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80年代歌謡史 その5 1986年


歌謡曲とロックの融合

1986

BOØWYと長渕によるロックへの政権交代


原色ポップの狂騒1985を経て、歌謡界はモノトーン、ブラックへと色彩を変へていく。

BOØWYの大ブレイク、長渕剛『STAY DREAM』といふロック勢が歌謡ヒットチャートを席巻してしまふといふ背景のもと、歌謡界とロックとの境界は溶解していくことになる。


1986年1月1日

キャンドルの瞳/吉川晃司



1986年1月21日

歌謡曲/とんねるず



1986年2月5日

色・ホワイトブレンド/中山美穂



1986年2月3日

DESIRE -情熱- /中森明菜



1986年3月21日

MODERN TIME/吉川晃司



1986年3月26日

フラミンゴ in パラダイス/荻野目洋子



1986年4月30日

100%男女交際/小泉今日子



1986年5月16日

クローズ・アップ/中山美穂



1986年5月28日

やぶさかでない/とんねるず



1986年6月10日

Dance Beatは夜明けまで/荻野目洋子



1986年7月10日

夜明けのMEW/小泉今日子



1986年7月15日

JINGI・愛してもらいます/中山美穂



1986年8月5日

寝た子も起きる子守唄/とんねるず



1986年8月21日

ツイてるねノッてるね/中山美穂



1986年9月30日

すべてはこの夜に/吉川晃司



1986年10月21日

人情岬/とんねるず



1986年10月29日

六本木純情派/荻野目洋子



1986年11月19日

木枯しに抱かれて/小泉今日子



1986年11月21日

WAKU WAKUさせて/中山美穂




by ichiro_ishikawa | 2017-11-01 00:19 | 音楽 | Comments(0)  

80年代歌謡史 その4 とんねるずと中山美穂


とんねるず登場、中山美穂デビュー

1985

原色ポップの狂騒


すでに「ぴょん吉ロックンロール」でレコードデビューを果たしてゐたとんねるずが、「オールナイトフジ」でのブレイクを機に、「一気!」で再デビュー。

1985年、2年目の吉川晃司と共に男性歌謡界を席巻していく。さらに4月には「夕やけニャンニャン」といふ主戦場も得て、既成の歌謡システムに揺さぶりをかける。


6月には中山美穂がデビュー。お色気ドラマを主演し、ヤンマガの人気不良漫画の映画化「ビーバップハイスクール」でヒロイン泉京子を演じ、「なんてったってアイドル」でアイドルシステムを対象化した小泉今日子と共に、清純アイドルとは違うロックテイストのアイドルとして聖子、明菜の二強時代に楔を打ち込む。



1984年12月5日

一気!/とんねるず(22,23歳)



1984年12月21日

The Stardust Memory/小泉今日子



1985年1月11日

You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜/吉川晃司



1985年1月30日

天使のウィンク/松田聖子



1985年3月8日

ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕/中森明菜



1985年4月1日

夕やけニャンニャン放送開始



1985年4月10日

常夏娘/小泉今日子



1985年4月21日

青年の主張/とんねるず



1985年4月23日

にくまれそうなNEWフェイス/吉川晃司



1985年5月9日

ボーイの季節/松田聖子



1985年6月8日

ハートブレイカー/小泉今日子(「KYON2」名義)



1985年6月19日

SAND BEIGE -砂漠へ-/中森明菜



1985年6月21日

「C」 /中山美穂



1985年7月25日

魔女/小泉今日子



1985年8月1日

PASSION/早見優



1985年9月5日

雨の西麻布/とんねるず



1985年9月25日

RAIN-DANCEがきこえる/吉川晃司



1985年10月1日

生意気 /中山美穂



1985年10月9日

SOLITUDE /中森明菜



1985年11月21日

なんてったってアイドル/小泉今日子



1985年11月21日

ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)/荻野目洋子(16歳、デビューは1年前)



1985年12月5日

BE-BOP-HIGHSCHOOL/中山美穂


by ichiro_ishikawa | 2017-11-01 00:18 | 音楽 | Comments(0)  

80年代歌謡史 その3 吉川晃司登場


最後のアイドル、吉川登場

1984

歌謡曲とロックの融合時代



1984年、いきなり映画主演と主題歌、といふナベプロが放つた超大型アイドル吉川晃司がデビューする。


比較的小柄な優男であるジャニーズ系男子とかわい子ちゃんアイドルたちが楽しく騒いでゐるところへ、バタフライで殴り込み、180cmといふ長身でバック宙、足上げ、プール飛び込みと暴れまくる吉川。清く正しく美しいアイドル歌謡界に風穴を開けた。

最終アイドル吉川の登場は、その内包するロックテイストによりアイドル歌謡界の終焉を孕んでゐた。



1984年1月1日

クライマックス御一緒に /小泉今日子(「あんみつ姫」名義)


1984年1月1日

北ウイング/中森明菜



1984年2月1日

Rock'n Rouge/松田聖子



1984年2月1日

モニカ/吉川晃司(18歳)



1984年3月21日

渚のはいから人魚/小泉今日子



1984年3月31日

誘惑光線・クラッ! /早見優



1984年4月11日

サザン・ウインド/中森明菜



1984年5月10日

時間の国のアリス/松田聖子



1984年6月1日

サヨナラは八月のララバイ/吉川晃司



1984年6月21日

迷宮のアンドローラ/小泉今日子



1984年7月25日

十戒 (1984) /中森明菜



1984年8月1日

ピンクのモーツァルト/松田聖子



1984年9月10日

ラ・ヴィアンローズ/吉川晃司



1984年9月21日

ヤマトナデシコ七変化/小泉今日子



1984年11月1日

ハートのイアリング/松田聖子



1984年11月14日

飾りじゃないのよ涙は/中森明菜


by ichiro_ishikawa | 2017-11-01 00:15 | 音楽 | Comments(0)  

80年代歌謡史 その2 小泉今日子と中森明菜


小泉、明菜デビュー

1982-83

才能が続々輩出、アイドル全盛時代



80年代の幕開けがキラキラしてゐるのはひとえに松田聖子の登場による。キャンディーズ解散、ピンクレディー失墜、山口百恵引退といふ70年代が醸す「終焉感」が、「何かの始まり」へとガラリと一転した。

1980〜81年の2年間、松田聖子の独壇場であつた歌謡界に、3月に小泉今日子、4月に早見優、そして5月に中森明菜と、続々と対抗馬が輩出する。82〜83の2年間は清く正しく美しいアイドル歌謡の全盛期である。



赤いスイートピー/松田聖子



1982年3月21日

私の16才/小泉今日子(16歳)



1982年4月21日

渚のバルコニー/松田聖子



1982年4月21日

急いで!初恋/早見優(15歳)



1982年5月1日

スローモーション/中森明菜(16歳)



1982年7月5日

素敵なラブリーボーイ/小泉今日子



1982年7月21日

小麦色のマーメイド/松田聖子




1982年7月28日

少女A/中森明菜



1982年9月21日

ひとり街角/小泉今日子



1982年10月21日

野ばらのエチュード/松田聖子



1982年11月10日

セカンド・ラブ/中森明菜



1983年2月3日

秘密の花園/松田聖子



1983年2月5日

春風の誘惑/小泉今日子



1983年2月23日

1⁄2の神話/中森明菜



1983年4月1日

夏色のナンシー/早見優



1983年4月27日

天国のキッス/松田聖子



1983年5月5日

まっ赤な女の子/小泉今日子



1983年6月1日

トワイライト -夕暮れ便り-/中森明菜



1983年7月21日

半分少女/小泉今日子



1983年8月1日

ガラスの林檎/松田聖子



1983年9月7日

禁区/中森明菜



1983年10月28日

瞳はダイアモンド/松田聖子



1983年11月1日

艶姿ナミダ娘/小泉今日子


by ichiro_ishikawa | 2017-11-01 00:12 | 音楽 | Comments(0)  

80年代歌謡史 その1 松田聖子、降臨

何度も書いてきてゐるやうに、1980年はポップ全盛で、それは松田聖子のデビューで始まり吉川晃司、BOØWY、長渕剛によるシーンのロック化により終焉する。  

そのゴールデンポップディケイド、重要人物をあげればキリがなく、分厚い本二巻分になるので、ここでは象徴的、主要人物を絞り、概説とする。登場するのは以下の通り。  

※(  )は俺が中1のときの想定学年  


とんねるず

    石橋 貴明 1961年10月22日生まれ(社1)

    木梨 憲武 1962年3月9日(社1) 

松田 聖子 1962年3月10日(社1) 

中森 明菜 1965年7月13日(大1) 

吉川 晃司 1965年8月18日(大1) 

小泉今日子 1966年2月4日(大1) 

早見 優 1966年9月2日 (高3) 

荻野目洋子 1968年12月10日(高1) 

中山 美穂 1970年3月1日(中3)  


以下、それぞれの活動の象徴としてのシングルを、発売日順に追つてみる。 当時シングルは年4といふサイクルであり、売り上げが落ちる頃に新譜を出すことで、ザベストテンなどのランキング生放送番組にずつと出てゐるといふ状態が作り上げられてゐた。 

なお一年の集大成はレコード大賞であり紅白歌合戦であつた。テレビが最強メディアで、一家に一台を家族全員で観るといふのが一般的であり、つまりヒットソングとは大人から子供までみんなが知つてゐる国民的な歌といふものであつた。

80年代後半になると、それまでは一部の存在であつたテレビ出演を拒否するニューミュージック、ロック勢がランキングに大挙するやうになり、昭和の歌謡システムは崩壊して行く。   

※早見優と荻野目洋子は楽曲クオリティが玉石混交のため玉のみを記載。 

※太字はS級楽曲。



ポップ幕開け

1980-81 

聖子登場、一強時代


1980年4月1日

裸足の季節/松田聖子(18歳)



1980年7月1日

青い珊瑚礁/松田聖子



1980年10月1日

風は秋色/松田聖子


 

1981年1月21日

チェリーブラッサム/松田聖子



1981年4月21日

夏の扉/松田聖子



1981年7月21日

白いパラソル/松田聖子



1981年10月7日

風立ちぬ/松田聖子




by ichiro_ishikawa | 2017-11-01 00:10 | 音楽 | Comments(0)  

オペラと俺


縁あつて初めてオペラを鑑賞。

セリフをふつうに喋つてほしいと思つた。
オーケストラは芝居と別に単独で聴きたかつた。
どうしても字幕を読んでしまい、すると読書と変はらないのだが、でも読書よりセリフのテンポが遅いため、早くページを繰りたくて仕方なかつた。

要するに、芝居、コンサート、読書をそれぞれやればよい、といふ話になつてしまひ、それらの融合である総合舞台芸術オペラの意味がない。オペラとは何か、を考させる素人オペラ鑑賞、まだ感性が乏しい中でのそれであつたので、次はふつうに鑑賞したい。




by ichiro_ishikawa | 2017-10-30 15:48 | 音楽 | Comments(0)  

中森明菜 1982-1986

ニューミュージック、フュージョンの70年代からパンク、ニューウェーブの80年代へといふ流れの表舞台では、山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディーから松田聖子へといふ主役交代劇が行われていて、それは俺史における幼稚園、小学校低学年から高学年へといふ推移の中にあつた。
1985年には歌謡界とロック界は垣根が無くなり、1986年、ボウイの大ブレイクによりロックが歌謡曲を凌駕するわけだが、それはまさにビートルズが起こしたポップ革命と相似で、つまりビートルズを用意したブリルビルポップとボウイを用意した80年アイドル歌謡といふものは同質のものがある。
つまり作詞作曲編曲者、バックミュージシャン及び事務所やレコード会社、メディアサイドの卓越したプロデュース力に支えられ、アイドル歌手といふ黄金が花開いたのが80〜84年である。

松田聖子、中森明菜、小泉今日子、中山美穂が四天王で、荻野目洋子と早見優を加へた6人が、なんと言つても超一流アイドルであらう。
実のところは中山美穂と小泉今日子、荻野目洋子あたりがリアルタイムで、早見優、そして松田聖子と中森明菜は、リアルタイムで好きになるには自分が幼少過ぎたため、40を超えてから再発見したのであつた。
特に中森明菜はごく最近のことである。
ミッツ・マングローブやマツコ・デラックスの明菜崇拝ぶりとともに当時の映像をyoutubeでみるにつけ、これはやはり聖子級であり、聖子にとつての明菜とは、ビートルズにとつてのストーンズ的な、まさに二大レジェンドと称するに相応しいことが決定的となつたのであつた。

全盛期は16歳のデビューから21歳まで。1982年から1986年までである。初期の、清純とツッパリの交互攻勢といふ戦略も特筆に値する。
以下にその軌跡を辿らん。


スローモーション
1982年5月1日 
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


少女A
1982年7月28日
作詞・作曲=売野雅勇・芹澤廣明


セカンド・ラブ
1982年11月10日
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


1⁄2の神話
1983年2月23日
作詞・作曲=売野雅勇・大沢誉志幸


トワイライト -夕暮れ便り-
1983年6月1日
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


禁区
1983年9月7日
作詞・作曲=売野雅勇・細野晴臣


北ウイング
1984年1月1日
作詞・作曲=康珍化・林哲司


サザン・ウインド
1984年4月11日
作詞・作曲=来生えつこ・玉置浩二


十戒 (1984)
1984年7月25日
作詞・作曲=売野雅勇・高中正義


飾りじゃないのよ涙は
1984年11月14日
作詞・作曲=井上陽水


ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕
1985年3月8日
作詞・作曲=康珍化・松岡直也


SAND BEIGE -砂漠へ-
1985年6月19日
作詞・作曲=許瑛子・都志見隆


SOLITUDE
1985年10月9日
作詞・作曲=湯川れい子・タケカワユキヒデ


DESIRE -情熱-
1986年2月3日
作詞・作曲 阿木燿子・鈴木キサブロー



by ichiro_ishikawa | 2017-10-28 22:57 | 音楽 | Comments(0)  

R.E.M. 名曲集












by ichiro_ishikawa | 2017-10-22 00:34 | 音楽 | Comments(0)  

【転載】How Debut Album ‘Murmur’ Spread

転載  udiscovermusic.com

R.E.M.

How Debut Album ‘Murmur’ Spread 

The Word About R.E.M.


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In December 1987, North America’s most prestigious rock publication, Rolling Stone, granted R.E.M. the front cover and proclaimed them to be “America’s Best Rock & Roll Band”. Just four and a half years after the release of their debut album, Murmur, the band’s dynamic fifth album, Document, had zoomed up to No.10 on the Billboard 200. Within another five years they would be one of the biggest bands on the planet.  


R.E.M.’s gradual, but surefooted rise to global stardom has been well-documented, but like their arena-rock contemporaries The Cure and Simple Minds, the Athens, Georgia-based quartet were first galvanised into action by punk’s lo-fi, DIY philosophy. A mutual appreciation of stellar punk and post-punk-era acts, including Patti Smith and Television, first firmed up the bond of friendship between vocalist Michael Stipe and guitarist Peter Buck, who put R.E.M. together with the addition of bassist Mike Mills and Bill Berry.



The embryonic band made their live debut at a friend’s birthday party in a converted Episcopal church in Athens, on 5 April 1980. The foursome then spent much of the next 18 months building a following the old fashioned way, criss-crossing the southern US playing grassroots-level shows and feverishly writing strings of songs.  


The band’s first real foray into a recording studio resulted in a well-received demo overseen by producer Mitch Easter at Drive-In Studios in North Carolina. In remixed form, two tracks from this session, ‘Radio Free Europe’ and ‘Sitting Still’, made up R.E.M.’s vinyl debut in July 1981, when the two songs were issued as a single on local Athens imprint, Hib-Tone.  


Selling out its 1,000-only pressing, ‘Radio Free Europe’ made sizeable waves, with the highly respected New York Times even including the record in its Ten Best Singles Of The Year round-up. Meanwhile, R.E.M.’s original Mitch Easter-produced demo continued to open doors for them. A copy of it eventually found its way to IRS Records, whose suitably impressed co-owners, Miles Copeland III and Jay Boberg, quickly stepped in to sign the band.


IRS introduced R.E.M. to the wider world with a mini-LP, Chronic Town, released in August 1982. Again recorded at Easter’s garage studio, this naïve yet glorious record included long-term fan favourites ‘Gardening At Night’, ‘Carnival Of Sorts (Box Cars)’ and ‘Wolves, Lower’, and introduced the band’s signature sound, with Mike Mills’ driving, melodic basslines playing counterpoint to Peter Buck’s jangly, arpeggiated guitar, and Michael Stipe’s soft, mumbled vocal delivery piquing the interest of critics on both sides of the Atlantic.  


With Chronic Town garnering positive media attention and racking up healthy sales of around 20,000 copies, IRS were keen to issue the band’s debut album. Initial sessions began late in 1982, but the label insisted on pairing the group with a new, high-profile producer in Stephen Hague (OMD, PiL, New Order), who placed the emphasis squarely on studio perfection. Though an excellent technician on his own terms, Hague’s methods were ill-suited to the still relatively inexperienced R.E.M. Bill Berry, especially, lost confidence after Hague forced the band to perform multiple takes of ‘Catapult’, and the producer later decided to take the completed song to Synchro Sound in Boston where he overlaid it with keyboards without the band’s permission.  


Unhappy with the turn of events, R.E.M, requested the opportunity to record their debut with Mitch Easter. After an initial “try out” session yielded a successful version of the song ‘Pilgrimage’, IRS relented and gave R.E.M. the green light to hook up with Easter and his production partner, Don Dixon.  


Stipe and company had previously worked with Easter at his garage studio in Winston-Salem, North Carolina, but for the Murmur sessions they moved 80 miles further south to Reflection Studios in Charlotte, a 24-track facility whose principal clients were US televangelists Jim and Tammy Bakker’s Praise The Lord Club. The studio’s lack of rock’n’roll credentials, however, didn’t faze R.E.M. in the slightest.  


“We wanted to do it in the South with people who were fresh at making rock’n’roll records,” Peter Buck later told Rolling Stone. “In Charlotte, we could sit up all night and mess around, have ideas and not worry too much.”  


R.E.M. had written and performed most of Murmur’s 12 songs live during 1980-81 and had already agreed on a track sequence before they entered the studio. The quartet were also adamant that they wished to eschew rock music clichés such as grandiose guitar solos and the (then on-trend) synthesisers so beloved of Stephen Hague. In most cases, the songs’ basic tracks were laid down relatively quickly and Stipe generally recorded his vocals in a darkened stairwell off to the side of the main studio.


For their part, Dixon and Easter were happy to provide technical expertise and tighten things up as required, but in general, the pair cheerfully indulged R.E.M.’s experimental approach. As Dixon told Rolling Stone: “It was a unique combination of people, where there was enough tension and enough cohesiveness. We were dealing with a fragile sort of art concept and trying to bring in a little pop sensibility without beating it up.”  


“They [Dixon and Easter] were instrumental in teaching us how to use the studio,” Peter Buck later acknowledged. “We spent most of our time finding interesting ideas and sounds like strange percussion things, banging on table legs… I’d play acoustic guitar and then take the guitar off and leave the reverb on with the delay, so that it was ghostly and strange.”




The record R.E.M. emerged with remains one of the most compelling and otherworldly debut albums in rock history. Buck’s chiming, Byrds-esque guitars and Stipe’s elliptical lyrics and slurred delivery have frequently been singled out for attention, but all four members of the band played crucial roles, with Mills’ melodic basslines and Berry’s expressive drumming (and the duo’s intuitive harmony vocals) equally essential to the shape of R.E.M.’s singular DNA. Among the record’s cachet of brittle, introspective treats are the glorious ‘Talk About The Passion’, the haunting, piano-led ‘Perfect Circle’ and the nervous, jittery ‘9-9’, but Murmur’s tracklist remains staunchly filler-free and the passing of time has merely added to the record’s timeless allure.


Housed in a suitably enigmatic sleeve depicting a field covered with kudzu vines (known locally as “the vine that ate the South”), Murmur was released on 12 April 1983 and attracted substantial media acclaim. Awarding the album four stars, Rolling Stone’s Steve Pond asserted that “Murmur is the record on which [R.E.M.] trade potential for results: an intelligent, enigmatic, deeply involving album, it reveals a depth and cohesiveness to R.E.M.”, while The Village Voice’s Robert Christgau declared “they’re an art band, nothing more or less – and a damn smart one!”



  

Murmur’s most direct and anthemic track, a punchier, re-recorded version of ‘Radio Free Europe’ was selected as the album’s lead single and rose to No.78 on the Billboard singles chart. The album itself fared better, peaking at No.36 on the Billboard 200, selling 200,000 copies across 1983 and eventually gaining a gold certification in 1991. Remarkably, the introspective Murmur also went on to beat off the challenge of multi-million-selling mainstream releases such as Michael Jackson’s Thriller, The Police’s Synchronicity and U2’s War to scoop Rolling Stone’s prestigious Album Of The Year Award for 1983.  


R.E.M. played a lengthy US tour supporting UK ska-pop trailblazers The English Beat (aka The Beat, back home) which straddled the release of Murmur. The band’s relentless schedule continued throughout the summer of ’83, with their own headlining tour of North America touching down in prestigious venues such as The Ritz in New York, the Old Waldorf in San Francisco, and Detroit’s St Andrew’s Hall. During this run of shows Stipe and company took legendary names of the future, such as The Replacements, out on the road as their warm-up acts.  


National television debuts at home (Tonight With David Letterman) and abroad (The Tube in the UK), in addition to the group’s first European tour, presaged R.E.M.’s reunion with Mitch Easter and Don Dixon, and the start of the sessions which resulted in the band’s sophomore release, April ’84’s Reckoning.


Tim Peacock



by ichiro_ishikawa | 2017-10-21 20:31 | 音楽 | Comments(0)  

Rock'n' Roll Consciousness


サーストン・ムーアがこつそりソロアルバムをリリースしてゐた。『Rock'n' Roll Consciousness』。

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by ichiro_ishikawa | 2017-10-17 10:03 | 音楽 | Comments(0)