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福島康之の音楽教養講座(実演付き)


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下北沢に住居と仕事場を構える友人の粋な計らいで「空飛ぶこぶたや」での福島康之ギグ「福島 丸山のライブ【実家に帰らさせていただきます 下北沢編」】」を滑り込み鑑賞。
今回は丸山朝光(vo.Banjo/ハチャトリアン楽団)とのデュオ。
「ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデンのアルバムをなるべく再現する」といふ隠れテーマで、様々なるジャズ、ブルーズのスタンダードナンバーを、ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデン的解釈で奏でるといふ激シブ・マニアックな試みであり、キャパ10数人の小屋ならではの、好きな曲を勝手に演奏してみるといふ、ツアーの仕込み風、自宅セッション的ギグであつた。

「大抵どの曲も同じコード進行なので間奏で何の曲かわからなくなるシリーズ」の開陳や、「Beneath」や「Dawn」といつた語彙の斡旋の妙、好きだ云々よりハードストーキングやDV、君からの手紙のつもりで自分で自分に手紙を書くといつた、過ぎた行為の歌詞の魅力の解説などなど、結果的に、福島康之の音楽教養講座(実演付き)の様相を呈した。
MCでの福島節も全開で、その場に居ないメンバーや元メンバーいじりを含め、書き残せない発言も多数。「Bring It On Home To Me​」は、渋谷B.Y.G.(since 1969)店主のために用意して居たが、彼が曜日を間違へて幕張に居るため聴かせられなかつたといふ曰く付き。

なお、ロニー・ジョンソンは戦前ジャズ、ブルーズ界のカリスマギタリストで、戦後は第一線から姿を消し、ビルの掃除夫として働いてゐたところ、60年代の「フォーク・リヴァイバル」ブームで「再発見」された人物。エルマー・スノーデンは、1900年生まれのバンジョー奏者。
「再発見」の際、招聘サイドは、ロニーにはギターを録音してもらひたかつたが、「そのころはすつかり、歌しか歌はねえ、といふことになつてゐた」。だがその歌がまたものすげえといふことで、音楽マニアだつた福島康之は齢21で漸くギターを手にし、バンドを結成していくことになつたとのこと。

ロニー・ジョンソン&エルマー・スノーデン
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[第1部]
​1. ​​Lazy River
(Hoagy Carmichael​​​, Sidney Arodin, 1930)

​​2. ​​​​Sweet Sue, Just You
​(Victor Young, Will J. Harris, 1928)

3. ​​Memories of You
​(Andy Razaf, Eubie Blake, 1930)

4. ​​Sunny Side of the Street (version A)
(Jimmy McHugh, Dorothy Fields, 1930)

​5. Slow Boat to China
(​Frank Loesser​, 1948​​)
​​​​
​​6. It's A Sin​ ​to Tell A​ ​Lie
​(Billy Mayhew, 1936)

​​7. All​ ​of Me
​(Gerald Marks, Seymour Simons, 1931)​

​​​​8. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter
​(Fred E. Ahlert, Joe Young, 1935)​
​​
​9. ​シンシア​(​よしだたくろうとかまやつひろし​)​
​(​吉田拓郎, 1974​)

10. ​Bring It On Home To Me​
(Sam Cooke, 1962)

[第2部]
1. The Song Is Ended (but the Melody Lingers On)
(Irving Berlin, 1927)

2. I've Got world On a String
(Harold Arlen,Ted Koehler, 1932)

3. Jesus On The Main Line
(Mississippi Fred McDowell, 1969)

4. St.Louis Blues
(William Christopher Handy, 1914)

5. Georgia On My Mind
(Hoagy Carmichael, Stuart Gorrell, 1930)

6. Please Don't Talk About Me When I'm Gone
(Sam H. Stept, Sidney Clare, 1930)

7. 待ち合わせ(友部正人)
(友部正人, 1993)

8. You Always Hurt the One You Love
(Doris Fisher, Allan Roberts, 1944)

9. 曲名不明、情報求む(おこりんぼう)

10. あの頃~Ano Koro~(ハチャトゥリアン楽団)
(ハチャトゥリアン楽団, 2013)

11. 夏だったのかなあ(バンバンバザール)
(福島康之, 1999)

12. ニューオリンズにて(バンバンバザール)
(福島康之, 1994)

13. 早稲田通り(バンバンバザール)
(福島康之, 2005)

14. 俺とタシロと校庭で(バンバンバザール)
(福島康之, 2010)

15. バーボンストリートブルース(高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンド)
(Assunto Frank, Fred and Jac, 高田渡, 1977)

16. On the Sunny Side of the Street (version B)
(Jimmy McHugh, Dorothy Fields, 1930)





by ichiro_ishikawa | 2017-07-25 01:26 | 音楽 | Comments(0)  

1986年の長渕

STANCE
この大阪城ホールはヤバい。
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Super Star
元気?の言い方がすげえいい。頑張って、もよい。
その二言及び行間にものすごいものが詰まつてゐる。
別れを乗り越えた男のギラギラした目がロック。
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Don't Cry My Love
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Stay Dream
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ボウイ
ONLY YOU
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1987年
ろくなもんじゃねえ

何の矛盾もない
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1988年
とんぼ

1989年
天河大弁財天社シークレットギグ
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1990年
巡恋歌

カラス、JEEP




by ichiro_ishikawa | 2017-07-20 22:15 | 音楽 | Comments(0)  

「昨日はどこで寝てたんだ?」再考


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ニルヴァーナの「where did you sleep last night」
は『MTVアンプラグド』(1994)の最後を飾る曲で、レッドベリーのカバーだが、そもそのレッドベリーもアメリカン・トラディショナル・フォークソングのカバーで、「in the pines」などのヴァリアントも多く存在する。原曲は伝承歌である。

D-G-F-A-D、三拍子8小節の繰り返しといふおそらくは史上最もシンプルな楽曲のひとつだが、ここにポップミュージックの全てが詰まつてゐる。

アメリカン・トラディショナル・フォークソングは、ポップミュージックの大源流で、ブルーズ、フォーク、カントリー、ジャズ、ロックンロール、ポップスなど全てのポップソングは、そこに通ずる。

エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズ、ストーンズといふ50〜60sのロック4大種牡馬は言はずもがな、デイヴィッド・ボウイ、エルヴィス・コステロ、ソニックユース、R.E.M.、U2、そしてニルヴァーナといつた、要は「残るロック」は全てそのヴァリアントと言つてよい。
日本文学における万葉集のやうなものだ。
ニルヴァーナのやうにプラグを抜くとそれがよりあらはになる。前述以外の曲も全てアメリカントラディショナルフォークソングだと分かる。グランジとかオルタナティヴといふのは時代のラベルに過ぎない。

そのヴァリアントの豊富さが伝へるやうに時代時代によつて曲の素材は変はるやもしれぬが、人間が生まれて生きて死ぬといふ形式が変はらない以上、その本質や内容も古来変はらない。
言ひ方、歌ひ方、奏で方で決まる。






by ichiro_ishikawa | 2017-05-15 20:51 | 音楽 | Comments(0)  

ホワイト・ブルーズ

 ホワイト・ブルーズ、ブルーズを直接ベースとしたロックというのは、これまで避けてきた音楽のひとつだ。いわゆる“泣き”のギターがあまり好きではないし、「7th系3コード」という形式が古典的に過ぎると感じていたし、インプロヴィゼーションのマスターベーション的悦入り感が気持ち悪かった。長髪にほこりまみれのブルージーンズ(ベルボトム)というなぜか彼らに共通の出立ちも、あまりに男性的で、かつ極端な懐古主義と映った、ということも遠ざかった理由かも知れぬ。
 U2、ジョンスペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンやベック(・ハンセン)といったブルーズをベースとしながらも独自の解釈の元、新しい音を鳴らしているものでなければ、聴く気が起きなった。いわゆる3大ギタリストの中でも、ジミー・ペイジのポップ/ファンク、リフ系リズムギターに魅力を感じたし(音に呼応するギターの構えの低さも然り)、明らさまなブルーズリスペクトを標榜するエリック・クラプトン、技巧に走るあまりフュージョン化したジェフ・ベックからは距離を置いていた。
 ところが、アメリカン・ルーツ・ミージックを繙くうちに、そうした白人ギタリストの“ブルーズ愛”がとても腑に落ちるようになってきた。彼らは必ずしも懐古主義ではなく、温故知新なのだった。
 ピーター・バラカンが絶賛するジョン・メイオール&ブルーズ・ブレイカーズ(with エリック・クラプトン)をきっかけに、ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスとクラプトンの変化を辿り、デレク&ザ・ドミノスの『レイラ』でのデュアン・オールマンとのギター・バトルまで聞き込むにつけ、その魅力は一層輝きだす。ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンドのマイク・ブルームフィールド、ブルームフィールドとスティーヴン・スティルズ、アル・クーパーのスーパー・セッション……。今までなぜ避けてきたか俺、とてめえを訝った。こうなると、逆に鳴海頁のギターがなんだか間抜けな感じに聴こえてくるから不思議だ。

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 とまれ、ホワイト・ブルーズというのは、モノホンの黒人のブルーズと明らかに音が違う。黒人のブルーズはやはり悲しみという感情の発露だが、ホワイティらのそれは、その形式の模倣であり、発現しているものは哀しみの感情ではなく、もっとアーティスティックなものだ。そこには、黒人のようには弾けないし、そもてめえは白人という自覚から来る批評精神が働いている。だから、優れたホワイト・ブルーズマンの奏でるブルーズは聴けるのだった。
 表現というのは、感情に端を発しているにしろ、その感情を整える作業が必ず付きまとう。その作業が内省であり、結果、精緻に整えられた感情は極めて個人的でありながら普遍に達し得る。ただの泣き声は表現とは言えないし、つらさや哀しみをそのまま吐露されても、身内でもなければとても受け止められたものではない。そうした、非常に抑制の利いた「シャウト」というものは、白人でならではの魅力だと感じる。
 ことロックの世界だけでも、まだまだ知らない世界は多い。ほかにもフォーク、カントリーなどまだまだ未知の森はそこにある。ハリー・スミス編集によるアメリカン・ルーツ・ミュージックの『アンソロジー』を今入手せんとしている。そこから帰ってきてのロックにもまた新しい輝きを見い出すことになる思うと心が弾むし、「とりあえず夏までは生きていよう」という気にもなる。
 だが、こんなことしてる場合じゃない。

by ichiro_ishikawa | 2005-05-18 20:52 | 音楽 | Comments(7)