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パソコンみながら俺と話すんのはやめてくんねえか


会議でよくノートパソコン開いてパタパタやつてゐる奴がゐるが、あれは見苦しい。書記、速記役なら兎も角、2〜3人のミーティングでもさうしてゐる奴が居る。

あれは何をしてるのか?

1. メモ(備忘録、その場で議事録)
2. ネットサーフィン
3. タバコも吸えねえし手持ち無沙汰なので適当にパタパタ
4. 相手の顔、目を見なくて済むやうにパタパタ

ぐらいしか思ひつかないが、いづれにせよ全部ダメだ。
会議は生対面での対話がキモだと思つてゐる。メモでさへダメだ。書記に任せればよい。書記が居なければ記憶せよといふ。メモするなら、その場の雰囲気とか相手の服装とか横顔とかだ。それでもやはり記憶するのが好ましい。結果、事前準備、事後の整理が重要になり、会議自体が濃厚になる。さうすれば会議自体さう何回もする必要がなくなり、結果的に実は効率もよい。

小林秀雄は、取材者に録音はもとより、メモも禁じた。目で話を聞くこと、その時の対話を大切にしたからだ。

俺はこれを真似てゐて他人にも強要してゐる。
「話は目で聞け」とは小6の担任の言。

最近、同じ嘆きをもつ曲がリリースされた。
「パワハラだ…」と問題の長渕剛の新曲。

何で人としっかりものを話せねえんだ?
何であいつの気持ちをわかってやれねえんだ?
だったらこの先 人と人との間で仕事できねえじゃん!
おい、聞いてんのか?
ってか、とりあえず一辺そのパソコン閉じろや‼︎
おいっ‼︎
だからそのパソコンみながら俺と話すんのはやめてくんねえか
え…?「僕、人間関係ダメなんです…」つて?
お前な‼︎ だったら何で女房とは肉体関係でガキ何人もつくんだよ
このやろう
バカかお前
ああ…嘆きのコーヒーサイフォン
(「嘆きのコーヒーサイフォン」より)


by ichiro_ishikawa | 2017-08-29 16:44 | 日々の泡 | Comments(0)  

小林秀雄のジャンル


小林秀雄は研究者や高い教養のある読書家、インテリ層にとても評判が悪いやうで、実証的にそのダメさが多く指摘されてもゐる。
エピゴーネンの俺は、なるべく謙虚に無私の精神を持つてそれらを読むやうにしてゐるが、それでもやはり的外れなものが多いと思はれる。
要するに、それらは「研究論文」「評論文」として小林の著作は瑕疵だらけといふ批判なのだ。
しかし小林の文章はロックンロールであり、つまりポップであり、「常識」を基盤とした個人の情熱であつて、「研究論文」や「評論文」ではない。さういふ意味で的外れなわけだ。「近代批評の確立者」といふレッテルが微妙なのだ。正確には「孤高のロック文士」(でもこれだとアカデミックに残らない、正史に記録されないので俗称にとどめん)。

小林の愛読者がまさしく眺めるものは無私なる(ゆゑに極めて個性的な)小林の情熱であり、その情熱に動かされるのであつて、その「客観的な妥当性」にではない。かつ、小林に認める凄さとは、その情熱の方が客観的な妥当性よりも大事だといふ事に気づかせてくれるところだ。研究や評論に価値がないといふ事では勿論ない。それとは別次元の、原始的な、人間にとつて大事なもの、といふジャンルがあるといふ事で、小林秀雄はそこに属する。そのジャンルにはほかに池田晶子がゐる。その二人しかゐない。

by ichiro_ishikawa | 2017-03-10 12:49 | 文学 | Comments(1)  

真珠湾

真珠湾を思うとき常に頭をよぎる言葉がこれだ。

 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。
(小林秀雄「戦争と平和」より)

by ichiro_ishikawa | 2016-12-29 10:33 | 文学 | Comments(0)  

【資料】小林秀雄著作の整理


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小林秀雄はその著作名が「感想」「文學」など、ぶつきらぼうで、また「ドストエフスキイ」「ゴッホ」「本居宣長」のやうに対象名そのままだつたり、かつそれらがいろいろな版元から様々なる仕様で再販されてゐるものだから、蔵書整理に悩まされる。
そこで今回は、同タイトルで複数版元・仕様で出てゐるものを以下にまとめん。
 (★)=現刊行(それ以外は絶版)



様々なる意匠・Xへの手紙・私小説論

『様々なる意匠』
・改造社 昭和9年5月20日

『私小説論』
・作品社 昭和10年11月8日 ※装幀:青山二郎。函入。古書価格31,320円〜(2014.8.15)
・作品社 昭和11年10月29日 ※菊半截判
・作品社(上製版)昭和13年6月30日
・作品社(普及版)昭和13年6月30日
・創元文庫 昭和26年10月25日 ※「私小説論」を全編にわたり加筆修正

『Xへの手紙』
・野田書房 昭和11年1月20日 ※限定360部/函入。古書価格26,250円〜(2014.8.15)
・芝書店 昭和24年7月30日
・角川文庫 昭和29年5月10日

『Xへの手紙・私小説論』
・新潮文庫 昭和37年4月12日(★)

『様々なる意匠・Xへの手紙』
・角川文庫(改版) 昭和43年11月10日



ドストエフスキイ

『ドストエフスキイ』
・アテネ文庫(弘文堂)昭和23年9月15日講談社 昭和41年6月10日特製300部
・講談社(名著シリーズ) 昭和41年6月10日

『ドストエフスキイの生活』
・創元社 昭和14年5月20日 装幀:青山二郎
・創元文庫 昭和26年9月25日 解説:河上徹太郎
・角川文庫 昭和31年8月20日
・新潮文庫 昭和39年12月20日 解説:江藤淳(★)
・角川文庫(改版) 昭和43年10月28日 解説:吉田生
・創元選書 昭和50年12月10日
・東京創元社 昭和50年12月25日 純白総皮上製/限定600部

『ドストエフスキイ全論考』
・講談社 昭和56年11月25日

『ドストエフスキイの文学 「白痴」について他』
・角川選書 昭和43年10月20日



無常といふ事・モオツァルト

『無常といふ事』
・創元選書 昭和21年2月25日
・花文庫(創元社) 昭和21年9月15日
・創元社 昭和24年1月30日 ※装幀:青山二郎<
・創元文庫 昭和27年8月5日 ※解説:河盛好蔵
・角川文庫 昭和29年9月20日 ※解説:河盛好蔵
・槐書房 昭和48年11月15日 ※限定版

『無常という事』
・角川文庫改版 昭和43年5月20日 ※解説:佐古純一郎

『モオツァルト』
・百花文庫(創元社) 昭和22年7月15日 ※初出誌にある母への献詞を省く
・日産書房 昭和24年4月15日 ※初出誌にある母への献詞を復活
・角川文庫 昭和34年8月10日 ※解説:河上徹太郎
・角川文庫(第11刷改版) 昭和44年8月10日 ※解説:河上徹太郎/座談「小林秀雄とのとある午後」は12刷以降省かれる
・槐書房 昭和50年11月30日 ※限定A版155部
・槐書房 昭和50年11月30日 ※限定B版212部
・槐書房 昭和50年11月30日 ※限定著者版26部

『モオツァルト・他』
・創元文庫 昭和28年1月15日 ※解説:河上徹太郎

『モオツァルト・無常といふ事』
・新潮文庫 昭和36年5月15日(★)

『モーツァルト』
・集英社文庫 平成3年4月25日




ゴッホ、近代絵画

『ゴッホの手紙 書簡による伝記』 
・新潮社 昭和27年6月15日
・角川文庫 昭和32年10月30日
・角川文庫(改版) 昭和43年8月26日

『芸術随想』 
・新潮社 昭和41年12月10日
・新潮社 昭和42年1月18日 ※限定1000部

『近代絵画』
・人文書院 昭和33年4月15日 ※豪華版 ジャケット附B5上製函入
・新潮社 昭和33年12月5日
・新潮文庫 昭和43年11月30日(★)





文芸評論

『文芸評論』
・白水社 昭和6年7月10日 ※装幀:青山二郎。古書価格30,000円〜(2014.8.15)
・日産書房 昭和23年6月15日
・日本近代文学館 昭和44年9月10日 ※白水社版の完全復刻

『続文芸評論』
・白水社 昭和7年11月1日装幀青山二郎
・日産書房 昭和23年11月15日

『続々文芸評論』
・芝書店 昭和9年4月15日 装幀青山二郎
・日産書房 昭和24年6月10日

『文芸評論集』
・改造社 昭和11年7月10日

『文学』
・創元選書 昭和13年12月15日

『文学2』
・創元選書 昭和15年5月20日

『文学・芸術論集』
・白凰社 昭和45年12月10日

『文芸評論 上巻』
・筑摩叢書 昭和49年5月25日

『文芸評論 下巻』
・筑摩叢書 昭和49年9月5日

『小林秀雄初期文芸論集』
・岩波文庫 昭和55年4月16日
・岩波クラシックス 昭和58年3月28日

『小林秀雄全文芸時評集 上』
講談社文芸文庫 2011年7月9日

『小林秀雄全文芸時評集 下』
講談社文芸文庫 2011年8月11日



対談

『文壇よもやま話 上巻』日本放送協会
・青蛙房 昭和36年4月15日
・中公文庫 平成22年10月25日 ※全集に未収録

『歴史よもやま話 日本篇 下』 池島 信平
・文藝春秋 昭和41年8月1日
・文春文庫 昭和57年3月25日

『対話 人間の建設』 岡潔・小林秀雄
・新潮社 昭和40年10月20日
・新潮社 昭和53年3月20日

『人間の建設』 岡潔・小林秀雄
・新潮文庫平成22年3月1日(★)

『小林秀雄対話集』
・講談社 昭和41年1月20日
・講談社(名著シリーズ) 昭和41年8月10日
・講談社文芸文庫 平成17年9月10日(★)

『小林秀雄対談集 歴史について』
・文藝春秋 昭和47年4月20日
・文春文庫 昭和53年12月25日

『文学と人生について 小林秀雄対談集Ⅲ』
・文春文庫 昭和57年12月25日



ヴァレリイ、ジイド、アラン、サント・ブウヴ (翻訳)

『テスト氏Ⅰ』 ポオル・ヴァレリイ
日本放送協会江川書房 昭和7年4月20日装幀小林秀雄。限定400部。

『テスト氏』 ポオル・ヴァレリイ
・野田書房 昭和9年10月15日 装幀青山二郎
・野田書房(普及版) 昭和11年9月17日

『パリュウド』 アンドレ・ジイド
・岩波文庫 昭和10年9月30日

『パリュウド 鎖を離れプロメテ』 アンドレ・ジイド
・新潮文庫 昭和27年8月15日

『精神と情熱とに関する八十一章』 アラン
・創元社 昭和11年12月14日
・創元選書 昭和15年9月25日 ※時局下の理由で第五部中の「暴力」の章を省く旨の新「後記」を添えた。
・角川文庫 昭和33年1月30日 ※訳・後記ともに創元文庫に同じ。
・東京創元社 昭和35年5月30日 ※訳・後記ともに創元文庫に同じ。上製函入
・創元選書 昭和53年12月20日 ※訳は創元文庫に同じ。後記は新稿。あとがきが加えられた。
・創元ライブラリー 平成9年4月25日(★)

『わが毒』 サント・ブウヴ
・青木書店 昭和14年5月25日
・養徳叢書 昭和22年2月15日
・創元文庫 昭和27年2月20日
・角川文庫 昭和30年8月15日




その他

『私の人生観』
・創元社 昭和24年10月20日 ※特製200部・上製函入・上製(創元選書)の三種同時刊行
・創元文庫 昭和26年11月30日
・創元社 昭和29年4月30日 ※普及版
・角川文庫 昭和29年9月15日
・角川文庫(第23刷改版) 昭和42年2月20日
・大和出版 昭和58年10月10日

『真贋』
・新潮社 昭和26年4月5日
・創元文庫 昭和27年4月30日
・世界文化社 平成12年10月25日 ※備前徳利が全集未収録

『作家の顔』
・角川文庫 昭和33年11月10日
・新潮文庫 昭和36年8月20日(★)
・角川文庫(改版) 昭和44年6月10日

『感想』
東京創元社 昭和34年7月30日
新潮社 昭和54年4月11日

『無私の精神』
・文治堂書店 昭和38年4月30日 ※同年6月30日に限定版特製40部/総革上製
・文藝春秋 昭和42年7月1日
・文藝春秋 昭和60年3月1日 ※新装版

『常識について 小林秀雄講演集』
・筑摩叢書 昭和41年7月20日

『常識について』
・角川文庫 昭和43年11月30日

『古典と伝統について』
・講談社(名著シリーズ) 昭和43年12月20日 ※普及版
・講談社文庫 昭和46年7月1日(★)

『信ずることと知ること』
・槐書房 昭和53年3月30日 ※限定著者版26部・限定市販版179部 ※4万円台
・彌生書房 平成3年6月30日

『栗の樹 現代日本のエッセイ』 
・毎日新聞社 昭和49年9月25日
・講談社文芸文庫 平成2年3月10日




考へるヒント

『考へるヒント』
・文藝春秋新社 昭和39年5月10日

『考えるヒント』
・文春文庫 2004年8月(★) ※「言葉」「花見」を増補

『考へるヒント2』
・文藝春秋 昭和49年12月10日

『考えるヒント2』
・文春文庫 2007年9月4日(★)

『考えるヒント3』
・文春文庫 2012年9月20日

『考えるヒント3〈新装版〉』
・文春文庫 2013年5月10日(★)

『考えるヒント4 ランボオ・中原中也』
・文春文庫 2012年9月20日

『合本 考えるヒント(1)~(4)』

・文春e-Books(Kindle版) 2015年3月27日 (★) 




本居宣長

『本居宣長―「物のあはれ」の説について』
・新潮社 昭和35年7月10日 ※日本文化研究第八巻中の一分冊

『本居宣長』
・新潮社 昭和52年10月30日
・新潮社 昭和54年4月11日 ※限定著者版26部/著者の喜寿記念寿版

『本居宣長補記』
・新潮社 昭和57年4月11日

『本居宣長 上巻』
・新潮文庫 平成4年5月25日(★)

『本居宣長 下巻』
・新潮文庫 平成4年5月25日(★) ※「本居宣長」をめぐって(対談 江藤淳)が全集未収録?

by ichiro_ishikawa | 2016-11-24 00:04 | 文学 | Comments(0)  

鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』の衝撃


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鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』(朝日新聞出版)は、小林秀雄ファンにとって極めてショッキングな本である。
「ドーダ」といふ概念を軸に、彼を読んだ人も、読んでない人でさへも、日本の知性の最高峰、偉い、凄い人と認知してゐる小林秀雄といふ大批評家が、いかに大したことないかを、極めて緻密に高等な知性でもって証明してゐるのである。

ドーダといふのは、簡単に云へば、いわゆる「クワッ」であり、ドヤ顔の「ドヤ」である、と俺は理解した(あとで詳しく引用して、正確に書いておきたい)。

大抵小林秀雄批判と云ふのは、印象批評に過ぎないとか、緻密な考証抜きに感覚でモノを言つてゐるだけとか、ことに研究者筋からの、本質を読めてゐないものが殆どで、取るに足らないものだが、本書は違う。小林秀雄の本質、方法、表現の核をキチンと捉えた上で、それこそが大したことない所以であることを見事に証明しきつているのである。

本書を読んで、似非小林秀雄ファンはムキーッとなるだらうが、俺は小林秀雄全集を少なくとも3回は精読し、文庫に至つてはそれぞれ100回、いや200回は読んでをり、かつ全文書き取りをライフワークとしてゐるばかりでなく、詳細な年譜、全著作の初出、掲載書籍、文庫、全集巻などをエクセルでデータベース化してをり、さらに全単行本を蒐集してゐる、筋金入りのエピゴーネンであり、誰よりも小林秀雄を理解し、愛してゐる男であるからして、ムキーッとはならない。
本書の著者は、小林秀雄の正鵠を射てゐるからである。小林秀雄の本質を読めてゐる。

とはいへ、てめえの神あるいは親がバカにされてゐるといふのに、なぜムキーッとならないか。

その前に、著者、鹿島茂が本書で小林秀雄を、どうバカにしてゐるかを説明する。
この本はきわめて知性的なため、二、三度の精読を要するものだが、一読した段階で掴んだ骨子を、換骨奪胎、我田引水の誹りを免れない事を承知で、俺流にグワッと要約すると以下のやうになる。

小林秀雄は日本の知性の最高峰、大批評家なぞではない。単なるロックの人、ロックンローラーである。

そう。つまり俺と同じ考へなのである。
俺が小林秀雄を愛しているのは、彼が日本の知性の最高峰、大批評家だからではなく、ロックだからである。だから、小林秀雄をバカにしている本書を読んでも、バカにされている感じは受けず、むしろ、よくぞ本質をきわめて知性的に分析してくれた、そうそう、そうなんだよと、いちいち納得しながら読了したのである。

つまりバカにしている、といふのは、日本の知性の最高峰、大批評家なんかではない、といふ点に於いてなのであり、「小林秀雄はロックの人に過ぎない」と、要はロック性を知性より下に見ているだけの話である。

俺は知性よりロックを上に見てゐる、といふか大事にしてゐるものだから、それは価値観の違ひであつて、どうかういふ類のものでない。

而して本書は、小林秀雄はロックである、
といふことを分析的な言語で証明してくれた、
超良書である。




















by ichiro_ishikawa | 2016-11-05 02:50 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄「戦争と平和」より抜粋


 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

by ichiro_ishikawa | 2016-07-29 00:07 | 文学 | Comments(0)  

連載 小林秀雄が考へるやうに考へる 考える葦


人間は考える葦だ、という言葉は、あまり有名になり過ぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考える力がある、と受取った。どちらにしても洒落を出ない。
パスカルは、人間は恰も脆弱な葦が考える様に考えねばならぬと言ったのである。
人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなるはずはない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来る様な気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。そう受取られていさえすれば、あんなに有名な言葉となるのは難かしかったであろう。
(パスカルの「パンセ」について)


これはどういうことか。
言葉は易しいがここで考えられている事は例によって難しい。謎を考えているからだ。というかそも答えを求めていない。いかに問うかに賭けられている。

これは、別のところで書く、「一方の極端まで達したところで何も偉い事はない、同時に両極端に触れて、その間を満たさなければ」を言っている。

あるいは「あらゆる思想は実生活から生れる」
(しかし生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか)
は伏線たりうる。

つまり、考える葦とは、
人間は、生きて知る、
それ以外にない、
という事だ。

「人間は生きて知る」
では気が利かないし、
洒落てもいないから有名にはなりえないが、
そこに込められた思いは深い。
深すぎて暗いから見えづらい。

だのに小林秀雄はパスカルのその暗い心が見えた。その時、小林秀雄は無私を得てパスカルだったから。そういう仕方で対象に向かうのが小林秀雄という批評の魂である。

無私とは分かった気にならないこと。
対象を愛し、対象そのものになること。
それが小林秀雄の批評だ。




by ichiro_ishikawa | 2016-05-12 21:26 | 文学 | Comments(0)  

連載 小林秀雄が考えるように考える 1


「本居宣長」に、「死者は去るのではない。還って来ないのだ」 という言葉がある。
平易だがよくよく考えると難解な言葉だ。
去ると還らないは結果、同義ではないか。何だか煙に巻かれたようだ。

この、結果、を持ち出すのが我々の悪い癖である。
結果を求める。

去る、と還って来ない、は全く違う。

どう違うか。

全体の中でワンフレーズを切り取って考えてみてもしょうがないのだが、
小林秀雄は全編サビでできた散文詩なので、切り取ってもよい。

とはいえ、続きを見てみる。

「死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生れて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。」

つまり、これは
美しい花がある、花の美しさ、というようなものはない。と同じことを言っているのではないか。



by ichiro_ishikawa | 2016-04-12 21:08 | 文学 | Comments(0)  

不安について


不安や、傷つきやすい自分の表現が文学、あるいは文学的な歌詞、と思われているが、本来、文学とは明るく、前向きで健康的なものだ。
哀しみはある。
明るく前向きという事がすでにどこか哀しい。

不安だ、傷ついた、など言うのは、自分の事しか考えていないからだ。もっと人の事を、人の事ばかりを考えていれば、不安だのどうだのと、くよくよしている暇はないはずだ。

内省も重要か。
鏡を通してしか自分の顔を知りえないように、ましてそも目に見えない「内面」は、他者という他人、もの、ことにぶつからねば分からない。

というようなことをどこかで小林秀雄も書いていた。

by ichiro_ishikawa | 2016-04-12 07:20 | 文学 | Comments(0)  

岡潔『数学する人生』

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岡潔(森田真生編)『数学する人生』(新潮社)読了。
小林秀雄、池田晶子と同じことを言っている。
録音されていた晩年の講義の起こし「最終講義」(未刊行)を収録。これがものすげえ。
芭蕉と道元『正法眼蔵』を読みたくなったが、
俳句はわからないし、『正法眼蔵』は講談社学術文庫で8巻もあるちけ。
これは死ぬまでに読了するとして、
とりあえず小林秀雄との激名対談『人間の建設』(200頁足らず)を繰り返し読まん。

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by ichiro_ishikawa | 2016-03-01 23:44 | 文学 | Comments(0)