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メモ「小説を読むとは」


 福田和也が、ヘーゲルを引用しつつ、いい事を書いていたので、抜粋的に再構成。

 経験とは、自分の真実を失う事。つまり、これが自分なんだという自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して持っていた信頼感なりあてにしていた気持ちが雲散霧消してしまう事。それは自分の、つまりは不特定のエゴの視点と視界から見てきた事の崩壊に他ならない。
 成熟をするとは様々な経験を積んでいく事だとすれば、その自分の真実の崩壊後になお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力をするという事だ。
 小説は、様々な「自分の真実」の喪失を、つまりは成熟への入り口を描いている。
 書物の名前を値するもの、それを真剣に読む者は、まず失う。同時に、世界が自分が、その本を開く前と違って見える。

by ichiro_ishikawa | 2009-12-31 00:46 | 文学 | Comments(0)  

保守と俺


 いつもロック、ロックとうるせえ俺は一見、進歩的な人間と見られることが多いが、実は、常識というものを尊重している、保守的な人間だ。
 ここで常識、保守というと、言葉というものに深く思いを馳せたことがない人には絶対に誤解される。その誤解を解こうとも思わないし、そもできないのだが、まず、ここでいう常識とは、いわずもがな、小林秀雄や池田晶子がいうところのそれだ。
 では、保守とは何か。保守党、保守政権、保身といった言葉からすぐ想起される受動的な意味ではないのは明らかだが、では何かと問われるとうまく答えられずにいた。まあ実際問われた事はないけれど、もし問われたらどうしよう、説明できねえ、と若干おびえてはいた。

 そんな中、福田和也の新刊が出たことで、「東京の流儀」というタイトルも良かったのでろくにチェックせず、すぐにAMAZONで買ったが、GQ JAPANの連載をまとめたものと知ってやや後悔したのもつかの間、一読して、媒体はダメだけれど、作家はすげえという例がここにある、という事実を目の当たりにした。
 そこで、保守についてのナイスな定義があったのだった。

 かつて、福田恆存先生は、「保守とは、横町の蕎麦屋を守ることだ」と看破された。
 つまりは、毎日、とは云わないまでも、日常に通う店、つまりは自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものにたいして、敏感に、かつ能動的に活動する精神を、保守という。

by ichiro_ishikawa | 2008-12-03 05:07 | 文学 | Comments(0)  

歴史と俺 プロローグ


 今俺が明治時代を生きている事を知っている人は、相当な俺マニアと言えよう。離れていても俺の事を何でも知っている母親でさえ、思いもよるまい。

 レコードコレクターズの最新号辺りが出ているやも、とぶらり入った本屋で、音楽誌コーナーに行く途中、腹が痛くなり、踵(きびす)を返してトイレに向おうとした刹那、「この痛さ、例の小人が腹の内部からバターナイフでシャーッシャーッと下腹部裏を刻んでいるこの痛さからして、長期戦になるな…」と気づいた俺は、個室にて時間をつぶしうる適当な本を見繕う事にした。そこでふと目に止まったのが福田和也の新潮新書「日本の近代 (上)」。数少ない「出れば買う」リストに名を連ねる福田の新刊を手にレジに行き、735円をカードで支払うと、バターナイフの痛みに耐えながらも、個室に向うのがちょっと楽しみになって来た。
 
 本屋の入っている錦糸町の駅ビルの男子和式トイレは、大抵、卵とじのようなものが便器脇に散乱しているため、俺は女子トイレで用をたす習慣があるのだが、まあそれはどうでもいいのだが、案の定、個室では長期戦が待っていたのだけれど、充実した60分となった。
 
 本文中、「白村江の戦い」などという実に懐かしい言葉が続々と登場するのだが、学生時分、初めて「白村江の戦いに出くわした時のノスタルジアが蘇る…。「白村江」で「はくすきのえ」だという。「白村江」が「はくすきのえ」つけ! 俺は我慢ならなかった。「はく」とケツの「え」はよかろう。「の」もまあよい。「の」は、勢いで勝手に入って来る事はままある。しかし、「す」と「き」はありえねえ。「村」が「ソン」だし、「村主」を「すぐり」と読ませる同級生がいたから、百歩譲って、何かの拍子でちょっと「す」になってしまったとしても、次の「き」はどうだ。ありえねえ。「す」と「き」はありえねえ。
 当時、それがどんな戦いだったのかはそっちのけで、そのあり得なさに、ずっとしびれていたのだった…。地球の平均海水面を延長した結果得られる地球の曲面を「ジオイド」というのだと知った時もかなりしびれたが…。

 話がそれたついでに明かすが、小1の時、「キン肉マン事件」があった。ジャンプのある号で、キン肉スグルが「予定変更」というセリフを言っていたのだが、俺は「更」の漢字が当時初見だったためか、「便」と勘違いして、「よていへんべん」と読んだ。すると脇にいた輩が、「いや、へんこう、だべ」と言う。俺は「バカ、便所の便だべよ、ベン。だからヘンベンだべよ」。
 しかしその輩は折れない。「へんべんて何だよ。そんな言葉ねえべよ。予定と来たらヘンコウだべよ」。
 「バカお前、でもこれはベンっていう字だべ。だからヘンベンだよ」。
 「確かにベンだよ。でもヘンベンて言葉はないからヘンコウだべよ」
 「バカ、言葉は無いけど、ベンをコウって読むわけもねえべよ」…
 と、論争は遂に決着はつかなかった。まあ、今思えば、俺が間違っていたわけだが、相手も「確かにベンだけど」と間違っているからあいこだ。

 長くなったが戻す。
  福田和也の新潮新書「日本の近代 (上)」を1/3ほど個室で読み終えた俺は、腹の痛みが治まった安堵と喜び、そしてそれ以上に、西郷隆盛や伊藤博文といった維新〜日清・日露戦争あたりを生きた屈強な明治人たちの魂をかいま見た興奮で心が充たされていたのであった。
 もうすぐ、近代の通史を描いたこの本が読み終わるが、恐らく次は、明治維新だけを300ページぐらい書いた本に当たる事になろう。

 学問の究極であり、最も面白い「歴史」というものを、単なる「暗記もの」に貶めてしまっている日本の歴史教育に苦言を呈した小林秀雄の言葉でしめよう。

建武中興なら建武中興、明治維新なら明治維新という様な歴史の急所に、はっきりと重点を定めて、そこを出来るだけ精しく、日本の伝統の機微、日本人の生活の機微にわたって教える、思い切ってそういう事をやるがよい。


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by ichiro_ishikawa | 2008-09-05 03:17 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄の典型的なやり口の福田和也による秀逸な分析

 
 小林秀雄について論じた人は数多いるが、そのほとんどが、どうもピント外れに思えてしょうがない。江藤淳や吉本隆明でさえ。小林秀雄は、核が極めてはっきりしているが、非常に微妙なもので、しかもその微妙さは「感じる」類いのものなので、理知で分析しようとすると、やはり巧く貫けないのだろうか。
 ズバリど真ん中を射抜いていたのは故池田晶子だが、池田晶子は批評家ではなく、ある意味、詩人だから、詩として、小林と同じことを表現したまでだが、小林と同じ批評家として、非常に明晰に小林の凄さを言葉で紡ぎ得たのが、福田和也だ。
 来歴を語り、説明などを繰り返して、対象の匂いや手触りを喚起しながら、よいものはよいのだ、という判断の断崖に読者を追いつめておいて、その断崖から見える視野とその崖の高さを語って見せた後に、突然一つの情景を描きだす。その情景は、読者を批評家の価値観や判断について説得するためではなく、その価値自体を、あるいは価値の発見を体験させる文章として造形される。(日本人の目玉/ちくま学芸文庫)

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by ichiro_ishikawa | 2008-02-10 00:02 | 文学 | Comments(0)  

俺はあやまらない

 俺はあやまらない。
 あやまりたくない。
 許しも乞わない。許して欲しくない。
 もちろん。もちろん俺が悪いのだ、俺が悪いんだと知っている。それがどうしたというのだ。
 悪いことをして、何が悪い?
 反省なんてしたくない。
 したくはないが、反省じみたことを想い、巡らして弱ってみる湿った弱さ、自己慰籍をする女々しさはあるかもしれない……嫌なことだが……反省などに何の価値があるのだろう。やり直せることなどはない。取り返しのつかないことがあるだけだ。とは云え、大抵のことは取り繕うことができる。情けないし、救われないことだが、それで何とかもち堪えてきてしまった。
 責めたいなら責めればいい。罰したいのなら罰すればいい。口笛を吹きながら絞首台に向って歩いていく短刀遣いマックのようにはいくまいし、泣き言も漏らせば、しおたれもするだろう。でも、俺はあやまらない。

 福田和也の新刊が扶桑社から出た。扶桑社という事で、つまり『en-taxi』での巻頭特集記事をまとめた本だ。特集の俎上に乗せられているのは、元ルースターズ・大江慎也、画家・大竹伸朗、建築家・磯崎新、落語家・立川談春、文藝評論家・保田與重郎、陶芸家・吉田明、俳人・角川春樹、作家・洲之内徹、映画監督・中島貞夫らで、引用文献も含め、本当に「凄い人」たちが、凄い人の言葉でずらずらと登場し、息をつかせない。

 俺は日々、人生劇場の中の主役であり脇役でありナレーターなのであるが、その様々な場面で、「その役がよしんば俺だったら」ということを考えてしまう癖があって、例えば、テレビで紳助やさんまがパネラーたちをさばいているのを見るにつけ、「あの役を次からやれと言われたら…」、あるいは、「パネラー側で、紳助に急にふられたら…」とか、大物のライブ鑑賞中「突如ベースギターの代役を頼まれたら…」とか、また、街の雑踏の中、実に様々な人間を目にするにつけ、「これら人々の人生を片っ端から描写していけと言われたら…」とか、非常に精緻に分かれた枝、微妙な陰影を持つ細かい葉っぱ、すべてが一様でない花びら、それらを持つ大木、「その群れを一幅の絵に描けと言われたら…」といった義務感を感じてしまい、「ええ? まじでか!?」と、おののきながら、ふと我に帰り、「あ別に誰からも課せられてないか…」と気づき、ほっと安堵するという一幕が、往々にしてあるのであった。

 そういう癖のせいかどうか知らぬが、福田和也の本を読むといつも、一介の読者という立場にかかわらず、「これよりずけえ事を書けといわれたら…」との強迫観念に駆られた末、「こいつは俺よりすげえ」という敗北感を味わってしまう。
 知識、というのはなんでもない。たとえば「スキゾの概念」という言葉がさっぱり分からなくても、それなりの文献を読み、考察すれば一応理解は出来る。要はただ、その言葉なり概念に触れた事があるかないかの違いだからだ。
 それよりも、「常識」とか「歴史」といった、誰もが知っている言葉に対して、その本質をどれだけ深く鋭く抉っているか、「経験」しているか、こそがよほど重要なのであって、それは知識ではなくやはり「経験」と呼びたいものである。いかに自分の頭で、自己流に考えているか、こそが肝なのである。自己流というのが大事だ。書物はいよいよインスピレーションに過ぎない。書物を読めば知識は溜まる。だから何だというのだ。それらを自己流に考え、言葉と親身に交わらなければ、何にもならない。ただ要領よく生きられるというだけだ。そんなものに何の価値がある?
 福田は博覧強記で知られているが、立花隆などの学者や批評家と一線を画すのは、小林秀雄ばりの精神の鋭敏さである。知識量が膨大というだけなら何でも無いが、それらの知識は本来の意味での知識であり、それらとの身を持っての交わり方が半端ではないのである。高々自分と10歳ぐらいしか離れていないが、その差は賢老人と幼児なみの開きがある。

 それだけならまだいい。俺が福田を前にして、大枚をはたいたパイロットの万年筆を永遠に使うまいと思わざるを得ないところ。それは、ロックだ。
 いかに博識で鋭敏でも、ロックが分かっていなければ全然ダメなのであるが、彼奴は、すげえロックを分かっているのであった。好みは多少違うけれど、趣味、好き好きを超えたところで、批評自体の自立性というところに焦点を合わせると、いかに深く音楽と交わっているかが分かる
 俺は福田には全くかなわない。ということはサシで対話するには50年早いということで、これは、いよいよなんとかしなければならない。
 とりあえず、福田を超えなければ、俺が出る幕はどこにも無いという事を痛感している。だが、それでも立ち向かうしか無いのだろう。いや、立ち向かうというのは正確じゃない。俺は俺流に俺なりに歩くだけである。俺の人生を生きるのは俺でしかないのだからな。
 ひとまず言えるのは、「こんな事している場合じゃない」。これが分かっただけでも福田との出会いは大きい。

by ichiro_ishikawa | 2007-03-31 23:16 | 文学 | Comments(1)  

マハトマ・ガンジー、かく語りき

「言って分からねえ奴は殴れ」
確かガンジーもそう言っていた。

 前回、そう書いたことには、2つの思惑があった。
 
 1つは、知っての通り「非暴力」主義を貫いたマハトマ・ガンジー(1869-1948)にそう言わせる事による、「非暴力」主義と、イジメっ子ヘの鉄拳制裁は、矛盾するものではない、という逆説的真理の提示。
 1つは、「非暴力」主義のガンジーにこそ、そう言ってほしいという願い。
 いずれにせよ、事実無根で書いた。

 ところが、実際にそう言っていたという事実が、一昨日判明した。

「ガンジーにたいして、ある人がその非暴力の教えは、例えば家に強盗が押し入って父親が殺されそうな時も貫かねばならないのか、と尋ねました。ガンジーはそんなバカなことはない、と答えたのです。彼は、そこに棒があったなら、棒で戦え、包丁があったなら包丁で戦え、鉄砲があったなら鉄砲で戦え、『非暴力』は『卑怯』とはまったく違うのだ、と教えました」
(「続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」福田和也/1997年)

 福田は出典を明らかにしていないが、ブログなんかとは違い公に本になっているということは、幾人もの良識ある人の検閲を経ていて裏は取れているはずなので、おそらく事実だろう。よしんば、そうでないとしても、非暴力について徹底的に考えた人だったら、そう言うことは当たり前なので構わない。
 空調の効いた部屋で、空論を弄んでいる輩に限って、「体罰はいけない」だの、「戦争反対」だの、うるさい。寝言は寝ながら、馬鹿は休み休み言ってもらわなければ迷惑だ。「戦争反対」なんて当たり前じゃないか。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-28 01:12 | 日々の泡 | Comments(0)  

ロック、ロックとうるせえ文章

 10数年前、「rockin'on」で、増井修か山崎洋一郎が、「仕事でもプライベートでも色々な人と会って話をするが、ロックを通ってない人はダメだ、とはっきりした」というような意味のことを言っていて、すごく、腑に落ちたのを覚えている。これは、ロックを通っていない人はダメな人間だという意味ではなく、ロックを通っている人こそ素晴らしいということでも全くなく、ロックを通っている人といない人では、本質的なところで「没交渉である」という意味だ。
 例えば、写真家にここをこう撮ってほしい、または、デザイナーにこういうデザインで、あるいは、この曲はアリ、これはナシ、さらに、この店、服はアリ、それはナシ、あのギャグはOK、それはいただけない、歩く時は右足から、などなどあらゆる肝心なところで、ベクトルを異にしてしまう。とはいえ、社会という修羅場では、他者とのコミュニケーションへの屈強な意志が必要で、議論して何処かで折り合いをつけなければならない。それはそれで、スリリングで、それゆえ、高い跳躍が出来る場合も多いのだけれど、やはり、疲れてしまうのだろう。そしてこう漏らす。
 ロックを通っている人なら、理屈抜きに一発で分かり合えるのだが……と。

 ロックを通った人間というのは、お互いに、すぐわかる。性別、国籍、職業、左右を超え、ある1点において通ずる。その「通ずる」は、他の数多の相違点を凌駕する。彼らは赤の他人で、直接会う機会も今後ないとしても、ずっと通じ合っている。逆に、さまざまな点でウマが合い、常に寝食を共にするような間柄でも、その1点が共有されていないと、結局、哀しいかな、ディスコミュニケーションなのである。

 ロックを通っている人は、ロックを通っている人を敏感に察し、全幅の信頼を寄せる。
 モリッシー、マイケル・スタイプ、ボノ、エルヴィス・コステロなど、ミュージシャンは当然だが、小林秀雄、太宰治、中上健次、池田晶子、リリー・フランキー、渋谷陽一といった文学者、マーティン・スコシージ、レオス・カラックス、ヴィム・ヴェンダースなどのシネアストらには、直接ロックとは関係のないものの、へたなロック・ミュージシャンよりよほどロックを感じる。

 ロックを通っている、とはひどく曖昧で、言葉足らずのようだけれど、要するに、ロックにやられたことがある(やられている)ということだ。言葉の靄を晴らそうとしていよいよぼやけてしまったやもしれぬが、つまり(はたしてつまるかどうか)、ロックで生き方の根本を覆されてしまった、という経験だ。
 
 とは言え、それは、例えば、10代のころ、ディランでもストーンズでもいい、最近の人ならオエイシスでもヘディオレッドでもいい。その音楽にいたく衝撃を受け、学校を辞めた、盗んだバイクで走り出した、インドに進出した、コーランを耽読し始めた、お前がかじを取れ、まあ何でもいいが、なんらかの跳躍ある行為に及ぶ、と。そうしたアクションと、この「ロックを通る、ロックにやられる」とは、何ら関係がない。また、素直に高校を出て、大学に進み、中小企業に就職し、太いネクタイをボボボぶらさげて、住宅ローン、可愛い子供……といった大多数の人が及ぶ行為も、もちろん関係がない。

 もっと、内的なものである。

 僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何んの準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見つけたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えていなかった。而も、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学力なぞ殆ど問題ではないぐらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様にも思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ事件である。と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様に思われる。(小林秀雄「ランボオIII」)

 ロックの経験とは、こういうことだ。
 この経験がある人間とは、根本でつながる。

 福田和也がいいとは、前回書いた。その後、彼の『日本人の目玉』という日本の文学者たちを批評した本を読んで衝撃を受けた。
 『日本人の目玉』では、本人があとがきで、

高浜虚子と尾崎放哉の間で理論を、西田幾多郎と九鬼隆一の間で思考を、青山二郎と洲之内徹の間で美を、坂口安吾と三島由紀夫の間で構成を、川端康成において散文を問い、そして小林秀雄にたどり着いた。その点では、本書は、小林秀雄に至る旅であると云うことができる。

というように、小林秀雄を真っ正面から論じているのだが、本書を読み、「この人は、小林秀雄をすげえ分かっている」と確信した。小林秀雄を論じる人は多いが、結構、肝を外しているものだ。吉本隆明でさえ、ピンぼけなのである。「小林を乗り越えなければ」と言ってしまう時点で、小林を分かっていないということが露見してしまっている。

 かつて池田晶子を読み、魂を揺さぶられた。のち、彼女は「小林秀雄への手紙」を書くほど、小林に心酔していることが発覚した。ロックでつながっていると感じた瞬間であった。そして、今回、福田の眼力に共感したのち、「ダーフク、お前もか」だったわけである。

 『日本人の目玉』で、福田は、なんと小林秀雄を黒人ブルースに例えている。

 黒人音楽や、ミュージッシャンに接して、しばしば味わう、即物的としか言いようがないような、じかの手触り。その身も蓋もないような、直截な言い切りに、ほかでは味わう事の出来ない、それこそ掘り出したばかりの、鶴嘴の匂いがする岩塩を嘗めるような爽快さを感じるのだ。
 普通の名詞、動詞などを集めてつくった一節なのに、他の何にも用いきれない固有名詞のように響く。そう、まさしく優れた黒人ミュージッシャンは、固有名詞だけで語っているようだし、その音楽全体が固有名詞のようだ。
 優れたブルースマンの楽曲に触れると、その歌詞だけではなく、ギターの音色やアンプリファイアの調整までもが、何やらきわめて直截な、直接に自分の頭脳や身体を撫で、摩り、揺すぶってどこかに連れていくような感覚を味わう。この、直接さと、固有性はきわめて緊密な関係を持っている。
 彼等の言葉に「直接性」を見てしまう時に、私の感性や意識もまた彼等に働きかけているという事、どちらが、どちらに働きかけている等と考える事が無意味な近さで,じかに固有名詞のような感触が浮かび上がるという事だ。


 黒人音楽や、ミュージッシャン、優れたブルースマンに触れた感動を的確に表現していると同時に、小林秀雄の批評文の核心を突いている。黒人音楽や、ミュージッシャン、優れたブルースマンを、小林秀雄に置き換えてみると、まま小林秀雄評となっているのが分かる。
 なんと小林秀雄(1902-80)は、黒人ブルースマンだったことが発覚した。

 そんな福田和也が、その文章のシメで、こういうのだった。
 同時代のライバル、ザ・ビートルズが、黒人のコピーをやめ、オリジナル曲をやりだしたのだが、ザ・ローリング・ストーンズは。

 自分たちが楽曲を作るなどという事に思いもよらず、ただただアメリカの黒人たちが作り出した、多彩で濃くて楽観的で厭世的な曲を、苦労して集めた南部のいい加減なレーベルのレコードに耳を傾けながら、音を拾い、和音を探り、そのままに演奏していた。
 今でも僕は、オリジナル曲など演奏しなかった頃のストーンズが一番好きだし、ストーンズは本質的にコピーバンドだと考えている。


 だが、そのストーンズが、まんま黒人音楽をコピーしても、どうしても違う。
 ロックになってしまうのだ、という。

 何と言ったらいいのだろう、バンド全体が立ち上がり、今すぐ駆け出そうとするような躍動感と、どこにも行く事は出来ないという焦燥が一体になった感触。
 そのロックにしかないものを、仮に僕は、ビートと呼んでみる。
 リズムではない、ビートはいったい何から生じるのだろうか。
 おそらくビートは作る事からは生まれない。
 ビートは、見る事、最も近くで一心に見尽くす事からしか生まれないものだ。
 最も近く、鼻も額も擦り切れるような近さで見る事から生じない何か。
 見る事とは、対象をどうしようもなく変えてしまう事だ。対象を動かし、彼方へと、ここより遠い何処かへと、予測もつかない形で動かし、流してしまうという事だ。
 目玉を近づける、それが、ビートだ。叩く事、壊す事だ。
 批評の目玉は、見つめる対象を、叩き、壊し、そして流す。
 量子と宇宙を、見るものとの近さにおいて貫く一撃である。


 後半、興奮しすぎて論旨は破綻し、批評文が詩に転じてしまっている。
 だがその最後の3行の散文詩こそ、最も直接身体に訴えてくる。
 蛇足だが、ロック、ビート、批評、すべて、同じものをさす。

 小林秀雄はいう。

 花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。
 
 これは、「あれこれ観念をもてあそぶ前に、もっとよく見ろ」という意味だ。
 だから小林秀雄は、こうも言う。
 
 画家は目があるから見るのではない。目があるにもかかわらず見抜くのだ。

by ichiro_ishikawa | 2006-09-18 04:25 | 音楽 | Comments(2)  

久しぶりに書いたラブレター

最近、好きな人ができた。
小太りでやや不細工なその人の名は、
福田和也。
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この人は、実はいい。

池田晶子の連載コラム「人間自身」を読むためにコンビニで「週刊新潮」をめくる中、同誌に交じっている福田和也の「闘う時評」という連載がたまたま目に留まり読んでみたのがファースト・コンタクト。こいつはちょっとすげえのかも、と思っていると、文芸誌「en-taxi」が創刊。リリー・フランキーを真に分かっていることが発覚し、ますますその信頼は強まった。さらに旧作を読み進めるうち古本屋で「人でなし家業」という文庫にぶち当たり、その類まれなる才への信頼は、いよいよ揺るぎないものとなった。

この、「人でなし家業」なる本は、「Wooo」とかいうエロ雑誌に90年代に連載されていたものをまとめた時評集で、世の事象についての洞察が酒場トークの文体でスパーン!スパーン!と綴られている。

福田の文を評価した同誌編集長から、「おまえ面白いから、なんか書いて。うちは詩人の田村隆一先生が人生相談の連載コラムを書いているエロ雑誌だ」と執筆依頼を受けた。送られてきた見本誌を見ると、広告はほとんどQ2、本当に田村隆一が書いていたが、それ以外は女の裸で埋め尽くされていた。「田村隆一先生同様、仕事を厳選する」福田は、二つ返事でOKした。

このエロ雑誌は、なかなか秀逸で、衆議院か何かの選挙開票が予定より遅れ、開票を受けての分析記事の掲載を専門誌や総合誌が軒並み見送る中、そのエロ雑誌は印刷所の輪転機を当然のように止め福田に原稿を書かせるという無駄な英断を下す。

読んでいるのはいつ死んでもいい虫けら、世になんの影響力もないアナーキーなエロ雑誌の中で、福田は、至極デリケートなトピックに関して、すこぶる過激な論法と論調で鋭く本質を抉りまくる。ガラは悪いが、語られている内容はえらく的を射ていて、痛快この上ない。

そんなある日、そういや福田和也の経歴的なものについて何も知らねえなと、ちょっと探ってみる気になり、ウィキペデアを覗いてみると、
「福田が著書で間違いを連発、なんとかという文化人に指摘されている」
という趣旨の記述があった。

「フランス革命の『サン・キュロット』というのはズボンを履かないということ」
→正しくは長ズボンを履く下層階級の人々

「ベトナムにはメコンデルタに厖大な油田がある」
→メコンデルタは大米作地帯

「ベルサイユ条約の孤児であったソビエトと……」
→ソビエトではなくドイツ

「マレー半島、インドシナなどに広範な植民地をもち、中国にも多くの利権を持つイギリスとアメリカについて……」
→インドシナはフランスの植民地

などなど、なんとかという文化人は、福田の無教養ぶりを批判しているという。

なんか腑に落ちないというか、いやな気持ちになった。
その辺のことを分析してみたい。

上のような誤りは、どうでもいい、と思ってしまう癖(へき)がある俺には。

誤字脱字などまったくとるに足らず、差別語不快語、大歓迎、事実誤認も肝の大勢に影響がなければまったくかまわない。自分で訂正しながら理解していくからである。そも主体的な情報収集、知識培養とはそういうものであろう。正確な情報が自動的に与えられるなんて思っちゃいけない。だからそうしためちゃくちゃな文章でも、字面や音、言葉の運びが美しかったり、肝が至極全うであったり、本質を鋭く抉ってさえあれば、良しとする傾向がある。
ちまちまと間違いを指摘するという行為の裏には、己が教養の高さの誇示、あるいは正論を傘に人を貶めるという手口が透けて見えていやらしい。ちっちぇえ。

それらの事実誤認が、どういう本の中で、どんな文脈で記述されているかによって、間違いの事の重要さは異なるが、福田のその間違いに関しては、おそらく大勢に影響のない範囲なのではないかと、俺は想像する。なにより福田和也には、そんなちっちぇえミスを補って余りある、執筆量と、本質を鋭く抉る洞察力と、粋なセンス・オブ・ヒューモアがある。

by ichiro_ishikawa | 2006-08-31 20:13 | 文学 | Comments(0)