小林丼と俺

鎌倉の小林秀雄が通つた天ぷら屋「ひろみ」にて、小林丼を食す。

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メゴチ、キス、穴子。小林が好んでこればかり頼んでいたのでその名が付いた。
店主は2代目で、見た目からの推定65歳。小林が通つてゐたのは1960〜70年代と思はれ、つまり大将が幼少の頃、会つてゐる。
同じく厨房に入つてゐる30代半ばの若旦那は3代目で、既に4代目は中学生。といふのは2代目の奥さんの弁。
10回ほど通ひつめて漸く取材できた次第だ。

本当は、野菜もあり帆立など種類も豊富でさらに丼も付き、それで小林丼より安い、定食「若葉」を頼みたいといつも思ふのだが、いざ注文をといふ段になると「小林丼」と言つてしまふ。
やはり発語したいのだ。さらに注文を取つた女給が「小林丼でーす」と厨房に伝へるから、「小林」は都合2回飛び交うことになる。
普段から小林小林とうるさい俺だが、いつもは黙読したり書いたりしてゐるだけなので、小林といふ言葉が発語されるといふ事は實は稀であり、新鮮な喜びを感じるといふわけだ。
次回は小林の注文の仕方とか所作とかお気に入りの席などを取材し、それを真似して行く予定だ。




# by ichiro_ishikawa | 2017-05-03 22:38 | Comments(0)  

【プレスリリース】ダメな本当の理由


よく会社などで、人が席を立つて歩いてゐるときを見計らつて、「ちょっといいですか」と話しかけてくる輩がゐるが、大抵、「ダメだ」と言ふ。

それは、人の席には出向かずてめえの席まで人を来させようといふ手抜きであるから、
といふこともあるが、それより何より、
俺が離席して歩いてゐるのは大抵トイレに向ふためなので、
つまり漏れちやうからである。
しかし「漏れちやうからダメだ」では幼稚なので、
シンプルに、「ダメだ」と言はざるを得ない。


# by ichiro_ishikawa | 2017-05-02 09:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

いま一番観たいミュージシャン


いま一番行きたいライブはTakuya Nagabucihだ。

デビュー以来、変遷につぐ変遷を重ねてきた長渕剛の、そのどの時代のバージョンでもクリソツに歌ひあげるのがTakuya Nagabucih。

ただのモノマネならもちろん本物の方がよいに決まつてゐるが、彼の場合、声とギターが92%当人と「同じ」。
通常の喋り方も動きも仕草も89%同じ。

今の長渕に、かつての歌を当時のままでやつてもらふわけには行かないが、Takuya Nagabuciのライブにおいては、デビュー時の1978年のライブ、1986年のライブ、1992のライブなどを、今観られるといふことになり、この点がありいひん。



薄目で見れば98%同じ。
100%でないのは、ほんの少し、ほんの少ーーしだけ、低い。ただし誤差の範囲。

# by ichiro_ishikawa | 2017-04-24 21:12 | 音楽 | Comments(0)  

俺の音楽の原点


俺の音楽の原点(小学校入学以前)は、
キャンディーズとピンクレディーだつた。
1973-1978





そして、松田聖子(1980)


中森明菜(1982)


小泉今日子(1982)


中山美穂(1985-86)で完結。




# by ichiro_ishikawa | 2017-04-14 00:36 | 音楽 | Comments(0)  

「意味」がしらべに最高に乗つた曲


無論、詩歌は意味としらべの奇跡的融合が必須条件である。

願はくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ
西行『山家集』

大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも
源実朝『金槐和歌集』

現代においてはポップミュージックといふものがさらにメロディといふ強力な武器をも持つたために大衆性といふ点で詩歌、散文詩を凌駕してしまつたが、その分、「メロディがよければ意味などどうでもよい」といふ志向が生まれもし、文学性は衰えていく、といふか加味されない傾向も出てくる。しかし名曲と呼ばれるものは、ディランのノーベル文学賞受賞の例をあげるまでもなく、やはり意味としらべの奇跡的融合が実現してゐる。

「意味」としらべのベストマッチ名曲はこれだ。

早見優「誘惑光線・クラッ!
作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:大村雅朗

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# by ichiro_ishikawa | 2017-04-13 10:10 | 音楽 | Comments(0)  

神と聖地


聖地とか神とかいふ単語が、ネットのみならず広告を含む紙媒体にも昨今頻出してゐるが、馴染めず。
それがゲームや漫画やアニメの言葉としてのニュアンスでの掲出だからだらう。
つまり子供の世界の言葉である。
だから子供向けならいいが、いい大人向けに使はれると、いい大人はやはり閉口する。
はずなのだが昨今の跋扈さ加減をみると、
いい大人ももはや子供なのだらう。
かうした幼稚化に抗ふためには、大人の言葉が必要だ。


# by ichiro_ishikawa | 2017-04-10 12:53 | 日々の泡 | Comments(0)  

ベースがいい動画2本


サディスティック・ミカ・バンド「塀までひとっとび」(1974)
ベース:小原礼



シーナ&ザ・ロケット「You may dream」(1980)
ベース:浅田孟


# by ichiro_ishikawa | 2017-03-13 22:35 | 音楽 | Comments(0)  

ネヴィル・ブロディ


デザイン、特に文字組を中心とした二次元デザインには少年時から少なからず興味があつて、同時代の「DAZED & CONFUSED」や、「Ray Gun」のデイヴィッド・カーソンに憧れを抱きながら、遡つては、御多分に洩れずアンディ・ウォーホル(『Velvet Underground』『Sticky Fingures』『love you live』、そして「Intevriew」誌)、日本では装幀家の平野甲賀、元ロッキング・オンの大類信、中島英樹といつたデザイン作品を気に入り、その作品集は自宅のアトリエに飾つたりもしてゐるのだが、最近急に「そういや1986-87年あたりに日本のデザインが一斉にある方向に振れてたな」といふことを思い出した。
そのある方向とは、端的に言つてこれだ。

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このジャケットに象徴される意匠。この方向に一斉に振れたのは、おそらく海外の真似だらうと踏んで、調べてみたらすぐに判明。英誌「The Face」などで著名な、今やデザイン、タイポグラフィ界の重鎮となつているネヴィル・ブロディであつた。思はず作品集「The Graphic Language of Neville Brody」を購入。眺めて暮らしてゐる。

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# by ichiro_ishikawa | 2017-03-13 22:02 | 音楽 | Comments(0)  

山下久美子 with BOØWY、吉川晃司、大沢誉志幸



「こっちをお向きよソフィア」
(作詞:康珍化/作曲:大沢誉志幸)
1986年8月4日 ''ROCK STAGE in 新宿'' 新宿都有3号地

vo 山下久美子
g 布袋寅泰
g,cho 吉川晃司
cho 氷室京介
cho 大沢誉志幸
b 松井恒松
ds 高橋まこと

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-11 22:45 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄のジャンル


小林秀雄は研究者や高い教養のある読書家、インテリ層にとても評判が悪いやうで、実証的にそのダメさが多く指摘されてもゐる。
エピゴーネンの俺は、なるべく謙虚に無私の精神を持つてそれらを読むやうにしてゐるが、それでもやはり的外れなものが多いと思はれる。
要するに、それらは「研究論文」「評論文」として小林の著作は瑕疵だらけといふ批判なのだ。
しかし小林の文章はロックンロールであり、つまりポップであり、「常識」を基盤とした個人の情熱であつて、「研究論文」や「評論文」ではない。さういふ意味で的外れなわけだ。「近代批評の確立者」といふレッテルが微妙なのだ。正確には「孤高のロック文士」(でもこれだとアカデミックに残らない、正史に記録されないので俗称にとどめん)。

小林の愛読者がまさしく眺めるものは無私なる(ゆゑに極めて個性的な)小林の情熱であり、その情熱に動かされるのであつて、その「客観的な妥当性」にではない。かつ、小林に認める凄さとは、その情熱の方が客観的な妥当性よりも大事だといふ事に気づかせてくれるところだ。研究や評論に価値がないといふ事では勿論ない。それとは別次元の、原始的な、人間にとつて大事なもの、といふジャンルがあるといふ事で、小林秀雄はそこに属する。そのジャンルにはほかに池田晶子がゐる。その二人しかゐない。

# by ichiro_ishikawa | 2017-03-10 12:49 | 文学 | Comments(0)