池田晶子の連載コラム「人間自身」

 33歳にもなるとさすがに世間のことが多少は気になるようになってきて、新聞やテレビやネットでのニュースもたまに見ることがあるが、日々勤労していると時間があまり取れないので、週刊誌で1週間分のニュースをまとめて把握するというサイクルが徐々に出来上がりつつある。週刊誌は新聞やネットに比べると速報性は格段に劣るけれども、突っ込んだ取材がなされているので内容はより濃い。もともとそんなに急いでニュースを知りたいわけではなし、そも勤労において他者と接していれば重大なニュースは好むと好まざるとにかかわらず自ずと耳に入ってくるので、そうした口コミが速攻性を満たしてくれるから、週刊誌が現時点ではニュースソースとして最高という塩梅である。
 総合出版社系のポスト、現代、文芸寄り出版者系の文春、新潮、新聞社系の朝日、読売…と週刊誌はあまたあるけれど、ロックンロール・ブックの作者というとやはり迷わず文春、新潮となるわけで、さてどちらを取るか。実は、これまた迷わず新潮なのだった。はっきり言ってニュースはどの雑誌も似たり寄ったり、というか、そもニュースなんて実はどうでもいいので、池田晶子の連載コラム「人間自身」(旧題:死に方上手)が掲載されている新潮なのだった。
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 毎週、池田晶子の“考えるヒント”が読めるというのは、毎週、鮮度抜群の特上寿司に高級スカッチをいただけるというようなもので、いや、それ以上で、いや、“考え”と“物質”とはそも比べられないのだけれど、要するに、至福のひとときを過ごせるということだ。
 池田晶子は、中国の排日騒動やライブドアとフジの提携のような“政治、経済・社会のニュースや、ひいては生活というものが生においてほとんどどうでもいいこと”という16歳の覚悟がやはり真理であったということを分からせてくれる。ニュース知りたさに購入しておきながらまったくもって本末転倒なのだけれど、実は、購入前からの想定内だったことを告白しておく。
 さて、件の連載コラムは、旬のニュースを取り上げ、ことの本質に迫るという主旨であるが、それが文字どおりの本質であるがために、みなとに溢れるニュースコラム、批評とは一線を画す。
 本日、4月21日発売の最新号では、中国の排日騒動を契機に、ことの本質に話は及ぶ。騒動の原因となっている歴史認識という問題から出発し、歴史というものについての世人の根本的な勘違いを指摘し、歴史とは何かをズバリ言う。

 歴史とは自分によって思い出される過去なのだから、過去の誰かとは、すなわち自分だということだ。彼は、自分である。

 「歴史は鑑である」という格言は、歴史上の誰かを点検して、現在の自分を反省するという意味ではない。

 歴史がすなわち自分であるとは、鏡面に鏡像が映るごとく明瞭なことなのだ。

 池田晶子は最後に、小林秀雄が太平洋戦争後に吐いた有名な言葉を引用して、文章全体を締めくくっている。

 「利口なヤツはたんと反省するがいい。俺はバカだから反省なんぞしやしない」
 この強烈な皮肉が、皮肉であるとわかるなら、教科書で教えられる歴史などいずれにせよ歴史ではないと、瞬時に分かるはずなのだが。

by ichiro_ishikawa | 2005-04-21 11:23 | 文学 | Comments(0)  

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