橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』(晶文社)

橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』(晶文社)読了。

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主人公は渋谷陽一と岩谷宏。
これが面白くないわけはない。

「思想」「批評」「文學」といふものを俺が初めて意識したのは「ロッキング・オン」での渋谷陽一と岩谷宏の文章であり、俺を小林秀雄にたどり着かせたのは、渋谷陽一なのであつた。
だから今でも小林と渋谷は俺の中でほぼ同格なのだ。

少し前に上梓された増井修『ロッキング・オン天国』(イースト・プレス)は、増井が「ロッキング・オン」に入社した80年代から、自身が編集長として同誌史上最高部数を達成した90年代前半あたりを中心に、その内部ストーリが綴られていて、これもすこぶる面白かったが、今回の本は著者の橘川幸夫が創刊同人であることが特異だ。
外部のファンが批評的に書いたものでも、現役がサクセスストーリーを描いたものでもなく、当時の当事者がその誕生、黎明期を綴つてゐるといふ点が、独特でよいのである。著者と素材だけでもう面白い事が確定してゐる。

話は1971年、渋谷陽一との「レボルーション」誌、「ソウルイート」での出会いから始まり、80年に増井修が入社し、著者がロッキング・オンを辞めるところで終わる。

この70年代のロッキング・オンストーリーは、渋谷陽一の著書『音楽が終わった後に』、『ロック微分法』、『ロックは語れない』といつた初期著作においてその端々で語られてゐて、それはそれは刺激的なものなのだが、本書は著者が橘川幸夫といふところが重要である。創刊同人でありながら、渋谷陽一、岩谷宏という二大巨人の間に立ち客観的視点を持つて、内部ストーリーを語つてゐる点が本書の特徴だ。レノンとマッカートニー、氷室と布袋といつた強力な相反する個性を同時に語るには、リンゴ・スターや高橋まこと的立ち位置がベストで、橘川はまさにさうした位置にゐたばかりでなく、ミュージシャンでなく雑誌の編輯者であるから文才があるので、きつちり「読み物」として読める、一層貴重なものとなつた。

ロッキング・オン内外の出入りの人々のエピソードはどれも面白いが、なんと言つても渋谷陽一、岩谷宏である。
読みどころ満載な中、特に良かったところは、渋谷の経営手腕、特に他者との交渉力、営業力の描写である。
渋谷は昔自著で「人間関係で悩む人がわからない。人間関係なんて左から来た書類にハンコを押して右に流すだけじゃないか」という趣旨のことを書いていて、その初読時10代後半だつた俺は、これは「ロック」だと感じた。
情緒、人情、侘び寂び、文學を軽視しているのではない。むしろ文學をしやぶり尽くした人間だけが言へる境地(辿り着いたといふか渋谷の場合は天性のもの?)なのである。それは、渋谷のそれまでの文章と呼応してゐてブレるところがなく、はつきりと言へることだ。

本著では、「ビジネスの渋谷、思想の岩谷、文学の橘川」という記述があるが、誰よりも思想的で文學的でロックなのは渋谷陽一である。
中でも強くロックを感じた箇所を抜き出して稿を終へる。

・編集同人紹介記事における人物描写のユーモアのセンス。(渋谷のユーモア力は中村とうようなど、論争時に爆発する)

・何が楽しくてロッキング・オンをやつてゐるのかと橘川が渋谷に聞くと、値上げした広告料金を出すのを渋るクライアントを押し切つて出させることに至上の喜びを感じるな、イヒヒヒと言つたといふこと。

・事業規模拡大のため、創刊時から世話になつてゐた小印刷会社(橘川の父の会社)に別の大印刷会社を紹介してもらつた際、実はその大会社から小印刷会社にマージンが渡つてゐたことに激怒したこと。

・情熱と使命感を持つてスタートした「ロッキング・オン」を、その創刊時から完全にビジネスに仕立て、それで食つていくと徹底的に考へてゐたこと。

・岩谷と橘川がやめる時、10年無償で関わつてくれたのだから退職金を500万円払ふと言ひ、ただ、今は元手がないので、必ず「ロッキング・オン」を軌道に乗せるから50万ずつの分割にさせてくれとして実際払ひ切つたこと。

・そして、岩谷がそれをもらふのを固辞したこと。

である。
理由は書かれてゐない。余白が効いてゐる。
ここに岩谷宏といふ男が見える。


# by ichiro_ishikawa | 2017-03-02 22:00 | 音楽 | Comments(0)  

本日の不思議なひとコマ


例によつて喫茶店で人間研究をしてゐると、
何らかの事情で歩くのがままならない初老の婦人が、店員に支へられながらやつとのことでトイレやらレジで用を済ます現場を目撃。

最晩年の父を思い出すと同時に、
大変だな、一人で全然歩けねえねえんだな、付き添ひも、杖もないんだな…
との感を抱ひた。

と同時に、
「ぢやあここまでどうやつて来た?」
との疑念が。

ドアトゥドアでシータクだらうか。
しかしそこまでして珈琲一杯200円のチェーン喫茶店にわざわざ来るだらうか。料亭とかならともかく。



# by ichiro_ishikawa | 2017-02-23 16:38 | 日々の泡 | Comments(0)  

現金主義に転向


タバコひと箱ですら、簡単に払へてポイントも貯まる「クレジットカード払ひ」をフル適用してきた俺だが、
ここ1ヶ月前に「キャッシュ払ひ」に急転向したことで、ポイントは付かなくなつたが、
1.「現金が物理的に減る様」を目の当たりにすること、
2.鞄から財布を出し小銭やら紙幣やらを取り出し、レジに渡し、釣りをもらひ財布にしまひ、その財布を鞄にしまふといふ「面倒な行為」を経ることで、そも何かを買ふということ自体が面倒になること、
この2点から、結果、生活は変はらないまま出費が少し減つた。

ポイントといつても行つてせいぜい月数百円、年間数千円なのに対し、減つた出費は今月だけで数千円か。
これは地味にデカい、といふ結論に達した次第だ。

# by ichiro_ishikawa | 2017-02-23 16:28 | 日々の泡 | Comments(0)  

関係代名詞そのものを訳す試み

「英文を、単語ごとに、その現れる時系列に沿つて、直訳していきたい願望」を抱える俺にとつて、
there is〜のthere
it is rainy などのit
がしごく厄介だといふ話だが、
そのほかにまだある。

訳さない単語の代名詞が、
それこそ関係代名詞である。
the man who sold the world
のwhoである。

the その
man 男
who (その男を形容して来るぞ)
sold 売つた
the その
world 世界を

一般に、関係代名詞はそれ自体は訳さず、
次に来る句なり節を先に訳して、
関係代名詞直前の単語を形容させる、
ので、上記を自然な日本語に訳すと、
「世界を売つた男」
となる。

theを訳せないのも気になるが、それは別でまた考へるとして、ここでは、関係代名詞を何とか訳す方向で思考を進めて行きたい。
なぜなら関係代名詞のやうな、日本人にとつては「機能」に過ぎない語も、英語ネイティヴは機能プラス「何らかの意味」を持たせてその語を迎へてゐるはずだからである。

the その
man 男
who ところの
sold 売つた
the その
world 世界を

といふ案がある。
〜するところの、といふ言ひ方は理屈つぽい書き言葉でいまでも出ては来るし、昭和中期ごろまでは話し言葉においてもまま登場してゐた表現だが、
「世界を売つたところの男」
はやはり違和感がある。

しかしここでは日本語としての不自然さは度外視して、
とにかく「英文を、単語ごとに、その現れる時系列に沿つて、直訳していく」ことこそに眼目があるので、

the man who sold the world
は、
その 男 ところの 売つた その 世界を
としたい。

英語人がこのフレイズに接した時の頭に去来してゐることを時系列で表すと、かうでなのである。
変わつてるな。


# by ichiro_ishikawa | 2017-02-22 19:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

選択肢が複数あることの不快

There were bells on a hill

これは、

丘の上に鐘があつた

であらう。
中学英文法でまかなへる。

しかし、この
there is(are)〜
は、
〜がある、いる
と訳すが、
英語だと語順が、
there、が先に来てゐるわけで、
そのとき、聴くものはどういふ理解なのであらう。

日本語であれば、
丘、の、上、に、鐘、が、あつ、た
と時系列で理解できる。
英語の時系列を追うと、まづ
thereの段階で想起されるものは何だらう。
「そこへ」「そこで」
といふ可能性もあるだらう。
あるいはthere is構文が来ることを想定してゐるとして、かつ、次に来るbe動詞はまだわからないし、
そのbe動詞の後にくるのがどういふ名詞かも分からず、
しかもその名詞は物か人か、単数か複数かも分からないわけだから、
つまり「there」の段階では
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
といふ様々な想念が去来してゐなくてはおかしい。
日本語だとこんなことは起こらない。
丘、と来たら丘を想定する。「丘が」なのか「丘は」なのか、などは次の助詞待ちなわけで、丘の時点では問題はない。丘と来たら丘だ。
英語のこの手のことばは一体どういふ自体なのか。

it's rainy
雨だ

など、「訳さないit」と学校で教わるものもある。
概念がないから言葉もなく訳語がないといふなら分かるが、では、日本語にはないとしても英語の人はitの段階で何を想起してゐるのか、といふ問題は残る。

問題は同じことなのでthereに戻る。
「there」の段階で
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
が去来しながら、次に
「were」と来たところで、
「(〜)があつた」「(〜)がいた」に絞られる。
それでもまだ二択だ。選択肢が複数あること自体、解せないのだつた。
英語人は、いようが、あらうが、どうでもよく、
つまり人も物も、「存在する」的にひとまとめにしていると言へる。
だから「there were」と来たら、訳語として不自然としても、「存在した」といふ想念が去来している、といふこだ。

で次に、「bells」と来るので
「鐘」がとひとまづ落ち着く。
「鐘があつた」と。
厳密にはこれは逆に日本語には無いが「複数の鐘」といふことも確定してゐる。その前のwereの時点で複数の何らかである事は想定されていた。

ここまでをまとめると、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ
「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」
「bells」
「(複数の)鐘」

全体で、「(複数の)鐘があつた」
となる。
全体でコンマ何秒だし、もしかすると
there wereを一語扱ひにして考へてゐるのやもしれぬが、単語レベルではそれぞれ独立してゐる以上(実際「そこへ」といふ副詞として単独で意味を完結させる場合だつてある)、
there wereであつても、thereの時点で何らかの判断を下してゐなくてはおかしい。といふか気持ち悪い。

on a hill
は、
on
(〜の)上に
a
ひとつの

hill


と、onは前置詞といふだけあつて次に名詞がくることを想定して「(〜の)上に」と、待ち構える姿勢が気持ち悪いが、thereほどひどくないからまあよしとする。

全体を時系列に沿つて、
聴くものが想定する意味を書くと、

「there」
「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」
※カッコは確定できないモヤモヤ

「were」
「(複数の〜)があつた」「(複数の〜)がいた」

「bells」
「(複数の)鐘(が)」

「on」
「(〜の)上に」

「a」
「ひとつの」

「hill」
「丘(の)」

日本語だけで示すと、

「そこへ」「そこで」「(〜がある)」「(〜があつた)」「(〜がいる)」「(〜がいた)」(モヤモヤ)

「(複数の〜)が存在した」(確定)
「(複数の)鐘(が)」
「(〜の)上に」
「ひとつの」
「丘(の)」

という順序で意味を把握しているといふことになる。

やほり日本語で英語を解しやうとすることにそも無理がある。英語は英語のまま、その感じを解するしかない。

でも、単語レベルで選択肢が複数ある、
といふのは日本人にはどうしても考えらない。

以上。


# by ichiro_ishikawa | 2017-02-22 13:25 | 日々の泡 | Comments(0)  

Apple Musicのよさ

Apple Musicは、洋楽は新作もBOXセットもバシバシ配信されるといふのがよい。特にBOXセットは平気で数万するからこれはよい。ディラン全アルバムBOXとかすげえいい。

24時間音楽を流してゐるため月980は充分元が取れてゐる。そも音楽に月数千〜数万といふのはこれまでの人生の俺予算において常態だつたから全く問題はない。

めつきりレコード屋に行くこともCDを買ふこともなくなつたが、ミュージシャンにはどう金が入つてゐるのか。再生回数に応じてといふことならグレン・ティルブルックと、ビル・エヴァンスの遺族にはたんまり入つてるはず。

# by ichiro_ishikawa | 2017-02-21 12:12 | 音楽 | Comments(0)  

Apple Musicにプリンス入庫


Apple Musicに先日、遂にプリンスが入つた事で洋楽はほぼコンプリート。

邦楽はバンバンバザール、RCサクセション、Y.M.O.はあるのだが、はっぴいえんど系がゴソッと抜けてゐて、かつ吉川晃司、長渕剛、そして氷室京介がないのは致命的だ。それでも少し前にBOØWYが入つた事は大きな一歩であつた。
ただ、1991年のクリスマスイブに限定10万セットで発売された10枚組BOX『BOØWY COMPLETE LIMITED EDITION』がなく、従つてDISC X:“SPECIALS”だけに収録されてゐる「たつた一度のラブソング」、氷室と布袋の貴重な共作曲「OUR LANGUAGE」(シングル「BAD FEELING」のB面)、「BEGINNING FROM ENDLESS」( シングル「わがままジュリエット」のB面曲)、公式音源で唯一のカバー曲「THE WILD ONE (SUZI QUATRO) 」(シングル「Marionette」のB面)の4曲が落ちてゐるのは痛い。
これは権利関係といふよりただの配信忘れだと思はれ、ちやんときめ細かくやつてほしい。

とはいへ、これらはすべてCDで持つてゐるから聴かうと思へば聴ける。しかし最早iTunesに取り込むといふ作業をやめてゐるから、CDを取り出して聴くことになる。
かうした行為は昔は当たり前だつたが、若干面倒に感じてゐる自分がゐることは否めないし否まない。
特に「OUR LANGUAGE」一曲のために10枚組BOXセットをひもとき、かつその中の1枚を取り出し、デッキにセットするといふ段取りは費用対効果に見合はない。

やはりCDをプレイヤーで聴くといふのは、アルバム丸々1枚をいい音響で部屋中に響かせて、下手すればダンスしながら聴きたいといふ時に限られてくる。いはんやLPレコードをや。









# by ichiro_ishikawa | 2017-02-21 09:33 | 音楽 | Comments(0)  

Sweets from Stranger 再評価

全アルバム名盤といふイギリスのビートルズことSqueezeのベストが『ARGY BARGY』(1980)である事は論を待たないが、実は『Cosi Fan Tutti Fruti』(1985)だ、と来られても否定はしない。ガツンとくるのは前者だがグワッとなるのは後者だ。

といふのが30年来の俺評価だが、ここへ来て『Sweets from Stranger』やもしれぬといふ声が上がつてきてゐる。

ライブの定番レパートリーでありベストアルバムが出るたび必ず入る「Black Coffee in Bed」を擁する本作には、当初から「His House Her Home」といふ激シブ名曲もあり、名盤には違ひなかつたが、名盤揃いのスクイーズにあつて相対的に評価は低かつた。実際セールスもふるはず本作をもつて一旦解散をしてもゐる。

しかし、「When the Hangover Strikes」のダルさがじわじわきて、若い時分から気にいつてゐた「I've Returned」のポップ感や「I Can't Hold On」の疾走感、 に加え、1曲目「Out of Touch」や「Stranger Than the Stranger on the Shore」のミニマル感が癖になり、「Onto the Dance Floor」、「Tongue Like a Knife」、「The Very First Dance」といつた比較的劣位にあつた楽曲群までもなかなかどうしてやみつきになつてきた。
そしてなんといつても極め付けは、以前も触れた「The Elephant Ride」の途轍もなさ、そして新たに「Points of View」が激シブ名曲化したことを受け、このたび最高傑作と冠せむとせんところだ。

# by ichiro_ishikawa | 2017-02-11 19:36 | Comments(0)  

すべての店が選択肢


ヴァイラス性胃腸炎が完治せず禁煙10日目だが、
そのメリットは、
「すべての店が選択肢」になるといふ事だ。
これまでは「喫煙可かつ綺麗」といふガチガチな縛りが存するが故に選択肢は限定され、
店探しだけで1時間、といふ罰を与へられてゐた事に比べると、このメリットのメリット加減たるや、相当のものである。

だから、このまま治らないでも、
と一瞬思ふが、しかし、
「吐き気が治らず気持ち悪いがすべての店が選択肢」
と、
「きわめて健康体だが店探しだけで1時間」
とでは、どちらが良いのか。

世の中は解決しがたい難問に満ちてゐる。

# by ichiro_ishikawa | 2017-02-03 14:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

防寒と俺


真冬にあつて今日は少し暖かかつた。
ここのところ東京は極寒日が続き、
ヴァイラス性胃腸炎に罹患したりしたものだから、
ヒートテックonヒートテック、
コートon革ジャンonスウェードジャケッツonセーターに、
マフラー&毛糸帽子、
といふ完璧な装備で出勤するも、
そんな防寒にピタリと合はせたかのやうに、
少し暖かかつた。


# by ichiro_ishikawa | 2017-01-27 22:31 | 日々の泡 | Comments(0)