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「昨日はどこで寝てたんだ?」再考


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ニルヴァーナの「where did you sleep last night」
は『MTVアンプラグド』(1994)の最後を飾る曲で、レッドベリーのカバーだが、そもそのレッドベリーもアメリカン・トラディショナル・フォークソングのカバーで、「in the pines」などのヴァリアントも多く存在する。原曲は伝承歌である。

D-G-F-A-D、三拍子8小節の繰り返しといふおそらくは史上最もシンプルな楽曲のひとつだが、ここにポップミュージックの全てが詰まつてゐる。

アメリカン・トラディショナル・フォークソングは、ポップミュージックの大源流で、ブルーズ、フォーク、カントリー、ジャズ、ロックンロール、ポップスなど全てのポップソングは、そこに通ずる。

エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズ、ストーンズといふ50〜60sのロック4大種牡馬は言はずもがな、デイヴィッド・ボウイ、エルヴィス・コステロ、ソニックユース、R.E.M.、U2、そしてニルヴァーナといつた、要は「残るロック」は全てそのヴァリアントと言つてよい。
日本文学における万葉集のやうなものだ。
ニルヴァーナのやうにプラグを抜くとそれがよりあらはになる。前述以外の曲も全てアメリカントラディショナルフォークソングだと分かる。グランジとかオルタナティヴといふのは時代のラベルに過ぎない。

そのヴァリアントの豊富さが伝へるやうに時代時代によつて曲の素材は変はるやもしれぬが、人間が生まれて生きて死ぬといふ形式が変はらない以上、その本質や内容も古来変はらない。
言ひ方、歌ひ方、奏で方で決まる。






by ichiro_ishikawa | 2017-05-15 20:51 | 音楽 | Comments(0)  

ホワイト・ブルーズ

 ホワイト・ブルーズ、ブルーズを直接ベースとしたロックというのは、これまで避けてきた音楽のひとつだ。いわゆる“泣き”のギターがあまり好きではないし、「7th系3コード」という形式が古典的に過ぎると感じていたし、インプロヴィゼーションのマスターベーション的悦入り感が気持ち悪かった。長髪にほこりまみれのブルージーンズ(ベルボトム)というなぜか彼らに共通の出立ちも、あまりに男性的で、かつ極端な懐古主義と映った、ということも遠ざかった理由かも知れぬ。
 U2、ジョンスペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンやベック(・ハンセン)といったブルーズをベースとしながらも独自の解釈の元、新しい音を鳴らしているものでなければ、聴く気が起きなった。いわゆる3大ギタリストの中でも、ジミー・ペイジのポップ/ファンク、リフ系リズムギターに魅力を感じたし(音に呼応するギターの構えの低さも然り)、明らさまなブルーズリスペクトを標榜するエリック・クラプトン、技巧に走るあまりフュージョン化したジェフ・ベックからは距離を置いていた。
 ところが、アメリカン・ルーツ・ミージックを繙くうちに、そうした白人ギタリストの“ブルーズ愛”がとても腑に落ちるようになってきた。彼らは必ずしも懐古主義ではなく、温故知新なのだった。
 ピーター・バラカンが絶賛するジョン・メイオール&ブルーズ・ブレイカーズ(with エリック・クラプトン)をきっかけに、ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスとクラプトンの変化を辿り、デレク&ザ・ドミノスの『レイラ』でのデュアン・オールマンとのギター・バトルまで聞き込むにつけ、その魅力は一層輝きだす。ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンドのマイク・ブルームフィールド、ブルームフィールドとスティーヴン・スティルズ、アル・クーパーのスーパー・セッション……。今までなぜ避けてきたか俺、とてめえを訝った。こうなると、逆に鳴海頁のギターがなんだか間抜けな感じに聴こえてくるから不思議だ。

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 とまれ、ホワイト・ブルーズというのは、モノホンの黒人のブルーズと明らかに音が違う。黒人のブルーズはやはり悲しみという感情の発露だが、ホワイティらのそれは、その形式の模倣であり、発現しているものは哀しみの感情ではなく、もっとアーティスティックなものだ。そこには、黒人のようには弾けないし、そもてめえは白人という自覚から来る批評精神が働いている。だから、優れたホワイト・ブルーズマンの奏でるブルーズは聴けるのだった。
 表現というのは、感情に端を発しているにしろ、その感情を整える作業が必ず付きまとう。その作業が内省であり、結果、精緻に整えられた感情は極めて個人的でありながら普遍に達し得る。ただの泣き声は表現とは言えないし、つらさや哀しみをそのまま吐露されても、身内でもなければとても受け止められたものではない。そうした、非常に抑制の利いた「シャウト」というものは、白人でならではの魅力だと感じる。
 ことロックの世界だけでも、まだまだ知らない世界は多い。ほかにもフォーク、カントリーなどまだまだ未知の森はそこにある。ハリー・スミス編集によるアメリカン・ルーツ・ミュージックの『アンソロジー』を今入手せんとしている。そこから帰ってきてのロックにもまた新しい輝きを見い出すことになる思うと心が弾むし、「とりあえず夏までは生きていよう」という気にもなる。
 だが、こんなことしてる場合じゃない。

by ichiro_ishikawa | 2005-05-18 20:52 | 音楽 | Comments(7)