エセー「耳を澄ませ」

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負けない技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」

 この本がいい。講談社プラスアルファ新書だ。文学ではない。非常にライトな実用書というか、ちまたでもてはやされそうな処世術指南書だ。だが、これは、内容がいい。
 著者は、男なら誰もが知る雀鬼・桜井章一。裏麻雀の世界で無敗を誇った男だが、麻雀の事は書かれてはいない。では何が明かされているかというと、ズバリ無私と中庸の精神、だ。小林秀雄の核を、うんと実地に引っ張って、極めて簡単に書いている。著者は言う、俺は簡単な事しか分からない、簡単な事ほど難しいという人もいるが、ここでいう簡単とはただ簡単なことだ。簡単な事をシンプルにやる。それだけだ。(注:原文notママ)
 以下、つらつらと要点を俺の言葉で抜粋的に書き連ねてみる。

 「勝ちたい」というのは満足の渇望で、それは欲望と同じで限度がない。「負けない」というのは満足ではなく納得だ。「勝ち」だけを欲する人は「得る」ばかりを求めるが、自然の摂理に則れば、得たものは失う定めにある。寄せる波はやがて引く。「得る」一辺倒より、「得て捨てる」というバランスの取れた生き方がいい。
 というと、後ろ向き、諦念、のように見受けられるやも知れぬがそうではない。「勝ちたい」は厚化粧、「負けない」はすっぴん。究極の攻めだ。化粧をして奇麗な人であるより、スッピンが奇麗な方がいいに決まっている。
 「守り」ということについても、ひと味違う。守りとは「逃げ」ではなく、「受け」だという。何でも面白く受け入れる。逃げでは、攻めに入るときに立て直しが必要だが、受けていれば、その反動をそのまま攻めに転じられる。瞬時にそのまま攻められる。
 片付ける、という言葉は勝負の世界で勝つ事を意味するが、普段から、物事をさっさと片付けていく事だという。そのためには、間に合わせる、済ませるということを習慣にしていなければならない。必要な事だけを考え、シンプルに実行していく事が必要だ。
 また、平常心を大切にする事が大事だという。それは動じない心ではなく、日常を大切にする事だと。そんな当たり前の気持ちこそが平常心で、準備・実行・後始末、を当たり前にこなしていく。
 得意・不得意も、「流れ」として考える、などというのは、特に雀鬼らしい考え方だ。得意なことや不得意な事があるのではなく、いい流れと悪い流れがある、という認識の転換だ。常に主体である自分は自然の一産物としてとらえている。
 「勝つ」ということは「負ける」人が存在するという事だ。「被害者」と「加害者」がいる。自分だけが勝って、自分だけが被害者なのではない。そうした全体をとらえる事だ。
 最もよく感じたのは、「目」より「耳」を使え、というくだりだ。麻雀でもなんでも、目、見るというのは重要だが、それより「耳を澄ます」ことで、より見えるものがある。確かにそうだろう。「画家は対象を目があるから見るのではなく、目があるのにもかかわらず見るのである」という言葉と同じことを言っている。

 以上、かなりてめえの言葉で勝手に要約してしまったが、概ねポイントは押さえているはず。だが、もっと具体的にきちんと書いてあるので、原本を読まれたし。ついでに、さらに勝手にまとめれば、以下の様なことになる。
 得て失う、生まれて死ぬ、という自然の摂理を受け入れる、自分だけでなく他者を生かす、事物はすべて変化していく、そういう流れを常に見極め、柔らかく自在に対応していく、勝ち・負けより、いい勝負をすることが大事、すると負けない、ということだ。
 麻雀をやる俺は、麻雀において至極尤もだ、という感慨を覚えるし、人生に処する際の根本の態度だ、と思えるのだった。

by ichiro_ishikawa | 2009-12-20 01:07 | 文学 | Comments(0)  

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