放談「なう」


 ツイッターの「なう」という表現を使う事に憚りがあるという輩がたまにいるが、小林秀雄が、その名作「徒然草」の中で引いている『一言芳談抄』の中の一編に親しんでいる俺は、さほど違和感を感じない。

 或云(あるひといはく)、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つゞみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云(いはく)、生死(しやうじ)無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世(ごせ)をたすけ給へと申すなり。云々

by ichiro_ishikawa | 2010-06-18 13:48 | 文学 | Comments(4)  

Commented by 吉原 at 2010-06-19 13:41 x
思はず笑つてしまひました。ツイッターから『無常といふ事』を連想するのは、相当の小林秀雄好きでないとできない芸当でせう。
「なうなう」は、多分、「南無」が訛つたのでせうね。
ツイッターの「なう」は、英語の now といふ元の意味を考へると、変だなと思ふことがあります。例へば、「
富山駅なう。」は良いが、「ゲゲゲの女房、BSでみてるなう。」はをかしい。「みてる」といふ言葉で現在のことだと分るので、「なう」は不要です。
Commented at 2010-06-19 14:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ichiro_ishikawa at 2010-06-21 11:00
くだらない駄文に吉原さんのような本格的な方からコメントいただくのは恐縮です。「日本文学史序説」早速買いました。「波の寄る見ゆ」というタイトル、いいです。
Commented by 吉原 at 2010-06-21 19:34 x
実は、「日本文学史序説」の小林秀雄についての書きぶりには、不満を持つてゐます。追つて、書くつもりです。
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