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氷室京介と布袋寅泰

 氷室と布袋は水と油。性格的にも音楽的にも、対極に位置する存在だった。
 暴走族に属し不良の親分でケンカがめっぽう強く屈強な肉体を持つ硬派な氷室。
 一方、音楽マニアでアート少年。奇行ばかりが目立ち、痩せっぽちでひょろ長く、女性的でなよっとした布袋。
 キャロル/矢沢を敬愛し、「傷だらけの天使」やヤクザ映画をこよなく愛する氷室。
 一方、10cc、スティーヴ・ハーレイ&コックニーレベル、ロキシーミュージックといった英国音楽やファッションに傾倒していた布袋。
 絶対に相容れない2人。それがなぜ結ばれ、バンドを結成したか。それは、絶対に相容れない2人だったからだ。お互い自分とは真逆の存在が気になった。むかついた。大嫌いだった。だが、自分の世界を広げようと必死だった若き彼らは、異文化交流を激しく求めた。結果、互いに触発しあい火花を散らし、これまでの日本の歌謡曲/ロック、洋楽とはまったく異なる、独特なバンド/サウンドが生まれた。これまで地下街で暗躍していたロックバンド/ミュージシャンは洋楽のコピー、選民意識の高いスレた連中ばかりだった。チャートに台頭する音楽は「すべて」アイドル歌謡だった。BOφWYは、そのどちらでもなかった。どこにも属さないバンドだった。日本の音楽シーンに文字どおり風穴を開け、“ロックでなければ売れない時代”を築き上げた。ここが、BOφWYがビートルズである所以だ。

 蛇足だが、解散以降、氷室はより女性さや繊細さを増し、布袋はより男っぽさを増していく、というのは実に興味深い。


布袋寅泰の自伝「秘密」


 布袋寅泰の自伝「秘密」(幻冬舎)が刊行された。
「秘密」という意味深なタイトル。熱心なファンならば、まず“あのこと”が語られているのでは、と直覚するはずだ。
 結論をズバリいうと、“あのこと”は「墓場まで持っていく」とだけ記されている。つまり、永遠に語らない。
 これは、理由といっても様々な要素が複雑に絡まっており、メンバー4人にしてもそれぞれ思いは異なる。自分はBOφWYとしては1/4の存在である。そうした謙虚さと誠意からだ口を噤んだ。当事者としては正しい態度だ。

 布袋の人生が、本人の言葉で書かれ上梓されるのは、93年の「よい夢を、おやすみ」(八曜社)、95年の「六弦の騎士」(東京書籍/森永博志との共著)以来3冊目。いずれも自伝的要素が強かったが、今作の特異性は、生い立ちから現在までを網羅しているところ。「サレンダー」「さらば青春の光」「ポイズン」「スリル」といったヒットシングルを制作し、大衆と真っ正面から向き合うようになって以降、初めての著書で、文体も肩の力が抜けている。その分、比較的、過去を赤裸裸に振り返っている感がある。
 軸は、様々な出会いと別れ。最も大きなポイントとなる別れは5つ。

1.韓国人の父親との別れ
2.氷室京介との出会いと別れ
3.吉川晃司との出会いと別れ
4.山下久美子との出会いと別れ
5.今井美樹との出会い

 概ね、これまでの著作やインタビュー、ラジオなどですでに知られている事実が多いが、ここでは個人的に面白かった部分を紹介せんとす。



布袋の音楽的ルーツ
パンク〜ニューウェーヴ
と英国趣味


 高校3年の冬、いよいよ長髪がキリスト教系の私立学校・新島学園で問題となった時、「イエス様の髪はもっと長い」との名言を残し、卒業間近に退学した布袋(退学直後、パンクの影響で短髪にしたのだが)。
 上京したての、原宿のアパートに暮らしていた頃、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルといった王道ハードロックや、片やジャズミュージシャンが華やかにテクニックを競うクロスオーヴァーと呼ばれた音楽が主流だった中、
「俺は地下のマグマが噴出する寸前のムーヴメントに夢中だった。(中略)セックス・ピストルズやディーヴォといった、プロフェッショナルなミュージシャンからすれば、“音楽じゃない”と言われるような連中が、ただエネルギーと発想力だけで世界中を涌かせていた。インテリアート集団トーキング・ヘッズやテレヴィジョンの登場。レゲエやスカなどの黒人音楽のエッセンスを取り入れた新しいダンスブームの火付け役はツー・トーンレーベルのスペシャルズやマッドネス。(中略)俺は一瞬にしてパンク、ニューウェーヴの世界にどっぷりとはまっていった」

 ディスコ、フィラデルフィア・サウンド(フィリー・ソウル)全盛のとき、布袋がセンスとダンスを磨いたディスコが2つ。新宿のツバキハウスと六本木のクライマックス。
 ツバキハウスは、「セックス・ピストルズのパンクで踊り、クラフトワークのテクノで猛然と頭を振る悦楽の空間だった」
 また、「六本木のクライマックスでかかるのは、XTCやポップ・グループやD.A.F.といったインテリジェントなパンクだ」

 福生の米軍ハウスにいた頃。
「フライングリザーズ、カン、スロッビング・グロッスル、ペル・ウブ、P.I.L.…。その中でもやはり一番のお気に入りだったのは、クラフトワークだ」
「このクラフトワークを大音量で聴くと、これがまた凄い。スピーカーから飛び出てくる形而上学的なビートは限りなく立体的で、散らばった音の一つ一つがDNAを直接揺さぶるように刺激する」

 それにあわせてギターをかき鳴らした。
「なにせクラフトワークにはギターがないし、ずっと同じテンポでループされるからメトロノーム代わりに持ってこいだし、新しいフレーズを考えるには最適だったのだ。つまりあの福生時代、おれは世界のクラフトワークをバックバンドにしてしまっていたのである。何と夢のあるプロジェクトだったことか」

 いずれもBOφWY結成前夜、花の都、大東京でぐずぐずと燻っていたときである。誰であれ、この季節に、如何に本気で燻るか、これが後の人生を決めるのやもしれぬ。
 この音楽的“いい趣味”が、不良・氷室京介を刺激し、火花を散らすことになる。



氷室京介への憧れ

 この自伝の最もスリリングな部分は、これまでほとんど語られることがなかった氷室京介の描写だ。布袋は氷室に「憧れていた」という。
 驚きだ。と同時に“だろうよ”との感を拭えない。男が最も惚れる男、氷室、畏るべし。
この『秘密』の裏タイトルは、「俺が氷室に惚れたワケ」だ。

 燻っていた布袋に、氷室から突然、電話が入る。
「高崎では一瞬でも火花を散らしたバンド仲間、顔見知りではあった。しかし、彼は不良の親分的存在。決して弱いものいじめをすることはないけれど、常にカミソリのような鋭いオーラを出しまくっていて、まったくもって近寄りがたい人だった。だから面と向かって話したことは一度もなく、音楽性もどちらかと言えば水と油だ」

 やばい、殴られるのでは!? だがなぜ俺!? と戸惑いながらも布袋は、氷室に呼び出され、会いに行く。氷室は、「のちに誰もが虜になるあの笑顔を浮かべて」現れた。六本木のアマンドで氷室は単刀直入にこう切り出す。
「布袋、バンドやらない?」

「飢えたオオカミのようにギラギラとした、野蛮でセクシーな匂いを振りまく男。攻撃的ながら、その瞳には謎の翳りがあった」

以下、布袋の氷室評を抜粋。

「“デスペナルティ”。ヴォーカリストに氷室京介を擁する筋金入りの硬派ロックバンド。バイク乗りたちの強固な結束による動員力がある、近寄りがたい存在感のバンドだった。皮の上下に身を包み、全員がジェームス・ディーンのような佇まいだった」

「何度か対バンライヴをやる中で、次第にデスペナルティのヴォーカリストに一目置くようになっていた」

「とにかく圧倒的な存在感だった」

「楽屋で隣り合わせても、誰とも話そうとしない。そして強靭な肉体から醸し出されるバイオレントなオーラ。その一方で、バイク仲間や知人が楽屋を訪ねてくると、まるで別人のように柔らかな空気を纏う不思議な男」

「どうやら宇宙人のような身長187センチの俺の音楽家としてのセンスに触れて、いわゆる“不良のロック”という括りに満足がいかなくなる前提が生まれたのかもしれない」

「ソリッドで、硬派で、まるでナイフのような切れ味を持ったヒムロックのヴォーカル」

(柄の悪いバンド連中と同じタコ部屋のような楽屋にて)「普通のバンドだったらひと悶着起こっただろう。ところがBOφWYにはあの氷室京介がいた。『なんか文句あんの?』とばかりに一睨みしただけで、他のバンドはすごすごと視線をそらすのだった」

「客席のほとんどが若い女の子になった。客席の大半がヒムロックに集中しているように映った」

「解散した途端に俺にとってヒムロックは、本当にライバルのような存在になってしまった。ヒムロックはもちろん強力なオーラを放っていた。その光のオーラには誰も抗えなかったはず」

 もう止める。
 最後に、「存在することの危うさに最期まで賭けるのだ」というジャン・コクトーの言葉をいつも前書きに掲げる布袋によるロックの定義を挙げておく。
「最期の最期まで手に汗握る、生存本能が最大限に試される瞬間。その一瞬にだけ見える光こそが、ロックンロールだと思えてならないのだ」

by ichiro_ishikawa | 2006-02-14 13:00 | 音楽 | Comments(4)  

アルペジオの手記

「旅行が楽しかったとか、美味しいものを食べて嬉しいという感情は、創作にはあまりつながらない。むしろ喜怒哀楽の怒と哀を感じたときに心が震える」

「居酒屋で飲んでいる集団の中で、中心で盛り上げている人ではなく、隅っこでちびちびやっているやつに引かれるし、何かを創りたいと心動かされる」

——リリー・フランキー
(2/5放送予定『トップランナー』での発言/週刊ザテレビジョン6号より)

 この2つの発言は、リリー・フランキーの核をなす何かに触れている。本質的にブルーズ、ロックであり、ファンクであり、パンクであり、根本的にジョークである。


 2ヶ月ぶりの更新となるが、これだけブランクが空いたのは、書くことがなかったからだ。書くことがなかったということは何も考えていなかったということだ。正確に言えば、ぼんやりと考えていた。あるいは、ただひたすら吸収していた。何を。リズム&ブルーズをか。そうかもしれぬ。そんな気もする。

 去年の暮れからこれまで、メンフィス、マッスルショールズ、ニューヨークあたりをずっと回っていた。
 1947〜73年のアトランティック、STAX、ハイ・レーベルなどの音源をグワッと聞き込み、アフロ・アメリカンのソウルを噛み締めていた。もう、その辺しか全然聴いていなかった。あの頃のブラック・ミュージックはとてつもない。素晴らしい。
 通勤時、休日と、時間があればiPodsでリズム&ブルーズ5000曲を聴き、ネルソン・ジョージ『リズム&ブルーズの死』、ピーター・ギュラルニック『スウィート・ソウル・ミュージック』、バーター・ピラカン『魂(ソウル)のゆくえ』、岩波新書『アメリカ黒人の歴史』を読み耽っていた。

 そんな中、会社のある虎ノ門から国会議事堂を抜けて江東区へ帰る電車で、ふと中吊り広告に目をやった。
「秘すれば花の“メリハリ”化粧」「ミラノ艶女(アデージョ)はヌーディサンダル」「くびれ美人で春に勝つ」
といった、救いようがないバカな文字が目に入った。「ちょいワル」などに代表される、こうした浮かれポンチなコピーにはずっとウンザリしていたが、ここに来て怒り心頭に発した。
「お前ら、いいかげんしろ、バカヤロウ!」と広告を引き裂いた。さらにふと目にした湾岸戦争を描いた映画『ジャーヘッド』のチラシには、どこかの編集者らしきコメントで、「主人公の“ワルかわいさ”にも注目」とある。「お前もか、ちょっと来い、このバカヤロウ!」と怒声をあげた。
 その刹那、シャッフルしていたiPodsから5000分の1の確率でかかったのが、「マザーファッカー!」と叫びながら、ダウン・トゥ・アースな歪んだギターをかき鳴らすMC5だった。俺はクワッ!と覚醒した。
 
「(そういや)俺はロックだった」

 住吉のアパルトマン・アルペジオに帰ると、部屋からパブリック・エネミーが流れていた。すげえ怒っている。俺はいよいよ覚醒した。

 「(そういや)俺は10代の頃は、みんなブッとばしていた」 

 20代からは、全てを許し、ジェントリーに紳士ぶるようになっていたが、そういや俺は、悲しみの権化であると同時に怒りの権化でもあったのだった。クールにやっている場合じゃない。もう、許さねえ。

「冷静に構えるぐらいわけのないことはない。ただ他方を向いてさえいれば冷静面ぐらいは出来るのである」(小林秀雄)
 
 俺は、踵を返し、そのまま国会議事堂へゆき、ションべん引っ掛けて、口笛吹いて、お家に帰った。

by ichiro_ishikawa | 2006-02-01 00:55 | 日々の泡 | Comments(3)  

歌手ザベストテン

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 あえて歌手と言う。シンガーと言っても同義だが、この外来語はいささか乙に構えすぎている節がある。あえて歌手と言うことで、より、声そのものと歌唱の魅力という点に照準を絞れる気がする。
 黒人をあげていったらきりがないので、除かざるを得なかった。レイ・チャールズ、サム・クック、オーティス・レディング、ドニー・ハザウェイ、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーと、やはりきりがない。また、黒人とそれ以外を同じ土俵でランク付けするのに抵抗を感じたことも除去した一因。このカウントダウンの裏テーマは、黒人にも匹敵する歌手たち、であるやもしれぬ。
 また、奇しくも、カラオケで一番歌っては行けない歌手リストにもなっている。女性も省いた。ややこしくなるから。女性については近日公開「女とロック」で、詳しく触れる。


13.グレン・ティルブルック(SQUEEZE〜ソロ)
c0005419_21193795.jpgいきなりマニアックだが、レノン/マッカートニー、スティング、コステロと肩を並べるすげえシンガー/ソングライター。実は1位といってもいい。とにかくすげえいい声。
「グレン・ティルブルックは、僕が今まで聴いたなかで最も素晴しく、最もメロディックなソングライターであり、 素晴しいシンガーだ」(ロン・セクスミス)



12.長渕剛
c0005419_1703961.gif透き通るような美声時代(1978〜1980)に始まり、年代を追うごとに声質、歌い方を変えていった長渕。地声に近い声域でのささやき歌唱から、かなりのハイトーンで歌い上げるものまで、長渕は、その歌のうまさこそ特筆されるべきことなのだ。近年のしゃがれた歌い回しはいささかいただけないけれど、1990年頃までは、どれもすごい。シャウトの説得力は、歌にかける覚悟の違いを、凡百のミュージシャンに見せつけている。



11.ミック・ジャガー(The Rolling Stones)
  レイ・デイヴィス(The Kinks)

c0005419_1702127.jpgc0005419_1783345.jpg1960年代のスウィンギン・ロンドンを牽引した40年代生まれのイギリス人は、黒人ブルース、R&Bの物まねから入った。いかに黒人のように歌うかに賭けていた。ストーンズとキンクスだけが今なお現役なのは、このフロントを務めるソウル歌手のカリスマ性によるところが大きい。



10.ヴァン・モリスン(Them〜ソロ)
c0005419_1659548.jpg世界の白人の中で最も黒人なヴァン・モリスン。作品ごとに様々な音楽的アプローチを見せるが、そのソウルフルな歌声は通奏低音として不変。『Astral Weeks』を聴いているとなぜか涙が止まらない。



9.ボノ(U2)
c0005419_16594366.jpgアイルランド人というのは、ヨーロッパの黒人と言われるほど、根本的にブラックなフィーリングを持つ人が多い。前述のヴァン・モリスンに続き、またしてもアイリッシュの登場だ。ボノは、歌が抜群にうまい。低音のセクシーさ、ハイトーンのシャウト、ロックンロールからゴスペルまで、付け入る隙がない完璧さ。そして、その驚くべき声量も特筆に値する。そういや、モリッシーもコステロもレノンも、みなアイリッシュ系なのだった。



8.大滝詠一(はっぴぃえんど〜ソロ)
c0005419_16593146.jpgはっぴぃえんど的な黒人、ロック的なアプローチと、『A Long Vacation』などに見られる純粋な歌手としての歌唱、どちらも素晴らしい。ソングライターとしての評価が高いが、実は何よりも歌手としての才能がずば抜けていることに気づくのはいいことだ。プレスリーから始めた人なのだ。また、ルイ・アームストロング風もとんでもない。



7.モリッシー(The Smiths〜ソロ)
c0005419_16591981.jpgこのリストの中で、最も黒人から遠く離れた歌手。ヨーデル調の歌唱が特徴だが、腹を抉るような絞り出すような呻き唱法もいい。変態歌手は基本的に好みじゃないのになぜモリッシー?という向きもあるようだが、モリッシーは変態じゃない。言動は変態だが、歌唱、すなわち精神はロック。ただ、「Still Ill」ではあるだけだ。兎にも角にも、最も言わなければならないのは、モリッシーの歌声は、優しい、ということだ。




今週のスポットライト
福島康之(バンバンバザール)
c0005419_1727783.jpg94年デビューなので、まだサンプルが少ないため同じ俎上には乗せなかった。より黒人ブルース色を強めてきた近年の掠れ声も素敵だ。口上も素晴らしく、ライヴ盤でもそれは聴ける。詳しくはバンバンマガザンで書くからここでは書けないのが残念。



6.鈴木雅之(シャネルズ〜RATS & STAR〜ソロ)
c0005419_1659792.jpg歌手というのは俺が最も憧れる職業だ。それは、「左の本格派(本格左腕/サウスポー)」以上である。ロックロックといいながら、歌謡曲が音楽原体験の俺は、「歌もの」に滅法弱いのである。ロックには必ずしも「歌」はなくてもよく、演奏に主眼があるものがすげえ好きである一方、「歌もの」も決して看過できない存在、というか、そっちの方が好きなのかも知れぬ。アルバムよりシングル、なのやもしれぬ。だからi-podsをシャッフルで聴くのが好きなのやも知れぬ。
マーチンこと鈴木雅之は、テレビのザベストテンでシャネルズとして聴いていたから、今回のリストの中で最も早くてめえの人生に登場してきた歌手である。当時の歌手としては、沢田研ニという惜しくも13位で、ランクから外れてしまった人もいるが、ダントツでシャネルズがよかった。単に曲が良かったのだけれど、氷室が89年に雑誌pia music complexで「好きなんだよな、こういう声」と言っていたことで再注目したのだが、大人になってから改めて接するに、シャネルズ〜ラッツは、何より鈴木雅之の声がすげえのだということが明らかになった。俺には黒人と鈴木雅之の声の区別ができぬ。黒人のように歌えるという意味ではイエローモンキー1である。このテの地声が低い人が出すハイトーンはやはり特権と思わざるを得ないのだが、そのセクシーなことといったら! そりゃ大滝詠一も認めるだろうよ。この声はとんでもない。特にシャネルズ〜RATS & STAR時代の太く低い声質で歌い上げるテノールには、しびれる。ハイトーンで掠れるハスキーな響きも秀逸。ずっと聴いていたい。日本人で一番黒人。



5.マイケル・スタイプ(R.E.M.)
c0005419_16585629.jpgR.E.M.は曲がいいのか、ギターがいいのか、ボーカルがいいのか、はっきり言えないところがある。もちろん全ていいのは言わずもがなだが、あえて個人的な見解を述べれば、声、となる。ボリス・ヴィアンの台詞を引用して「電話帳を読み上げても泣かせる声」と、自ら自覚、豪語しているその声は、黒人とも伝統的な歌手とも違う、実にロック的というか詩的というか、誤解を恐れずに言えば文学的なものだ。文学とは文で成り立つが故、音声を文学的などというと比喩を弄しているようで恐縮だが、いまはそうとしか言えぬ。



4.エルヴィス・プレスリー
c0005419_16584578.jpgセクシーだ。ベタベタな感はあるけれど、それはエルヴィスのヴォーカルを何ら損なうものではない。激しいロックンロール、甘いバラード、シャウト、ヴィヴラート、ロック・ヴォーカルのすべてがある。やはり、はじめにエルヴィスありきだ。



3.エルヴィス・コステロ
c0005419_19283040.jpg一番好きな類いの声。歌というのは基本的に地声をオクターブ上げて歌うものだが、「基本的に〜というもの」というものに常に抗う属性のあるロックにおいては、そうしたことが往々にして破られるけれど、ポップに重きをおいているミュージシャンは、形式や伝統に比較的忠実に、ある意味、その枠内で、あらゆる可能性を求める。コステロはそうしたロックミュージシャンだ。コステロを初めて聴いたときは、反骨、前衛、ミュージシャンズ・ミュージシャンなどという事前情報を見事に裏切る、歌謡曲すれすれのポップなロックだったことに面喰らったのを覚えている。
コステロの歌はどこを切ってもとんでもないけれど、際たる魅力のひとつは、ハイトーンだ。俺はハードロック、メタル系の金切り声、女性j-popperの、あのキンキン声、高音、というやつが凄く苦手なのだが、音域的にはコステロも同じぐらいのところのはずだが、コステロのハイトーンは、黒人っぽいフィーリングがあり、そこがすげえいい。それは地声が凄く低く太いということが大きいかも知れない。「低く太いハイトーン」というのが、いいのだろう。掠れ具合もいい。またコステロは、声量も大きい。数年前、NHKホールでアカペラで歌った「she」は震えた。大歌手である。



2.ジョン・レノン(The Beatles〜ソロ)
c0005419_19305723.jpgジョン・レノンを語るには実にいろいろな切り口がある。語るに余りあるいろいろな重要な要素で満ちている所以だろうが、ということは、どれを語っても何かが語り落ちるということで、それが俺がレノンをあまり語らない理由になっている。俺がレノンをあまり語らないことなど知らんだろうが。それでも何かを言うならば、そして家に戻って「また嘘をついっちった」と落ち込まないとするならば、それは、声、なのだった。レノンは、何をおいてもまず、歌手として凄いのだ。それが、レノンの全てとさえ言いたい衝動に駆られる。世界をひっくり返したのは、その声だ。ああ、すげえ。



1. 氷室京介(BOφWY〜ソロ)
c0005419_1658470.jpgそんなレノンを凌駕するのが氷室だ。まあ、異論はあるだろう。あるいは個人の趣味だからとただ看過する冷静な知識人もいるだろう。が、声ということでいえば、申し訳ないが、レノンを上回るというのは厳然たる事実だ。現実を直視したくないのは、俺も夢想で食っているので重々わかるが、事実は悲しいかな事実だ。いや、別に悲しくはない。いずれにせよ、比較は止めよう。このカウントダウンは、順位づけに主眼はない。カウントダウンのワクワク感を出したいがために、便宜上順位付けているだけで、日替わりなのだ。ただ、そんなでかい変動はないけれど。
氷室も、長いキャリアを持つミュージシャンの御多分に洩れず、唱法、声質に変遷があるけれど、最もすごいのは「Only You」を頂点とするBoφWY中後期だ。初期の荒々しいとんがりまくったパンクな感じもいい。ソロの「艶」を強調した感じもいい。でも、BoφWY中後期の、荒々しく暴力的ながらも甘く優しくセクシーであるという奇跡が起こっているヴォーカルは、本当にヤバい。地声はそんなに低くはないけれど、根っこはコステロや鈴木雅之の系統で、黒人の臭いムンムンのソウルフルな声質である。だからハイトーンは艶やかで、ややハスキーだ。低音というやつは、結構誰が出してもセクシー足りうるのだが、セクシーの次元が違う。ソウル、ブルースのそれである。あるいはやくざのドスが効いている、といってもよい。また、93年から歌詞を職業作家に委ねているので、単純に音として声に対峙できるというのも都合がいい。ただ、ソロはギターの音が良くないのが残念だ。ずっと声だけ聴いていたい。

by ichiro_ishikawa | 2005-11-24 11:00 | 音楽 | Comments(1)  

新企画「カウントダウン・マガジン」vol.1

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c0005419_22362413.jpg 最も誤解しないはずの人たちが、惜しくも誤ってしまいがちなのが、長渕剛の評価である。

「いいかい、男はどんな時でも浮気のひとつくらい、誰でも持っているものさ。わからないだろうが」(「俺らの家まで」78年)とデビューした長渕。

「女の夢は、男の夢を応援する事であってほしい」(NHKの87年のインタビュー)と豪語する男、長渕。

「そんなことより俺はお前をベッドに引きずり込み、素っ裸のお前の胸にしゃぶりつく」(「I Love You」)長渕。

 レスラーばりの筋肉を誇示し、素肌に革のベスト、変なアップリケ付きスリムジーンズの長渕。

 長渕は、神経質で気難しくわがままで完璧主義で武骨ですぐ人を殴る蹴る、そして、蹴る蹴る蹴る。

 中身や心といったって、それは、外見や肩書きと同じくらい表層的な事でしかないので、人は見た目がほとんどすべてだといっても強(あなが)ち、間違いではない。
 その見た目、印象で、大抵の良識ある人たちは、長渕には用がないはずだ。
 確かに、90年代以降の名声を獲得したあとの長渕がファースト・コンタクトだったら、そうなるであろう。
 
 だが、あの頃の長渕はすげえカッコよかった。今では信じられないだろうが、ものすげえカッコよかったのである。


長渕クロニクル

第1期「フォーク」1978 - 1980
(孤高の黎明期、あるいは若き確信)

c0005419_2232517.jpg 長渕は1956年9月7日生まれだ。痩せっぽちで、長髪で、透き通るようなきれいな声で、人生の悲哀を紡いでいたフォーク時代(1978〜80年)。とは言え、「神田川」やチューリップの湿っぽく、情けないフォークではない。吉田拓郎、友部正人直系の、ブルーズ〜ロックと表裏一体の、眼光鋭いフォークである。ディラン、ニール・ヤングである。新人のくせに生意気だと、くそのような業界からはじかれながらも、うんこでいっぱいの世間に逆流してでも、かたくなに自分の表現というものを信じ、生きた。世間的なヒット曲、「巡恋歌」「順子」「乾杯」。

第2期「ポップ、ロック化」1981 - 1984
(模索期、あるいは他者との折り合い)

c0005419_22342068.jpg ニューウェーブという時代性の影響下、フォークというアンダーグランドの聖典に必ずしも拘泥しなくなり、ポップ性、ロック性を増していった1981〜84年。“やつら”と同じ土俵で勝負すべく奮闘した。テレビに出ることもよしとした。ついには俳優としての表現にも挑戦。外部の作詞家ともコラボレーションを始める。それまでの透き通った美声を捨て、アルコールをのどにぶっかけて荒らして、しわのある、しゃがれた声を求めるように。世間的なヒット曲、「Goodbye青春」(ドラマ「家族ゲーム」主題歌)。


第3期「ロック期」1985
(完成前夜、あるいはロックスターの悲劇)

 ポップ、ロック化の集大成として、『Hungry』をリリースした1985年。ここからはじまるのさ。世間的なヒット曲、「孤独なハート」(ドラマ「家族ゲーム2」主題歌)。


第4期「長渕剛」1986 - 1987
(完成期、あるいはジャンル“長渕”の金字塔)

 フォークだ、ポップだ、ロックだ、芸能人だ、アーティストだ、チンピラだ、ラーメン屋だ。そんなことはどうでもいい。要は、“なに歌ってんの”ということ。実験的に背負い込んできた色々なものを、全部捨てた。残ったのは、ギターと己が声。『Stay Dream』(1986年)『License』(1987年)で、誰にも似てない、どこにも属さない、誰もなしえなかった、“長渕の音楽”を創造した。世間的なヒット曲、「Super Star」(ドラマ「親子ゲーム」主題歌)、「ろくなもんじゃねえ」(ドラマ「親子ジグザグ」主題歌)。


第5期「とんぼ」1988 - 1992
(とんぼ期、あるいはとんぼ)

c0005419_22364510.jpg  「ろくなもんじゃねえ」がチャートの1位、『親子ジグザグ』が高視聴率を記録したことで、実質的に、目に見える形で、圧倒的なポピュラリティを獲得。“俺流”が世間で認められたことで、『Stay Dream』『License』の世界が、若干、違った立場(社会的追い風)で、ややハードに押し進められていった。それは「とんぼ」で確立された。ものすごい存在感でぶっちぎっていく。世間的なヒット曲、「とんぼ」(ドラマ「とんぼ」主題歌)、「しゃぼん玉」(ドラマ「しゃぼん玉」主題歌)「RUN」(ドラマ「RUN」主題歌)。

 

 プライベートにせよオフィシャルにせよ、その言動からうかがい知れる事など瑣末なものだ。そのカッコよさは、何よりも作品において、わかる。
 かつてデイヴィッド・ボウイの奥さんは言った。デイヴィッドと共にふだん生活をしたり、ひざを突き合わせてじっくり語り合うよりも、彼の作品や1時間のステージと向き合う方が、彼の本質を知る事ができる。
 作品でみる、ものすげえカッコいい長渕ベストテン。


ドラマ編

第5位
「家族ゲ−ム2」(1984年、TBS系)

c0005419_22405146.jpg 長渕は、三流大学に何年も通う家庭教師・吉本にふんし、落ちこぼれ中学生と、マザコン高校生の兄弟に、活を与える。


第4位
「家族ゲ−ム」(1983年、TBS系)

c0005419_22405734.jpg 長渕は、三流大学に何年も通う家庭教師・吉本にふんし、落ちこぼれ中学生と、陰を持つエリート高校生の兄弟に、活を与える。


第3位
「親子ゲーム」(1985年、TBS系)

c0005419_224216.jpg 長渕は、元暴走族で女好きなラーメン屋の雇われ店長・保(たもつ)にふんし、捨て子のマリオとグワッとかかわっていく。


第2位
「家族ジグザグ」(1987年、TBS系)

c0005419_22423563.jpg 長渕は、元暴走族で女好きな定食屋の雇われ店長・下別府(しもべっぷ)勇二にふんし、元恋人との間に生まれていた子・勇と再会。勇とオニババな母とグワッとかかわっていく。


第1位
「とんぼ」(1988年、TBS系)

c0005419_22443367.jpg ハメられて組織を追われそうなヤクザ・小川英二にふんし、舎弟のツネ(哀川翔)とともに、しがねえ世の中に逆流していく。途中、チンピラ(寺島進)の耳をそぎ落とし、金八先生のプロデューサーでもある番組プロデューサーと確執。
これまで、強くもねえのに粋がってる気難しい若造だったのが、このドラマ以降、暴力的な資質は昔から変わっていないにもかかわらず、本人の社会的な地位が向上してしまったため、「マジでこええ人」と認知されるように。



アルバム・カウントダウン

第10位
「Bye Bye」(1981年)


c0005419_173898.jpg 4作目にして、フォークという、若き自分を根っこから支えてきた音楽の形態に別れを告げたことで、いっそうフォークが輝きだした。「碑」「二人歩記」「さよなら列車」「道」である。そう、フォークとはブルーズであった。「プア・ボーイズ・ブルース」「賞金めあての宝さがし」「銀色の涙とタバコの煙」「ほこりまみれのブルージーンズ」と、フォーク/ブルーズの佳曲が並ぶ。「Bye Bye忘れてしまうしかない悲しみに」は、友部正人への別れのラブレターともいえよう。

ベストトラック
「Bye Bye忘れてしまうしかない悲しみに」
ハイライトトラック
「碑」「二人歩記」「さよなら列車」「道」「プア・ボーイズ・ブルース」「賞金めあての宝さがし」「銀色の涙とタバコの煙」「ほこりまみれのブルージーンズ」




第9位
「時代は僕らに雨を降らしてる」(1982年)


c0005419_10488.jpg ポップさをグンと増した。なんと言っても、「交差点」「愛してるのに」のラブソング2連打はやばい。これはやばい。いよいよやばい。「どしゃぶりレイニー・デイ」「夢破れて」と、名曲ぞろい。

ベストトラック
「愛してるのに」
ハイライトトラック
「時代は僕らに雨を降らしてる」「どしゃぶりレイニー・デイ」「交差点」「夢破れて」




第8位
「JAPAN」(1991年)


c0005419_102546.jpg 長渕35歳。紅白歌合戦に初出場し、ベルリンのフランス聖堂から、前代未聞の3曲熱唱。サブちゃんを怒らせた。NHKのスタッフを“たこ”呼ばわりし、NHKと袂を分かつ。MCの松平アナの質問に全く答えず(86年の徹子の部屋でもそうだったが)、段取り無視。松平アナは帰りに荒れ、タクシーの運ちゃんの後頭部を蹴った。「アイ・ラヴ・ユー」は、バブルで浮かれる女の前で三つ指をつき舌の先を転がすような玩具のような男、及びその女への痛烈な批判ナンバー。

ベストトラック
「炎」
ハイライトトラック
「俺の太陽」「しゃぼん玉」「炎」「アイ・ラヴ・ユー」「何ボの者(もん)じゃい! 」「親知らず」「ベイ・ブリッジ」「シリアス」「東京青春朝焼物語」「マザー」




第7位
「JEEP」(1990年)


c0005419_122791.jpg 苦節11年、89年の「昭和」で、ついに誰もが認めるNo.1になった長渕が、まだまだ有り余るパワーで作り上げた傑作。全曲超名曲。「お家へかえろう」のヒットスタジオでの熱唱はすごかった。「西新宿の親父の唄」は、「北の国から」でおなじみ“やるなら今しかねえ”。「浦安の黒ちゃん」は、長渕のドラマを支えた脚本家・黒土三男へのラブレター。

ベストトラック
「海」
ハイライトトラック
「女よ,GOMEN」「流れもの」「友だちが いなくなっちゃった」「電信柱にひっかけた夢」「海」「カラス」「お家へかえろう」「しょっぱい三日月の夜」「浦安の黒ちゃん」「西新宿の親父の唄」「ジープ」「マイセルフ」




第6位
「ヘビー・ゲージ」(1983年)


c0005419_165755.jpg このあたりから、長渕はテレビへ進出する。フォーク・シンガーとして硬派、純潔を守り、メインストリームとは一線を隠して活動してきた長渕だったが、結局はたからみりゃ、あんたもあたいもミソクソ芸能人。十把一からげ。ならば、俺は俺のやり方を変えずに、やつらと同じ土俵に上って勝負してやろう。そういうことではなかったか。

ベストトラック
「ドント・クライ・マイ・ラヴ」
ハイライト・トラック
「わがまま気まま流れるまま」「おいで僕のそばに」「すべてほんとだよ!! 」「いかさまだらけのルーレット」「—100°の冷たい街」「僕だけのメリークリスマス」「午前0時の向こう側」「僕のギターにはいつもHeavy Gauge」




第5位
「ホールド・ユア・ラスト・チャンス」(1984年)


c0005419_131166.jpg 80年代という浮かれたポップ化の波をいいように受け、とんでもない、長渕の音楽を完成させた。悲しみの権化、長渕、ここにあり。「SHA—LA—LA」は、ウッチャンナンチャンが劇団の名にした。

ベストトラック
「カム・バック・トゥ・マイ・ハート」
ハイライト・トラック
「SHA—LA—LA」「タイム・ゴーズ・アラウンド」「カム・バック・トゥ・マイ・ハート」「孤独なハート」「スローダウン」「ファイティングポーズ」「ホールド・ユア・ラスト・チャンス」




第4位
「昭和」(1989年)


c0005419_125910.jpg 「とんぼ」の大ヒットで、その地位は不動のものになった。64年も続いた昭和が終わり、長渕はこの世の無常を歌にした。

ベストトラック
「シェリー」
ハイライト・トラック
「とんぼ」「シェリー」「激愛」「ネヴァー・チェンジ」「裸足のまんまで」「明け方までにはケリがつく」「昭和」




第3位
「ハングリー」(1985年)


c0005419_114644.jpg 85年の音がする。この時期はニール・ヤングでさえ変な赤い肩の広いジャッケッツを着ていたぐらい、おかしな風潮に抗うのは無理だった。エコーのかかったスネアドラム、キラキラしたシンセが鳴り響く。とはいえ、そうした時代性を持ちながらも、すげえブルースロックが充溢しているところが本作の肝である。

ベストトラック
「明日へ向かって」
ハイライト・トラック
「ハングリー」「スタンス」「生意気なパートナー」「久しぶりに俺は泣いたんだ」「勇次」「逆転ブルース」「太陽へ続くハイウェイ」




第2位
「ステイドリーム」(1986年)


c0005419_12268.jpg 長渕が30歳にして遂に到達した頂がここに。全編アクースティックギター1本で紡がれたこれらの楽曲の尋常じゃない緊張感はどうだ。神経質ロックの金字塔である。主調低音は怒りではない。哀しみだ。いずれにせよ、この目だ。俺は、この目を信用している。

ベストトラック
「ステイ・ドリーム」
ハイライト・トラック
「レース」「だん・だん・だん」「風来坊」「俺たちのキャスティング・ミス」「ハロー悲しみよ」「少し気になったブレイクファスト」「ユー・チェンジド・ユア・マインド」「わがまま・友情・ドリーム&マネー」「ひとりぼっちかい? 」「スーパー・スター(LP特別ヴァージョン) 」




第1位
「ライセンス」(1987年)


c0005419_1404.jpg長渕とは、要は、悲しみだろう。悲しみ、を辞書で引くと、長渕とあってもおかしくない。長渕の悲しみは、愛が永遠のものではない、という悲しみだ。なぜ俺は君に別れを告げなくてはならないか。そこをこそ歌う。

ベストトラック
「パークハウス701 in 1985」
ハイライト・トラック
「泣いてチンピラ」「プリーズ・アゲイン」「ろくなもんじゃねえ」「He・la-He・la」「シッティング・ザ・レイン」「花菱にて」「ライセンス」「何の矛盾もない」




補記
 長渕を聴くことは、1993年以降、めっきりなくなった。けれど、深く傷ついたとき、悲しみに暮れた時、どんな励ましや、ポジティブ・シンキングも歯が立たないとき、長渕に手が伸びるのだった。この得体の知れない悲しみが、長渕にあってこそ、共有されていた、と知ることは、当時、の悲しみからの唯一の脱却であった。そんな、恩のある人を、作品が、言動がつまらなくなったから、ぐらいで見捨てる気にはなれないのである。

by ichiro_ishikawa | 2005-11-06 22:54 | 音楽 | Comments(10)  

総選挙が終わった後に

 総選挙が終わった。選挙といえば政治だ。政治といえば思い出すのが小林秀雄の「政治と文学」という講演をまとめた文章で、秀雄はおよそ次のようなことを言っている。
 
“政治と文学”というテーマで講演を依頼されたが、結局、自分は政治というものは虫が好かない、という以上を出ない。だが生活に必須の政治を虫が好かないだけで片付けてしまうわけにも行くまい。だから片付けようとは思わないが、この虫という言葉に注目してほしい。政治に対してどんな態度をとるにせよ、この虫との相談ずくで決まったものでなければ生活態度とは言えまい。文学者というのはこの虫の認識育成に常に注意を払っている人種である。

 そんな秀雄の言葉を考えながら、テレビの開票速報などをぼんやりと見ていると、広島6区、広島6区と連呼している。広島ロックか…そういや、広島はロックの聖地だな。

 というわけで、広島ロック、ベスト5

c0005419_17491749.jpg矢沢永吉
1949年生まれ。言わずと知れた日本のロック界のスーパースター。ロック界の長嶋茂雄。その居方(いかた)は、無敵。73年、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎らと伝説のロックバンド・キャロルを結成。75年に解散。以降ソロ活動。


c0005419_17492742.jpg吉川晃司
1965年生まれ。中学時代から水球の選手として活躍。高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表に選ばれ、イタリア・エジプト遠征に参加した。84年2月1日シングル「モニカ」でデビュー。この曲は、主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌でもあった。84年の日本歌謡大賞最優秀新人賞ほか8つの新人賞を独占。翌1985年の年末には紅白歌合戦に出場したが、ギターを燃やしステージに叩き付け、出番を待ってた河合奈保子とスクールメイツを唖然とさせた。その後、NHK出入り禁止に。最近は『三国志』に夢中。


c0005419_17493722.jpg奥田民生
1965年生まれ。メロディセンスが抜群。多分、カンで作っているところがすごくロック。広島東洋カープの大ファン。タワーレコードのポスターでは元カープの達川光男と共演済み。趣味は釣り。


c0005419_17494955.jpg原田真二
58年生まれ。77年デビュー。「てぃ〜んずぶる〜す」「キャンディ」などのすげえいい曲を量産。


c0005419_17495917.jpg小林克也
1941年生まれ。学生時代からFENや海外ラジオを聞き続け、英会話能力を独学で取得。70年代後半に選曲家の桑原茂一、俳優の伊武雅刀らとともに始めた音楽ラジオ番組『スネークマンショー』、80年にスタートした『ベストヒットUSA』は秀逸。


c0005419_1750997.jpg竹原慎二
1972年生まれ。元プロボクサー。95年に日本人として初めてボクシングの世界ミドル級王座を獲得。重量級での日本人チャンピオン誕生という不滅の金字塔を立てた。最終戦績は25戦24勝1敗(18KO)。日本一ケンカが強い。


c0005419_17501934.jpg金本知憲
1968年生まれ。阪神タイガースの4番。広陵高校出身(大学は東北福祉大)。91年、地元広島東洋カープからドラフト4位指名を受け入団。入団後数年間は芽が出ず、桑田真澄のカーブのキレを目の当たりにして自信喪失した。だが、レギュラー定着後は走攻守三拍子そろった外野手として活躍。2000年には3割、30本、30盗塁を達成した。球際に強く、スイングスピードは球界一とされ、振り遅れているのに引っ張りの打球が打てる。肉体年齢は25歳前後(実際は37歳)。体脂肪率は8〜9%を維持。2004年8月1日には連続フルイニング出場の日本新記録を樹立。以降、自己更新中。今年は3冠王を狙う。

by ichiro_ishikawa | 2005-09-12 17:58 | 音楽 | Comments(3)  

ボブ・ディラン自伝

 ティーンエイジャーの頃は、実はディランはそんなに好きではなかった。巨人とされているので取り合えずレコードは買ったものの、一度聞いたきり棚にしまい込んで取り出さないでいる時期がけっこう長く続いた。とはいえ下取りに出さなかったのは、後で良さが分かる時が来るやもしれぬと感じていたからではある。
 20代も半分折り返しかかった頃、その時はやってきた。新たに魅力を発見したわけではなく、あのダミ声、単調で淡々としたメロディー、極めて文学的な詩といったディランをディランたらしめていてそれがゆえに嫌いだった要素が、そのまま好きな要素に転じた。

 ボブ・ディランの自伝が出た、アメリカでは50万部を超えたというニュースが最近気になってはいたが、即買い、とはならなかった。あの膨大な作品群でディランのことは重々分かっていると思っていたし、楽曲において詩才というか文学の才が見えるからといって、自伝が面白いとは限らない(正確には、詩を超えられないので相対的につまらなく思えてしまう)ということは往々にしてある。
 ところが、週刊新潮で、福田“意外と分かってる”和也が、誉めてた。福田は批判するにせよ賞賛するにせよ、説得力があるし、何より文章が面白い(もっとも大事なことだ)ので信用しているのだけれど、それで買うことにした。よく見たら値段も1800円とボリュームの割に安価だし、ソフトバンク・パブリッシングというソフトバンクの出版手腕がどんなものかも知りたかった、などなど下らない理由も作用し、購入に至った。容易く購入するといろいろなところが図に乗るからなるべく慎重に動くようにしている。やっぱり下らない本は売れてほしくない。微力とは知りつつも、出版界正常化・常識化を目指し尽力している。
 
 この自伝は、ディランが思いつくまま、まさに筆に随せて綴った随筆風なので、必ずしも時系列で物事が語られるのではないが、やはりディランが音楽を始めたころの話が中心に書かれている。
 てめえがどんなミュージシャンや作家、画家といった人々に憧れ、敬意を払ってきたかといった己のルーツ探訪と、音楽界の20世紀旗手として祭り上げられることへの違和感、この2つを中心に独白している。自伝学(?)的には後者が重要で、心理学や社会学を好む向きには興味深いかもしれないが、自分としては“音楽好きボブ・ディラン”はどのように形成され、どんな音楽的邂逅を経てきたのか、という前者の部分が刺激的だった。
 ディラン自身の祖国アメリカに憧れて音楽を始めたビートルズやストーンズなどイギリスのミュージシャンへの的確な批評、自分とシーンは違えど当時のメインストリームを席巻していたブリル・ビルディング職人たちへの称賛、RUN-DMCやパブリック・エナミーが築いたヒップホップという新しい形態に対しての先見の明など、他者や世界に毒づくのではなく、基本的に「すげえすげえ」と感嘆しているボブ・ディランの姿というのが実に感動的だ。ケルアックやバルザック、ディケンズなど文学への物言いも、音楽家ならではの視点で、とても瑞々しい描写がなされている。そうした一連の「批評」からは、やはり嗅覚の鋭さ、詩の才覚はもちろん、ボブ・ディランという人間的な深みが感じられる。
 また、己とその背景を語ることで結果的に、音楽をメインの切り口とした「20世紀アメリカ史」となっていることも素晴らしい。ピーター・バラカンのようなイギリス人から見たアメリカ物語や、研究者による分析も面白いけれど、40年代から今までをリアルに生きた当事者によるアメリカ物語というのはまた、ストレートに生々しく、アメリカというものを感じるに十分である。
 いずれにせよ、とても面白い本だ。

 本書には、人名や楽曲など固有名詞がズラズラと登場する。音楽に不案内な人には逆にこの部分が退屈かも知れない。それらを説明的にいろいろ語ることは多くないからだ。ただ、いいとだけ言う。だが、ある程度それらの固有名詞に接点がある者ならば、無駄口を叩かないそのシンプルさに、グッと心に重くのしかかる目方がかかっていることを直覚するはずだ。
 U2のボノがディランの自宅にやってきて、いろいろとアメリカン・ミュージックについて語り合うくだりがある。ボノはこの頃、名盤『ジョシュア・トゥリー』を発表した頃で、アメリカン・ルーツ・ミュージックに深く傾倒していたボノが、実際に作品においても生活においても、伝統的アメリカン・ミュージックをストレートに追い求めていた時期だ。ボノは、アメリカ巡礼の旅を行っており、ディラン邸訪問もその一環だったのだろう。このとき、ボノはディランから、最初のアメリカ人がいた地の話など、アメリカについていろいろ面白い話を聞き出す。さらに、この会合でボノはディランにプロデューサーとしてのダニエル・ラノアを紹介し、89年にリリースされるアルバム『オー・マーシー』への制作に結びつく長い逸話が、その後に細かく描かれることになる。

 訳者後書きによれば、版元とは3部作の契約ということで、次作以降のリリース時期は未定だが、着々と進行はしているようだ。次作のタイトルは「ブリンギン・イット・バック・ホーム」というから、ヤバい。いよいよ、あの黄金期が第2部で詳らかにならんとしている。

 というわけで、すげえディラン、ベスト5

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『The Freewheelin'』(1963)
2作目。なんと言ってもディランの代名詞とも言える不滅の名曲「Blowin' In The Wind (風に吹かれて)」がいい。当時のアメリカでは、フォーク・ソングが公民権運動や反戦運動と結びついていて社会的なプロテスト・ソングが流行し、ディランのこの曲はそのアンセムのように語られることが多いが、そんなことはどこ吹く風(←うまい)、ただ純粋に音楽として自立している。自伝の中でディランはそうした動きのプリンスとして祭り上げられることに閉口している。最高のジャケットの女性はディランの当時の恋人スーズ・ロトロ。自伝にも当然登場する。




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『Bringing It Back Home』(1965)
5枚目。「Subterranean Homesick Blues」が最高。この曲のビデオにはアレン・ギンズバーグも登場する。また、ザ・バーズの出世作「Mr. Tambourine Man」は、これがオリジナル。明らかにビートルズの影響が。伝統的なフォーク・ミュージックのスタイルがロック色を強めた名盤。「It's All Over Now, Baby Blue」も名曲。




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『Highway 61 Reviseted』(1965)
6作目。マイク・ブルームフィールド(g)、アル・クーパー(org,p)参加のロックの金字塔。必殺「Like A Rolling Stone」のオルガンは、アル・クーパーが、突然録音スタジオに呼ばれ即興で弾いたと言われる。Cから順番に上がっていくだけのコードでこんだけとんでもなくなるというロックンロールの魔法がここに。




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『Blonde On Blonde』(1966)
ロックンローラー・ディランの最高傑作の7枚目。ロビー・ロバートソン(g)、アル・クーパーなどのミュージシャンが参加。「Rainy Day Women」「I Want You」「I Want You」が素晴らしい。ジャケの髪型、すげえいい。












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『The Bootleg Series Vol.4 BOB DYLAN LIVE 1966 The "Royal Albert Hall" Concert』(1998)
社会派フォークシンガーからシュールなエレクトリック派詩人への跳躍を遂げた瞬間を記録。後にザ・バンドと改名するホークスを従えての、1966年のライヴ。長く海賊盤で出回っていたが、98年にオフィシャル・ブートとしてリリースされた。エレキギターで登場したディランに対し、ある熱心なフォークファンが観客席から「ユダめ!」と叫ぶと、他の客も野次を飛ばしはじめる。怒ったディランは「僕は君らを信じない。君らは大うそつきだ」とやり返す。そして「Like a Rolling Stone」のイントロが流れ始めると、「デカい音で!」とかけ声をかける。この記録だけでも一聴の価値あり。




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『Blood On The Tracks(血の轍)』(1975)
アコースティック・サウンドの金字塔。「Tangled Up In Blue(ブルーにこんがらがって)」はヤバイ。詩がとんでもない。




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『Desire』(1976)
アメリカ建国200年を迎え、ディランは1975年秋から約半年かけて、ビジネス志向が強くなってきたロックミュージックへのアンチテーゼとして「ローリング・サンダー・レヴュー」なる流動的で自由な雰囲気のツアーを決行。それと平行して制作されたアルバムだ。とにかく「Hurricane」がいい。ボーカル、ギター、素晴らしい。スカーレット・リヴェラのバイオリンがいい。



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『Hard Rain』(1976)
「ローリング・サンダー・レヴュー」の一環として行われたコロラドとテキサスのライブ演奏を収録。ラフな演奏がが心地いい。これぞパンクの神髄。




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『The Bootleg Series Vol.5 BOB DYLAN LIVE 1975  The Rolling Thunder Revue』(2002)
70年代ボブ・ディランの最高潮。75年11月と12月に行われた「ローリング・サンダー・レビュー」の4回の公演から選りすぐったライヴ盤。これがあれば『『Desire』と『Hard Rain』は実はいらないがそれは結果論。デヴィッド・ボウイのバンドの元ギタリストだったミック・ロンソンも効いている。


by ichiro_ishikawa | 2005-08-30 18:19 | 文学と音楽 | Comments(4)  

特別寄稿:サマーソニック05リポート

文・写真= 石川三四郎

サマーソニック2005(2005年8月13、14日)

 終わってしまった。
 ロックンロールな2日間が・・・
 朝の9時からビールを飲み、一歩歩くごとにいろんなバンドがロックンロールを鳴らしている。海辺に行けばまた別のロックンロールが。
 サマーソニック2005は僕にとって常に後ろ髪ひかれながらのものだった。なにしろマリンスタジアムとメッセが以外と遠いのだ。だからあきらめざるを得ないところがけっこうある。

 1日目は、ストーン・ローゼズの曲をやるイアン・ブラウン、80% スウェードなTears、これだけは絶対観なければならない。そうするとRootsやQ-tip、ディープ・パープルやナイン・インチ・ネイルズは無理だ。これがまたフェスのせつなさ。しかたがない。
 Tearsは出だしで満足である。ブレット・アンダースン(vo)とバーナード・バトラー(g)が同じステージにいる。それだけで興奮する。もちろんブレットのボイスはすごいんだが、やはりバーナードの腰をクネクネさせながらのギタープレイが凄まじい。アームを駆使しながら爆音で鳴らすその様は凄まじい。
 イアン・ブラウンはローゼズの曲を4曲やった。1曲目の「I wanna be adored」は涙がやまなかった。
 全然知らなかったバンドではアーケイドファイヤがダントツでよっかった。どこかフレイミングリップスを思わせるアクションやメロウさは曲を知らなくても楽しめる唯一のバンドであった。

 問題の2日目。この日はラーズ(!!!!)及びティーンネイジ・ファンクラブと、オエイシス及びウィーザーと、パブリック・エナミーがかぶっている。殺人的なタイムテーブルだ。残酷すぎる。
 この日について仲間とは何十回と話し合ったあげく、やはりスタジアムでやるオエイシス及びウィーザーに絞る(僕らは一日目スタジアムでは何も観ていない)ことにしてあった。ラーズは次の日(15日)の渋谷AXでの単独公演に行くからいい。
 そしてウィーザーの演奏が始まったころドラマは起きたのです。
ウィーザーの「perfect situation」(新作『ビバリーヒルズ』収録)という曲を聴きにぼくはウィーザーに決めたわけなのですが、始まって10分後、ぼくはメッセに向かって走っていました。そう、ラーズが待つソニックステージへ向かっていたのです。そしたらなんとマリンから「perfect situation」が流れてくるじゃないか。夕暮れのなか、涙と鼻水を垂れ流し、「perfect situation」を歌いながら僕はラーズの元へ向かった。
 汗と涙でびちゃびちゃになりながらステージにたどり着くと、スティーヴィー・ワンダーが大音量でかかっていた。デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」が鳴り止むと、ついにラーズの登場です。「Son Of A Gun」で幕が開け、「Feelin'」で踊り狂い、「Timeless Melody」で泣きじゃくり、「There She Goes」で大合唱!! ロックンロール以前のリズムとアコギのザラザラと、リー・メイヴァースのダミ声がもう完璧な世界一のバンドでした。
 急いでマリン・ステイジウムに駆けていき、オエイシス観戦。ノエルもラーズを観ていたらしく(推測)かなり開演が遅れていたので、最初から観れた。1st、2nd、新作からしかやらんかった。最高! 最後は「My Generation」で花火がどかんどっかん!!

 一生忘れられない最高の2日間が終わりました。


The La's(渋谷AX 2005年8月15日)

 ノエルがいた。田中宗一郎もいた。
 基本的には前日と一緒だったので、また「Son Of A Gun」で幕が開け、「Feelin'」で踊り狂い、「Timeless Melody」で泣きじゃくり、「There She Goes」で大合唱!! ロックンロール以前のリズムとアコギのザラザラと、リー・メイヴァースのダミ声がもう完璧な世界一のバンドでした。
 違ったのはアンコール。
1.「There She Goes」(この日、2度目)
2. 「My Generation」(!!!! )

 もう感無量。MC一切なしの超速ギグ。
 セカンド出さねえかな。

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2日連続でラーズ見て、家でラーズかけながらラーズTシャツ作って、ラーズ聴きながら会社に行く。

by ichiro_ishikawa | 2005-08-19 14:33 | 音楽 | Comments(3)  

ジャズ雑感

 ジャズという特異な音楽ジャンルがある。例えばロックだったら、ポップス、ブルース、フォーク、カントリーなどとの区別は容易じゃない。というか、それらのコンプレックス=複合体がそもロックなのだから、ロックという形態の幅はかなり広い。エレクトロニカだってテクノだって、ヒップホップだって、ソウルだってロックっちゃあロックだ。
 特異というのは、ただ唯一ロックじゃないのがジャズ、という意味でだ。
 ジャズとロックはポピュラー音楽の中の両横綱である。ロックとジャズは、その音楽的形式、志向において、基本的に真逆を向いている。ロックは、作り込まれた作品で、ライブなどではそのオリジナルの複製、再現が求められるのに対し、ジャズの場合は、その場その場でいかに「くずすか」が試される。ロックは本質的にポップであることを求めるが、ジャズはいかにポップから遠く離れるかが問題だ。例えばソニック・ユースのようにどちらにもいかない、そう単純に割り切れないミュージシァンも多いけれど、まあ基本的にそうであろう。だから、リスナーはその嗜好においてジャズとロックでは、きっぱりと別れる。両方好きだという輩も多いだろうが、いざ聴くという段になると心のスウィッチを意識的にせよ無意識にせよ、切り替えていることだろう。

 有名なビ・バップの誕生物語がある。生活のために大衆向けのポップスを演奏していたチャーリー・パーカー(as)やディジー・ガレスピー(tp)が、そうした音楽にもの足りず、ライヴがはねた後に、自分達のやりたいように、また演奏の腕をミュージシァン同士で競うべく夜中延々とセッションを続けたという。それがジャズを進化させた。そういうわけで、基本的にジャズは、己がための演奏であり、他の演奏者との競い合いであり、結果、ポップに背を向けて歩むことになる。ジャズは絶えず聞き手を裏切る方向に進み、表現力は高い演奏力を必然的に要求する。結果、大衆はジャズから遠ざかり、たいていのミュージシァンは、表現力さえあれば技術をさほど要しない手軽なロックを目指す。

 最近、ジャズを好んで聴く。昔は、ただその雰囲気が好きで、浴びるようにポップスを聴いた後、そのあまりのポップネスに飽きると、たまにマイルズ・デイヴィスのレコードをターンテーブルに乗せたりする程度だった。それが最近は、ジャズがちょっとしたヘヴィ・ローテションだ。i−podの手軽さのせいもあろう。
 ジャズ、俺風聴きどころは2つ。
●ミュージシァンのかけあいのスリル
●ポップじゃないメロディのスリル
●その場でどうアドリブしていくかのスリル
●各々の音色、全体のアンサンブルのスリル
(ただし、音楽的な細かいところは全然わかりません)

 要はすげえスリリングなところだ。だから、ジャズでもラウンジ的、BGM的なものは聴けない。ピリピリとした緊張感がなければ聴けない。
 というわけで、いいジャズメン、ベスト5。
(ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズ、エレクトリック・マイルス、ヒップホップ・マイルスなどは、ロックの部類だと感じるので割愛)

バド・パウエル(p)
オスカー・ピーターソン(p)
セロニアス・モンク(p)
チャーリー・パーカー(as)
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
ディジー・ガレスピー(tp)
チャールズ・ミンガス(b,cond)

 スリルというとロックの専売特許のようだが、そうではない。ロックとジャズは真逆と言ったが、それは音楽的様式に対してであって、スピリチュアルな意味では、ほぼ同じことを目指している。あるスリルを指して、ある人はジャズというし、ある人はロックと呼ぶ。また、孤高たらんとする意志をジャズといってもロックといっても同じことだ。そうした「精神のあり方」にまでジャンル名が及んでいるということも、ロックとジャズが両横綱たる所以である。

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今、聴きたい観たいジャズ『真夏の夜のジャズ』DVD
(1958年ニューポート・ジャズ・フェスティバルの模様)

by ichiro_ishikawa | 2005-07-12 19:38 | 音楽 | Comments(1)  

夏のロックフェス、見どころ

サマー・ソニック05

イアン・ブラウン(元ストーン・ローゼズ)、ティアーズ(元スウェードのブレット・アンダーソンとバーナード・バトラーの奇跡の復活バンド)、ティーンエイジ・ファンクラブ、エコー&ザ・バニーメン、オエイシスに、最新マンチェスターチンピラ、カサビアンと、大イギリス祭りの様相を呈しているサマー・ソニック05。
だが、その中で一際異彩を放っている3組が今年の超目玉だ。

1. THE LA'S
2.ナイン・インチ・ネイルズ
3.パブリック・エネミー


この3組は超強力だ。
これは行かざるを得ないかも知れない。

c0005419_1419776.jpg左=ナイン・インチ・ネイルズc0005419_14192294.jpg 右=ティアーズ
 

フジ・ロック05

7/29(金)
目玉は、“ジプシー・アヴァロン”なるステージに登場するポカスカジャンとバンバンバザールの超絶ユニット、バンバンジャンであることは、火を見るより明らかだ。そして、日本のドゥーワップ王、キングトーンズ。
また、“オレンジコート”でのリサ・ローブ、エディ・リーダー(元フェアグラウンド・アトラクションズ)、アイリッシュの重鎮バンド、ポーグスも観てみたい。

7/30(土)
この日が大本命だろう。
ダイナソーJr.ベックというアメリカン・オルタナティヴ大会だ。
ファットボーイ・スリム、ロス・ロボス、マーキュリー・レヴといったところも行くなら外せない。
ジュリエット・ルイスのバンドもかなり観たい。エディ・リーダーはこの日も出る。

7/31(日)
最終日は、野外レイヴの様相。
ニュー・オーダーにプライマル・スクリーム、モービー。
ダンス大会だ。
シガー・ロス、ビーチ・ボーイズ、ソウライヴはぜひ観たい。ロス・ロボスとジュリエット・ルイスはこの日も出る。日本のバンドでマーマレイド・ラグは、なかなかいい。そして、去年のフジ・ロックでラストライブを敢行したルースターズが、大江慎也+花田裕之+井上富雄の3人からなるACOUSTICS GO GOで出演するという。どんなものか観てみたい。

c0005419_14145511.jpg左=ベックちゃんc0005419_14152445.jpg 右=ダイナソーJr.

by ichiro_ishikawa | 2005-06-29 11:10 | 音楽 | Comments(2)  

ライブ8

 ボブ・ゲルドフというと、85年の「ライブエイド」と、そこから20年経った今年の「ライブ8」で、貧困に喘ぐ子供達を救済するための資金集めチャリティコンサートの主催者として良くも悪くも名を馳せるが、それ以前に、70年代後半から80年代前半に活動したニュー・ウェイブ・バンド、ブームタウン・ラッツのサウンドメーカーにしてボーカリストだったということはとかく忘れられがちだ。ブームタウン・ラッツはアイルランドのすげえいいバンドで、パンク〜ニュー・ウェーブの流れを象徴するかのようなエッジの利いたギター、ひねくれたメロディー、粋なアレンジが特徴的なポップなサウンドを轟かせていた。
 c0005419_1324396.jpgイギリスのエルヴィス・コステロやスクイーズなどに通ずるひねくれパンク精神とポップネスが持ち味で、“古き良き”ブリティッシュ・ポップの代表選手である。
 日本でもBOφWYやブルーハーツなど80年代初期〜中期のバンドは大抵影響を受けていることは間違いない。
 とりあえずベストがおすすめだが、全曲気に入った場合は、個々のアルバムに手を伸ばさざるを得ないだろう。

 夏のフェスに先駆ける形で7月に世界8カ国で同時開催される「ライブ8」、そのメンツがすごいので紹介しよう。

アニー・レノックス(元ユーリズミックス。肉食)、ボブ・ゲルドフ(元ブームタウン・ラッツ)、マッダーナ、サー・ポール・マッカートニー、ピンク・フロイド、R.E.M.、U2、スティング、スヌープ・ドッグ
以上、ロンドンが一番豪華。
c0005419_13345635.gif

ほか、パリで
ザ・キュア−、ユッスン・ドゥール

ベルリンで
ブライアン・ウィルソン、ロクシー・ミュージック

フィラデルフィアで
スティーヴィー・ワンダー

東京で
ビョーク

といった塩梅。

ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーといった大御所はもはや女子供も楽しめる安全商品、スティングは上手くて渋くてセンスが良くてハングリーで最高品質な音楽を常に保証してくれる芸術家、ピンク・フロイド、キュアー、ブライアン・ウィルソンらがどんな奇行を見せてくるかは少し注目、ロクシー・ミュージックは、先日の初来日公演で見せたカッコいいパフォーマンスを再度期待したいところ。
 
で、なんといってもやはり現役選手が楽しみだ。
R.E.M.、U2、スティング、スヌープ・ドッグ、ビョーク。
これは絶対観たい。というわけで7/2、ちょっとロンドンに行ってくる。だが、ハイドパークで大群衆のなか観るよりは、フジテレビ721の中継の方がマシかもしれない。

by ichiro_ishikawa | 2005-06-28 13:36 | 音楽 | Comments(0)