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Fuji Rock Festival 03

2003.07.27 SUN.

Nick Lowe
 ギターを抱えた本人だけのステージ。日ざしが強い4時前。グラサンにスーツ。長身のダンディ。「Cruel To Be Kind」「(What's So Funny 'bout) Pease,Love And Understanding」に感涙。

Elvis Costello
 すげえ勢いで出てきてグワーッと演奏して、最後は「(What's So Funny 'bout) Peace,Love And Understanding」。直前の曲との間でギターを交換したが、そのギターが調子が悪く、肝心の出だしで音が出なかった。あの音が出てたらすげえ決まっていたが、それを差し引いてもすげえ演奏、そして声。ニック・ロウの飛び入りは誰もが期待しただろうがなかった。

Steve Winwood
 スペンサー・デイヴィス・グループもトラフィックも、ソロもそんなに聞き込んではいないものの、いつ聴いてもすげえいい、スティーヴ・ウィンウッドを、初めて観る。すげえいい演奏、声、つら。いい皺。イギリス人らしい神経質さもいい。

Massive Attack
 あの声がエフェクト・ヴォイスじゃなかったことにまず驚き。CDがすげえいいけれど、ライブはどうなのかこの手のアーティストは、と思っていたが、CD通りの良さを体感できてよかった。サウンドはCDの方がいい。当たり前か。夜、というのもよかった。終演後、急いでホワイトステージのモグワイに駆け付けたが、残念ながら終っていた。

by ichiro_ishikawa | 2003-07-27 02:11 | 音楽 | Comments(0)  

内藤遊人インタビュー by 富沢えいち

富沢えいち「ジャズ四ツ谷口」より転載

 11月14日復刊予定の「ジャズライフ」誌の“噂の真相”について、前・編集顧問、内藤遊人氏にインタビューしました。

「ジャズライフ」復刊記念
編集長・内藤遊人インタビュー

版元の立東社が倒産したことによって「ジャズライフ」誌が休刊したのは今年の7月。熱烈な各方面からのラヴ・コールを受け続け、絶えず「すわ復刊っ!」という噂が流れ続けていたが、この10月初頭にようやく“正式な見通し”を受けることができた。当「ジャズ四谷口」では、あまたの噂を払拭するべく、出入りライターの特権を最大限に行使して、別会社を新設して「ジャズライフ」制作の陣頭指揮にあたることが決まった内藤遊人氏に直撃インタビューを試みた。業界でも有名な“出たがらない”人物の、オフレコ部分もまだ多いという内容であることをお断りして、待ち望んでいた“「ジャズライフ」どうなるの?”の現時点での真相をお届けしよう。

The shape of jazzLife to Come!
「“ジャズライフ”来るべきもの!(仮)」
業界の“奇蹟”が起きた背景とは?

——まず、「ジャズライフ」休刊というニュースには驚きました、という質問からさせていただこうかと思っていたのですが。
内藤 そりゃ、驚きましたよ、こちらも(笑)。
——その時の内藤さんの立場はどう説明すればいいのでしょう。前は社員ということでしたが。
内藤 編集顧問という名前でやってはいましたが、編集長を補佐する立場とでもいえばいいでしょうか。ジャズライフの歴史的にいえば、元・編集長(2代目)だったということにはなりますが。
——編集長を辞めた時点で立東社はお辞めになっていた?
内藤 ええ、そうです。この4〜5年は、皆さんがどのぐらい原稿料をもらっているとか、いくら経費がかかっているのかとかはみてなかったけど、雑誌の方向性に関しては責任を持つ、というスタンスで関わっていました。
——ということは、立東社倒産というニュースは……。
内藤 そういう意味では、仲間の編集部員と同じ感覚で受け止めた、ということになりますね。
——「ジャズライフ」はどのような形で復刊するのでしょうか。
内藤 まあ、「ジャズライフ」に関わっているときから、立東社という会社の中にあっても、独立採算というか、切り離して単独で考えた場合に採算がとれる雑誌にしようと自分では考えながらやってましたし、こうなってからも、発行してくれる会社さえ見つかればなんとかなるだろう、ということは当然考えていました。もっとカンタンに言ってしまえば、自分たちにお金があれば、自分たちで「ジャズライフ」を出してしまおう、ということも当然考えたわけですよ。ところが、どう計算しても、最低でも4〜5千万の開業資金と当初の運転資金がなければ難しいという現実がハッキリと見える(笑)。それで、どこか発行してくれるところはないか……、とそういった状況のなかで、幸せの青い鳥が見つかった、というところでしょうか。
——カンタンに考えてみると、「ジャズライフ」というバンドがあって、今までリリースしていたレコード会社と契約の面でうまくいかなくなったので、別の会社を探した、というようなことなのかな、と。
内藤 ええ、そういう感じかもしれませんね。立東社にも「ジャズライフ」という雑誌に対してそういう自由さを許していたところがありましたから。だからこそ、今回のような早期復刊も可能だったんじゃないかと思います。
——一般に、雑誌の復刊は“奇蹟”と言われますが。
内藤 そうですね。我々も“まさか”という気持ちが確かにありますね。冗談のつもりで言ってるうちに、なんとなくそうなってきた、というのが正直なところなんです(笑)。「そこまで言うなら」と拾ってくれた優しい人たちがいた、と。人生は何でもそうでしょうけど、出会いがあったということですよね。ラッキーには違いないんでしょうけど。
——誰もが助けられるという立場にはないだけに、やはり奇跡的なことですよね。
内藤 ただ、我々は好きなように雑誌を作っていて、これからもそれは変わらないだろうし、以前と同じような発行形体はだめでも、バンドで言う“ストリート・ミュージシャン”みたいな立場でもやろう、とは考えていました。できたかどうかは別ですが(笑)。自費出版して、大手書店に持ち込んで売るのはタイヘンでしょうけど、なんらかの形で、名前は違っても、雑誌を作り続けたいなというのはありました。実際にはいくつも難しい問題を解決しながらやっていかなければならないわけですから、決して簡単にできると思って「雑誌を続けよう」と考えていたわけではないんですけどね。ただ、ストリートで元気良くやっていれば、誰かがいいねと共感してくれるという未来もあるじゃないですか。それもまた、ヒトとの出会いや相性が関係してくるんですけど、可能性がなくなるわけじゃないから。
——三栄書房という名前は出していいんでしょうか。
内藤 もういいでしょう。挨拶状も作りましたから(笑)。
——三栄書房という版元が「ジャズライフ」編集部に「ジャズライフ」を作らせて、それを流通させるということですね。内藤 そうですね。こちらは「ジャズライフ」を制作するための新しい会社を立ち上げました。復刊に伴う内藤遊人復活の奇跡とは?
——最初、内藤さんはヤマハに入社されてたんですよね。
内藤 大学出てからはね。本当はミュージシャンになるつもりで早稲田のダンモに入ったんですが、やっぱりカタギになろうと思って。
——カタギじゃなかったという噂ですよ(笑)。ヤマハの渋谷店にはミュージシャンが来ると半額にしてくれる店員がいるって有名だったって(笑)。
内藤 いえいえ、そんなことないですよ(笑)。噂が噂を呼んでそうなっているんでしょう。
——でも安くしてくれたって言ってましたよ。
内藤 まあ、多少は、ね。だって、ジャズやってる人に高い値段で売るような、そんなかわいそうなことはできないですよ。多少は、ね。
——何で「ジャズライフ」に?
内藤 これは話せば長いんですよ(笑)。ヤマハって、当時は音楽だけじゃなくて、バスタブ作ってたり、アーチェリーも売ってたし、ゴルフ・クラブとか、金属事業部で中国行った同期の人間もいたんですよ。当時は日本楽器製造株式会社と言っていたんだけれど、楽器だけでなく手広く事業をやってた時期だったんですから。で、入社させてもらえたのはいいけれど、最初にピアノとかエレクトーンとかのセールスの研修を受けるんだけれど、これがぜんぜんダメで(笑)、ほかの部署に行っても使いモノにならないってことで、それで渋谷店に配属になったんです。もともと渋谷の店っていうのがヤクザなところで(当時の直営店のなかではやっぱり銀座とか池袋の方がクラシックな雰囲気があった)、そこでまあ、楽器を売るとかはあんまり得意じゃなかったから(笑)、店に遊びに来てくれるミュージシャンに頼んでジャズ教室を始めたり、そんなことばっかりやっていた。当然、ボクの売上は上がらないから、2年半ぐらいで、もう他のことをやった方がいいんじゃないのと言われて、それで辞めたんですけどね(笑)。それでフラフラしているころに、「オマエ、フラフラしているなら一緒に雑誌をやらないか」って早稲田の頃のバンド仲間から誘われたのが実は、立東社だったんです。当時はまだ「ジャズライフ」創刊前でしたから、「ロッキンf」編集部の机に座って手伝いながら、ジョン・デンバーのムックとか、ジャズ・ギタリストやブルース・ギタリストの単行本とか、わけわからんこといろいろとやってたんですよ(笑)。それをやりながら、半年後ぐらいに「ジャズライフ」を作る、ということでスタートしたんです。それが77年。
——内藤さんが編集長になられたのは。
内藤 創刊から2年ぐらい経って、世に言う“フュージョン・ブーム”に火がつき始めたころ、雑誌がようやく軌道にのってきた。始めるときには、「某誌以外はぜったいに成功しないから無謀なことはするな」とみんなに言われましたけどね(笑)。ましてや譜面を入れるなどというような余計なことを考えていたから、ぜったいダメだと言われ続けて、ボクも実はそう思っていたんだけど(笑)、やっているうちに、世の中がこっちに向いてくれた。軌道にのったから今度はオマエが編集長をやれと言われて、別に、引き受けたくはなかったけれど、断る理由もなかったし(笑)、流れのまま、ですよ。編集長になったからって、別にラクになるわけじゃなく、やることも変わりなかったし、かえって余計なお金の計算とかまでしなければならなくなって、楽しくはなかったけど(笑)。まあ、肩書きでどう変わるわけじゃなかったから引き受けたんですけれど、それ以後も「ジャズライフ」自体はどんどん支持されていって、その点ではおもしろかったですね。10年ぐらいやったかな。それでもういいかということもあって、一時は引退していた。まあ、引退といっても、原稿は書いてたから、「ジャズライフ」との関係は続いてたことは続いていたわけだけど。その後、さっき言った編集顧問という形で、また編集に関わるようになったわけです。
——今、不況ですよね。そんななかで「ジャズライフ」が復刊するというニュースは数少ない“良いニュース”だと受け取られているんですが、実は、それほど楽な船出ではないんじゃないかとも思っているんですが。
内藤 間違いなくラクな船出じゃないですよ。やらない方がよかったという意見もあるだろうし、実際にそういう思いも一方にあることは確かです。雑誌を作っても給料が出るかどうかわからないわけだから。24年の歴史が築いた“強み”とは?
——これまでの歴史で、「ジャズライフ」スタイルというものができあがっていたと思うのですが、このアクシデントによって何か変わるということはあるんでしょうか。
内藤 それはないでしょうね。結局、雑誌が20年以上保つというのは、外部から見ればタイヘンなことだと思うんですよ。自分が関わっていた雑誌だということを抜きにしても、ね。すごいことだと思いますよ。
——その20年がダメでこの結果を導いたわけではないんですよね、今回の場合は。
内藤 そうそう。だから、中身がダメになって休刊になっていたのなら、20年が何の意味もないことになるわけだけれど、そうじゃない。「ジャズライフ」は、続いていたことによって自然にスタイルというものができていたんじゃないかと思うんですよ。そうした支持されている部分を継続することが、今回の復刊の使命でもあると思っています。それがなかったら、たぶん、復刊できなかったかもしれない。そんな大儲けできるような雑誌じゃないんだけれど、「ジャズライフ」にはそういう“なにか”があるから、それはほかにはないものだと評価してくれる人がいるわけですよ。それが「ジャズライフ」の持つ強さで、そういう点が認められたから復活が許されたんじゃないかと、手前ミソですが思うんですよ。ユニクロにはユニクロの特色がある。吉野家には吉野家の特色がある。エルメスのビルがオープンすれば並んでまで買いに行く。ブランドという幻想はもちろんありますけれど、そこにしかないから買いに行く、魅力があるから行く、高いけれど行く、安くていいものがあればもちろん行く。強いものにはその根底に何かある。何かないと世の中に受け入れられないわけですよね。それぞれにコスト計算やらなにやらの事情はあるでしょうけれど。同じ強さが、24年続いた「ジャズライフ」にはあったんじゃないかと思うんですよ。それは大事にしたいと思っています。
——結論としては、「ジャズライフ」は変わらない?
内藤 ええ。
——ちょっと休んだだけ。
内藤 ということでしょうね。まあ、これでスタッフが変わるのなら変わるんでしょうけど……。ボクがいなければもちろんリードするヒトによっては変わるだろうけど、いるから変わらないということでもなくて、「ジャズライフ」には「ジャズライフ」を作ってきたものがあるから変わらない、という部分が大きいと思いますよ。でも、版元が変わるということは、まったく同じ状況ではないということでもあるわけです。さて何が変わるか、それは乞うご期待なんですが(笑)。
——広告料が高くなるとか、記事に金を取るとか(笑)。
内藤 そういう部分では変わりません(笑)。変わるということに関して言えば、すでに「ジャズライフ」は歴代で何回も変わってきましたからね。AB版でスタートしたのにA4版に変えたり、平綴じから中綴じに変えたり、まあ、変えたのは主にワタシですけど(笑)。やっぱり飽きるんですよ、昨日と同じことをしていてもつまらないという性格ですから。同じコトをやっていると飽きちゃって続かないんですよ。でも、今は、切れた部分をなんとかつないでいきたい、ということを第一に考えて、つなぐからにはその間の空白を埋める何かを付けなければ! ということで、期待して欲しいと思っています。
——定食に小鉢が1品付く……。
内藤 計画通り行けば、小鉢は付きます。いや、小鉢じゃないかもしれないな、本当にささやかなオマケかもしれないけど(笑)。

by ichiro_ishikawa | 2001-10-14 03:39 | 音楽 | Comments(0)