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歌手、稲垣潤一


声と歌唱が素晴らしく、名曲を多くリリースしてもゐる稲垣潤一は、ドラムを叩きながらの実演の印象もあいまつて、イメージ的にニューミュージック、シンガーソングライターと思はれがちだが、実は歌手だ。曲も詞も書いてない。といふことに気づくのはよいことだ。

「ドラマティック・レイン」

(1982年10月21日) 

作詞:秋元康/作曲:筒美京平 




「夏のクラクション」

(1983年7月21日) 

作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平 



「オーシャン・ブルー」

(1984年4月28日)  

作詞・作曲:松任谷由実 



「バチェラーガール」

(1985年7月1日) 

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一 




「思い出のビーチクラブ」

(1987年4月22日)

 作詞:売野雅勇/作曲:林哲司



 

「クリスマスキャロルの頃には」

(1992年10月28日)

作詞:秋元康/作曲:三井誠   





by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 19:53 | 音楽 | Comments(0)  

BOØWYととんねるず


BOØWYととんねるずといふのが俺の原点のひとつなわけだが、彼らは1986年12月3日の「夜のヒットスタジオdeluxe」にて、ただ一度だけ交わつた。その回において、中山美穂が歌つてゐるときに、ひな壇のとんねるずと氷室と布袋の4ショットが一瞬抜かれてゐたので、キャプチャーした。

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手前は美穂の踊り子。ひな壇にBOØWYが居るといふだけで貴重。

by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:46 | 音楽 | Comments(0)  

九州北部と京都と俺


ここ1ヶ月で、佐賀、京都、長崎、京都2、福岡を商用で回つた。それぞれ周辺も巡り、細かい土地土地の歴史や文化などを垣間見ることにもなつたが、その巡業で発見したことは、

・どこも同じ
・外国でさへも

といふことだ。
細かく見れば全部違ふし、その細かいところでの差異や独自性といふのはあるけれど、人間が生まれて生きて死ぬといふ見地から大局的に本質的に見れば、どこも同じだ。
つまり、生き死にや暮らしぶりは血も含めた環境に強く左右されるし、どこでどう生まれて生きて死ぬか、その内容はすべて個別だけれど、その形式自体は同じだ。
内容がすべて個別といふことは形式が同じだといふ認識が強まるほど際立つ。



by ichiro_ishikawa | 2017-12-11 11:33 | 日々の泡 | Comments(0)  

大丈夫ではない


たとへばつまづいたり転んだり、何らかの罹災があつときに、傍らにゐた人から咄嗟に「大丈夫?」と聞かれる場面が日々においてはままあらう。
もちろんその何らかの災難の度合いによるが、大抵の場合、「大丈夫」と答える。答えざるを得ない。

でも本当は、大丈夫ぢやない。
正確に言へば、大丈夫ぢやないといふほど大げさでもないが、決して大丈夫ではない、つまり「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」だ。
しかし、そんな悠長なことを言つてゐると、会話のリズムを損なうから、とりあへず「大丈夫」と言つて済ます。

但しその大丈夫は、繰り返すが、
「うーん…さうさなあ…まあ…いい気分ではないのは確かだ…つうかほつといてくれ、いやごめん、好意で言つてくれてるのはわかるが……こんなときに質問形式はやめれ」
であることを踏まへて置くことはよいことだ。
ぢやあどう言へばよいか。難しいが、とりあへずベストは、「なるほど」だらう。

だいぢやうぶかと訊くひとがゐる大丈夫であるはずがないと言つてみようか  永田和宏

by ichiro_ishikawa | 2017-12-06 20:37 | 日々の泡 | Comments(0)  

ゲスはモノホンか



「ゲスモノホン説」をことあるごとに吹聴して回つてゐるが、周囲(中年~初老)のリアクションは冷ややかだ。

そんなこともあり、かういふ俺当人もてめえを徹底的に疑ひ、果たして本当にモノホンかを確かめるべく、ずーっとゲスばかりを聴き倒して、飽きるのを待つてゐる。
どんな名曲、名盤でも、聴きすぎると飽きる。ヘビロテといふ風雪に耐え、下取りに出されず、我が書斎の「永久保存棚」格納へと昇格したものだけが、「モノホン」の称号を俺から賦与される。果たしてゲスがモノホンであることは説から事実へとなつていくのか。ほぼ結論は出かかつてゐるが、あまりに周囲が冷やかなので、念のため、周囲への敬意も含め、判断を保留してゐる次第である。

おそらくゲスの再生回数はここ数か月で1万は行つてゐる。日々の通勤時、出張時の新幹線内、帰宅後のリピートと、音楽を聴ける状況下(ほぼイヤホン)においては9割、ゲスを聴いてゐる。

結果、まだ飽きない。どころか日々新たな発見がある。最近は歌詞の言葉の斡旋の絶妙さ、思想、リズムの乗せ方、そしてギターのフレイジング、ミュートカッティングなどなど。
アップルミュージックですでに全曲聴いてゐるが、CDも購入してしまひさうな勢いである。もつと良い音で大音量で聴いてみたい。

結果は年末に出るだらう。



by ichiro_ishikawa | 2017-12-04 14:58 | 音楽 | Comments(0)  

ヴァン・モリスンがまた新作


少年〜青年時代はロックミュージシャンが趣味的にジャズつぽいアルバムを挟んできたりすると「何だよダセエな」と決まつて閉口、スルーしてきたものだが、もはやズージャがデフォルトとなつた中年の今はさういふことがあると「お、こつちに来てくれたか」と、てめえがそもズージャ人であるかのやうな態で、歓迎するといふ始末。
逆にこれまでよくズージャミュージシャンをフル起用しズージャテイストの強いポップ作をリリースしてきたスティングなどが「ロック回帰」アルバムを放つてきたりすると、「なんだロックかよ」とこれまたズージャ畑ヅラしながら失望する昨今だ。

そんな中、多作ヴァン・モリスンがズージャスタンダードをカバーしまくつた最新作『Versatile』を前作から僅か3ヶ月といふスパンでリリースしてきた。
コステロと並び白人ソウルシンガーの最高峰に位置するモリスンだが、この手のミュージシャンはそもズージャといふかルーツ志向の強いミュージシャンであるし、度々さうしたアプローチは見せてきたわけで、かうしたアルバム自体に別段驚きはないが、だからこそ今回は「いよいよド・ズージャか⁈」と期待してApple Musicにて聴いてみた次第だ。

しかし蓋を開けてみると、数曲、もしくは一曲の中でのズージャアプローチがあるものの、ラウンジどまり、全体としてはソウルである。ソウルであるといふことはポップであるので、つまりズージャの対極である。
いまの俺は一音もポップでない、かつ前衛的でないズージャが聴きたい艶やかな心地なので、いまいまはマッチしなかったが、とはいへオトナチックな落ち着いたジャズテイスト溢れるソウルアルバムとして最高クオリティの一作だ。とにかくものすげえボーカルである。サウンドも言はずもがな。
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by ichiro_ishikawa | 2017-12-04 09:49 | 音楽 | Comments(0)