放談「なう」
ツイッターの「なう」という表現を使う事に憚りがあるという輩がたまにいるが、小林秀雄が、その名作「徒然草」の中で引いている『一言芳談抄』の中の一編に親しんでいる俺は、さほど違和感を感じない。
或云(あるひといはく)、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つゞみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云(いはく)、生死(しやうじ)無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世(ごせ)をたすけ給へと申すなり。云々
by ichiro_ishikawa | 2010-06-18 13:48 | 文学 | Comments(4)
「なうなう」は、多分、「南無」が訛つたのでせうね。
ツイッターの「なう」は、英語の now といふ元の意味を考へると、変だなと思ふことがあります。例へば、「
富山駅なう。」は良いが、「ゲゲゲの女房、BSでみてるなう。」はをかしい。「みてる」といふ言葉で現在のことだと分るので、「なう」は不要です。