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吉川晃司私論2・今の吉川

 吉川晃司が「おもしれえ物体」として、いじられ始めた昨今。
 その最たる物、最終形と思われるのが、このPVだ。

「Juicy Jungle feat.吉川晃司」
Disco Twins (YouTube)

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 昔(84~96)、吉川は、普通にすげえカッコ良かったが、ワンセグでweb2.0な上、iTunes7.0な21世紀においては、「ベタなアクション歌手」として捉えられている節がある。
 手足をくねくね痙攣させたり、打点の高いローリングソバットで特設シンバルを蹴り上げたりといったステージング、「タ・テ・ト」→「ツァ・ツェ・ツォ」などの英語風日本語歌唱、「濡れたままの唇で Smack for good night」「エスプリックな眼差しに プリマドンナ夢中なのサ 」「最初からベイビー・イッツ・オーライ」「濡れたままの唇でジョーゼット」などの発語して気持ちいい優先の英語交じり歌詞、グラサンに派手なスーツといったルックス。90年代においてダサさの象徴だったこれらが、今は「笑い」の対象へと変じた。
 吉川は、笑い飛ばされるまでに、熟したということだ。
 悪くない。
 「それでも“ロック”な、吉川はすげえ」、との感嘆の念を禁じ得ない。
 ただ、上述した吉川の要素は、誰にも真似できねえ(したくないでも同じこと)ことだと気づくのは良い事だ。

by ichiro_ishikawa | 2006-11-09 14:48 | 音楽 | Comments(0)  

グレン・ティルブルック来日公演速報

グレン・ティルブルック来日公演
2006年10月14日(土)東京・南青山マンダラ

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 グレン・ティルブルックと言ったって、おそらく誰も知らないだろうし、スクイーズのギター&ヴォーカル、とその出自を説明したところで、そもスクイーズとは? ということになろう。
 これは本当に残念な事だ。グレン・ティルブルックが、スクイーズがあまり世に知られていないという事が残念なのではない。スクイーズとは?と愚鈍に訊いてしまう、その、スキだらけのあなたの人生が、残念でならない。

 グレン・ティルブルックは、元スクイーズのギター&ヴォーカル。
 スクイーズとは、78年に『Squeeze』でデビューしたイギリスのバンドで、音楽的には、ポール・マッカトニー寄りのザ・ビートルズ、ザ・キンクス、エルヴィス・コステロ、XTC、クラウデッド・ハウスに近い。伝統的な英国ギターポップに、ニューウェーヴのエスプリが利いた、知的な大人のポップバンドだ。
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      1982年のスクイーズ。中央がグレン・ティルブルック

 なんと言っても、クリス・ディフォードの作詞と、グレンの作曲によるソングライティング、そしてグレンのヴォーカルが秀逸なバンドだ。要するに、2枚看板で、これは、レノン&マッカートニー(ザ・ビートルズ)、ジャガー&リチャーズ(ザ・ローリング・ストーンズ)、レイ&デイヴのデイヴィス兄弟(ザ・キンクス)、モリッシー&マー(ザ・スミス)、アンダースン&バトラー(スウェード)、リアム&ノエルのギャラガー兄弟(オエイシス)と続く、英国2枚看板バンドの系譜に連なり、その中でも、トップクラス、つまり、レノン&マッカートニー(ザ・ビートルズ)に並ぶ、と言っても、イギリス人だったら「Definitely」、あるいは「Absolutely」と、うなずくはずだ。

 ただし、グレンは作曲とギター、ヴォーカルだから、作詞もするレノンやマッカートニー、レイとは違うし、基本的には歌唄いのジャガー、モリッシー、アンダースン、リアム、ギター弾きのリチャーズ、マー、ノエルとも異なる。
 そういう意味では、歌を歌ってメインギターも弾く、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(マニック・ストリート・プリーチャーズ)、ポール・ウェラー(ザ・ジャム〜スタイル・カウンシル〜ソロ)寄りだ。
 つまり簡単に言えば、シンガー・ソングライター寄りだ。とはいえ、詩を書かないから、正確には、「主義主調の無い、流しのミュージシャン」といった方がいい。

 そんなグレンが、東京に流しに来た、といった感じのギグだった。
 青山の「マンダラ」という渋いハコで、モンティ・パイソンを彷彿させる、英国ギャグ満載のマシンガントーク&アクションを随所に挟みながら、矢継ぎ早に曲を繰り出していく。40曲ぐらい演ったのではないか。
 自作曲以外では、ジミ・ヘンドリックス「Voodoo Chile」(物まね付き)、ザ・キンクスの「Sunny Afternoon」を轟かせた。驚きだ。

  グレンの魅力。
 声がすげえいい、歌がすげえうまい、ギターがすげえ良くて、すげえ上手い。「その声とそのギターの腕だったら、その1セットだけで一生食って行けるのでは?」と思ったが、「あ、実際、食ってるか」と、ひとりごちた、と言えば、分かるだろうか。
 そして、なにはともあれ、メロディが、おそろしく、いい。ポップなのだが決してベタではなく、シンプルで、少ーしだけひねった、微妙な音の連なりが、ゾクゾクッと来る。一聴して、「いい!」と思わせるわけではないが、ふとした時に「クワッ!」と来て、来たら最後、以後、ずーっと己が脳髄にこびりついて離れない、といった類いの、いいメロディだ。


この日、すげえ良かった曲、ベスト5(順不同)
Squeezeを聴いてみたい人は、ここで試聴されたし
(iTunes StoreでのiMix by ロックンロール・ブック)

1.「Up The Junction」
from Squeeze『Cool For Cats』(1979年)

c0005419_1423588.jpgスクイーズ中、ベスト3に入るナンバー。地味に淡々と進む中、最終的に、号泣している自分に気づくはず。



2.「King George Street」
from Squeeze『Cosi Fan Tutti Frutti』(1985年)

c0005419_143420.jpg今回は、一発目、ピアノ弾き語りで披露。『Cosi Fan Tutti Frutti』は、比較的地味な作品だが、静かな名曲が多い。



3.「By Your Side」
from Squeeze『Cosi Fan Tutti Frutti』(1985年)

c0005419_143420.jpgこれも「King George Street」と並び、静かな名曲。クワッとくる。



4.「Another Nail In My Heart」
from Squeeze『Argy Bargy』(1980年)

c0005419_1434387.jpgコステロばりのポップチューン。『Argy Bargy』は布袋と氷室の青春の1枚としても有名。




5.「Black Coffee In Bed」
from Squeeze『Sweets From A Stranger』(1982年)

c0005419_1441167.jpgオーディエンス参加型スクイーズの代表曲。
アンコール最後の曲として、我々はコーラスを担当。グレンがはじめにやり方を指示するも、オーディエンスはすでに知っている、言わずもがなという濃い空間がそこに。



6.「Hourglass」
from Squeeze『Babylon and On』(1987年)

c0005419_1445690.jpg早口でまくし立てる軽快なポップソング。レコードではエレキのギターソロをアコギで同じようにやった。




7.「If It's Love」
from Squeeze『Frank』(1989年)

c0005419_1453174.jpgスクイーズを代表する小粋なラブソング。クリス・ディフォードの詩がすげえ。オーディエンスがコーラスで参加。


8.「Tough Love」
from Squeeze『Babylon and On』(1987年)

c0005419_1445690.jpg隠れた名曲、ということを今回のギグで再発見した人は多いはず。



9.「Tempted」
from Squeeze『East Side Story』(1981年)

c0005419_148025.jpg世間的に最も有名と思われるスクイーズの代表曲。映画『リアリティ・バイツ』でウィノナ・ライダーとその友人がカーステから流れるこの曲に合わせて歌っているシーンは秀逸。レコードではポール・キャラックがヴォーカルで、グレンはサブだが、今回は、当然全部一人で歌った。


10.「I've Returned」
from Squeeze『Sweets From A Stranger』(1982年)

c0005419_1441167.jpgヴォーカルはじまりのナンバー。グレンの声は本当にすげえということがよく分かる。



11.「Jolly Comes Home」
12.「Some Fantastic Place」
13.「Third Rail」
from Squeeze『Some Fantastic Place』(1993年)

c0005419_2183543.jpg個人的な話で恐縮だが、93年のリリース時、ロンドンで買ったアルバムのナンバー。当時スクイーズがロンドン郊外でライブを演るというので、日本では絶対見られないだろうと、大枚はたいてわざわざ駆けつけたのだった。だが、半年後の94年2月。きゃつらは初来日を果たした。


14.「If I Didn't Love You」
from Squeeze『Argy Bargy』(1980年)

c0005419_1464292.jpgアルバム発売時、この曲が実はシングルカットされていたという事実は、スクイーズマニアの中でもあまり知られていない。地味なポップの中でもさらに地味なポップソングのこの曲がシングルつけ!


15.「Annie Get Your Gun」
from Squeeze「Annie Get Your Gun EP」(1978年)
スクイーズ最初期のナンバー。のっけから風刺が効いている。


16.「Take Me I'm Yours」
from Squeeze『Squeeze』(1978年)

c0005419_1461362.jpgスクイーズ最初期のナンバー。レコードはニューウェーブ色が強い。



17.「Untouchable」
18.「Neptune」
19.「Hostage」
from ソロ・アルバム『Transatlantic Ping Pong』(2006年)

c0005419_149487.jpgスクイーズに比べるとさらに地味になった印象があるが、相変わらずのグッドメロディーメイカーぷりを発揮。長く聴き続けられそうな大人のポップアルバム。


総評
スクイーズはアレンジも秀でているが、なんといってもヴォーカルとメロディがすげえので、この「グレン・ティルブルック流しライブ」で、その魅力のほとんどを味わえるし、逆にヴォーカルとメロディだけに特化している分、誤魔化しが効かないため、いよいよそのすごさが明るみに出たという次第だ。
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by ichiro_ishikawa | 2006-10-15 23:49 | 音楽 | Comments(0)  

吉川と俺

 驚いたのは、Complexのとき、吉川はまだ24だったということだ。
「モニカ」が18だから、そこから見れば、Complexは24だろうよと納得できるが、“今、てめえが35”、という観点からすると、「子供がComplexやってたのか」、との感は拭えない。早熟だな吉川は。

 というわけで、
 吉川と俺、歩みの比較年表
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考察:
●とにかく17歳からComplexまで、吉川と俺では、ものすごい開きがある。
 26〜27ぐらいで、ちょっと追いついた感はあるが、
 35の今、またぐっと引き離されたことは否めないし、否まない。
●紅白でギター燃やしたのは20歳だから、俺で言えば、大学1年。
 あのときの俺だったら、もし出てれば、やはり燃やしたやも知れぬ。
●だが、24でcomplexは、やれないな、さすがに。くどいようだが。
 しかも相手は布袋だ。「いや、僕歌えません、しかもヒムロックのあとでしょ、無理っす」とおろおろしたに違いない。
●ただ、35で『漂流街』をやる、というのは、よくわかる。
●余談だが、『とんぼ』の長渕(小川英二)は、今の俺の3つ下。これもすごい。

by ichiro_ishikawa | 2006-10-14 02:41 | 音楽 | Comments(1)  

プロの仕事

 

 90年代に入り、日本のロックがつまらなくなったように思えるのは、
「てめえが歳をとったから」というのが、いまや定説だ。
 そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。
 そこで興味深い仮説を展開してみんとす。

 つまらなくなったのは、自作自演が常識になったからである。

 基本的に、J-POPと称される90年代以降の日本のロックのマーケットは、若年層が主である。演者も購買層に近い方が人気も出るので、自ずと若手が増える。
 作られたものは、要は商品だという観点からすれば、これは、アイドル歌手の場合と同じだ。

 ただアイドル歌手、歌謡曲と異なるのは、BOφWY以降、メジャーシーンに普通に君臨するようになったJ-POPの連中は、ロックと称して自作自演を当たり前にするようになったことだ。
 実は落とし穴は、そこにあった。
 作詞ができて、作曲もできて、アレンジ能力に秀で、パフォーマンスが優れ、かつツラもいい、なんて人は稀有な存在だろう。10年にひとり出るかで出ないかだろう。
 前髪をあえてダサくたらして眼鏡かけてTシャツ着てうつむきながらディストーションギターを鳴らせば文学的という風潮がまかり通るようになり、ツラとパフォーマンスの敷居はぐんと低くなった。だが一番の問題は作詞作曲アレンジといった音楽的能力だ。
 ここだけはどう考えても低くていいはずはない。
 だがきゃつらはてめえでやろうとするのである。
 レベルは低くても自作自演だという事実の方が優先されるのか。それとも経費節減なのか。

 今のJ-POPより70-80sの歌謡曲が全体として優れているのは、作詞家・作曲家・編曲家・伴奏家(スタジオ・ミュージシャン)、ディレクター、プロデューサー、マネージャーと完全分業制が確立されており、各々が各々の職分に全精力を傾けることができたからに他ならない。各パートのレベルがきわめて高い。
結局それが行き過ぎて、ルーティーン化したために、商品の質も落ちてしまったのが80s後半だけれども、90年代以降の自作自演化の試みが、それらに増して成功しているとは思えない。どう贔屓目に見ても、詩は高校生の日記みたいなものが多いようだし、作曲グッズも、ソフトが進化して作り手の裾野が広がったとは言え、実際出てきているのはウンコばかりだ。
 


分業制によるすげえ日本の音楽ベスト5

4.「Tシャツに口紅」ラッツ&スター(81年)
作詞:松本隆  作曲:大瀧詠一  編曲:井上鑑

c0005419_1453572.jpg作家陣は言わずと知れたプロ中のプロ。唱うは、日本の黒人、鈴木雅之。プロ中のプロが、それぞれ、てめえの力の120%を出し切り、エヴァーグリーンの名曲が出来上がった。こういうのはかけ算だから、120松本%×120大瀧%×120井上%×120ラッツ%で、約200%。しかも元の数が100万だから、200万だ。単位は、すげえ。つまり200万すげえで、それでも4位だから、以降、どんだけすげえのが出てくるのか、っていう。


3.「あの娘に御用心」沢田研二(75年)
作詞:大瀧詠一 作曲:大瀧詠一 編曲:多羅尾伴内
キーボード:松任谷正隆 ギター:鈴木茂  ベース:細野晴臣 ドラムス:林立夫 テナー・サックス:稲垣次郎 コーラス:大滝詠一、 山下達郎

c0005419_1455371.jpg作詞作曲編曲が全部大滝詠一だから、分業制という括りから外れるようだが、大滝の歌を、ジュリーが歌うという奇跡を感じたい。なにはともあれ、演者陣が、すげえ。


2.「さよならは八月のララバイ」吉川晃司(19歳・85年)
作詞:売野雅勇 作曲:NOBODY 編曲:大村雅朗
ギター :今剛  ベース:奈良敏博 キーボード:富樫春生 サックス:矢口博康ほか

c0005419_1461313.jpgパリンパリン!というガラスの砕ける音がSEで、シンセがディディディディ鳴っていて、スネアドラムがパン!パン!というバリバリ80Sサウンドが全編を貫く。NOBODYはこのほか「モニカ」、「You Gotta Chance」、「にくまれそうなNEWフェイス」と、初期吉川のイメージを決定づけた、弾けたポップソングを連作した。また、プロ・売野の詩がすげえ。「二度ともう抱きしめてはあげられないのさ」とか、「泣かないでくれ サヨナラは八月のララバイ」とか、絶対出てこねえ。そうしたポップが、シャンパンのボトルをぶちまけながらNHKホールのステージを紅白歌合戦のトップバッターとして疾駆しては、後ろのトシちゃんを苦笑させ、ギターを燃やしては、次の河合奈保子のイントロをリピートさせて、なかなか歌に入らせない、そんな“若気のイカり肩”期の吉川のパフォーマンスに釣り合っている。ギターの今剛は宇多田ヒカルでも演っている名手。


1.「渚のカンパリソーダ」寺尾聡(81年)
作詞:松本隆 作曲:寺尾聰 編曲:井上鑑
ギター :今剛、松原正樹 キーボード :井上鑑ほか

c0005419_1462873.jpg「少しは愛してくれ 夏の風が照れちまうほどに 八月は出会う女(ひと)を 恋人に変えちまうよ」とか「カンパリのグラスを空けてしまおう 君に酔ってしまう前に」とか、すげえいい。日本のAORの金字塔。以下、バンバンバザールの富やんの文章を抜粋。

 バックには最強なスタジオミュージシャン達が結成した「パラシュート」が務め、パラシュートのキーボード、アレンジャーの井上鑑のアレンジで、打ち込み以前の最高に正確な生音で繰り広げられるセッションに乗って寺尾独特の低域のごく狭い音域で歌われる名曲の数々は本当に素晴らしい。(中略)1981年といえば僕は9歳、小学低学年だったが「ルビーの指輪」がヒットしたときのことを覚えていて、ザ・ベストテンの一位を長期間保持した為、専用のワインレッドのソファーを用意してもらったり、演奏の時のパラシュートの姿にしびれたりしたものだ。それをバックに寺尾聡は今思えばアイバニーズの12弦エレキを弾きながら低い声で唸っていた。(中略)寺尾聡のレイバンのサングラスとタバコの煙と、得意の「いきなり歌い始めからスキャット」で一気に僕は大人の世界を夢見るようになった。

by ichiro_ishikawa | 2006-09-29 01:57 | 音楽 | Comments(1)  

哀悼、ジーン・ピットニー

 往年の米ポップス歌手にしてソングライターのジーン・ピットニー Gene Pitneyが、4月5日、英国ツアー中にホテルで死去した。享年65。
 あまり話題になっていないようなので、この、50億人に開かれているネット上で、1日平均閲覧人数12人という、ささやかな場「ロックンロール・ブック」で大々的に取り上げて、こっそりと死を悼みたい。

c0005419_171921.jpg 1950年代末期〜60年代初頭のアメリカの音楽界では、歌手志望者はまず作曲家として音楽業界に食い込むという例がよく見られる。ピットニーも、音楽出版社に売り込んだ「Hello Mary Lou」が61年にリッキー・ネルソンによって取り上げられ全米No.1ヒットになり、音楽業界での足場を作った。そして、いよいよ自作の「Love My Life Away」で歌手としてデビュー(全米39位)。続く2作目のシングルが、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作、フィル・スペクター・プロデュースによる、“ジッジッ、ジニバッバッ”のコーラスが印象的な「Every Breath I Take」(全米42位)だ。
 そして、翌62年にピットニーは作曲家としてスペクターに「He's A Rebel」を提供。スペクターはクリスタルズでこの曲をレコーディングし、見事全米1位に輝く。
 この曲がとんでもないのであった。
 のち、バート・バカラックのプロデュースのもと、「(The Man Who Shot) Liberty Valance」により大スターの座を射止め、その後も、「Only Love Can Break A Heart」、「I'm Gonna Be Strong」、「It Hurts To Be In Love」といったヒット曲を次々と輩出した。
 
 なんといっても、ベスト・キャリーアは、「He's A Rebel」だ。 ここで、音は出せないので、詞を振り返るので、レコードに合わせて歌ってみよう。


He's A Rebel
The Crystals(1962)

※ただしクリスタルズは不参加、ヴォーカルはダーレン・ラヴ
Words & Lyrics by Gene Pitney


See the way he walks down the street ←このAメロ、すげえ
Watch the way he shuffles his feet
My, he holds his head up high ←このBメロ、すげえ
When he goes walking by
He's my guy

When he holds my hand I'm so proud
'Cause he's not just one of the crowd
My baby, oh he's the one
To try the things they've never done
Just because of that they say ←このBメロからの、サビへの緊張、すげえ

(CHORUS)
He's a rebel and he'll never ever be any good
He's a rebel and he'll never ever be understood  ←このサビ、すげえ
And just because he doesn't do what everybody else does
That's no reason why I can't give him all my love ←このブリッジ、すげえ
He is always good to me, always treats me tenderly ←この本サビ、すげえ
'Cause he's not a rebel, no no no
He's not a rebel, no no no, to me

(INSTRUMENTAL)

If they don't like him that way, they won't like me after today
I'll be standing right by his side, when they say

(CHORUS)
He's a rebel and he'll never ever be any good
He's a rebel 'cause he never ever does what he should
And just because he doesn't do what everybody else does
That's no reason why we can't share a love
He is always good to me, good to him I'll try to be
'Cause he's not a rebel, no no no
He's not a rebel, no no no, to me

(『Back to Mono (1958-1969) 』Phil Spectorに収録)
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日本語訳=俺
(歌詞中の「彼」=俺)

あたしの反逆者
水晶たち

ごらんよ、彼が道を歩く姿を
見てみな、彼が足をシャッフォする様を
あたしの彼は、ホールド・ヒズ・ヘッド・アップ・ハイ
歩いて行く時にね
ヒーズ・マイ・ガイ!

彼があたしの手を握ると、アイム・ソー・プラウド
だって彼はその辺の輩(やから)とは違うの
あたしのベイビー、ああ、彼こそ
彼奴(きゃつ)らが絶対にしないことをやってのける人
だからこそ彼奴らはこう言うんだけど

あいつは反逆者、ろくなもんじゃねえ
あいつは反逆者、理解できない
だってあいつは人と違うことばかりしでかすじゃないか
でも、それがあたしが彼に愛を捧げない理由にはならないじゃない
彼はいつだってあたしには良くしてくれる、優しくしてくれる
だって彼は反逆者なんかじゃない、じゃない、じゃない、じゃない、あたしにとってはね

もし彼奴らがそれゆえ彼を嫌いなら、彼奴らあたしを好きにはならない
あたしはずっと彼のそばにいるんだから。彼奴らは言う

あいつは反逆者、ろくなもんじゃねえ
あいつは反逆者、すべきことをしないから
だってあいつは人と違うことばかりしでかすじゃないか
でも、それがあたしらが愛を分かち合わない理由にはならないじゃない
彼はいつだってあたしには良くしてくれる、あたしだって彼にはそうするわ
だって彼は反逆者なんかじゃない、じゃない、じゃない、じゃない
彼は反逆者なんかじゃない、じゃない、じゃない、じゃない、あたしにとってはね

by ichiro_ishikawa | 2006-05-26 01:19 | 音楽 | Comments(0)  

カウントダウン・マガジン vol.3

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1950年代後半から60年代、アメリカではアトランティック、スタックスといったインディーレーベルによる黒人リズム&ブルーズが怒濤の勢いで発展を遂げていたが、その裏(というか一般的には表)では、ニューヨークのブリルビルディングで活動する職業ライター/プロデューサーによる白人ポップが隆盛を極めていた。
黒人リズム&ブルーズとロックンロール、そしてポップという3つの言葉は、それぞれ同じものを表している。というと乱暴のようだけれど、実際、そうであろう。グルーヴやソウルが際立っているのがリズム&ブルーズ、ギターの歪みが聞こえるのがロック、とにかくグッド・メロディなのがポップと、一応は括れるが、グルーヴがないロックはもはやロックでないし、リズム&ブルーズはポップだ。
なにはともあれ、今回のカウントダウンマガジンは、とにかく「グッド・メロディ!」なグッド・ミュージックをお届け。演者よりも、ソングライターチームをフィーチャーし、「3分間の奇跡」を独断でランキング! すげえいい曲のオンパレード!!  第1位にはなんとあの曲が!! レッツ・シング&ダンス、ダンス、ダンス・トゥー・ザ・ミュージック! ディッディリッディリ! ジニジニバッジーニジニバッ!


11.「Calendar Girl」
 Neil Sedaka

(1959 Sedaka / Greenfield)
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ニール・セダカとハワード・グリーンフィールド。ドキャッチーな、これぞポップソング。



10.「Save The Last Dance For Me」
 Ike & Tina Turner / The Drifters

(1966 Pomus / Shuman)
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ドク・ポーマスとモート・シューマン。特にドリフターズ・バージョンがいい。歌詞もすげえいい。たまには歌詞にも触れようと思ったが、歌詞に触れると言うことは文学批評になってしまうから無闇に自分を痛みつけないために止めとく。



9.「I Can't Stay Mad At You」
 Skeeter Davis

(1963 Goffin / King)
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キャロル・キングとジェリー・ゴフィン。ダンドゥビダダンダン♪のイントロコーラスからして、すでにすげえ。



8.「Da Doo Ron Ron」
 The Crystals

(1963 Barry / Greenwich / Spector)
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ジェフ・バリーとアーニー・グリーンウィッチ。こんなすげえポップソング見たことも聞いたこともねえ。



7.「It Might As Well Rain Until September」
 Carole King

(1962 Goffin / King)
これは本当にいい曲だ。というのが、4回ぐらい聞くといよいよ分かってくる。すげえ曲。キャロル・キング自身が歌っている。


6.「Every Breath I Take」
 Gene Pitney

(1961 Goffin / King)
ジッジッ、ジニバッバッ!のコーラスは大滝詠一「君に夢中」の元ネタか。すげえいいコーラスワーク。サビに向かって上がっていく感じ、すげえいい。


5.「Who Put The Bomp (In The Bomp, Bomp, Bomp)」
 Barry Mann

(1959 Mann / Goffin)
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バリー・マンとシンシア・ウェイル(バリー・マンが自分で歌ったこの曲だけ相棒のシンシアでなくジェリー・ゴフィンが作詞)。ラマラマディンドン!とか、ディッディリッディリ!とか、バンパパバン!とか、擬音を美メロに乗せてウキウキやってる感じ、すげえいい。



4.「One Fine Day」
 The Chiffons

(1963 Goffin / King)
明るく素敵なメロディ。元気が出てくる。


3.「Will You Love Me Tomorrow」
 The Shirelles

(1959 Goffin / King)
不朽の名曲。キャロル・キング自身が後にセルフ・カバーするが、このシレルズの明るいオルジナルがやっぱりすげえいい。こうしてみると、どうやら俺はゴフィン&キングがいちばん好みのようだ。


2.「He's A Rebel」
 The Crystals

(1962 Gene Pitney)
とにかくとんでもないメロディ。1音も無駄のない完璧なポップ・ソング。ボーカルのダーレン・ラブ、すげえいい。作曲はジーン・ピットニー。


1.「Be My Baby」
 The Ronettes

(1963 Barry / Greenwich / Spector)
c0005419_21343169.jpg写真はフィル“バック・トゥ・モノ”スペクター

by ichiro_ishikawa | 2006-03-28 20:57 | 音楽 | Comments(2)  

ポップミュージック・クラシック

ビートルズ前夜  
ブリル・ビルディング・ポップ 1958−64

ソウルの底にはポップがあった

 昨年、ピーター・バラカンの『魂(ソウル)のゆくえ』を再読したことがきっかけで、ソウル(ブラック)・ミュージックをもう一度きちんと丁寧に歩いてみようと、その歴史を繙いていったとき、2つのことに思い当たった。
 ひとつは、ソウルのルーツはブルース〜R&B/R&R、そしてゴスペルにあると同時に、ソウルには、ポップという恐ろしく強い力が通底していると感じたこと。
 2つ目は、コースターズ、ザ・ドリフターズのようなソウル以前のポップ化したR&Bには黒幕がいる。ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーという作詞作曲/プロデューサーチームの存在の力を思い知ったということ。

 白人音楽を中心とするポピュラー・ミュージックは、常に黒人音楽を盗用/吸収しながら発展していったことは周知の事実で、ことロックに言及するときブルーズ、R&Bをそのルーツとすることは多い。だが、ポップスは意外と看過される。ブラック・ミュージックはいつも尊敬の的であるが、ポップの偉大さにも同時に打ちのめされているこの衝動をどうしてくれようというのが、本稿の主旨だ。

50sポップシーン

 普通、「古き良き時代のアメリカ」という時、それは、第二次世界大戦での勝利を経て、物質面での生活がグワッと向上した1950年代のディケイドを指す。音楽の世界においては、ポップ大隆盛の時代だった。えてして生活が充実すると、享楽に走る。内省は陰を潜める。時代を反映しがちなポピュラー音楽にあって、こと50年代当時の音楽は、その享楽を貪って生まれたとも言える。
 だがパーティーがそんなに長続きしないことは今も昔も変わらない。不満分子というやつはそんななか、現れる。
 50年代半ばに来て、腑抜けたパーティミュージックに飽き飽きしていた不良たちが、続々表舞台に文字どおり躍り出て来た。
 メジャーシーンにおいて、エルヴィス・プレスリー、エディ・コクラン、バディ・ホリーといった白人の不良たちがビートを強化させ、リトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらブラックグルーヴを爆発させた。
 ロックンロールの誕生だが、徴兵制度やら飛行機事故やらペイオラ疑惑やらで一度、ロックンロールは社会につぶされる。
 その間隙を縫って現れたのがブリル・ビルディングのポップだ。ロックンロールの嵐が去ったその土壌で、ティン・パン・アレーを中心とするポップスが巻き返しをはかる。その時、ポップスの職業作家たちは、ニューヨークのブリル・ビルディングという音楽出版社がひしめくビルの中(および周辺)で、ひたすら曲作りに勤しんでいた。ブリル・ビル・ポッブとはそこで作り上げられた音楽の総称/俗称である。
 ここで重要なのは、ロックンロールの嵐が去った後もその鋭角なナイフは若者たちの心にグサッと刺さったままだったということで、彼ら職業作家たちは、そんなリスナーと同世代の若者で、ロックンロールの魔法に憑かれてしまった人間たちであった。つまり、そこで量産されたブリル・ビル・ポッブとは、メロディーとハーモニーの強化を図った、ロックンロールの別の形だった。
 つまり、このブリル・ビル・ポップの音楽について何かいうとき、それがエルヴィス・プレスリーを筆頭とするロックンロール・ミュージックが爆発した直後に量産されたという時期的なものについて意識的でなければ大事な部分を見落としてしまう。

60s、ロック夜明け前にポップあり

 ポップスとは、職業作家たちが曲を量産し、適当な可愛い子ちゃん歌手などのアイドルをマリオネットとして唄わせるもので、それをロックがぶち壊した、という図式は非常に分かりやすい。つまりポップスのアンチとして、日本においてもベストテンなど歌番組主導の歌謡曲へのアンチとして、ロックが花開いたという説明がある。だがそれはとんだお門違いだ。
 ポップの重要性に注意するのは良いことだ。ジョン・レノンはビートルズとしてアメリカを初めて訪れた時に、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンという同世代のソングライターチームを表敬訪問したというエピソードから分かるように、アメリカのR&Bがそうであるとまったく同じ位相で、アメリカのポップスは、実は、60年代に花開くロックンローラー全員の尊敬の的だった。50年代前半から巻き起こり一度は死んだロックンロールが一過性のものに終わらなかったのは、そのエモーション、アティテュードをポップが受け継いだことにあった。彼らソングライターは職業作家の体で語られることが多いが、それはキャロル・キングやニール・セダカが代表するように彼らは同時にパフォーマーでもあったのだが、たまたまてめえが自演するよりもアイドルに唄わせたものの方が「ヒット」したというだけだ。50年代に勃興したロックは、彼らによるポップという洗練をへて60年代に花開くのである。
 勢いで突っ走り爆発したロックンロールが、西洋音楽の教養と若いエネルギーを兼ね備えた若者たちによってメロディの質を飛躍的に高めた。ブルーズにおける個(私)の発露と、ガリッと弾くギターの生の手触り、R&Bの強力なリズム、そしてポップスのメロディ、そうしたものを大西洋の彼岸でしっかりと吸収した上で、爆発したのがビートルズ、キンクスを始めとするブリティッシュ・ロック・グループであった。

 というわけで、黄金のアメリカンポップスを確立させた彼ら若きソングライターたちの偉業を辿ってみたい。生誕年にも注目。ちなみにエルヴィス・プレスリーが1935年、ジョン・レノンが1940年。

■ジェリー・リーバー(1933生まれ)&マイク・ストーラー(1933生まれ)
c0005419_12311843.jpg作詞作曲家/プロデューサー・チーム。コースターズ、ドリフターズを輩出した黒人音楽マニアの白人2人組。フィル・スペクターの師匠にあたる。ブラックのゴリッとしたテイストはそのままに、メロディをよりキャッチーに、サウンドデザインをキッチュに深化させたといえる。(写真中央はキング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Hound Dog」Elvis Presley(1956)
♪「Jailhouse Rock」Elvis Presley(1957)
♪「Love Me」Elvis Presley(1957)
♪「Don't」Elvis Presley(1958)
♪「Love Potion No. 9」The Clovers(1959)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)


■フィル・スペクター(1940生まれ)
c0005419_12321030.jpg作詞作曲家/プロデューサー。音を重ねまくり、エコーを多用し、奥行きのある独特のモノラル・サウンドデザインを確立させた。ガ−ル・グル−プを見る眼あり。だが身長160cm。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「He's A Rebel」The Crystals(プロデュース。作曲はGene Pitney)(1962)
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ニール・セダカ(19390生まれ)&ハワード・グリーンフィールド(1939生まれ)
c0005419_12323325.jpgアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。ニール・セダカはパフォーマーとしても優れ、アイドル的存在だった。ド・キャッチーなメロディは秀逸。(写真はニール・セダカ)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Stupid Cupid」Connie Francis(1958)
♪「Oh! Carol」Neil Sedaka(1959)
♪「Calendar Girl」Neil Sedaka(1960)
♪「Where The Boys Are」Connie Francis(1961)
♪「Breaking Up Is Hard To Do」Neil Sedaka(1962)

■ジェリー・ゴフィン(1940生まれ)&キャロル・キング(1942生まれ)
c0005419_1233115.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。キャロル・キングは71年の名作『タペストリー』の存在感の大きさから、70年代のシンガー・ソングライターとして見られることが多いけれど、ビートルズ以前の偉大なるメロディメイカー。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Will You Love Me Tomorrow」The Shirelles(1960)
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「The Loco-Motion」Little Eva(1962)
♪「Up On The Roof」The Drifters(1962)
♪「One Fine Day」The Chiffons(1963)
♪「I Can't Stay Mad At You」Skeeter Davis(1963)

■バリー・マン(1939生まれ)&シンシア・ウェイル(1937生まれ)
c0005419_12332720.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ややマイナーコードのメロディがいい。(写真の白いワンピースはキャロル・キング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Uptown」The Crystals(1962)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)
♪「Unchained Melody」The Righteous Brothers(1965)
♪「Who Put The Bomp (In The Bomp, Bomp, Bomp)」Barry Mann(1961)

■ジェフ・バリー(1939生まれ)&エリー・グリーンウィッチ(1942生まれ)
c0005419_1233504.gifトリオ・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ポップ職人とは彼らをいう。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ドック・ポーマス(1925生まれ)&モート・シューマン(1936生まれ)
ヒル&レインジ所属の作詞作曲家チーム。徴兵から帰還後のエルヴィスを支えた。「Save The Last Dance For Me」などR&B要素が濃い。やや大人びたサウンドが特徴。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Surrender」Elvis Presley(1961)
♪「(Marie's The Name) His Latest Flame」Elvis Presley(1961)
♪「Save The Last Dance For Me」The Drifters(1966)

■オーティス・ブラックウェル(1931生まれ)
作詞作曲家。初期エルヴィスを形作ったといっても過言ではない、本稿唯一の黒人。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Don't Be Cruel」Elvis Presley(1956)
♪「All Shook Up」Elvis Presley(1957)
♪「Return To Sender」Elvis Presley(1962)

 これらブリル・ビルディング・ポップを聴いていて思うのは、黎明期のロックンロールよりメロディとアレンジが洗練され、曲自体は初期ビートルズと変わらないということ。『ア・ハード・デイズ・ナイト』ぐらいから、ビートルズは独自の進化を辿ることになるが、同じポップなメロディでも、アメリカン・ポップはやはりカラッと明るいのに対し、イギリスものはやはり陰というかうすらひねった感じがある。日本においてイギリスの歌ものがヒットしやすいのは、やはり同じ島国気質によるのだろうか。アメリカの移民気質、大陸気質のザクッとした感じはイギリス人や日本人にはなかなか出せない。アメリカン・ロックは偉大だと思う瞬間だ。
 また、当時は45回転のシングル盤が主流だったため、1曲の中で悠長に曲を展開している時間はなく、イントロ一発でリスナーを掴み、かつ飽きさせないことが必須であった。そのため、溢れるほどのさまざまな音楽的アイディアが1曲の中にぎっしりと詰まっている。1曲のパワーが強大なのはそうした事由にもよる。

 追伸的にいえば、当時のアメリカンポップスの隆盛は、日本における70年代後半から80年代前半にかけてのポップシーンに似ている。それ以前の優れたミュージシャンたち、主に、大滝詠一、松本隆、細野晴臣らはっぴいえんどの面々を始めとするロックアーティストたちが一斉にアイドルたちに曲を書き始め、画期的なポップソングを生み出した。とすると、やはり20年遅れでアメリカを追う日本という構図が真実味を帯びてくる。さしずめ今なら1985年。アメリカではヒップホップが勃興し隆盛を極めていた時代だった。同じくアメリカを「偉大なる他者」とするイギリスは、鋭い批評性でもって独自の動きを作り出すのとは非常に異なる。

by ichiro_ishikawa | 2005-03-23 15:37 | 音楽 | Comments(0)  

『The Brill Building Sounds』到着!!

 都内中古CDショップ、amazonを始めとするウェブ店をしらみつぶしに回ってもまったく入手できなかった、1958〜64年のアメリカン・ポップ・ミュージックを網羅した伝説の4枚組BOX『The Brill Building Sounds』をアメリカのamazonでやっと見つけ、先日アメリカ大陸を横断、大平洋を越えてアジアの片隅まで届かせた。
 c0005419_0305721.gifこれで、ロックンロールが死んだ'59年とビートルズがアメリカを制覇した'64年の間の空白を埋める、ポップミュージック史上類い稀に見る黄金の季節が、いよいよ明らかになる!
 ポップ・ミュージックを俯瞰しながらかつ同時に細部に食い込まんとするロックンロールブックでの「音楽の旅編」のハイライトのひとつとなるであろう、「ポップ・ミュージック・クラシック特集」がおそらく3月中には繰り広げられることになろう。
 まずはこの4枚組全74曲を、フィル・スペクターBOX『Back to MONO 1958-1969』と並行してグワッグワッと聴き倒し(ダンスせざるを得ない)、ロックにおけるメロディの位置、ビートルズがあのように生まれた背景、大滝詠一や山下達郎のポップネスの噛み締め方、その他もろもろの想念が、自ずと我が1つの脳髄を駆け巡ることになるだろうと踏んでいる。

by ichiro_ishikawa | 2005-03-10 00:33 | 音楽 | Comments(1)  

ポップとは

 10〜20代というのはとにかく得体の知れない不満をなかば故意に燃やし続ける季節だというのは、誰にも当てはまるとは限らないが、自分はまぎれもなくそうであった。
 それは、えてして、すべて逆にいくという極めて幼稚なレベルで始まる。
 明るく前向きに声が大きくという社会的に理想的な人物像があるとしたら、とにかく暗く後ろ向きでぼそぼそとマーマー(つぶやく)ことを良しとした。テレビをはじめとする大メディアから漏れ聞こえるすべてをシャットアウトし、社交界を蔑視し独り地下室で死んだ人とのみ交わった。音楽や映画に関しても、大国アメリカ的なるものに背を向けることから始まり、イギリスのインディー・ミュージックやヨーロッパのカルト作品に耽溺した。
 30代に突入し、てめえのそれまでの人生を人並みに俯瞰できる目を獲得したとき、それらがいかにカッコ悪いか、が分かった。
 否定も肯定も、どちらにしても同じことだった。

 大滝詠一が33歳で音楽史上類い稀なる大ポップアルバム『ロング・バケイション』を作ったというのは、興味深いことだ。いうまでもなく大滝は、20代でそれまでの歌謡ポップ界を全否定して、はっぴいえんどで活動し、不滅のロックアルバム『風街ろまん』を作った人間だ。以後も自身のレーベルを立ち上げたり、おのが表現欲求に忠実な活動をしつこく続けた。そこから『ロング・バケイション』への跳躍、その歩幅が気になるのである。
 『ロング・バケイション』は大ベストセラーになり、大滝の代名詞と化した。親しみやすいメロディーと穏やかなボーカル、これぞポップ・ミュージックの核心をズバッとついた見事な傑作である。その奥に広がる実に深遠な世界、というのは確かに存在するけれど、とりあえずどうでもいいことだ。その表面の響き、そこがなぜかくもポップでなければならなかったか。それはやはり、大衆とのコミュニケーション欲求であった。てめえが独りもんもんと地下室で実験していたことが大衆とどう交わるのか、どう響くのか、どう揺り動かすのか、大滝はこれを試した、試さざるを得なかった。
 アホは天才の言う事を理解できない。天才にはアホの言うことなどまさにアホらしく、凡人の考えなど退屈でしかない。凡人はアホを蔑視し、天才を不必要に畏怖する。そんな彼らに共通に響くあるものとは何か。
 否定も肯定もつまらない。スタイルというものがどうも信用できない。そうしたもの超えた、どんなところからも遠く離れながらどこにでもいるという状態、こうしたものに、強く惹かれた。
 大滝は自分の中のアホと天才、そして最も多くを占める凡才、それらすべてを満たしうる創造を行った。『ロング・バケイション』はその結晶である。

 ジャケットを飾り、曲を大音量で聴き、ともに歌い、奏でる。歌詞(松本隆がその多くを手掛ける)を全文書き取りし、コード進行やメロディを分析し、バックグラウンドとなったであろう、フィル・スペクターなどのアメリカンポップス、ビートルズ、ビーチ・ボーイズなどのロック、プレスリーのセクシャリティ、アメリカン・ルーツミュージックといった音楽たちをことごとく参照する。そうやって、今、この『ロング・バケイション』という普遍に身を投じている次第だ。
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             『A LONG VACATION』大滝詠一

by ichiro_ishikawa | 2005-01-12 20:48 | 音楽 | Comments(6)