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ここは地の果てアルジェリア 


 サザン「みんなのうた」を、車両ナンバー893のベンツのカーステでノリノリでかける舎弟の運転手つね(哀川翔)に、
「消せ。そんな日本人なめくさったような歌、消せ」
 小川英二(長渕)は、後部座席でふんぞり返りながらそう吐き捨てると、
「ここ~は地の果て アルジェ~リア どう~せカスバの 夜に~咲く」と鼻歌を歌いだす。
 それが抜群のメロディで、歌詞も強烈だった。
 鼻歌でも食えるのが長渕という歌手だ。

 その『とんぼ』(88年、TBS系)以来、この曲が何という曲かは知らないまま、己が心の奥底で静かに眠っていたのだが、近年のITの発達で、覚めた。原曲及び楽曲詳細を易々と入手することができたのだ。現在、iTunesとiPodのヘビーローテーションとなっている。ちなみにYouTubeでは、上述のシーンもUPされている。
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           『とんぼ』より(from YouTube)


 小川英二の鼻歌により、現代によみがえったこの曲は、「カスバの女」。昭和30年(1955)、芸術プロの映画『深夜の女』の主題歌として作られた。宇多田ヒカルの母親・藤圭子も歌っており、『新宿の女』に収録されている。
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      「カスバの女」
      大高ひさお作詞・久我山明作曲
      唄:エト邦枝

      涙じゃないのよ 浮気な雨に
      ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
      ここは地の果て アルジェリヤ
      どうせカスバの 夜に咲く
      酒場の女の うす情け

      唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
      セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都
      花はマロニエ シャンゼリゼ
      赤い風車の 踊り子の
      今更(いまさら)かえらぬ 身の上を

      貴方も女(わたし)も 買われた命
      恋してみたとて 一夜の火花
      明日はチュニスか モロッコか
      泣いて手をふる うしろ影
      外人部隊の 白い服

by ichiro_ishikawa | 2006-11-28 15:47 | 音楽 | Comments(0)  

バンバンバザール meets サム・ムーア

Nack5 79.5FMでのバンバンバザールのレイディオ番組
「GOO GOO RADIO」
11/21(火)放送分にて、
「ちょっと待って、今行くから」「魂男」などのヒット曲でおなじみ、
現在ブルーノート東京公演中の元サム&デイヴ、
サム・ムーア(高音担当)がゲストで登場!
(バンバンバザールHPのBBSより)
必聴!!

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(左)サム&デイヴ。いい目線。
(右)サム(高音担当)が70歳にして放ったソロ最新作『Overnight Sansational』は、スティーヴ・ウィンウッド、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、スティングら豪華なメンツが参加。1曲目アン・ピーブルズのカヴァー「I Can't Stand The Rain」は、今は亡きビリー・プレストンの生前最後の演奏らしい

ブルース・ブラザーズ(ジョン・ベルーシとダン・アイクロイド)
による「Soul Man」(from You Tube)も必見

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このダンス、マスターしてえ

by ichiro_ishikawa | 2006-11-15 00:57 | 音楽 | Comments(3)  

吉川晃司私論2・今の吉川

 吉川晃司が「おもしれえ物体」として、いじられ始めた昨今。
 その最たる物、最終形と思われるのが、このPVだ。

「Juicy Jungle feat.吉川晃司」
Disco Twins (YouTube)

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 昔(84~96)、吉川は、普通にすげえカッコ良かったが、ワンセグでweb2.0な上、iTunes7.0な21世紀においては、「ベタなアクション歌手」として捉えられている節がある。
 手足をくねくね痙攣させたり、打点の高いローリングソバットで特設シンバルを蹴り上げたりといったステージング、「タ・テ・ト」→「ツァ・ツェ・ツォ」などの英語風日本語歌唱、「濡れたままの唇で Smack for good night」「エスプリックな眼差しに プリマドンナ夢中なのサ 」「最初からベイビー・イッツ・オーライ」「濡れたままの唇でジョーゼット」などの発語して気持ちいい優先の英語交じり歌詞、グラサンに派手なスーツといったルックス。90年代においてダサさの象徴だったこれらが、今は「笑い」の対象へと変じた。
 吉川は、笑い飛ばされるまでに、熟したということだ。
 悪くない。
 「それでも“ロック”な、吉川はすげえ」、との感嘆の念を禁じ得ない。
 ただ、上述した吉川の要素は、誰にも真似できねえ(したくないでも同じこと)ことだと気づくのは良い事だ。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-09 14:48 | 音楽 | Comments(0)  

吾妻光良 vs 福島康之

吾妻光良Session
@東京・高円寺 JIROKICHI
吾妻光良vo,g、牧裕b、早崎詩生pf、福島康之vo,g、平林義晴dr

 牧裕と早崎詩生は、スウィンギング・バッパーズ、平林義晴はカンザス・シティ・バンドのメンバー。JIROKICHIは、金子マリや妹尾隆一郎、あるいは野獣王国(是方博邦g 難波弘之key 鳴瀬喜博b 小森啓資dr)といった、ブルーズ、ジャズ系のミュージシャンが演る店、since 1974だ。壁には、キング・カーティスやアリーサ・フランクリンらの後ろでタイトでグルーヴィなリズムを奏でた超売れっ子セッションドラマー、バーナード・パーディのサイン入り写真も。バンバンバザールのライヴ盤『ハイライト』は、ここで、この吾妻光良や、友部正人を迎えて行なった1999年のライブを収録したものだ。

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 吾妻はサイドをショートカットに

 バンバンバザールのナンバーからは「こんにちは」「風呂屋」「夏だったのかなぁ」「4時間座っていたけれど」「恋はねずみ色」「ほんじゃね」(吾妻光良& The Swingin' Boppersによる外国曲のカバーのカバー)、「明るい表通りで」(カバー曲)、そして! “ジャイヴ・ミュージックが好きです”との福島康之のMC、吾妻光良の“当然だ”という返しで始まった「盛り場に出て行こう」が披露された。“コロッケそば!!”は聞かれなかったものの、名盤『ハイライト』のあの名演再び!!、となった。この曲での吾妻光良のコーラス(しゃがれたハイトーンでのハモリとシンコペーション)は、本当にすげえいい。
 福島康之が初めて作った曲が「2丁目の垣根の曲がり角」だというのは有名だが、2番目が「風呂屋」、3番目が「どういうこと」、4番目が「盛り場に出て行こう」だということが、この晩、判明した。
 
 また、本棚の下に敷く5cm角程度のベニヤ板という恐ろしく地味な買い物をしに吉祥寺に出た時に、ロンロン前で路上ライブをやっていたバンバンバザールに初めて出会った、というエピソードの掘り返しも聞けた。「くしゃくしゃの1000円札をくれた」「いや5000円だよ」「1000円です!」といったテンポのいい舌戦も冴えていた。

 福島康之の、こういう立ち位置での、ライブは、本当にいい。
 それにしても、第一声で、グワッと空気を作ってしまう、福島康之のヴォーカルは凄まじい。

by ichiro_ishikawa | 2006-10-29 03:36 | 音楽 | Comments(1)  

グレン・ティルブルック来日公演速報

グレン・ティルブルック来日公演
2006年10月14日(土)東京・南青山マンダラ

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 グレン・ティルブルックと言ったって、おそらく誰も知らないだろうし、スクイーズのギター&ヴォーカル、とその出自を説明したところで、そもスクイーズとは? ということになろう。
 これは本当に残念な事だ。グレン・ティルブルックが、スクイーズがあまり世に知られていないという事が残念なのではない。スクイーズとは?と愚鈍に訊いてしまう、その、スキだらけのあなたの人生が、残念でならない。

 グレン・ティルブルックは、元スクイーズのギター&ヴォーカル。
 スクイーズとは、78年に『Squeeze』でデビューしたイギリスのバンドで、音楽的には、ポール・マッカトニー寄りのザ・ビートルズ、ザ・キンクス、エルヴィス・コステロ、XTC、クラウデッド・ハウスに近い。伝統的な英国ギターポップに、ニューウェーヴのエスプリが利いた、知的な大人のポップバンドだ。
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      1982年のスクイーズ。中央がグレン・ティルブルック

 なんと言っても、クリス・ディフォードの作詞と、グレンの作曲によるソングライティング、そしてグレンのヴォーカルが秀逸なバンドだ。要するに、2枚看板で、これは、レノン&マッカートニー(ザ・ビートルズ)、ジャガー&リチャーズ(ザ・ローリング・ストーンズ)、レイ&デイヴのデイヴィス兄弟(ザ・キンクス)、モリッシー&マー(ザ・スミス)、アンダースン&バトラー(スウェード)、リアム&ノエルのギャラガー兄弟(オエイシス)と続く、英国2枚看板バンドの系譜に連なり、その中でも、トップクラス、つまり、レノン&マッカートニー(ザ・ビートルズ)に並ぶ、と言っても、イギリス人だったら「Definitely」、あるいは「Absolutely」と、うなずくはずだ。

 ただし、グレンは作曲とギター、ヴォーカルだから、作詞もするレノンやマッカートニー、レイとは違うし、基本的には歌唄いのジャガー、モリッシー、アンダースン、リアム、ギター弾きのリチャーズ、マー、ノエルとも異なる。
 そういう意味では、歌を歌ってメインギターも弾く、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(マニック・ストリート・プリーチャーズ)、ポール・ウェラー(ザ・ジャム〜スタイル・カウンシル〜ソロ)寄りだ。
 つまり簡単に言えば、シンガー・ソングライター寄りだ。とはいえ、詩を書かないから、正確には、「主義主調の無い、流しのミュージシャン」といった方がいい。

 そんなグレンが、東京に流しに来た、といった感じのギグだった。
 青山の「マンダラ」という渋いハコで、モンティ・パイソンを彷彿させる、英国ギャグ満載のマシンガントーク&アクションを随所に挟みながら、矢継ぎ早に曲を繰り出していく。40曲ぐらい演ったのではないか。
 自作曲以外では、ジミ・ヘンドリックス「Voodoo Chile」(物まね付き)、ザ・キンクスの「Sunny Afternoon」を轟かせた。驚きだ。

  グレンの魅力。
 声がすげえいい、歌がすげえうまい、ギターがすげえ良くて、すげえ上手い。「その声とそのギターの腕だったら、その1セットだけで一生食って行けるのでは?」と思ったが、「あ、実際、食ってるか」と、ひとりごちた、と言えば、分かるだろうか。
 そして、なにはともあれ、メロディが、おそろしく、いい。ポップなのだが決してベタではなく、シンプルで、少ーしだけひねった、微妙な音の連なりが、ゾクゾクッと来る。一聴して、「いい!」と思わせるわけではないが、ふとした時に「クワッ!」と来て、来たら最後、以後、ずーっと己が脳髄にこびりついて離れない、といった類いの、いいメロディだ。


この日、すげえ良かった曲、ベスト5(順不同)
Squeezeを聴いてみたい人は、ここで試聴されたし
(iTunes StoreでのiMix by ロックンロール・ブック)

1.「Up The Junction」
from Squeeze『Cool For Cats』(1979年)

c0005419_1423588.jpgスクイーズ中、ベスト3に入るナンバー。地味に淡々と進む中、最終的に、号泣している自分に気づくはず。



2.「King George Street」
from Squeeze『Cosi Fan Tutti Frutti』(1985年)

c0005419_143420.jpg今回は、一発目、ピアノ弾き語りで披露。『Cosi Fan Tutti Frutti』は、比較的地味な作品だが、静かな名曲が多い。



3.「By Your Side」
from Squeeze『Cosi Fan Tutti Frutti』(1985年)

c0005419_143420.jpgこれも「King George Street」と並び、静かな名曲。クワッとくる。



4.「Another Nail In My Heart」
from Squeeze『Argy Bargy』(1980年)

c0005419_1434387.jpgコステロばりのポップチューン。『Argy Bargy』は布袋と氷室の青春の1枚としても有名。




5.「Black Coffee In Bed」
from Squeeze『Sweets From A Stranger』(1982年)

c0005419_1441167.jpgオーディエンス参加型スクイーズの代表曲。
アンコール最後の曲として、我々はコーラスを担当。グレンがはじめにやり方を指示するも、オーディエンスはすでに知っている、言わずもがなという濃い空間がそこに。



6.「Hourglass」
from Squeeze『Babylon and On』(1987年)

c0005419_1445690.jpg早口でまくし立てる軽快なポップソング。レコードではエレキのギターソロをアコギで同じようにやった。




7.「If It's Love」
from Squeeze『Frank』(1989年)

c0005419_1453174.jpgスクイーズを代表する小粋なラブソング。クリス・ディフォードの詩がすげえ。オーディエンスがコーラスで参加。


8.「Tough Love」
from Squeeze『Babylon and On』(1987年)

c0005419_1445690.jpg隠れた名曲、ということを今回のギグで再発見した人は多いはず。



9.「Tempted」
from Squeeze『East Side Story』(1981年)

c0005419_148025.jpg世間的に最も有名と思われるスクイーズの代表曲。映画『リアリティ・バイツ』でウィノナ・ライダーとその友人がカーステから流れるこの曲に合わせて歌っているシーンは秀逸。レコードではポール・キャラックがヴォーカルで、グレンはサブだが、今回は、当然全部一人で歌った。


10.「I've Returned」
from Squeeze『Sweets From A Stranger』(1982年)

c0005419_1441167.jpgヴォーカルはじまりのナンバー。グレンの声は本当にすげえということがよく分かる。



11.「Jolly Comes Home」
12.「Some Fantastic Place」
13.「Third Rail」
from Squeeze『Some Fantastic Place』(1993年)

c0005419_2183543.jpg個人的な話で恐縮だが、93年のリリース時、ロンドンで買ったアルバムのナンバー。当時スクイーズがロンドン郊外でライブを演るというので、日本では絶対見られないだろうと、大枚はたいてわざわざ駆けつけたのだった。だが、半年後の94年2月。きゃつらは初来日を果たした。


14.「If I Didn't Love You」
from Squeeze『Argy Bargy』(1980年)

c0005419_1464292.jpgアルバム発売時、この曲が実はシングルカットされていたという事実は、スクイーズマニアの中でもあまり知られていない。地味なポップの中でもさらに地味なポップソングのこの曲がシングルつけ!


15.「Annie Get Your Gun」
from Squeeze「Annie Get Your Gun EP」(1978年)
スクイーズ最初期のナンバー。のっけから風刺が効いている。


16.「Take Me I'm Yours」
from Squeeze『Squeeze』(1978年)

c0005419_1461362.jpgスクイーズ最初期のナンバー。レコードはニューウェーブ色が強い。



17.「Untouchable」
18.「Neptune」
19.「Hostage」
from ソロ・アルバム『Transatlantic Ping Pong』(2006年)

c0005419_149487.jpgスクイーズに比べるとさらに地味になった印象があるが、相変わらずのグッドメロディーメイカーぷりを発揮。長く聴き続けられそうな大人のポップアルバム。


総評
スクイーズはアレンジも秀でているが、なんといってもヴォーカルとメロディがすげえので、この「グレン・ティルブルック流しライブ」で、その魅力のほとんどを味わえるし、逆にヴォーカルとメロディだけに特化している分、誤魔化しが効かないため、いよいよそのすごさが明るみに出たという次第だ。
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by ichiro_ishikawa | 2006-10-15 23:49 | 音楽 | Comments(0)  

吉川と俺

 驚いたのは、Complexのとき、吉川はまだ24だったということだ。
「モニカ」が18だから、そこから見れば、Complexは24だろうよと納得できるが、“今、てめえが35”、という観点からすると、「子供がComplexやってたのか」、との感は拭えない。早熟だな吉川は。

 というわけで、
 吉川と俺、歩みの比較年表
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考察:
●とにかく17歳からComplexまで、吉川と俺では、ものすごい開きがある。
 26〜27ぐらいで、ちょっと追いついた感はあるが、
 35の今、またぐっと引き離されたことは否めないし、否まない。
●紅白でギター燃やしたのは20歳だから、俺で言えば、大学1年。
 あのときの俺だったら、もし出てれば、やはり燃やしたやも知れぬ。
●だが、24でcomplexは、やれないな、さすがに。くどいようだが。
 しかも相手は布袋だ。「いや、僕歌えません、しかもヒムロックのあとでしょ、無理っす」とおろおろしたに違いない。
●ただ、35で『漂流街』をやる、というのは、よくわかる。
●余談だが、『とんぼ』の長渕(小川英二)は、今の俺の3つ下。これもすごい。

by ichiro_ishikawa | 2006-10-14 02:41 | 音楽 | Comments(1)  

3分間のロックンロール、ベスト5


 今でこそザ・ビートルズは、ロックの代名詞、あるいは神、的な位置にいるけれど、80年代においては、否定の対象であった。70年代に、本人であるところの、ジョン・レノン自身がザ・ビートルズを否定した事は衆目の知るところだが、80年代は、もっと短絡的、直截的に、そのサウンドが否定され、ミュージッシャンたちは、いかにザ・ビートルズから遠く離れるかを一つの命題にしていた。
 今のように、無条件に崇められるようになったのは、90年代に入り、やっとザ・ビートルズを、古典として対象化出来るようになってからだ。オエイシスは「ザ・ビートルズになりたい」と豪語したし、中村一義は、そのサウンドをひたすら研究して「一人ザ・ビートルズ」を作り上げた。

 思えば、70年代は、60年代のブリティッシュ・ビートを否定してグラムやプログレ、フュージョンが花開き、頭でっかちになったロックを、パンク/ニューウェーヴの波が覆い尽くし、さらには、アナログを否定したデジタルビートが80年代を席巻。果てにバブルとなった音楽を全否定したのが、パブリック・エネミーらヒップホップ、ナヴァーナらグランジ勢だ。
 そも、もっと遡れば、スウィング・ジャズを否定したジャズメンはビ・バップを生み、さらにモード、フリー・ジャズと発展していったように、新たなる潮流は、常に前時代の全否定から生まれる。ヌーヴェル・ヴァーグ然り、アメリカン・ニューシネマ然り。

 そうした全否定せざるを得ない精神の状態を、仮にロックと言おう。
 否定の結果、何かが出来上がるかもしれないが、その刹那、それはまた否定の対象になる。だから、ロックとは完成する事がない。ロックがどこか子供じみていて、ヒリヒリしているのは、そうした未熟性、いわば少年性による。世のいわゆる「ロックな人」が、どこか少年ぽいのもそのためだ。
「ロックは成熟にはなく、熟すまでの緊張にある」と、言ったのは大滝詠一だ。蓋(けだ)し名言。

 小林秀雄がロック臭いのは、ここにないか。小林秀雄は常に何かを否定している。批評家は否定するのが仕事と言われる事があるが、小林秀雄は、そんなイージーなものの考え方をこそ、真っ先に否定するだろう。批評とは結局のところ、理屈っぽい恋文だ、と言うやもしれぬ。
 世間一般が日和見的に考えることが、まず小林秀雄は気に入らない。いや、正確には世間ではなく、考えた風なことを言う似非インテリゲンチャが気に入らない。「逆説家」と呼ばれるのはそのせいだ。世に流布している一見尤もらしい考えがあるとして、小林秀雄は、まずその逆を言うからだ。



小林秀雄、逆説はいよいよ冴え本質を抉る珠玉の短編
あるいは、3分間のロックンロール、ベスト5



3.「パスカルの『パンセ』について」(新潮文庫『作家の顔』所収)

c0005419_4331580.jpgパスカルの「人間は考える葦である」とは、どいうことか。これは、「気の利いた洒落」ではない。
「或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一たまりないものだが、考える力がある、と受け取った。どちらにしても洒落を出ない。」じゃあ何か。
 この短編を読むと、クワッと覚醒せざるを得ない。高校生なら学校を辞めるかもしれない。会社員は、とりあえずキーボードを縦に持って、隣の人の頭を叩いてしまうかもしれない。危険だから読まない方がいい。



2.「徒然草」42年(新潮文庫『モオツァルト・無常といふ事』所収)

c0005419_4332820.jpg「徒然なる儘(まま)に、日ぐらし、硯(すずり)に向ひて、心に映り行くよしなしごとを、そこはかと無く書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ」。徒然草の名は、この有名な書き出しから、後人の思い付いたものとするのが通説だが、どうも思い付きはうま過ぎた様である。兼行の苦がい心が、洒落た名前の後に隠れた。一片の洒落もずい分いろいろなものを隠す。一枚の木の葉も、月を隠すに足りる様なものか。今更、名前の事なぞ言っても始まらぬが、徒然草という文章を、遠近法を誤らずに眺めるのは、思いの外の難事である所以に留意するのは良い事だと思う。
 書き出しを思わず全文書き取りしてしまったが、ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」ばりのイントロであろう。一撃必殺である。ちなみに全文、サビだけで出来ている。



1.「中庸」52年(新潮文庫『Xへの手紙・私小説論』所収)

c0005419_4334495.jpg「様々なる意匠」とともに、小林秀雄の根本的な考える態度が、ここに示されている。中庸とは孔子の言葉だが、「両端にある考え方の間に、正しい中間的真理があるというような、簡単な考えではな」い。「様々な種類の正しいと信じられた思想があり、その中で最上と判定するものを選ぶ事などが問題なのではない」。
 じゃあ何か。

by ichiro_ishikawa | 2006-10-05 04:48 | 文学 | Comments(3)  

プロの仕事

 

 90年代に入り、日本のロックがつまらなくなったように思えるのは、
「てめえが歳をとったから」というのが、いまや定説だ。
 そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。
 そこで興味深い仮説を展開してみんとす。

 つまらなくなったのは、自作自演が常識になったからである。

 基本的に、J-POPと称される90年代以降の日本のロックのマーケットは、若年層が主である。演者も購買層に近い方が人気も出るので、自ずと若手が増える。
 作られたものは、要は商品だという観点からすれば、これは、アイドル歌手の場合と同じだ。

 ただアイドル歌手、歌謡曲と異なるのは、BOφWY以降、メジャーシーンに普通に君臨するようになったJ-POPの連中は、ロックと称して自作自演を当たり前にするようになったことだ。
 実は落とし穴は、そこにあった。
 作詞ができて、作曲もできて、アレンジ能力に秀で、パフォーマンスが優れ、かつツラもいい、なんて人は稀有な存在だろう。10年にひとり出るかで出ないかだろう。
 前髪をあえてダサくたらして眼鏡かけてTシャツ着てうつむきながらディストーションギターを鳴らせば文学的という風潮がまかり通るようになり、ツラとパフォーマンスの敷居はぐんと低くなった。だが一番の問題は作詞作曲アレンジといった音楽的能力だ。
 ここだけはどう考えても低くていいはずはない。
 だがきゃつらはてめえでやろうとするのである。
 レベルは低くても自作自演だという事実の方が優先されるのか。それとも経費節減なのか。

 今のJ-POPより70-80sの歌謡曲が全体として優れているのは、作詞家・作曲家・編曲家・伴奏家(スタジオ・ミュージシャン)、ディレクター、プロデューサー、マネージャーと完全分業制が確立されており、各々が各々の職分に全精力を傾けることができたからに他ならない。各パートのレベルがきわめて高い。
結局それが行き過ぎて、ルーティーン化したために、商品の質も落ちてしまったのが80s後半だけれども、90年代以降の自作自演化の試みが、それらに増して成功しているとは思えない。どう贔屓目に見ても、詩は高校生の日記みたいなものが多いようだし、作曲グッズも、ソフトが進化して作り手の裾野が広がったとは言え、実際出てきているのはウンコばかりだ。
 


分業制によるすげえ日本の音楽ベスト5

4.「Tシャツに口紅」ラッツ&スター(81年)
作詞:松本隆  作曲:大瀧詠一  編曲:井上鑑

c0005419_1453572.jpg作家陣は言わずと知れたプロ中のプロ。唱うは、日本の黒人、鈴木雅之。プロ中のプロが、それぞれ、てめえの力の120%を出し切り、エヴァーグリーンの名曲が出来上がった。こういうのはかけ算だから、120松本%×120大瀧%×120井上%×120ラッツ%で、約200%。しかも元の数が100万だから、200万だ。単位は、すげえ。つまり200万すげえで、それでも4位だから、以降、どんだけすげえのが出てくるのか、っていう。


3.「あの娘に御用心」沢田研二(75年)
作詞:大瀧詠一 作曲:大瀧詠一 編曲:多羅尾伴内
キーボード:松任谷正隆 ギター:鈴木茂  ベース:細野晴臣 ドラムス:林立夫 テナー・サックス:稲垣次郎 コーラス:大滝詠一、 山下達郎

c0005419_1455371.jpg作詞作曲編曲が全部大滝詠一だから、分業制という括りから外れるようだが、大滝の歌を、ジュリーが歌うという奇跡を感じたい。なにはともあれ、演者陣が、すげえ。


2.「さよならは八月のララバイ」吉川晃司(19歳・85年)
作詞:売野雅勇 作曲:NOBODY 編曲:大村雅朗
ギター :今剛  ベース:奈良敏博 キーボード:富樫春生 サックス:矢口博康ほか

c0005419_1461313.jpgパリンパリン!というガラスの砕ける音がSEで、シンセがディディディディ鳴っていて、スネアドラムがパン!パン!というバリバリ80Sサウンドが全編を貫く。NOBODYはこのほか「モニカ」、「You Gotta Chance」、「にくまれそうなNEWフェイス」と、初期吉川のイメージを決定づけた、弾けたポップソングを連作した。また、プロ・売野の詩がすげえ。「二度ともう抱きしめてはあげられないのさ」とか、「泣かないでくれ サヨナラは八月のララバイ」とか、絶対出てこねえ。そうしたポップが、シャンパンのボトルをぶちまけながらNHKホールのステージを紅白歌合戦のトップバッターとして疾駆しては、後ろのトシちゃんを苦笑させ、ギターを燃やしては、次の河合奈保子のイントロをリピートさせて、なかなか歌に入らせない、そんな“若気のイカり肩”期の吉川のパフォーマンスに釣り合っている。ギターの今剛は宇多田ヒカルでも演っている名手。


1.「渚のカンパリソーダ」寺尾聡(81年)
作詞:松本隆 作曲:寺尾聰 編曲:井上鑑
ギター :今剛、松原正樹 キーボード :井上鑑ほか

c0005419_1462873.jpg「少しは愛してくれ 夏の風が照れちまうほどに 八月は出会う女(ひと)を 恋人に変えちまうよ」とか「カンパリのグラスを空けてしまおう 君に酔ってしまう前に」とか、すげえいい。日本のAORの金字塔。以下、バンバンバザールの富やんの文章を抜粋。

 バックには最強なスタジオミュージシャン達が結成した「パラシュート」が務め、パラシュートのキーボード、アレンジャーの井上鑑のアレンジで、打ち込み以前の最高に正確な生音で繰り広げられるセッションに乗って寺尾独特の低域のごく狭い音域で歌われる名曲の数々は本当に素晴らしい。(中略)1981年といえば僕は9歳、小学低学年だったが「ルビーの指輪」がヒットしたときのことを覚えていて、ザ・ベストテンの一位を長期間保持した為、専用のワインレッドのソファーを用意してもらったり、演奏の時のパラシュートの姿にしびれたりしたものだ。それをバックに寺尾聡は今思えばアイバニーズの12弦エレキを弾きながら低い声で唸っていた。(中略)寺尾聡のレイバンのサングラスとタバコの煙と、得意の「いきなり歌い始めからスキャット」で一気に僕は大人の世界を夢見るようになった。

by ichiro_ishikawa | 2006-09-29 01:57 | 音楽 | Comments(1)  

ロック、ロックとうるせえ文章

 10数年前、「rockin'on」で、増井修か山崎洋一郎が、「仕事でもプライベートでも色々な人と会って話をするが、ロックを通ってない人はダメだ、とはっきりした」というような意味のことを言っていて、すごく、腑に落ちたのを覚えている。これは、ロックを通っていない人はダメな人間だという意味ではなく、ロックを通っている人こそ素晴らしいということでも全くなく、ロックを通っている人といない人では、本質的なところで「没交渉である」という意味だ。
 例えば、写真家にここをこう撮ってほしい、または、デザイナーにこういうデザインで、あるいは、この曲はアリ、これはナシ、さらに、この店、服はアリ、それはナシ、あのギャグはOK、それはいただけない、歩く時は右足から、などなどあらゆる肝心なところで、ベクトルを異にしてしまう。とはいえ、社会という修羅場では、他者とのコミュニケーションへの屈強な意志が必要で、議論して何処かで折り合いをつけなければならない。それはそれで、スリリングで、それゆえ、高い跳躍が出来る場合も多いのだけれど、やはり、疲れてしまうのだろう。そしてこう漏らす。
 ロックを通っている人なら、理屈抜きに一発で分かり合えるのだが……と。

 ロックを通った人間というのは、お互いに、すぐわかる。性別、国籍、職業、左右を超え、ある1点において通ずる。その「通ずる」は、他の数多の相違点を凌駕する。彼らは赤の他人で、直接会う機会も今後ないとしても、ずっと通じ合っている。逆に、さまざまな点でウマが合い、常に寝食を共にするような間柄でも、その1点が共有されていないと、結局、哀しいかな、ディスコミュニケーションなのである。

 ロックを通っている人は、ロックを通っている人を敏感に察し、全幅の信頼を寄せる。
 モリッシー、マイケル・スタイプ、ボノ、エルヴィス・コステロなど、ミュージシャンは当然だが、小林秀雄、太宰治、中上健次、池田晶子、リリー・フランキー、渋谷陽一といった文学者、マーティン・スコシージ、レオス・カラックス、ヴィム・ヴェンダースなどのシネアストらには、直接ロックとは関係のないものの、へたなロック・ミュージシャンよりよほどロックを感じる。

 ロックを通っている、とはひどく曖昧で、言葉足らずのようだけれど、要するに、ロックにやられたことがある(やられている)ということだ。言葉の靄を晴らそうとしていよいよぼやけてしまったやもしれぬが、つまり(はたしてつまるかどうか)、ロックで生き方の根本を覆されてしまった、という経験だ。
 
 とは言え、それは、例えば、10代のころ、ディランでもストーンズでもいい、最近の人ならオエイシスでもヘディオレッドでもいい。その音楽にいたく衝撃を受け、学校を辞めた、盗んだバイクで走り出した、インドに進出した、コーランを耽読し始めた、お前がかじを取れ、まあ何でもいいが、なんらかの跳躍ある行為に及ぶ、と。そうしたアクションと、この「ロックを通る、ロックにやられる」とは、何ら関係がない。また、素直に高校を出て、大学に進み、中小企業に就職し、太いネクタイをボボボぶらさげて、住宅ローン、可愛い子供……といった大多数の人が及ぶ行為も、もちろん関係がない。

 もっと、内的なものである。

 僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何んの準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見つけたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えていなかった。而も、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学力なぞ殆ど問題ではないぐらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様にも思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ事件である。と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様に思われる。(小林秀雄「ランボオIII」)

 ロックの経験とは、こういうことだ。
 この経験がある人間とは、根本でつながる。

 福田和也がいいとは、前回書いた。その後、彼の『日本人の目玉』という日本の文学者たちを批評した本を読んで衝撃を受けた。
 『日本人の目玉』では、本人があとがきで、

高浜虚子と尾崎放哉の間で理論を、西田幾多郎と九鬼隆一の間で思考を、青山二郎と洲之内徹の間で美を、坂口安吾と三島由紀夫の間で構成を、川端康成において散文を問い、そして小林秀雄にたどり着いた。その点では、本書は、小林秀雄に至る旅であると云うことができる。

というように、小林秀雄を真っ正面から論じているのだが、本書を読み、「この人は、小林秀雄をすげえ分かっている」と確信した。小林秀雄を論じる人は多いが、結構、肝を外しているものだ。吉本隆明でさえ、ピンぼけなのである。「小林を乗り越えなければ」と言ってしまう時点で、小林を分かっていないということが露見してしまっている。

 かつて池田晶子を読み、魂を揺さぶられた。のち、彼女は「小林秀雄への手紙」を書くほど、小林に心酔していることが発覚した。ロックでつながっていると感じた瞬間であった。そして、今回、福田の眼力に共感したのち、「ダーフク、お前もか」だったわけである。

 『日本人の目玉』で、福田は、なんと小林秀雄を黒人ブルースに例えている。

 黒人音楽や、ミュージッシャンに接して、しばしば味わう、即物的としか言いようがないような、じかの手触り。その身も蓋もないような、直截な言い切りに、ほかでは味わう事の出来ない、それこそ掘り出したばかりの、鶴嘴の匂いがする岩塩を嘗めるような爽快さを感じるのだ。
 普通の名詞、動詞などを集めてつくった一節なのに、他の何にも用いきれない固有名詞のように響く。そう、まさしく優れた黒人ミュージッシャンは、固有名詞だけで語っているようだし、その音楽全体が固有名詞のようだ。
 優れたブルースマンの楽曲に触れると、その歌詞だけではなく、ギターの音色やアンプリファイアの調整までもが、何やらきわめて直截な、直接に自分の頭脳や身体を撫で、摩り、揺すぶってどこかに連れていくような感覚を味わう。この、直接さと、固有性はきわめて緊密な関係を持っている。
 彼等の言葉に「直接性」を見てしまう時に、私の感性や意識もまた彼等に働きかけているという事、どちらが、どちらに働きかけている等と考える事が無意味な近さで,じかに固有名詞のような感触が浮かび上がるという事だ。


 黒人音楽や、ミュージッシャン、優れたブルースマンに触れた感動を的確に表現していると同時に、小林秀雄の批評文の核心を突いている。黒人音楽や、ミュージッシャン、優れたブルースマンを、小林秀雄に置き換えてみると、まま小林秀雄評となっているのが分かる。
 なんと小林秀雄(1902-80)は、黒人ブルースマンだったことが発覚した。

 そんな福田和也が、その文章のシメで、こういうのだった。
 同時代のライバル、ザ・ビートルズが、黒人のコピーをやめ、オリジナル曲をやりだしたのだが、ザ・ローリング・ストーンズは。

 自分たちが楽曲を作るなどという事に思いもよらず、ただただアメリカの黒人たちが作り出した、多彩で濃くて楽観的で厭世的な曲を、苦労して集めた南部のいい加減なレーベルのレコードに耳を傾けながら、音を拾い、和音を探り、そのままに演奏していた。
 今でも僕は、オリジナル曲など演奏しなかった頃のストーンズが一番好きだし、ストーンズは本質的にコピーバンドだと考えている。


 だが、そのストーンズが、まんま黒人音楽をコピーしても、どうしても違う。
 ロックになってしまうのだ、という。

 何と言ったらいいのだろう、バンド全体が立ち上がり、今すぐ駆け出そうとするような躍動感と、どこにも行く事は出来ないという焦燥が一体になった感触。
 そのロックにしかないものを、仮に僕は、ビートと呼んでみる。
 リズムではない、ビートはいったい何から生じるのだろうか。
 おそらくビートは作る事からは生まれない。
 ビートは、見る事、最も近くで一心に見尽くす事からしか生まれないものだ。
 最も近く、鼻も額も擦り切れるような近さで見る事から生じない何か。
 見る事とは、対象をどうしようもなく変えてしまう事だ。対象を動かし、彼方へと、ここより遠い何処かへと、予測もつかない形で動かし、流してしまうという事だ。
 目玉を近づける、それが、ビートだ。叩く事、壊す事だ。
 批評の目玉は、見つめる対象を、叩き、壊し、そして流す。
 量子と宇宙を、見るものとの近さにおいて貫く一撃である。


 後半、興奮しすぎて論旨は破綻し、批評文が詩に転じてしまっている。
 だがその最後の3行の散文詩こそ、最も直接身体に訴えてくる。
 蛇足だが、ロック、ビート、批評、すべて、同じものをさす。

 小林秀雄はいう。

 花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。
 
 これは、「あれこれ観念をもてあそぶ前に、もっとよく見ろ」という意味だ。
 だから小林秀雄は、こうも言う。
 
 画家は目があるから見るのではない。目があるにもかかわらず見抜くのだ。

by ichiro_ishikawa | 2006-09-18 04:25 | 音楽 | Comments(2)  

夏に聴きたい夏のポップソング〜日本の夏編

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 20代の頃は、冬一辺倒だった。ロシア文学・映画、イギリス音楽に強く惹かれていて、凍てつくような北風、曇天、ペチカのぬくもり、キリッと引き締まった街の空気、クリスマス……。何と言っても思索にはもってこいの季節である。地下室に籠って「中長期的にぶっとばす奴リスト」を製作していた人間にとって、「冬こそ我が季節」だった。寒さ、暗さを愛でていた。
 そんな人間にとって、夏はバカの代名詞と映った。海だ、ドライブだ、サークルだ、コンパだと浮かれ騒ぐ同級生とは一線を画したかった。
 それがどうだ、今は。
 夏大好き! 海大好き、ドライブうきうき、テニスやりてえ、南米、南欧行きてえ! 寒くて暗えの、大嫌い、気持ち悪い!
 人間こうも変わるものかといぶかるが、そういや、中2まで俺は、あばれはっちゃくだった。逆に17〜29までの「暗黒時代」が、無理してしかめ面を作っていただけなのやもしれぬと、ひとりごちた。いや、下手な分析はするまい。「本当の自分」なんてものはない。そも「自分」なんてものはない。

 なにはともあれ、夏は、80sサウンドがよく似合う。



c0005419_17471352.jpgおまえにチェックイン
沢田研二

(シングル 1982年)
82年の夏、「赤道小町ドキッ!」などとともにTVからガンガン流れていたこのポップソングは、小5の夏の象徴、つまり夏のイメージだ。歌詞は意味を考えたこともなかったが、35の今思うと、タイトルなど至極秀逸だ。作曲は大沢誉志幸。



c0005419_17475498.jpg彼女はデリケート
NIAGARA TRIANGLE (佐野元春、杉真理、大滝詠一)

(『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』1982年)
大滝詠一のプロジェクト。この曲は佐野元春。「出発間際にヴェジタリアンの彼女は東京に残してきた恋人のことを思うわけだ。そう、空港ロビーのサンドイッチスタンドで。でも、彼女はデリケートな女だから、コーヒーミルの湯気のせいでサンフランシスコに行くのをやめるかもしれないね」という曲前の語りがいい。続く80sサウンド丸出しのイントロがじつに夏。80s=夏、ということをいま発見した。



c0005419_17481897.jpg夏祭り
長渕剛

(1981年)
長渕剛といえば冬。あるいは晩秋。だが初期のフォーク時代、80sは春夏のポップソングも作っている。吉田拓郎の影響色濃いこの曲はギターのクリーンなアルペジオの流麗さと透き通るような長渕の声が秀逸。本ベストテン中、唯一のマイナーキー曲。夏でも哀しい、長渕。



c0005419_17484154.jpg田舎道
はっぴいえんど

(『HAPPY END』1973年)
夏というわけではないが、グワッと行く感じが夏!




c0005419_2185699.jpgあつさのせい
大滝詠一

(『大滝詠一』1972年)
夏のグルーヴ、ここにあり。ここも参照。



c0005419_17492437.jpgANGEL
氷室京介

(シングル 1988年)
高2の夏、BOφWY解散〜大腸炎の手術を経て、完全に洋楽へシフト、地下室にこもらんとしていた最中、放たれた氷室のソロデビューシングル。このドスの効いた、ハスキーな声からは、一生逃れられない。



c0005419_17494454.jpg渚のはいから人魚
小泉今日子

(シングル 1984年)
キュートなヒップにズッキン!ドッキン! 夏まで待てないズッキン!ドッキン! 勢いってすげえ。




c0005419_1750489.jpg夏の扉
松田聖子

(シングル 1981年)
「ザベストテン」の申し子、松田聖子は曲は大好きだったけれど、本人自体にはさほど興味はなかった。だが35のいま聴くと、このブッリコ歌唱、すげえ可愛い。曲はもちろん、色あせず。



c0005419_17502183.jpgサヨナラは八月のララバイ
吉川晃司

(シングル 1984年)
吉川といえば夏。四国から東京湾までバタフライで上京してきて以来、とくに80sは、ドラムにエコーばりばり、チョッパーベースぺきぺき、英語風アクセントでの日本語歌唱(英語まじり)、完璧なポップを展開している。夏だ。爽快このうえない。この時期の、スタジオ・ミュージシャン、特にギターの今剛、アレンジャーの大村雅朗等の先鋭的なシンセサウンドをフィーチャーした音創りのプロフェッショナルな仕事ぶりはすごい。ちなみに吉川は今でもシンバルを蹴り上げている。

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「夜のヒットスタジオ」で。動きすぎてカメラが追いつかない。
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「ザベストテン」で。今はなき六本木のWAVEからの中継。当時、地下のCINE VIVANで特集上映されていたと思しきゴダールのパネルの前で熱唱。



c0005419_17503853.jpgめ組のひと
ラッツ&スター

(シングル 1983年)
お前のニュースで、ビーチは突然パニック。男たちの心を奪うたびにお前きれいになってくね。



c0005419_17505548.jpg渚のカンパリ・ソーダ
寺尾聰

(『Reflections』1981年)
いま俺がAOR、フュージョンブームなのを知っているだろうか。知る由もあるまい。20代の時分は反吐が出るほど嫌悪していたAOR、フュージョン。おっさん臭くバブルな感じ、“軽チャー”、“ニューアカ”みたいなキャッチ(いまならさしずめ、“チョイ悪”)やマガジンハウスの雑誌に象徴されるような勘違いなおシャレ感が、全然ロックでなく、気持ち悪かった。だが、今なぜ聴けるようになったかというと、ジャズを通過したからだ。演者たち、70-80sのスタジオミュージシャンは、大抵ダサイのだけど、音だけを見る限り、あのバカテクが「良い」と感じられるようになってきた。寺尾聰のこのアルバムは、あの「ルビーの指輪」を収録している大名盤。どれも名曲ぞろいだ。AORである。詳細は、バンバンバザールの富やんこと富永寛之氏(g)のコラム(2005年10月23日(日)大人)を読まれたし。それ以上のことは書けない。



c0005419_17511288.jpg夏のイメージ
バンバンバザール

(『十』2005年)
「夏だったのかなぁ」「君のいない夏」(ともに『4』1999年収録)という傑作に見られる如く、バンバンバザールには夏が似合うのだが、ついに松田聖子やラッツをしのぐ夏のポップソングを作り上げた。80s歌謡曲テイストのグッドメロディ。夏のポップソングの金字塔である。蛇足だが、俺を地下室から引きずり出したのは、バンバンバザールだ。

by ichiro_ishikawa | 2006-07-29 17:54 | 音楽 | Comments(3)