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Apple Musicのよさ

Apple Musicは、洋楽は新作もBOXセットもバシバシ配信されるといふのがよい。特にBOXセットは平気で数万するからこれはよい。ディラン全アルバムBOXとかすげえいい。

24時間音楽を流してゐるため月980は充分元が取れてゐる。そも音楽に月数千〜数万といふのはこれまでの人生の俺予算において常態だつたから全く問題はない。

めつきりレコード屋に行くこともCDを買ふこともなくなつたが、ミュージシャンにはどう金が入つてゐるのか。再生回数に応じてといふことならグレン・ティルブルックと、ビル・エヴァンスの遺族にはたんまり入つてるはず。

by ichiro_ishikawa | 2017-02-21 12:12 | 音楽 | Comments(0)  

ノスタルジーと老後

先日本欄で、レッド・ガーランドのグルーヴィについて触れたとき、発売日を1957年と書いたのだが、俺は西暦マニアなので、1957という数字だけでいろいろ思いを馳せるのだが、思へば、ロックばかり聴いていた10〜20代前半は、ビートルズが古典で、つまり最古のフェイヴァリットで、音楽史は60年代から始まっていたのだが、ズージャで60年代といふと、ロックでいふ90年代ぐらいで、その頃ズージャは、とっくに成熟していた。

而して1957年なんていふのは、ズージャでいふと「最近のもの」である。
つまり20年代のディキシー、30年代のスウィング、40年代のビーバップが、ロックでいふ「R&Bから発展した黒人ロックンローラー、続くエルヴィスに至る50年代から、いろいろ出揃った60年代」に相当する。
つまり1957年、レッド・ガーランドのグルーヴィはロックでいふ70年代後半で、爆発後の成熟期のものである。

さらに言へば、最古のレコード録音は20年代で、
フォークロアといふか民謡的なトーキングブルーズのようなものがポピュラーミュージック史の巻頭である。
何事も創世から爆発までが全盛期で、のち成熟し、衰退していくといふこの世の無常を考へるに、ポピュラーミュージックの本当にいいものは20〜60年代に出揃っていて、あとはそのヴァリアントだ。

つまり、何が言ひたいのか。

俺は「基本20〜60年代、時々70、80s、ギリ1997」みたいなスパンを射程に常に生きているので、

・出生〜幼少イコール20〜30年代
・青春イコール40〜60年代
・壮年イコール70〜80、ギリ1997

といふノスタルジーに常に耽りつつ、
今は21世紀といふ老後を淡々と過ごしている次第だ、といふことである。
アーメン。

by ichiro_ishikawa | 2016-06-22 14:40 | 音楽 | Comments(0)  

俺とジャズ


俺のジャズへの本格的目覚めは遅く、
今からほんの10年前だ。
30代半ば、小樽を旅した時に入ったジャズバー「Groovy」で、レッド・ガーランド『Groovy』を聴いた時なのであった。

「Groovy」での『Groovy』は凄まじかった。
歌謡曲から始まりロック、ブラックと変遷してきたそれまでのてめえのリスニング経験の蓄積が、そのとき丁度、調和したのだと思われる。
ジャズを受け入れる耳が出来上がっていた。
啐啄同時ってやつだ。
また、それがものすげえいいスピーカーだったこともあるだらうか、所謂「ビビッときた」のだった。
小林秀雄を真似れば、

僕が、はじめてズージャに出くわしたのは、三十五歳の夏であった。その時、僕は、小樽をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。あるジャズバーの店内で、偶然かかっていたプレスティッジ版の『グルーヴィー』の見すぼらしいLPに、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。LPは見事に炸裂し、僕は、数年の間、ズージャという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。

となる。

それ以前にもマイルス・デイヴィスを初体験に、あらゆるモダン・ジャズを聴いていたのだが、あの時の目覚めからすれば、むしろ嗜んでいたといったほうが正確だ。

あの時、俺はジャズが分かったのだった。

帰京後、すぐにアンプとスピーカーを買い換えた。
以来、うちのリスニングルームはジャズ寄りの音響システムに変わっている。

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Red Garland / Groovy
(1957 prestige)

1.C Jam Blues
2.Gone Again
3.Will You Still Be Mine?
4.Willow Weep For Me
5.What Can I Say (After I Say I'm Sorry)?
6.Hey Now

レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)





by ichiro_ishikawa | 2016-06-21 21:05 | 音楽 | Comments(0)  

哀悼オスカー・ピーターソン

オスカー・ピーターソン 1925年8月15日-2007年12月23日

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名手ジョー・パス(g)とのライブ
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名曲「You Look Good To Me」
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by ichiro_ishikawa | 2007-12-27 02:44 | 音楽 | Comments(0)  

ジャズと俺

 ジャズはたまに聴く音楽だった。

 ルイ・マル『死刑台のエレベーター』のマイルズ・デイヴィス、ジョン・カサヴェテス『アメリカの影』のチャールズ・ミンガス、チャーリー・パーカーの伝記『バード』、ジャズフェスティバルのドキュメント『真夏の夜のジャズ』など、映画から入った。
 つまりサウンド・トラックだ。劇中で流れる音楽の秀逸さは認められたが、それよりも、それらを散りばめた監督あるいは映画そのものの方が重要で、ジャズがジャズそのものとして胸に刻まれたわけではなかった。ロックが生き方そのものに圧倒的な影響を及ぼしてきたのに対し、ジャズはやっぱり環境音楽、趣味の音楽に過ぎなかった。ロックは文学や映画と同様、どう生きるかにかかってきていたが、ジャズは衣食住、つまり生活の糧でしかなかった。

 それがここ数ヶ月、ジャズしか聴いていないのはなぜか。
 いよいよおっさんになったのか。
 元々、ジャズの気配は常に気になっていた。マイルズの『ビッチェズ・ブリュー』『ジャック・ジョンソン』などエレクトリック・マイルズは十分ロックの耳にも響いたし、ヒップホップに引用されるファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズの類い、ソニック・ユースの流れでのフリー・ジャズも、ロックとして聴けた。普通に、カッコいい、と。
 また、バンバンバザールの影響で、ジャイヴ、ジャンプ、スウィング、ジャズコーラスの類いもルーツ・ミュージック的に、ロックの魂には容易に響いた。ただ、前述した通り、たまに聴いて「うん、いいじゃん」という程度で、「でも俺はロックだけどね」という注釈が常にあった。
 だが今の、ブームを超えて、自分の核となりつつあるジャズは、いわゆるストレート・アヘッドな4ビートのモダン・ジャズ、とりわけビ・バップ、ハード・バップである。バラッドはちょっとかったるく甘っちょろい気はいまだするが、アップテンポのビ・バップは、非常にスリリングで奥が深く、「鑑賞」に長く耐え得るものだ。このスリルと高揚感、奥深さは、ロックとは明らかに異なる質のものである。ティーンエイジャーでこの世界にハマってしまうと、ジャズ一辺倒になるのは凄く分かる。

 ドラム。ロック・ドラムを中上健次が「太鼓ドンドン」と揶揄したように、ジャズのドラミングは、リズムを支える一方で、まるでメロディを奏でんとしているかのように心地よく面持ちを変えながら、繊細に鳴り続ける。ベースは、ひたすら4ビートで、ウォーキング・ラインを刻み続ける。縁の下の力持ちに徹するそのストイシズムがいい。そのラインはロック・ベースではちょっと考えつかない不思議なものだ。クロマティック・スケールというやつなのか知らんが、とにかく一聴して掴みきれるものではない。その上に乗るのが、ピアノやサックス、トランペット、ギターだが、オーソドックスなビ・バップ・ジャズでは、まずテーマが全体で演奏され、あとは、あるコード進行に乗っ取って楽器ごとにソロ回しが行なわれる。時に応じて、ソロを取っていないときの楽器は、ソリストに間の手を入れたり、フレイズの応酬が繰り広げられる。それらは無論、アドリブであり、ライブはもちろん、スタジオレコーディンクでもテイク毎に全部違う。その、メロディ、コードの崩しや、相手の出方や己が気分によって瞬間瞬間に如何様にも表現されるその演奏は、本当にスリリングなのだが、何と言っても、そのメロディというか、音のラインが素晴らしいのだった。
 ドラムとベースをベースに、その上を自由に泳ぐウワモノは、ロック(ポップス)のプロデューサーは絶対許さないであろう、耳慣れないフレイズを連打していく。そのおかしなメロディ・ラインと分かりにくい構成、一定のアクセントの無いドラムとベースが、ロック/ポップス・ファンを遠ざける理由であろうが、ここの気持ちよさにピタッとハマるとそれが一気に反転して、これぞジャズ!という、興奮が沸き立ってくるのであった。そうなると、人間の歌声や、ロック/ポップスのありきたりなメロディとか音色、リズムが、まるで童謡のように感じられ、まったく聴く気がしなくなってしまう。
 
 97年、あるジャズ評論の大家に、今のロックの凄さを見せつけようと、当時お気に入りだったレディオヘッドの『OKコンピューター』を聴かせたことがあったが、氏曰く「ビートルズみたいだ」と一蹴された。その時自分は、「ビートルズはそりゃ根本にはあるが、そこからかなり深化している」と思っており、氏の年齢から来る頭(耳)の硬直化に飽きれていたのだが、今思うと、氏の「ジャズ」をベースにすると、なるほど、ロックが全部ビートルズに聴こえるというのは真実に思えるのであった。あれは耳、感性の問題ではなく、単なる音楽的な事実だった。逆にロックの耳からすると、ジャズは全部同じに聴こえるのではないか。
 ロックとジャズは、同じポップ・ミュージックとはいえ、何もかもが逆を向いているのだ。リズム、メロディ、ハーモニーといった音楽的要素から、ミュージシャンの態度まで、まったく逆だ。同じブルースを父に持つ、(モダン・)ジャズとロック(R&B、ソウル)は、生き別れた兄弟であり、まったく違う道を歩んでいる。
 
 オッサンになったとは人に言われるまでもなく自分でも感じるが、36には36でしか味わえないものが確実にあり、ここをよりよく味わうことが、今はスリリングで楽しい。逆に今、ジャズが分かってしまった耳で聴く、秀逸なロックは、さらに一層輝きを増して眼前に迫ってきていることもまた事実なわけで、俺はいま実は、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの「Tighten Up」で腰をくねらせながら、これを書いている。


マイ・今のヘビー・ローテーション・ジャズ、この10枚(年代順)

c0005419_23111834.jpgNow's The Time / Charlie Parker 1949年
チャーリー・パーカー(as)、ハンク・ジョーンズ(p)、アル・ヘイグ(p)、テディ・コティック(b)、パーシー・ヒース(b)、マックス・ローチ(ds)

ビ・バップの祖、バードことパーカーの代表作。ディジー・ガレスピーとの『バード&ディズ』と並ぶ名盤で、もの凄い勢いで繰り出されるビ・バップ・フレイズの連弾がすげえカッコいい。

c0005419_23281896.jpgGroovy / Red Garland Trio 1957年
レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)

今春、小樽を旅した時、ふと入ったジャズ喫茶の名は「Groovy」。言わずと知れた名盤だが、その喫茶店のすげえいいスピーカーで聴いた4ビート・ジャズがすげえ良くて、俺のジャズ・ハートに火をつけたのだった。

c0005419_23275640.jpgWay Out West / Sonny Rollins 1957年
ソニー・ロリンズ(ts)、レイ・ブラウン(b)、シェリー・マン(ds)

ロリンズの明るさが俺は好きだ。ジャズは難しい顔をせず笑顔で楽しく聴きたい。1曲目の「俺は老カウボーイ」は、バンバンバザールのカバーでもお馴染み。

c0005419_23273188.jpgGiant Steps / John Coltrane 1959年
ジョン・コルトレーン(ts)、トミー・フラナガン(p)、ウイントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)、ジミー・コブ(ds)

コルトレーンはモードやフリーよりもマイルズとやっていた頃や、ストレートアヘッドの頃が実はいい。本作は非常に黒く楽しい。

c0005419_23134410.jpgFull House / Wes Montgomery 1962年
ウェス・モンゴメリー (g)、ジョニー・グリフィン (ts)、ウィントン・ケリー (p)、ポール・チェンバース (b)、ジミー・コブ (ds)

まさかあれほど蔑視していたジャズ・ギターを聴くことになるとは。本作はライブ盤で、全演奏者がすげえいい。聴きながら「ほれ次お前ソロやれ」と渡されたらどうしようと、いつも緊張してしまう。

by ichiro_ishikawa | 2007-07-21 22:25 | 音楽 | Comments(0)  

ジャズ・ギター

 グラント・グリーン(1935〜1979)という主に60年代に活躍した黒人ジャズ・ギタリストが最近いい。昔からいいのだろうが、自分にとってよくなったのは最近のことだ。
 そも、ジャズ・ギターというものにあまり馴染みがなかった。ギターはロックの専売特許だという感が強かったし、ジャズにおいてはやはりピアノやサックスが花形で、ギターはザッザッザッザッとリズムを刻む、ベースやドラムと役割的には近いバッキング楽器だから、“すげえいいさ加減”も地味なものだった。70年代マイルズ・デイヴィス・バンドのジョン・マクラフリンなどはロック寄りなので好きだけれど、パット・メセニーとか、マイク・スターンはよりフュージョンぽくて、楽器ベタ、味オンチの自分にとってはあまり楽しめるものではなかった。 
 それがここに来て、ジャズギターブームが到来。チャーリー・クリスチャン、ジム・ホール、ウェス・モンゴメリー、パット・マルティーノがものすごく好きになった。ここ最近、バンバンバザールや、戦前のブルーズや、40〜60年代のリズム&ブルーズをかなりサイコパセティックに聴いてきた耳が、ジャズの繊細さ、アーティスティックさを許容しはじめたのやもしれぬ(やっと)。

 とはいえ、グラント・グリーンは、実はド・ジャズではない。アーシーでブルーズ・フィーリングあふれ、ゴスペルっぽくもあり、朴訥で素朴な、いなたいギターを弾く。
 このダウン・トゥ・アースなギタリストは、フットワークが実に軽く、いろいろなところに駆り出されては、気軽にセッションを展開している。アドリブ回しにおいては、主役をバンバン喰っちまう。主役であるサックスやトランペット、ピアノはそんなグラントに挑発され、レベルがグワッとあがっていく。結果、全体がファンキーな大セッション大会となり、嫌が応にも聴く者の腰を変拍子で痙攣させるといった塩梅だ。
 自分のリーダーアルバムよりいい演奏を膨大に残している——そこに目を付けたピーター・バラカンは、グラント・グリーン客演集といった趣のコンピレーション・アルバムを編集して東芝EMIからリリースさせた(だいぶ前に)。
 その名も『Have Guitar, Will Travell』。
 このタイトルが実に秀逸。ピーターが若き頃に見ていたテレビドラマ『Have Gun, Will Travell』をもじったものらしく、そのドラマは、殺し屋の主人公がチャカひとつで世界を飛び回るもので、タイトルの意味は「当方、銃あり。出張致します」といった意味合いだと、日本人より日本語が堪能なイングリッシュマン・イン・トーキョーことピーターは言う。つまり、この客演集も、「当方、ギターあり。出張致します」となる。
 その殺し屋ぶり、ギター1本での道場破り的な豪放感が、すげえいい。

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      これは2作目のリーダー作。メロディとか、すげえ

by ichiro_ishikawa | 2006-03-01 19:47 | 音楽 | Comments(0)  

ジャズ雑感

 ジャズという特異な音楽ジャンルがある。例えばロックだったら、ポップス、ブルース、フォーク、カントリーなどとの区別は容易じゃない。というか、それらのコンプレックス=複合体がそもロックなのだから、ロックという形態の幅はかなり広い。エレクトロニカだってテクノだって、ヒップホップだって、ソウルだってロックっちゃあロックだ。
 特異というのは、ただ唯一ロックじゃないのがジャズ、という意味でだ。
 ジャズとロックはポピュラー音楽の中の両横綱である。ロックとジャズは、その音楽的形式、志向において、基本的に真逆を向いている。ロックは、作り込まれた作品で、ライブなどではそのオリジナルの複製、再現が求められるのに対し、ジャズの場合は、その場その場でいかに「くずすか」が試される。ロックは本質的にポップであることを求めるが、ジャズはいかにポップから遠く離れるかが問題だ。例えばソニック・ユースのようにどちらにもいかない、そう単純に割り切れないミュージシァンも多いけれど、まあ基本的にそうであろう。だから、リスナーはその嗜好においてジャズとロックでは、きっぱりと別れる。両方好きだという輩も多いだろうが、いざ聴くという段になると心のスウィッチを意識的にせよ無意識にせよ、切り替えていることだろう。

 有名なビ・バップの誕生物語がある。生活のために大衆向けのポップスを演奏していたチャーリー・パーカー(as)やディジー・ガレスピー(tp)が、そうした音楽にもの足りず、ライヴがはねた後に、自分達のやりたいように、また演奏の腕をミュージシァン同士で競うべく夜中延々とセッションを続けたという。それがジャズを進化させた。そういうわけで、基本的にジャズは、己がための演奏であり、他の演奏者との競い合いであり、結果、ポップに背を向けて歩むことになる。ジャズは絶えず聞き手を裏切る方向に進み、表現力は高い演奏力を必然的に要求する。結果、大衆はジャズから遠ざかり、たいていのミュージシァンは、表現力さえあれば技術をさほど要しない手軽なロックを目指す。

 最近、ジャズを好んで聴く。昔は、ただその雰囲気が好きで、浴びるようにポップスを聴いた後、そのあまりのポップネスに飽きると、たまにマイルズ・デイヴィスのレコードをターンテーブルに乗せたりする程度だった。それが最近は、ジャズがちょっとしたヘヴィ・ローテションだ。i−podの手軽さのせいもあろう。
 ジャズ、俺風聴きどころは2つ。
●ミュージシァンのかけあいのスリル
●ポップじゃないメロディのスリル
●その場でどうアドリブしていくかのスリル
●各々の音色、全体のアンサンブルのスリル
(ただし、音楽的な細かいところは全然わかりません)

 要はすげえスリリングなところだ。だから、ジャズでもラウンジ的、BGM的なものは聴けない。ピリピリとした緊張感がなければ聴けない。
 というわけで、いいジャズメン、ベスト5。
(ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズ、エレクトリック・マイルス、ヒップホップ・マイルスなどは、ロックの部類だと感じるので割愛)

バド・パウエル(p)
オスカー・ピーターソン(p)
セロニアス・モンク(p)
チャーリー・パーカー(as)
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
ディジー・ガレスピー(tp)
チャールズ・ミンガス(b,cond)

 スリルというとロックの専売特許のようだが、そうではない。ロックとジャズは真逆と言ったが、それは音楽的様式に対してであって、スピリチュアルな意味では、ほぼ同じことを目指している。あるスリルを指して、ある人はジャズというし、ある人はロックと呼ぶ。また、孤高たらんとする意志をジャズといってもロックといっても同じことだ。そうした「精神のあり方」にまでジャンル名が及んでいるということも、ロックとジャズが両横綱たる所以である。

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今、聴きたい観たいジャズ『真夏の夜のジャズ』DVD
(1958年ニューポート・ジャズ・フェスティバルの模様)

by ichiro_ishikawa | 2005-07-12 19:38 | 音楽 | Comments(1)  

内藤遊人インタビュー by 富沢えいち

富沢えいち「ジャズ四ツ谷口」より転載

 11月14日復刊予定の「ジャズライフ」誌の“噂の真相”について、前・編集顧問、内藤遊人氏にインタビューしました。

「ジャズライフ」復刊記念
編集長・内藤遊人インタビュー

版元の立東社が倒産したことによって「ジャズライフ」誌が休刊したのは今年の7月。熱烈な各方面からのラヴ・コールを受け続け、絶えず「すわ復刊っ!」という噂が流れ続けていたが、この10月初頭にようやく“正式な見通し”を受けることができた。当「ジャズ四谷口」では、あまたの噂を払拭するべく、出入りライターの特権を最大限に行使して、別会社を新設して「ジャズライフ」制作の陣頭指揮にあたることが決まった内藤遊人氏に直撃インタビューを試みた。業界でも有名な“出たがらない”人物の、オフレコ部分もまだ多いという内容であることをお断りして、待ち望んでいた“「ジャズライフ」どうなるの?”の現時点での真相をお届けしよう。

The shape of jazzLife to Come!
「“ジャズライフ”来るべきもの!(仮)」
業界の“奇蹟”が起きた背景とは?

——まず、「ジャズライフ」休刊というニュースには驚きました、という質問からさせていただこうかと思っていたのですが。
内藤 そりゃ、驚きましたよ、こちらも(笑)。
——その時の内藤さんの立場はどう説明すればいいのでしょう。前は社員ということでしたが。
内藤 編集顧問という名前でやってはいましたが、編集長を補佐する立場とでもいえばいいでしょうか。ジャズライフの歴史的にいえば、元・編集長(2代目)だったということにはなりますが。
——編集長を辞めた時点で立東社はお辞めになっていた?
内藤 ええ、そうです。この4〜5年は、皆さんがどのぐらい原稿料をもらっているとか、いくら経費がかかっているのかとかはみてなかったけど、雑誌の方向性に関しては責任を持つ、というスタンスで関わっていました。
——ということは、立東社倒産というニュースは……。
内藤 そういう意味では、仲間の編集部員と同じ感覚で受け止めた、ということになりますね。
——「ジャズライフ」はどのような形で復刊するのでしょうか。
内藤 まあ、「ジャズライフ」に関わっているときから、立東社という会社の中にあっても、独立採算というか、切り離して単独で考えた場合に採算がとれる雑誌にしようと自分では考えながらやってましたし、こうなってからも、発行してくれる会社さえ見つかればなんとかなるだろう、ということは当然考えていました。もっとカンタンに言ってしまえば、自分たちにお金があれば、自分たちで「ジャズライフ」を出してしまおう、ということも当然考えたわけですよ。ところが、どう計算しても、最低でも4〜5千万の開業資金と当初の運転資金がなければ難しいという現実がハッキリと見える(笑)。それで、どこか発行してくれるところはないか……、とそういった状況のなかで、幸せの青い鳥が見つかった、というところでしょうか。
——カンタンに考えてみると、「ジャズライフ」というバンドがあって、今までリリースしていたレコード会社と契約の面でうまくいかなくなったので、別の会社を探した、というようなことなのかな、と。
内藤 ええ、そういう感じかもしれませんね。立東社にも「ジャズライフ」という雑誌に対してそういう自由さを許していたところがありましたから。だからこそ、今回のような早期復刊も可能だったんじゃないかと思います。
——一般に、雑誌の復刊は“奇蹟”と言われますが。
内藤 そうですね。我々も“まさか”という気持ちが確かにありますね。冗談のつもりで言ってるうちに、なんとなくそうなってきた、というのが正直なところなんです(笑)。「そこまで言うなら」と拾ってくれた優しい人たちがいた、と。人生は何でもそうでしょうけど、出会いがあったということですよね。ラッキーには違いないんでしょうけど。
——誰もが助けられるという立場にはないだけに、やはり奇跡的なことですよね。
内藤 ただ、我々は好きなように雑誌を作っていて、これからもそれは変わらないだろうし、以前と同じような発行形体はだめでも、バンドで言う“ストリート・ミュージシャン”みたいな立場でもやろう、とは考えていました。できたかどうかは別ですが(笑)。自費出版して、大手書店に持ち込んで売るのはタイヘンでしょうけど、なんらかの形で、名前は違っても、雑誌を作り続けたいなというのはありました。実際にはいくつも難しい問題を解決しながらやっていかなければならないわけですから、決して簡単にできると思って「雑誌を続けよう」と考えていたわけではないんですけどね。ただ、ストリートで元気良くやっていれば、誰かがいいねと共感してくれるという未来もあるじゃないですか。それもまた、ヒトとの出会いや相性が関係してくるんですけど、可能性がなくなるわけじゃないから。
——三栄書房という名前は出していいんでしょうか。
内藤 もういいでしょう。挨拶状も作りましたから(笑)。
——三栄書房という版元が「ジャズライフ」編集部に「ジャズライフ」を作らせて、それを流通させるということですね。内藤 そうですね。こちらは「ジャズライフ」を制作するための新しい会社を立ち上げました。復刊に伴う内藤遊人復活の奇跡とは?
——最初、内藤さんはヤマハに入社されてたんですよね。
内藤 大学出てからはね。本当はミュージシャンになるつもりで早稲田のダンモに入ったんですが、やっぱりカタギになろうと思って。
——カタギじゃなかったという噂ですよ(笑)。ヤマハの渋谷店にはミュージシャンが来ると半額にしてくれる店員がいるって有名だったって(笑)。
内藤 いえいえ、そんなことないですよ(笑)。噂が噂を呼んでそうなっているんでしょう。
——でも安くしてくれたって言ってましたよ。
内藤 まあ、多少は、ね。だって、ジャズやってる人に高い値段で売るような、そんなかわいそうなことはできないですよ。多少は、ね。
——何で「ジャズライフ」に?
内藤 これは話せば長いんですよ(笑)。ヤマハって、当時は音楽だけじゃなくて、バスタブ作ってたり、アーチェリーも売ってたし、ゴルフ・クラブとか、金属事業部で中国行った同期の人間もいたんですよ。当時は日本楽器製造株式会社と言っていたんだけれど、楽器だけでなく手広く事業をやってた時期だったんですから。で、入社させてもらえたのはいいけれど、最初にピアノとかエレクトーンとかのセールスの研修を受けるんだけれど、これがぜんぜんダメで(笑)、ほかの部署に行っても使いモノにならないってことで、それで渋谷店に配属になったんです。もともと渋谷の店っていうのがヤクザなところで(当時の直営店のなかではやっぱり銀座とか池袋の方がクラシックな雰囲気があった)、そこでまあ、楽器を売るとかはあんまり得意じゃなかったから(笑)、店に遊びに来てくれるミュージシャンに頼んでジャズ教室を始めたり、そんなことばっかりやっていた。当然、ボクの売上は上がらないから、2年半ぐらいで、もう他のことをやった方がいいんじゃないのと言われて、それで辞めたんですけどね(笑)。それでフラフラしているころに、「オマエ、フラフラしているなら一緒に雑誌をやらないか」って早稲田の頃のバンド仲間から誘われたのが実は、立東社だったんです。当時はまだ「ジャズライフ」創刊前でしたから、「ロッキンf」編集部の机に座って手伝いながら、ジョン・デンバーのムックとか、ジャズ・ギタリストやブルース・ギタリストの単行本とか、わけわからんこといろいろとやってたんですよ(笑)。それをやりながら、半年後ぐらいに「ジャズライフ」を作る、ということでスタートしたんです。それが77年。
——内藤さんが編集長になられたのは。
内藤 創刊から2年ぐらい経って、世に言う“フュージョン・ブーム”に火がつき始めたころ、雑誌がようやく軌道にのってきた。始めるときには、「某誌以外はぜったいに成功しないから無謀なことはするな」とみんなに言われましたけどね(笑)。ましてや譜面を入れるなどというような余計なことを考えていたから、ぜったいダメだと言われ続けて、ボクも実はそう思っていたんだけど(笑)、やっているうちに、世の中がこっちに向いてくれた。軌道にのったから今度はオマエが編集長をやれと言われて、別に、引き受けたくはなかったけれど、断る理由もなかったし(笑)、流れのまま、ですよ。編集長になったからって、別にラクになるわけじゃなく、やることも変わりなかったし、かえって余計なお金の計算とかまでしなければならなくなって、楽しくはなかったけど(笑)。まあ、肩書きでどう変わるわけじゃなかったから引き受けたんですけれど、それ以後も「ジャズライフ」自体はどんどん支持されていって、その点ではおもしろかったですね。10年ぐらいやったかな。それでもういいかということもあって、一時は引退していた。まあ、引退といっても、原稿は書いてたから、「ジャズライフ」との関係は続いてたことは続いていたわけだけど。その後、さっき言った編集顧問という形で、また編集に関わるようになったわけです。
——今、不況ですよね。そんななかで「ジャズライフ」が復刊するというニュースは数少ない“良いニュース”だと受け取られているんですが、実は、それほど楽な船出ではないんじゃないかとも思っているんですが。
内藤 間違いなくラクな船出じゃないですよ。やらない方がよかったという意見もあるだろうし、実際にそういう思いも一方にあることは確かです。雑誌を作っても給料が出るかどうかわからないわけだから。24年の歴史が築いた“強み”とは?
——これまでの歴史で、「ジャズライフ」スタイルというものができあがっていたと思うのですが、このアクシデントによって何か変わるということはあるんでしょうか。
内藤 それはないでしょうね。結局、雑誌が20年以上保つというのは、外部から見ればタイヘンなことだと思うんですよ。自分が関わっていた雑誌だということを抜きにしても、ね。すごいことだと思いますよ。
——その20年がダメでこの結果を導いたわけではないんですよね、今回の場合は。
内藤 そうそう。だから、中身がダメになって休刊になっていたのなら、20年が何の意味もないことになるわけだけれど、そうじゃない。「ジャズライフ」は、続いていたことによって自然にスタイルというものができていたんじゃないかと思うんですよ。そうした支持されている部分を継続することが、今回の復刊の使命でもあると思っています。それがなかったら、たぶん、復刊できなかったかもしれない。そんな大儲けできるような雑誌じゃないんだけれど、「ジャズライフ」にはそういう“なにか”があるから、それはほかにはないものだと評価してくれる人がいるわけですよ。それが「ジャズライフ」の持つ強さで、そういう点が認められたから復活が許されたんじゃないかと、手前ミソですが思うんですよ。ユニクロにはユニクロの特色がある。吉野家には吉野家の特色がある。エルメスのビルがオープンすれば並んでまで買いに行く。ブランドという幻想はもちろんありますけれど、そこにしかないから買いに行く、魅力があるから行く、高いけれど行く、安くていいものがあればもちろん行く。強いものにはその根底に何かある。何かないと世の中に受け入れられないわけですよね。それぞれにコスト計算やらなにやらの事情はあるでしょうけれど。同じ強さが、24年続いた「ジャズライフ」にはあったんじゃないかと思うんですよ。それは大事にしたいと思っています。
——結論としては、「ジャズライフ」は変わらない?
内藤 ええ。
——ちょっと休んだだけ。
内藤 ということでしょうね。まあ、これでスタッフが変わるのなら変わるんでしょうけど……。ボクがいなければもちろんリードするヒトによっては変わるだろうけど、いるから変わらないということでもなくて、「ジャズライフ」には「ジャズライフ」を作ってきたものがあるから変わらない、という部分が大きいと思いますよ。でも、版元が変わるということは、まったく同じ状況ではないということでもあるわけです。さて何が変わるか、それは乞うご期待なんですが(笑)。
——広告料が高くなるとか、記事に金を取るとか(笑)。
内藤 そういう部分では変わりません(笑)。変わるということに関して言えば、すでに「ジャズライフ」は歴代で何回も変わってきましたからね。AB版でスタートしたのにA4版に変えたり、平綴じから中綴じに変えたり、まあ、変えたのは主にワタシですけど(笑)。やっぱり飽きるんですよ、昨日と同じことをしていてもつまらないという性格ですから。同じコトをやっていると飽きちゃって続かないんですよ。でも、今は、切れた部分をなんとかつないでいきたい、ということを第一に考えて、つなぐからにはその間の空白を埋める何かを付けなければ! ということで、期待して欲しいと思っています。
——定食に小鉢が1品付く……。
内藤 計画通り行けば、小鉢は付きます。いや、小鉢じゃないかもしれないな、本当にささやかなオマケかもしれないけど(笑)。

by ichiro_ishikawa | 2001-10-14 03:39 | 音楽 | Comments(0)