外国の音楽を聴いてると、こりや日本とは全然違ふな、と思ふ。
昔はさうではなかつた。自分の上の世代ーー外国の音楽を明らかに異国の文化として摂取したり、演者はそれを内面化するために格闘したりして居た、さういふ先人とは異なり、70年代生まれの我(々)は、外国の音楽もすでに普通に日本に土着化してるもの、として聴いて居た。つまり他者感はなかつた。
若い時分は、パンにコーヒー、ハンバーグステーキやカレーライスやスパゲッティを好んで食べてきた。パンやコーヒーを他者と思つたことはなかつた。
一方、たとへば戦前生まれの父は、ハンバーガーのことをパンと呼び、上述のものは、外国のもの、といふ意識が強かつたやうだ。当時は深く考へたこともなかつたが、今、思ひ起こすと、さう思ふ。
しかし、そんな70sの子供たちも齢50を超え、改めて外国の音楽を聴くと、ものすげえ他者だな、と違和感を覚えるやうになつてきたわけだ。この変化は興味深い。
家に入るときに靴を脱ぐとか、糠床とか、床間とか縁側とか、季語とか、さういふものに敏感になつてゐる。食は一汁一菜、味噌汁とお新香にご飯が定番となつて来た。
要は日本の生活や自然といふものに敏感になり、そこから生まれざるを得なかつた思想といつては大袈裟だが、言葉、ものの発想、捉へ方や考へ方、といつた、当たり前に備はつてゐるものを対象化して、掘り下げて考へるやうになつて居る。
そんな中、急速に増えて来た外国人旅行者の行動や会話を観察するにつけ、ちよつとした仕草から人と向き合ふ角度など何から何まで日本人とは違ふ、といふことに気づくことになる。肉にフォークをぶつ刺し、ナイフでザクザク切り刻んでゆく。靴で家に入り、なんならそのままベッドに寝転ぶ。日本とそれ以外では、こんなにも違ふものか。
さうした差異にいまさら驚きながら、毎日ダブを聴いて居る。ジャマイカ、カリブ、中南米。欧米以上に日本とは徹底的に異質な遠い異国。この辺はさらにヨーロッパやアフリカも混じつて居て、同じ人間とは思へないほど、異質だ。
ランボオから始まつた小林秀雄が最後に本居宣長にいつたやうに、多くの人間は、最終的に母国を見つめ直す。自分も実際にさうなりつつあり、この説はリアルだ。
その見つめ直しは、圧倒的他者の他者感の衝撃をもつて一層その質は高まるやうな気がする。
ので、日本とは何から何まで違ふジャマイカの音楽に思ひを馳せながら、靴を脱いで家に入る。
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