、むしろ少なめで」と返答。

だが、この「いや」といふ逆説句、そして「むしろ」といふ副詞。これが全く無駄であつた。

日頃俳句や短歌を嗜む俺は、書く上でも発語レベルでも「省略」「簡潔」「写実のみ」「抒情は言外に」を旨としているだけに、痛恨の失敗であつた。

コミュニケーションの場といふことでも、ボーイとしては大盛りか、普通か、あるいは少なめか、その事実だけを知りたいはずで、サービスを否定する「いや」も、客の意図の補足でしかない「むしろ」も全く不要である。
だのになぜそのやうな無駄を発してしまつたか。

エゴか?
肉体改造中で、本当は大盛りにしたいところグッと抑へてゐるといふ状況、あまつさえ減らさんとすといふストイシズムをアッピールしたかつたのか。

俺が肉体改造中といふことを誰が知りたがらむ。
もしかすると、「肉体改造中の人が増えてゐる」といふ顧客ニーズの取材に一役買つて、炭水化物少なめメニューの開発及び傾注を促すやもしれぬ。いやしない。

「少なめで」でよかつた。

c0005419_14415150.jpg

ライス込みでも500kcal。







by ichiro_ishikawa | 2017-07-11 14:15 | 日々の泡 | Comments(0)  

あの頃の長渕の後期がApple Music入り


なんとApple Musicに『Live '89』以降のアルバムとシングルが入つた。
これまでなぜか1996年『家族』以降(大麻以降)のカタログしかなかつたのが、なぜかここに来て「あの頃の長渕」の後期が全部入つた。もちろん『Captain of the Ship』もである。
シングル「Run」B面の「愛してるのに」('93大阪城ホール)、シングル「巡恋歌 '92」なども嬉しい。また、シングル「JEEP」B面の「女よ、ごめん」は、アルバムとは全く違ふアコギバージョン(アルバムより先にリリース)で、25年ぶりに聴いた。

c0005419_23134770.jpg


今朝は早速「じめじめと暗く腐った憂鬱な人生を俺は憎んでばかりいた」で始まる「Captain of the Ship」を聴きながら電車通勤。武蔵小金井から荻窪までかかつた。フリージャズなみ。


今後順次遡つてファースト『風は南から』まで、西武球場でのライブアルバムやシングルも含め、全カタログが入ることを願はん。

by ichiro_ishikawa | 2017-07-11 00:26 | 音楽 | Comments(0)  

長渕剛=BOØWY説


1986〜87年にピークを迎へ、日本の音楽シーンをロックで黒く塗り変へたミュージシャンといへば長渕剛とBOØWYだが、両者はこのピークの2年間においてアルバムリリースとツアーのタイミングがピタッと一致してゐるといふことに気づくのはよいことだ。


1986年、10月22日に長渕剛は『STAY DREAM』リリース。翌月11月8日にBOØWYは『BEAT EMOTION』リリース。
そして共に11月11日にそれぞれ「LIVE'86 - '87 STAY DREAM」(大阪城ホール)、「ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR」(石川厚生年金会館)をスタートさせ、翌1987年2月24日にBOØWYはツアー終了(日本武道館)、長渕は翌日2月25日に終了(大阪城ホール)した。

c0005419_23095084.jpg

c0005419_23095020.jpg



そして、8月5日に長渕は『LICENSE』、一ヶ月後の9月5日にBOØWYは『PSYCHOPATH』をリリース。
長渕は9月8日から「LIVE'87 LICENSE」をスタート(静岡市民文化会館)、BOØWYは一週間後の9月16日に「DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」をスタート(宇都宮市文化会館)させてゐる。

c0005419_23095021.jpg

c0005419_23095109.jpg


長渕が12月3日に日本武道館でツアー終了、
BOØWYは12月24日に同じく日本武道館にて終了、そして解散した。



by ichiro_ishikawa | 2017-07-10 01:13 | Comments(0)  

1985年の挫折


長渕剛といへば1978〜1991年(+『Captain of the Ship』)で、特に1986〜87にその頂点を見るが、その前年、1985年といふのは特異な年である。ターニングポイントといつてもよい。

1984年までにドラマ「家族ゲーム」「家族ゲーム2」を終了させ、フォークからポップへと転身していた長渕は、MTVの常態化もあつて日本の歌謡界が空前のロックブームにあつた中で、「弾き語りに限界を感じ」(1986年のラジオでの発言)、まづ3月30日に「久しぶりに俺は泣いたんだ」、7月22日に「勇次」といふ2枚のシングルをリリースし、8月22日に、ロックサウンドに完全にシフトしたアルバム『Hungry』をリリースする。
その文体変革の実験は、8月26日の千葉県文化会館を皮切りに、Band of Spiritsを率いた全国コンサートツアー「LIVE'85 - '86 HUNGRY」にて遂行されていく。

しかしながら、この悲痛な実験は失敗に終はる。「あの頃の長渕」において、唯一の失敗である。
弾き語りに限界を感じ、時代のロックの流れに身体が反応したこのツアーでは、「愛してるのに」など既発曲のアレンジが、とてもひどいのであつた。
特異な年といふのはこの点においてである。
メロディを外してトーキングブルーズ調にアレンジするのはよいが、ブルーズでなく、トーキングロックになつてしまつてゐて、トーキングロックといふのはありえないので、実にひどいしろものなのであつた(そもロック調で創られた『Hungry』収録曲はとてもよい)。

おそらく、このひどさは、長渕がキャリアで初めて、自分を失くしてしまつたことからくる。
そして、この「無理」に、身体が答へを出した。

1986年1月22日の日本武道館公演を最後に、過労によりダウン。重度の鬱状態のため残り全ての公演をキャンセルしたのであつた。

しかし、このダウンにより長渕は、ポップ、ロックを通過して原点回帰を果たした、「レース」をはじめとする「弾き語り名曲」群を大量に創りあげ、それは『Stay Dream』として結実することになる。

c0005419_19375149.jpg

そして、11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 STAY DREAM』がスタート。1987年2月25の、再びの大阪城ホールでの「伝説の」追加公演が『LAST CRIME』と題して開催され、見事すぎる復活を遂げた。

さらに、4月10日には主演4作目の連続ドラマ『親子ジグザグ』(TBS系列)が放映開始、8月5日、最高傑作アルバム『LICENSE』をリリース。同年末の第29回日本レコード大賞で、アルバム大賞を獲得する。




by ichiro_ishikawa | 2017-07-09 20:43 | 音楽 | Comments(0)  

名曲「エイリアンズ」

聴けば聴くほどじわじわきて、何度聴いても飽くことがないといふ名曲が世にはあつて、この「エイリアンズ」はその代表で、ある一季節の空気をも運んできて、切ない。


Goose house
c0005419_01444521.jpg


ORIGINAL LOVE
c0005419_01444583.jpg



c0005419_01444552.jpg


キリンジ(当人)
c0005419_01444656.jpg





by ichiro_ishikawa | 2017-07-09 01:25 | 音楽 | Comments(0)  

長渕剛 バラッドベスト5


9. 花菱にて
(『LICENSE』1987)29.45〜


8.
(『JEEP』1990)


7. シェリー
(『昭和』1989)


6.
(『JAPAN』1991)



5. 俺たちのキャスティング・ミス
(『STAY DREAM』1986)


4. PLEASE AGAIN
(『LICENSE』1987)4.38〜


3. パークハウス 701 in 1985
(『LICENSE』1987)10.04〜


2. Time Goes Around
(『HOLD YOUR LAST CHANCE』1984)9.37〜


1. 何の矛盾もない
(『LICENSE』1987)42.23〜


by ichiro_ishikawa | 2017-07-08 18:51 | 音楽 | Comments(0)