エセー「俺と十字架」


 一切過去を振り返らないタチの俺だが、先日珍しく、己が日記をひも解いてみた。1993年から実に16年もつけている。2004年に始めたこのロックンロール・ブックは、公にさらす事を前提にしたためプライベーツな日記は控えてきたが(最近近いものを書いてしまっているがな)、誰にも見せない事を前提に書かれた1993-2004年は、バリバリ内臓をさらけ出している。通常、書くという理性的な行為に処しては、多かれ少なかれ、無意識のうちに飾ってしまうものだし、本当に本当の事は実は書けないものだが、書いている、俺は。さらに、書く、というのは基本的に暗い作業だから、ものされているものは大抵、喜怒哀楽の怒と哀。特に哀。哀、哀、哀。俺のイニシァルはiiで、まさに俺は哀・戦士であることが分かる。悲劇のヒーローに浸っているわけではなく、本当に哀しい人間だな、こいつは、という感を拭えない。惨めだ。しかも、普通、そういうものは時が経つとこっぱずかしくてとても読めた代物ではないのが常だが、俺の場合は、16歳から精神が全く変わっていないため、読めてしまうのだった。
 22歳のときと全く同じ絶望を38歳の俺が感じているという事実。人って成長しねえな。まあ、人っつうか俺な。相変わらず車の免許もないしな。子供だな。道路の真ん中走った事ないもんな。原チャリ時代は左肩を走っていたしな。
 とはいえ、1997年深夜、モッズだった俺は愛車ベスパで調子に乗って二車線の真ん中をぶった切って十字路を右折しようとしたら、真ん前に白バイが立っていたので、まずヘルメットをかぶっている事を確認し、スピードに注意しながらゆっくりと、白バイ野郎に軽い微笑を投げかけるほどの余裕で、俺は右折した。数メートル進むと白バイのサイレンがなり響く。メット、スピート問題なしの俺はどこかの馬鹿がなんかやったなとニヒルに哀れみの笑みを浮かべたのもつかの間、サイレンの矛先はこの俺だった。白バイ曰く、一反直進して向こうに渡ってから、降りて、横断歩道を渡って、当初の右側へまたスタートという、二段階右折というやつをしなければならなかったらしい。そんなの知らねえ。しかもその時、俺は無免許だった。更新し忘れていたのだった。しかも1年半もだ。白バイは俺の免許を見て言った。「半年も過ぎているじゃねえか…ん?、あれ?…、おい、1年半か!?」。「So What ?」と吐き捨てながらも、白バイの指示通り従順に俺はベスパを引きながら歩いて碑文谷警察まで行き、調書を取られ、終電はとっく無い深夜、そのベスパで帰れるわけもなく、署で泣きながら一夜を明かした。せめてカツ丼をよこせ! 後日、再び碑文谷警察にほのぼのレイクで借りた5万円で罰金を払いに行き、かつ免許剥奪を宣告されたのだった。さらにその1週間後、再び深夜、暴風雨の中、ままよと、無免許でベスパをかっ飛ばし、大日本印刷にゲラを戻しに行った時、翌日カゼッタベルキの家賃を払うためたまたま財布に入れていた大金7万7千円を財布ごと落とした。7月7日のことだった。こんなラッキーナンバーのWゾロ目も俺の前では哀しい数字と化す。
 その他、バイク盗難悲劇序章・本編・エピローグ、深夜カップ麺の恐怖や、家の鍵消失事件Part1 & 2、テキサス自転車のチェーン鍵マサカなど、不幸な事変が俺には次々と襲いかかっている。かつ、言わずもがな、基本、ドタマと腹がうすらいてえし。まあ、いい事もたくさんあったのだろうが、いい時は文を書かないから、俺の日記は不幸の歴史なわけだ。全部焼いちまおう。

by ichiro_ishikawa | 2009-11-24 23:18 | 文学 | Comments(5)  

Commented by he get at 2009-11-25 09:17 x
さらば青春の光。
Commented by ブラザーヤス at 2009-11-25 11:51 x
いいかげんその脚色やめたほうがいい。
その原チャ取りに行ったの俺じゃねえかよ!!
Commented by ヒカワーヤス at 2009-11-25 12:24 x
あの頃はお世話になりました。
Commented by ichiro_ishikawa at 2009-11-25 16:52
以前の鬱シリーズ含め、ここで書かれていることは全部実話ベースのフィクションと承知しておくのは良いことだ。文中の「俺」も果たして俺かっていう。
Commented by ichiro_ishikawa at 2009-11-25 20:30
偉大な写真家にも恩はかいさねばなるまい
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