布袋寅泰、ドーベルマンの意味

 布袋のクラブギグを見て久しぶりに思索が促された。ひとつは、布袋の青春歌謡ロックという方向性がひとつの頂点を極めたという実感、及びクリアになった布袋のキャリアの変遷。ひとつは、ギタリズムの、布袋における、そしてロックにおける位置。ひとつは「ヒムロックも怖くない」発言が単純に意味するところ。メロディ・メイカーとしての布袋の特徴、力量。リズム、リフについて。ソロについて。これらは各々が関連するので筆に任せて乱筆していく。

 最新作『ドーベルマン』は90s以降のデジタルビートをふんだんに取り入れながらも大筋において目新しさはない楽曲が並んだアルバム。というか、これまでの世界中のロックの美味しいところを随所に盛り込んだ、“ロック大全集”的なアルバムになっている。ロック・ファンなら誰しもニヤリとさせられる王道フレーズのオンパレード。こうした直球勝負のやり方は、現在の布袋の生きる道を明確に物語っている。ここで布袋のキャリアを振り返る必要がある。
 いう間でもなく布袋の出発点はBOφWYで、ブリティッシュ・ポップのスパイスを利かせた日本歌謡メロディ、ダンサブルなリズム、ギターリフが基調となっている。今でこそ音楽的には当たり前の路線として猫も杓子も歌謡ロックを奏でているけれど、日本の音楽シーンに確立、定着させたのは布袋であり、それこそがBOφWYにおいて最も評価されるべき布袋の偉業だ。だが、BOφWYはわずか6年の活動で、氷室の美的価値観により急きょ解散する。布袋は、氷室とワンセットで一ギタリストとして生きていく覚悟だったに違いない。前に立つボーカリストを失った布袋は、自分が前に出ることはとりあえずナシとした。旧知の吉川晃司を迎え新しいバンドを組む。その前にまず、ギターメインのBOφWYを極めるべく『ギタリズム』を作る。コンプレックスの誤算は、ロックアーティストとしてのステイタスを獲得したかった吉川晃司が、布袋のマリオネットにはならなかったことによる。単純な音楽的指向の相違ではない。当人たちが希望していた主従関係のバランスの崩壊だ。主導権を握って当然と考えていた布袋と、対等でぶつかりたい吉川。
 このバンドの短命で布袋はひとつ別のステップを生み出す。フロントに出て歌うということだ。ここで、そうはせず、「アンダーグラウンドなギタリスト」に向かえば、ロック界からは絶賛されたに違いないが、ヴェルヴェットアンダーグラウンドよりもTレックスが好きな布袋という、もともとの気質からして、ギンギラギンのロックンロールに向かったのは自然な流れと言える。ただしストレートにBOφWYをひとりでやるという方向に足を向けなかったのは布袋のいい意味での若さで、ポップとアヴァンギャルドの微妙なバランスを保っていくと行くという命題を自らに課したことは特筆しなければならない。かくして『ギタリズムII』は、BOOWYの“現在”、コンプレックスの“3枚目”とも言え、ギターリスト、ミュージシャンとしての新しいステップが、つまった大傑作となる。
 『II』のツアーで、布袋は、シンガーとしての自分に少なからず自信をつけたようだ。『II』がうまくマニアック性を追求できたことで肩の荷を下ろした布袋は、初期衝動をストレートに具現化した『III』を作り上げる。
 こうして自分なりのロックをやり尽くした布袋が次に目指したのは、お茶の間であった。『IV』の誕生である。『IV』製作にあたって非常に重要なのが、旅である。デヴィッド・ボウイとの再会を始めとする、さまざまな人々との出会い。布袋はこの時31~2歳。ひたすら自分の美意識を追求して来た、美神との格闘だった若き20代を鳥瞰できる目を獲得した。核ができた、あとはそれが他者にどう響くかという実践をしたくなったこと、あるいは外の刺激をよくも悪くも迎え入れていこうという、温和になった布袋がそこにはいる。「さらば青春の光」ではじめてテレビで歌い、「サレンダー」では歌謡番組にも出演。
 そしてギタリズム終了の最後の公演で「ポイズン」を披露し、いよいよギター・マエストロは、女子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、お茶の間、世間という怪物に対して自分をさらけだしていくことになる。そこからは、ロックンロールという核を持ちながらいかに万人に届く楽曲を作っていくかという戦いになるのである。その実は厳しい戦いが、最新作『ドーベルマン』で完了したといっていい。一介の優れたギター弾きで終ることを由とせず、ギターを奏でるエンターテイナーとしてのシンガーとして、ひとつの地位を築き上げた。その試行錯誤がいよいよ名実共に終ったのではないか。「永ちゃんも、ヒムロックも怖くない。まっちゃんはちょっと怖いけど」。まっちゃんは愛嬌としても、これはギター弾きがフロントのシンガーと同じ土俵で戦い続けた末、同じ位置までたどり着いたという実感の現れである。これは凄いことである。キース・リチャーズはミック・ジャガーとセットなのであり、ジョニー・マーはモリッシーの後ろで最も輝く。バーナード・バトラーとブレット・アンダーソンしかり。氷室と布袋はやっぱりジョンとポールなのである。どちらもミュージシャンでフロントマンとしてのシンガーなのだ。

  『ドーベルマン』は一聴して限り無く元気でエネルギッシュなアルバムだ。キャッチーなギターリフ、ギターソロ、メロディアスな歌メロという布袋マエストロの技は相変わらず冴え渡っている。そして布袋の軸であるリズム。ギタリズム。ギターだけで完結できるリズム感覚こそが布袋の真骨頂で、これに松井常松のベースはただ厚みを加えているに過ぎない。布袋のギターには自己をいい意味で殺せるベーシストが必須なのだ。
 たしかに中学生がお気に入りにしそうなアルバムだ。だが、大人が楽しめないかといえばそうでもない。かっこいいリズムにかっこいいリフ、つぼに利くメロディ。普遍的な3分間のロックンロール・チューンが宝石のごとくキラキラ輝いている、ギンギラギンのロックンロールがここにはある。大人が楽しめないのはその大人に元気がないのだろう。体力がないのだ。その体力のなさを否定する資格はないし否定しても何も生まない。ただ、そういう理由を摺り替えて、「布袋は終ってる」と布袋の評価を下げるのはあまりに自分本意過ぎると少し憤る。趣味じゃないのなら構わない、ロックじゃないとかお子さまミュージックだとかいう批評はもはや批評の態を成していない。

  『キング&クイーン』から本格的に始まった、お茶の間ロックを極めた布袋。次にどこへ向かうのか、興味深い。布袋とはひとつのことを極めたら同じところには留まっていない男なのだ。そういうスタンスなのではない、そういう気質なのだ。

# by ichiro_ishikawa | 2003-10-14 00:10 | 音楽 | Comments(0)  

Elvis Costello 来日公演

Elvis Costello
東京芸術劇場

 何度来てもどれもすごいという。フェスであったり、バンドであったり、今回のようなナイーブとのデュオであったり、その都度、編成が違うからサウンドも違うし、選曲も同じではないけれど、そのいずれもがものすごいという。テンションが高い。といってもバカ騒ぎ的な高さでも、ピリピリするような緊張感の高さでもない。演奏と歌に没入する態度が常にハイレベルなところにあるのだ。最近は大抵、ヒットメドレーで終るのだけれど、ファーストの曲から最新作まで、楽曲のクオリティが高いところで一定というのが驚きだ。だから、コステロは毎回行かざるを得ないことになる。できれば、セットリストも違うだろうからどの公演も行くべきなのだけれど。 

# by ichiro_ishikawa | 2003-10-01 11:35 | 音楽 | Comments(0)  

Television 来日公演

Television
渋谷AX

トム・ヴァーラインはやはり本物だった。こういうインテリ・ロックンローラーは知的に音楽を捉えることができるから、いいオッサンになるとプロデューサーになったり、現代アヴァンギャルドに走ったりするのだけれど、ヴァーラインは頭がおかしいのでそうはなっていない。デイヴィッド・ボウイやエリック・クラプトンのような資本主義的インテリではなく、ゴッホやピカソ、ニーチェ的な白痴インテリだ。だからこそ誰も真似できない。自分にだけしか聴こえない音楽が見えていて、そこに達することで精一杯。俺はこういうミュージシャンを愛する。

# by ichiro_ishikawa | 2003-09-25 11:34 | 音楽 | Comments(0)  

Lou Reed 来日公演

Lou Reed
東京厚生年金会館

 そこにいる、というだけで成立してしまう恐るべきカリスマ性。正直、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド~ソロ初期がすべてて、あとは余興なのだけれど、その余興によって、黄金の数年間のキャリアが損なわれるというのはおかしな考え方だ。
 ルー・リードの声が鳴っただけで、高校2年の冬が立ち現れるのには辟易するが、もしかしたらあの暗黒の高校時代へのノスタルジイに酔いしれているだけかもしれない。だが、楽しかった青春を懐かしむなら可愛げがあるが、苦しく哀しかった青い時をあえて懐古するという行為はマゾヒズム以外の何かであろうか。できれば思い出したくないのである。だが、そういう時代は一番精神が瑞々しいのかもしれない。いや瑞々しいからこそ哀しかったのか。いずれにせよ、あの時の自分の感覚がもっとも正しいということが、年齢を重ねるに連れて明らかになってくるとは、世界の構造というのはよく分からない。 

# by ichiro_ishikawa | 2003-09-20 11:33 | 音楽 | Comments(0)  

WIRE 03

WIRE 03
さいたまスーパーアリーナ

卓球ちゃんでさえ今イチ。田中フミヤがよかった。でも如何せん、さいたまスーパーアリーナというのはどうなのか。俺にはレイヴは向いてないな。密室のダンスが好き。

# by ichiro_ishikawa | 2003-08-30 11:32 | 音楽 | Comments(0)  

The Strokes in Summer Sonic 03

The Strokes
Summer Sonic 03千葉マリンスタジアム

 カッコいいリフ、シンプルなギターカッティング、リズム、ルート連打のベース、低音ボーカル、ロックンロールメロディ。ニューヨークアンダーグラウンド臭の濃いガレージ系ロックンロールバンドという、俺のもっとも好きなスタイルのひとつを体現。でも心から惚れることがないのは、バンドがアマいのではなく、もちろん俺が歳をとりすぎているせいで、これはもう取り返しがつかない。そういうとき俺はどうすればいいすればいいのだろう。

# by ichiro_ishikawa | 2003-08-03 17:00 | 音楽 | Comments(0)  

Fuji Rock Festival 03

2003.07.27 SUN.

Nick Lowe
 ギターを抱えた本人だけのステージ。日ざしが強い4時前。グラサンにスーツ。長身のダンディ。「Cruel To Be Kind」「(What's So Funny 'bout) Pease,Love And Understanding」に感涙。

Elvis Costello
 すげえ勢いで出てきてグワーッと演奏して、最後は「(What's So Funny 'bout) Peace,Love And Understanding」。直前の曲との間でギターを交換したが、そのギターが調子が悪く、肝心の出だしで音が出なかった。あの音が出てたらすげえ決まっていたが、それを差し引いてもすげえ演奏、そして声。ニック・ロウの飛び入りは誰もが期待しただろうがなかった。

Steve Winwood
 スペンサー・デイヴィス・グループもトラフィックも、ソロもそんなに聞き込んではいないものの、いつ聴いてもすげえいい、スティーヴ・ウィンウッドを、初めて観る。すげえいい演奏、声、つら。いい皺。イギリス人らしい神経質さもいい。

Massive Attack
 あの声がエフェクト・ヴォイスじゃなかったことにまず驚き。CDがすげえいいけれど、ライブはどうなのかこの手のアーティストは、と思っていたが、CD通りの良さを体感できてよかった。サウンドはCDの方がいい。当たり前か。夜、というのもよかった。終演後、急いでホワイトステージのモグワイに駆け付けたが、残念ながら終っていた。

# by ichiro_ishikawa | 2003-07-27 02:11 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄アンダーライン

●小林秀雄「カラマアゾフの兄弟」より
 しかし、ドストエフスキイは、恐らく何もかも承知していた。承知して何もかもやっていたのである。そして、そちらの方が大事な事なのだ。なるほど、彼の生活の乱脈は異常なものであったか、乱脈をわかり易く解こうとする人に、それは不可解なものに思われるに過ぎまい。灰汁まで乱脈に固執して、「猫の生活力」を自負した人にとって、何処に不可解なものがあったろうか。感傷的な傍観者が、躓くだけである。貧困、濫費、熱狂、絶望、忿怒、凡そ節度を知らぬ情熱なら、書簡のうち至る処に見附かる。あたかもそういうものに誑かされて彼は正気を失っている様に見える。だが、もし彼がよく承知の上で誑かされていたのだとしたら、どういう事になるだろうか。誑かされるのが生きるという事だというのが、彼の生活の奥義だとしたら。この一見奇妙な信条が、彼の様な深い生活体験者の心にあったと考えて少しも差し支えあるまい。

 上手に語れる経験なぞは、経験でも何でもない。そういうドストエフスキイの言葉を聞く想いをしながら、彼の書簡集を読んで来た者には、既に充分生活に小突き廻された五十歳の彼が、自ら「畢竟の人生」という「偉大なる罪人の一生」について、吃り吃り語る際、彼自身どんなおもいであったかを感得するのは難しくはない筈だ。未来の大小説について、順序なく、くどくどと述べた後、彼は、凡庸な解説家の様に言う、「要するに、根本をなす問題は、僕自身が、今日までずっと意識して、又、無意識に苦しんで来たところ、即ち神の存在という問題です」。まさに、その通りであろう。
「カラマアゾフの兄弟」について書こうとして、僕も、彼に倣って言いたい気持ちがする。「根本をなす問題は、彼の作品について書き始めて以来ずっと僕が意識して、又無意識に、見極めようと苦しんで来たところ、即ち、彼の全生活と全作品とを覆うに足りる彼の思想の絶対性とも言うべき問題だ」と。ここで、今まで書いて来たところとは別な何か新しい事を言おうとも思っていない。

 奇蹟が現れたら神を信じようと言うが、そんな事は出鱈目である。君等は決して神に君等の魂を献げやしない、奇蹟に君等の魂を売り渡すだけだ。君等の言う奇蹟とは、君等の理性が理解できぬと認めたものだ、つまり君等が理解出来ぬと理解した時に奇蹟は現れるわけだ。それなら実のところ奇蹟はまるで現れないのと同然ではないか。奇蹟が現れたと言おうと現れぬと言おうと、君等は君等の猿知恵が編み出した秩序の囚人であり、奴隷である事には変わりはない。確乎たる哲学を持つがよい、政治理論も持つがよい、決して完成される事のないバベルの塔を築くには、恰好の材料だ。だが、君等を「自由の子」「自由な愛の子」とは呼ぶまい。そういう腹なのだ。

# by ichiro_ishikawa | 2001-10-31 03:45 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄アンダーライン

●小林秀雄「徒然草」(「文学界」1942年8月号)より
「徒然なる儘に、日ぐらし、硯に向ひて、心に映り行くよしなしこどを、そこはかと無く書きつくれば、怪しうこそ物苦ほしけれ」。徒然草の名は、この有名な書き出しから、後人の思い付いたものとするのが通説だが、どうも思い付きはうま過ぎた様である。兼好の苦い心が、洒落た名前の後に隠れた。一片の洒落もずい分いろいろなものを隠す。一枚の木の葉も、月を隠すに足りる様なものか。今更、名前の事なぞ言っても始まらぬが、徒然草という文章を、遠近法を誤らずに眺めるのは、思いの外の爾である所以に留意するのはよい事だと思う。
「つれづれ」という言葉は、平安時代の詩人等が好んだ言葉の一つであったが、たれ゛も兼好の様に辛辣な意味をこの言葉に見付け出した者はなかった。彼以後もない。「徒然わぶる人は、如何なる心ならむ。紛るる方無く、唯独り在るのみこそよけれ」、兼好にとって徒然とは「紛るる方無く、唯独り在る」幸福並びに不幸を言うのである。「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるだろうから。やがて「惑の上に酔ひ、酔の中に夢をなす」だろうから。兼好は、徒然なる儘に、徒然草書いたのであって、徒然わぶる儘に書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、眼が冴えかえって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、「怪しうこそ物苦ほしけれ」と言ったのである。この言葉は、書いた文章を自ら評したとも、書いて行く自分の心持ちを形容したとも取れるが、彼の様な文章の達人では、どちらにしても同じ事だ。
 物が見え過ぎる眼を如何に卸したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。
 彼には常に物が見えている、人間が見えている、見え過ぎている、どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。評家は、彼の昌子趣味を云々するが、彼には趣味という様なものは全くない。古い美しい形をしっかり見て、それを書いただけだ。
 どの糸も作者の徒然なる心に集まって来る。
 徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。


 西行には心の裡で独り耐えていたものがあったのだ。彼は不安なのではない、我慢しているのだ。
 僕は彼の空前の独創性に何等曖昧なものを認めない。彼は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世も、これを護待する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。
 西行は、すさびというものを知らなかった。月を詠んでも仏を詠んでも、実は「いかにかすべき我心」と念じていたのであり、常に其処に歌の動機を求めざるを得なかった
 自然は彼に質問し、謎をかけ、彼を苦しめ、いよいよ彼を孤独にしただけではあるまいか。彼の見たものは寧ろ常に自然の形をした歴史というものであった。

# by ichiro_ishikawa | 2001-10-23 03:45 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄アンダーライン

●小林秀雄「文学者の提携について」より抜粋
伝統は物だ
影によるたはむれに過ぎない
文学者の願ひ
詩人の苦しみ

●小林秀雄「維新史」より抜粋
 若し資料さへ豊富に出揃へば、どの時代の歴史も矛盾混乱が、その真相であらう。この矛盾混乱に眼を見張って、はじめて、そのなかに生き死にする人間の思想の尊さが解るのである。
 思想の敵が反対の思想にあると考えるのは、お目出度い限りである。思想が戦い鍛えられるのは、現実そのものの矛盾によつてである。言いかへれば、思想の眞の敵は己れ自身にあるのである。どの様な思想も安全ではない。

●小林秀雄「自己について」より抜粋
 自我とか自意識といふものが、どう仕様もなく気にかかつた。自己描写用に拙劣な小説家を独り傭ひ込んでいた様なものだ。青春は空費されたのか。恐らくそうだらう。誰でも自己を語る事から文学を始める。だが、さういふ仕事を教えてくれたルッソオは、自己告白を一番後廻しにした。
 自意識の過剰と言ふ事を言ふが、自意識といふものが、そもそも余計な勿体ぶつた一種の気分なのである。他の色々な気分と同様、可愛がればつけ上がるし、ほつとけば勝手にのさばるのだ。自意識の過剰に苦しむといふ事は、憂鬱な気分に悩むといふ事と全く同じ様子をしている。何かが頭のなかでのさばるのを、その儘放つて置く苦痛なのだ。太陽や水や友人や、要するに手ごたへのある抵抗物に出会へない苦痛なのである。ただ苦痛のさういふ明らかな原因には、気が付くか付かないかの二つに一つだ。だんだん気が付くといふ様な事は決してない。夢がだんだん覚めるといふ事はない。

●小林秀雄「藝術上の天才について」
 一方に現実の歴史の驚くべく無秩序が見えて来て、一方に作品の驚嘆すべき調和なり秩序なりが見えている、さういふ経験をする事が、天才の作品を調べる時に必要だと思ふ。
 どうしてこの様な現実の無秩序から作品の秩序が生れたか、それを理解する事が出来ない。ただ驚くだけだ。併し、この驚きは無駄ではないのだ。この驚きのなかで、僕等は、例へばドストエフスキイならドストエフスキイが、現実の無秩序の直中に生きて死んだその姿を合點するのです。彼の作品が生れたと覚しい現実の土台、歴史の諸条件、さういふものの僕等の理解し易い、限定された形のなかで、彼が実際に生き実際に死んだ筈はないではないか。
 謎は解けずに残ったわけですが、謎の上げる光は強さを増し、美しさを増す。

●小林秀雄「感想」より抜粋
*俺自身の為の註:読了後も前半の「孤独」は些か不明瞭に心に映ずる(10/23時点)
 嘗ては、さういふ瞬間が、何か自分の精神の破れといふ風に感じられ、罪は当方にある様に思はれたが、当方には何の罪もないといふ事が次第に解って来たからである。恐らくそれは言はば、自分の感じ得る孤独感といふものの限度である事を知り、従つて、この孤独感を自分の生活のうちで馴致する術も次第に会得したが為である。 過去といふものは無いのだ。過去とは過去と呼ばれる信仰の意味だ、この平凡な考へが、今更の様に僕の頭を刺激していた〜。誰もこの信仰の深さを測定できない、又、その曖昧な力を逃れ切る事は出来ない、従つて誰も孤独ではない。だが、誰でも自分の感じ得る孤独感といふものは持つている筈だ、持つていてよい、それは恐らく健全なことである。僕は博物館で襲われたあの孤独感を、其後、何か生き物の様に馴致して来た事を考へた。確かに厄介な生き物であつた。訳のわからぬ人生への無関心や侮蔑を語つたのも彼だつたし、自愛といふ感傷や自意識といふ贅沢を教えたのも彼だつた。だが、今はもう彼を手馴付けた、僕にとつて批評とは、この馴致した孤独感の適宜な応用に他なるまい、僕はそんな事を思つた。
                *
 彼(福澤諭吉)は世人にも見えていた同じものを、世人の眼より遥かに粘り強い眼力で見据えていた。
 世人は、現にある世相の騒乱の先きに、これを生んだ原因を見、原因が見えて了へば今度はその先きに問題の解決法が見付かる筈だ、といふ安易な筋を辿つたが、彼には原因はさういふ風には見えなかつた。恐らく彼にとつては、原因を見定めるといふ事は、現に在る世相の騒乱の動かし難い性格に、いよいよ眼がすわるといふ事に他ならなかつた。現に在る世相の騒乱が見えて来るといふ事は、恰も実体鏡を用ひて眺める様に現に在る世相の騒乱の抜き差しならぬ諸特色を浮き上がらせる様なものであつた。
 彼は、厳に見える世の中の状態は最悪と呼べる状態だぐらいはよく承知していたのだが、彼がもつとはつきり承知していたのは、問題を解決する鍵を現に見えている世の中の状態の外に探つてはならぬといふ事であつた。従つて、現実の状態が最悪であらうがあるまいが、問題の解決の鍵は現実の状態の外には見付からぬといふ彼の様なリアリストの信念にとつては、最悪の状態といふ様なものは存在しないのである。
 空想家は、己れの弱点を省みて、他人の美点に問題解決の鍵を求めたがるものだ。自分の弱点の利用法が納得出来る迄、自分の弱点を執拗に見詰める力を持つた人は少ないのである。
 彼は、観念上の原理を信じなかつた。併し、さういふものの力を知らぬ実際家でも、常識家でもなかつた。ただ明治初年といふ大過渡期に、さういふものに頼るのが甚だ危険な空想である事をよく知つていたのである。彼は、はつきり目覚めて、はつきり見る事の出来る「現にあるもの」を信ずれば足れりとした。烈しく揺れ動く当時の様な社会生活のうちにしつかりと根を下した本当に現実性を持つた観念なり思想なりが、何処に見えたであらうか。見えないものを信ずるわけにはいかなかつたのである。では、何が確実に見えたか。「一人にして両身あるが如」き混乱が見えた。この混乱こそ当時の日本人達だけが確実に知つているものであつた。彼は、この確実なものを議論の土台に選んだ。

●小林秀雄「野澤富美子『煉瓦女工』」より抜粋
 才能といふものは、ほんたうに人間が育つて来ると重荷になるものだ。楽に使つた自分の才能が楽に使へなくなるものだ。さういふ時機が必度来て才能とは何物であるかを教へてくれる。この時機を知らない人は、自分の才能に食はれて終る。

全集第7巻(1940〜1945)のうち、文庫にもなっている作品は飛ばして読んでいるが、以下その一覧
■1940.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
■1940.10:マキアヴエリについて(Xへの手紙・私小説論)
■1940.11:文學と自分(考えるヒント3)
■1941.2:島木健作(作家の顔)
■1941.3:歴史と文學(考えるヒント3)
■1941.3:林房雄(作家の顔)
■1941.4:匹夫不可奪志(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
■1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(Xへの手紙・私小説論)
■1941.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
■1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(作家の顔)
■1941.10:カラマアゾフの兄弟(ドストエフスキーの生活)
■1942.4:当麻(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.5:「ガリア戦記」(Xへの手紙・私小説論)
■1942.6:無常といふ事(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.7:平家物語/「先がけの……(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.8:徒然草(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.11:西行(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1943.2:実朝(モーツァルト・無常という事/真贋)

●小林秀雄「伝統」より抜粋
 古を惜しむといふ事が、取りも直さず、伝統を経験する事に他ならないのである。従つて、この感情を純粋にし豊富にしようと努めることが伝統といふものをしつかりと体得するただ一つの道だ。
 或る藝術作品の性質を、歴史的にはつきり限定出来たとしても、その藝術が、多くの時代々々を貫いて生きて行く、日に新しい意味を持つてよみがへるのは、一体どういふわけなのか、その事を少しも説明しやしない、さういふ大事な點も忘れ勝ちになるのであります。

 僕等が自覚せず、無意識なところで、習慣の力は最大なのでありますが、伝統は、努力と自覚を待たねば決して復活するものではないのであります。僕等は習慣を見失ふ様な事はないが、伝統は怠惰な眼を掠めて逃げるものだ。

 感傷とは模倣といふ行為の意識化し純化したものなのである。救世観音の美しさは、僕等の悟性といふ様な抽象的なものを救ふのではない、僕等の心も身体も救ふのだ。僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするである。そこに推参しようとする能力によつて、つまり模倣といふ行いによつて。

 詩人はある考へを詩で述べるのではない。又、ある一つの考へを言葉でどうにでも言ひ現すといふ様な事をしているのでもない。ある動かすことの出来ぬ詩といふ言葉の建築を作るのであつて、彼の考へとは、その建築の姿そのものに他なりませぬ。

 藝術家といふものは、決して自由な人ではない。常にどうにもならぬ制約と戦つている人間です。更に言へば、その戦のなかに、眞の自由を発見している人間です。

 表現以前にある個性といふ様なものは、全くの空想である。藝術家は、材料と取り組み、己れを空しくしてある形を作り上げてみて、はじめて己れの個性といふ様なものが、出来上がった形に現れるのを悟るものです。その現れたものが最初にあつたのではない。

 伝統の発見といふ事は、藝術家が極めて立派な材料を発見したと感ずる処に起る。人間の精神の自由が材料の必然と統一しているといふ美しさが、ある動かし難い文化の形として感じられた時に起る。さういふものが新しい創造の材料となる時に、その形が動かし難い規範として見えて来るのである。規範として映る時、材料といふものの制作に対する抵抗は最大となる。この抵抗に自覚と喜びをもつて服従出来た時に、はじめてその人は新しい伝統の形を作り得るのであります。

●小林秀雄「文藝月評XXI」より抜粋
 観察するこちらの人間が成熟してくるにつれて、観察される歴史の方も成熟して来る、さういふ歴史の見方が、僕は一番健全で、又本当の意味で客観的な歴史の見方だと考へている。歴史学の厳格な方法といふものを、常に適度に軽蔑している事がひつようだと思ふ。既成の観察方法だとか様々な先入観だとかいふものを、出来るだけ去つて、歴史の方でいろいろとその秘密を打ち明ける様になるのを、ぢつと待つているといふやり方、さういふやり方が、難しいが本当のやり方だと思ふ。
 物から離れ、心を空しくする時に、物の客観性といふものが、自ら現れて来るのではない。物に対して、透徹した関心を努力して工夫して、はじめて物の客観性を得ることが出来るのである。

●小林秀雄「戦争と平和」より抜粋
 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

●小林秀雄「歴史の魂」より抜粋
 政治家の意見だとか、議会だとか、外交だとか、同盟だとか、条約だとか、そんなものが人類の戰争とか平和とかを決定するのではない。私の体験観察に依れば、戰争とか平和といふものはもつと運命的な大きな力で左右されているもので、たとへば民族の興亡といふやうな永遠の法則があつて、人力ではいかんともし難い大きな力があつて、それが戰争を勃発させるのである。将来人類から戰争を絶滅させるべしといふ様な現代の輿論は女子供には向くかも知れないけれども、自分の様な戰争で苦しんで戰争をよく知つている者には一向馬鹿々々しい思想である。戰争は又必ず起こるのだ。だから自分は戰争の準備をする。
 彼は輿論だとか、スローガンだとか、批評だとかいふものに少しも惑わされないで、自分の見た現在といふやうなものから、明瞭に判断を下しただけなのです。
 戰争が終わつて皆んなホッとして、将来戰争をなくさなければならぬと考え先走つている時に、今やつて来た戰争の性格をじつと考えていただけなのです。
 将来はああであらう、こうであらう、或いはかういうやうな理想、希望を持つといふ事は易しい事だ。けれども実際自分の眼の前にある事態のなかに将来の萌芽が、ちらちらと見える、さういふ萌芽が見えるまでぢつと現在の事態を眺めている人が稀なのです。
 自分で判断して、自分の理想に燃える事の出来ない人はスローガンとしての理想が要るが、自分でものを見て明確な判断を下せる人にはスローガンとしての理想などは要らない。若しも理想がスローガンに過ぎないのならば、理想なんか全然持たない方がいい。
 吾々の解釈、批判を拒絶して動じないものが美なのだ。本当の美しさといふものはさういふものなのだ。吾々の解釈で以てどうにでもなるやうなものは本当の美ぢやない。
 歴史を記憶し整理する事はやさしいが、歴史を鮮やかに思ひ出すといふ事は難しい、これには詩人の直覚が要るのであります。

深い侮蔑から来る無関心を蔵している

●小林秀雄「ゼークトの『一軍人の思想』について」より抜粋
 不言実行といふ言葉は誤解されている。お喋りは退屈だとか唖は実行家だとかいふ意味ではない。言はうにも言はれぬ秘義といふものが必ず在るので、それを、実行によつて明るみに出すといふ意味である。

●小林秀雄「文學者の提携について」より抜粋
 伝統は観念ぢゃない、寧ろ物なのである。
 伝統は物質だと言ふのではない。物とは元来、存在といふ意味の字です。伝統は物であるとは、伝統とは存在する形だといふ意味であります。例へば、文學伝統とはわれわれの現に所有する古典です。われわれの先輩が遺した文學的遺産といふ明瞭な形である。従つてこの文學伝統を眞に理解するといふこと、つまりわれわれがこの文學伝統を継承するといふこと、それはかういふ明瞭な形を古人が刻苦精勤して作り出した、その或る深奥なる実際の手腕を、われわれも刻苦精勤して体得するより外に道はないのであります。
 伝統といふ観念を、観念によつて説かうとする、恰も影によるたはむれに過ぎない。
 文學者ほど言葉に対して神経質なものはない、言葉を恐がっているものはない。百圓の言葉で必ず百圓の物が買へるやうに大事に言葉を使ひたい、これが文学者の願ひです。
 言霊といふ言葉の意味は、百圓の言葉で本当に百圓の物が買へる、さういふ言葉には魂があるといふことです。万葉詩人は「言絶えてかく面白き」と歌つていますが、言霊を得るためには、先づ言葉ではどうしても表現できない或るものが見えていなければいけないのです。赤人は富士山を見て、言語に絶する「言絶えて」珍しく面白き富士山の美しさを見た。到底言葉で言ひ現すことは出来ぬ。だが、これを言葉にしなければならぬ。そこに詩人の本当の技巧がある。苦しみがある。さういふ苦しみを通じないと、詩人は決して存在に対して肉迫することは出来ぬ。従つて言葉は物とならぬ。
 本当の文學者はものが複雑に見えて、微妙に見えて仕方がない人種です。言葉の濫用なぞ思ひもよらぬ事です。「言絶えた」物が見えている。これを現すには、たつた一つの言葉しかない。それを捜している人間です。喋つてみても駄目、議論してみても駄目、これしか他にはないといふ言葉だけを集めて、作品を創る。さういふ行為によつてしか解決できぬ課題を常に抱いている。さういふ人種です。

全集第7巻(1940〜1945)のうち、文庫にもなっている作品は飛ばして読んでいるが、以下その一覧。今回再読したものは■、まだのものは□。
■1940.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
□1940.10:マキアヴエリについて(Xへの手紙・私小説論)
□1940.11:文學と自分(考えるヒント3)
■1941.2:島木健作(作家の顔)
□1941.3:歴史と文學(考えるヒント3)
■1941.3:林房雄(作家の顔)
□1941.4:匹夫不可奪志(Xへの手紙・私小説論)
■1941.6:川端康成(作家の顔)
□1941.6:アランの「芸術論集」(西洋作家論)
■1941.7:パスカルの「パンセ」について(Xへの手紙・私小説論)
■1941.8:オリムピア(Xへの手紙・私小説論)
□1941.10:カラマアゾフの兄弟(ドストエフスキーの生活)
■1942.4:当麻(モーツァルト・無常という事/真贋)
□1942.5:「ガリア戦記」(Xへの手紙・私小説論)
■1942.6:無常といふ事(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.7:平家物語/「先がけの……(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.8:徒然草(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1942.11:西行(モーツァルト・無常という事/真贋)
■1943.2:実朝(モーツァルト・無常という事/真贋)

●小林秀雄「無常という事」より抜粋
 (前略)あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに来にかかる。無論、取るに足らぬある幻覚が起こったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。
 (前略)こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見い出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。
 (前略)僕は、ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。
 歴史の新しい見方とか解釈とかいう思想からはっきりと逃れるのが、以前には大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管めいたものを備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映って来るばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる様な脆弱なものではない、そういう事をいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鴎外が考証家に堕したという様な説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼は恐らくやっと歴史の魂に推参したのである。「古事記伝」を読んだ時も、同じ様なものを感じた。解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長が抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。そんな事を或る日考えた。又、或る日、或る考えが突然浮かび、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。「生きている人間などというもものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、何を仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。観賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみるし、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」
 この一種の動物という考えは、かなり僕の気に入ったが、考えの糸は切れたままでいた。歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。
 上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来へ飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代のなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。

# by ichiro_ishikawa | 2001-10-23 03:43 | 文学 | Comments(0)