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小林秀雄「戦争と平和」より抜粋


 空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであらう。さういふふとした思ひ付きが、まるで藍色の僕の頭に眞つ白な水脈を曵く様に鮮やかに浮かんだ。真珠湾に輝いていたのもあの同じ太陽なのだし、あの同じ冷たい青い塩辛い水が、魚雷の命中により、嘗て物理学者が子細に観察したそのままの波紋を作つて拡がつたのだ。そしふさういふ光景は、爆撃機上の勇士達の眼にも美しいと映らなかつた筈はあるまい。いや、雑念邪念を拭い去つた彼等の心には、あるが儘の光や海の姿は、沁み付く様に美しく映つたに違ひない。彼等は生涯それを忘れる事が出来まい。そんな風に想像する事が、何故だか僕には楽しかつた。太陽は輝き、海は青い、いつもさうだ、戰の時も平和の時も、さう念ずる様に思ひ、それが強く思索している事の様に思はれた。
 僕は冩眞を見乍ら考へつづけた。冩眞は、次第に本当の意味を僕に打ち明ける様に見えた。何もかもはつきりしているのではないか。はつきりと当たり前ではないか。戰に關する理論も文學も、戰ふ者の眼を曇らせる事は出来まい。これは、トルストイが、「戰争と平和」を書いた時に彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかつたか。戰争と平和とは同じものだ、といふ恐ろしい思想ではなかつたか。近代人は、犯罪心理學といふ様なものを思い付いた伝で、戰争心理學といふ様なものを拵へ上げてしまつた。戰は好戰派といふ様な人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戰だから起こるのである。

by ichiro_ishikawa | 2016-07-29 00:07 | 文学 | Comments(0)  

ロッキング・オンと俺

増井修『ロッキング・オン天国』(イーストプレス)読了。

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増井修は1990〜1996年、月刊洋楽誌「rockin'on」が最も
売れていた時代の、二代目編集長。
当時19〜25歳の俺は、オビ惹句にもあるやうにそれこそ「むさぼり読んでいた」。

そも「rockin'on」で批評といふものに目覚め、渋谷陽一→吉本隆明→小林秀雄に行き着いたのだった。

批評とは他者をダシにてめえを語る事。
この小林秀雄の方法は、渋谷陽一が、rockin'onが、ロックを対象に採用した方法で、二代目編集長の増井修も渋谷とはタイプは違うものの、その根本は受け継いだ。

俺は増井修の文章とキャラ、ユーモアが好きだった。
彼のラジオ「ロッキン・ホット・ファイル」も毎週録音して聴いていた。

好きが高じて1995年に入社面接も受けている。
課題作文は増井修のスウェード新潟ライブレポートを素材に書き、面接は、増井修が前列中央で進行役、後列に渋谷陽一、佐藤健、山崎洋一郎、宮嵜広司が二列に並んで座っていた。そのレイアウトをよく覚えている。

残念ながら失格で、かつ大学も留年し、翌年も留年したのだが、今思へば良かった。
入社していればきっと激務に耐へられず数年で退社し、なんとかフリーの音楽評論家となるも、鳴かず飛ばずで、今頃路頭に迷っていただらう。
そも30過ぎてから急速に興味がブラックミュージック、ジャズに変化していったし、今のロッキング・オン社のフェス中心の事業展開にもついていけなかったはずだ。

実際、俺は1997年からロッキング・オンへの興味は衰え始め、1999年には購読を止めた。
「cut」も「H」も創刊から数年間は定期購読していたが、1999年頃、誌面が女性誌、ジャニーズ誌みたいになってきて購読を止めた。

いまは「SIGHT」だけ毎号購読している。
結局俺は渋谷陽一の批評、文章が好きなのだ。
小林秀雄みたいだからだ。

そんな俺のいはば青春時代の7年間(浪人〜大学6年)の愛読雑誌の編集長による当時の話が、20年の時を経て聞ける、本書『ロッキング・オン天国』は、さういふ本であり、俺のために刊行されたやうなものだ。
他の人が読んでもさっぱり面白くないだらう。
俺だけが途轍もなく面白い。

本書の凄いところは、
ある一年、10万部を超えた全盛期の、
雑誌の売り上げ、収支がグラフ付きでまんま開陳されている事だ。辞めた人間によるこれは、果たして許されるのか、他人事ながらドキドキしている。
もしかしたらロッキング・オン社からクレームがつくやもしれぬ。さうしたら回収だらう。

しかし、この収支表が面白い。
俺はいまの仕事柄、雑誌や本の収支に明るいが、
この出版不況甚だしい今日からみると、半ば妄想のやうなグラフであり、みていると涎がでてくる。

(続く)




by ichiro_ishikawa | 2016-05-29 02:04 | 音楽 | Comments(0)  

今を生きるといふ意味


ある著名な歌人が、
悩んでいる人は過去と未来ばかり見ている。
子供は今しか生きていない。
だから生き生きとしている。
といふ主旨のことを言っていた。

よく聞く、「今を生きる」といふ意味が
やっとわかった。

岡潔は、
赤ん坊は自然とてめえが一体化していて、それで充足しているから常に微笑んでいる。
といふ意味のことをどこかで言っていた。

大人になると、さうはいかない。
やうに思へるが、さう生きるしかない。

だから俺はYouTubeで過去を振り返らないし、退職金や年金の計算なぞもしないし、住宅ローンの繰上げ返済もしない。


by ichiro_ishikawa | 2016-05-26 18:43 | 文学 | Comments(0)  

連載 小林秀雄が考へるやうに考へる 考える葦


人間は考える葦だ、という言葉は、あまり有名になり過ぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考える力がある、と受取った。どちらにしても洒落を出ない。
パスカルは、人間は恰も脆弱な葦が考える様に考えねばならぬと言ったのである。
人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなるはずはない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来る様な気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。そう受取られていさえすれば、あんなに有名な言葉となるのは難かしかったであろう。
(パスカルの「パンセ」について)


これはどういうことか。
言葉は易しいがここで考えられている事は例によって難しい。謎を考えているからだ。というかそも答えを求めていない。いかに問うかに賭けられている。

これは、別のところで書く、「一方の極端まで達したところで何も偉い事はない、同時に両極端に触れて、その間を満たさなければ」を言っている。

あるいは「あらゆる思想は実生活から生れる」
(しかし生れて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想というものに何んの力があるか)
は伏線たりうる。

つまり、考える葦とは、
人間は、生きて知る、
それ以外にない、
という事だ。

「人間は生きて知る」
では気が利かないし、
洒落てもいないから有名にはなりえないが、
そこに込められた思いは深い。
深すぎて暗いから見えづらい。

だのに小林秀雄はパスカルのその暗い心が見えた。その時、小林秀雄は無私を得てパスカルだったから。そういう仕方で対象に向かうのが小林秀雄という批評の魂である。

無私とは分かった気にならないこと。
対象を愛し、対象そのものになること。
それが小林秀雄の批評だ。




by ichiro_ishikawa | 2016-05-12 21:26 | 文学 | Comments(0)  

連載 小林秀雄が考えるように考える 1


「本居宣長」に、「死者は去るのではない。還って来ないのだ」 という言葉がある。
平易だがよくよく考えると難解な言葉だ。
去ると還らないは結果、同義ではないか。何だか煙に巻かれたようだ。

この、結果、を持ち出すのが我々の悪い癖である。
結果を求める。

去る、と還って来ない、は全く違う。

どう違うか。

全体の中でワンフレーズを切り取って考えてみてもしょうがないのだが、
小林秀雄は全編サビでできた散文詩なので、切り取ってもよい。

とはいえ、続きを見てみる。

「死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生れて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。」

つまり、これは
美しい花がある、花の美しさ、というようなものはない。と同じことを言っているのではないか。



by ichiro_ishikawa | 2016-04-12 21:08 | 文学 | Comments(0)  

不安について


不安や、傷つきやすい自分の表現が文学、あるいは文学的な歌詞、と思われているが、本来、文学とは明るく、前向きで健康的なものだ。
哀しみはある。
明るく前向きという事がすでにどこか哀しい。

不安だ、傷ついた、など言うのは、自分の事しか考えていないからだ。もっと人の事を、人の事ばかりを考えていれば、不安だのどうだのと、くよくよしている暇はないはずだ。

内省も重要か。
鏡を通してしか自分の顔を知りえないように、ましてそも目に見えない「内面」は、他者という他人、もの、ことにぶつからねば分からない。

というようなことをどこかで小林秀雄も書いていた。

by ichiro_ishikawa | 2016-04-12 07:20 | 文学 | Comments(0)  

雑感2016春

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by ichiro_ishikawa | 2016-04-11 19:34 | 文学  

岡潔『数学する人生』

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岡潔(森田真生編)『数学する人生』(新潮社)読了。
小林秀雄、池田晶子と同じことを言っている。
録音されていた晩年の講義の起こし「最終講義」(未刊行)を収録。これがものすげえ。
芭蕉と道元『正法眼蔵』を読みたくなったが、
俳句はわからないし、『正法眼蔵』は講談社学術文庫で8巻もあるちけ。
これは死ぬまでに読了するとして、
とりあえず小林秀雄との激名対談『人間の建設』(200頁足らず)を繰り返し読まん。

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by ichiro_ishikawa | 2016-03-01 23:44 | 文学 | Comments(0)  

Apple Musicと俺


それにしてもApple Musicはすげえ。
片っぱしからマイミュージックに入れて、全シャッフルで聴いている。
邦楽はないが、ジャズだって、ワールドミュージックさえある。
つまり重要なものは何でもある。日本以外世界中の音楽が聴ける。
日本でもRCとかはある。
ちなみにデイヴィッド・ボウイも当然全部ある。
ミュージシャンの収入はどうなっているのか気になる。

うちの3000枚のレコードとCDも当然ながら全部ある。
今までの30年にわたる蒐集の苦労は何だったんだ。
何万という大金をはたいてBOXセットを買ったのは何だったんだ。
1枚平均2000円としても、何百万と使っているはずだ。

Apple Musicは、モノとして保存、所有はできないが、「聴く」のが目的なわけで、
いつでもどこでも聴けるのだから、所有しているのも同然だ。

もはやレコードやCDを買う必要がない。
少し嬉しいのは、買うまでもないがちょっと聴いてみたい、というやつも聴けることだ。

いま10代で、これから音楽の広く深い森に入って行こうという輩は幸せだ。
月980円で何でも聴ける。
この世に必聴アルバムというのは1万枚ほどだから、すべて買うと2000万円ぐらいか。
その点Apple Musicでは1年で1万2000円。100年聴き続けても120万円。
十分元がとれる。もしかしたら全音楽を聴きこんだものすごいミュージシャンが生まれるのやもしれぬ。
いや、聴きすぎて「俺がもはや参入するまでもない」と思うことだろう。

では俺は、現所有の3000枚のレコードを売り払ってしまうか。
1枚10円で売れたとして3万円にはなる。
否。
今俺がロックで食っているのはこの3000枚があるからで、それは3万には見合わない。
という理由からではなく、定年後に喫茶店を開くからその時に必要なのだった。
本も数多ある。小林秀雄と池田晶子は全部ある。
雑誌もかなりある。全盛期(1980〜1983)のジャンプもある。フレッシュジャンプもある。
残念ながらロースク(80年代前半の全盛期の「ロードショー」「スクリーン」)は血の迷いで捨ててしまった。
新切り(新聞の切り抜き)もある。
漫画も「1・2の三四郎」「湘南爆走族」「ちょっとヨロシク!」「激!! 極虎一家」他、江口寿史全作品、中崎タツヤ関連など重要なものは揃っている。
これらを全部開放して、まずまずの珈琲と酒類を出すのだった。




by ichiro_ishikawa | 2016-01-13 19:31 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄関連本も昨年続々刊行

小林秀雄関連本も昨年続々刊行。

この人を見よ:小林秀雄全集月報集成 (新潮文庫)
新潮社小林秀雄全集編集室 編
新潮社 (2014/12/22)

小林秀雄の思ひ出 (文春学藝ライブラリー)
郡司 勝義
文藝春秋 (2014/6/10)

学生との対話
小林 秀雄(国民文化研究会、新潮社 編)
新潮社 (2014/3/28)

なお、「文學界」と「新潮」でそれぞれ評論、若松英輔「美しい花 小林秀雄」、大澤信亮「小林秀雄」が連載中。

by ichiro_ishikawa | 2015-02-09 23:56 | 文学 | Comments(0)