感想「授賞式」


 短歌というのは、散文的に書き連ねて行けば何千何万字にもなることを5・7・5・7・7のリズムに乗せた31字に凝縮した文学で、迸る抒情を、ときに内面の抑えきれない濃厚で執拗な燃えたぎる激情を、自然など他者への視点を絡めて覚めた目で、毅然と慎ましく表現していくもので、ロックに近いものを感じる。

 先日、短歌・俳句のある賞の授賞式で、受賞者がスピーチを行う場面に立ち会った。先に俳句の受賞者のスピーチが終わると、ガッチガッチにあがっていた短歌の若い彼は、ゆっくりと深呼吸をして壇上へのぼった。両肩が定位置より3cmほどあがっている。第一声から声が裏返る。結局、終始、朴訥にもほどがあるという、途切れ途切れの物言い、言葉が出てこず30秒ぐらい沈黙してしまう場面も度々、という非常にショッキングなものだった。俳句の受賞者がメモを片手に内容も表現もある流麗なスピーチを行ったあとだけに、その差は際立った。
 だが、間違いなく良いスピーチだと思ったのは短歌の彼で、一言一句が深く心に突き刺さった。俳句のスピーチは話が達者という印象は強かったが、内容が思い出せない。来歴を語り、師のおかげ、みんなに感謝みたいな、アメリカンな、ゴッド・ブレス・ユー的スムースなスピーチだったという形式的な事が思い出されるばかりだ。

 短歌の彼は次のような事を受賞スピーチで言っていた。生まれ育ち今も住んでいる北海道というのは「郊外」、それも他の郊外と違い、郊外を郊外たらしめる中心部というものを持たない郊外である。短歌という歴史的伝統のあるものを、歴史から切り離された独立した「郊外」で生む特殊性、のようなことを語ろうとしていた。また、かつて自分が短歌に魅せられた瞬間のその初期衝動こそが歌う源にある、と。
 難しい事を言おうとしたわけではない。自分の立ち位地を明確に語り、率直に今後の抱負を述べたにすぎない。真面目で誠実。オバマの影響でスピーチへの関心が日本でも多少は高まっている節があるが、要はものをきちんと考えていて、誠実に伝えようとする、その誠意だけが問題だ、技術は二の次、三の次。とにかく、久しぶりに非常にいいものを見た。

砂利道を行く自転車のやうにわが心はパンクぎりぎりである
麦揺れて風はからだをもたざれど鳥類であることをみとめる
調律師のゆたかなる髪ふるへをり白鍵がなりやみてもしばし
飼ひ犬が死んだと君が泣きじゃくる午後すらもほのぼのと海鳴り
僕らには未だ見えざる五つ目の季節が窓の向こうに揺れる
地に落ちる水の未来をおもふとき涙はふいに逆流をする
積乱雲に呼ばれたやうな感覚を残して夏の曲馬団去る
(山田航「夏の曲馬団」50首より抜粋)

by ichiro_ishikawa | 2010-01-24 21:00 | 文学 | Comments(0)  

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