写生とは何か

 実相に観入して自然・自己一元の生を写す。(斎藤茂吉)

 写生を説いた近代短歌史、否、近現代文学史における名句のひとつだが、これをより多くの言葉で言うと下記の如し。要は、無私の精神と同義だ。写生とは、畢竟、思いやり、ということだ。

 実相に観入しておのずから感ずる衝迫、すなわちうたごごろを歌い上げることが、写生であり、短歌の根本である。ひとつの方法や主義というものではない。いわば芸術全般の根本である。あまりにも簡明で物足りなくとも、真相とはこういう当たり前の事、常識なのである。ただこの当たり前の事を実行する人は少ない。この実相への観入を緩めまいと努める事は大変難しいが、それが全てある。実相実相へと歩兵のようにひたすら歩むだけだ。観入の実行を突き詰めて行けば、感動は自ずから流露する。
(斎藤茂吉)

 写生とはsketchという意味ではい、生を写す、神を伝えるという意味だ。この言葉の伝統をだんだん辿って行くと、宋の書論につき当る。つまり禅の観法につき当るのであります。だから、斎藤(茂吉)氏は写生を説いて実相観入という様な言葉を使っている。空海なら目撃というところかも知れない、空海は詩を論じ、「須らく心を凝らして其物を目撃すべし、便ち心を以て之を撃ち、深く其境を穿れ」と教えている。心を物に入れる、心で物を撃つ、それは現実の体験に関する工夫なのである。
(小林秀雄)

 

by ichiro_ishikawa | 2011-06-01 00:26 | 文学 | Comments(1)  

Commented by 1729 akayama  at 2018-09-07 18:43 x
≪心を物に入れる、心で物を撃つ、それは現実の体験≫
≪写生≫を【数そのモノ】の世界に[禅]する。
数学は、現象を理解する道具に利くならば「事象そのものへ」深く只管しなければならない。
【数そのモノ】は、池田晶子の言説の
≪・・・意識が、・・・宇宙の涯まで追い詰めるだろう。≫
の人類の思考の営みが創り得たものだ
SNSに漂流する
≪ 『数学人』と自然科学や社会科学に携わる『科学人』が現象を等式で考察する時、
『数学人』のは、理性であり、『科学人』のは、量化であると思惟する。 ≫ 
  は、「事象そのものへ」の只管のリテラシーなのか。
 再び、池田晶子の[禅]への言説は、
 ≪禅というもの・・・ 知りつつ知らないふりをする。あるいは全く知らないものを、全て知っているふりをする。思想と処世とが、一部の隙もなく一致する。禅は最も自由で、最も老獪な方法である。≫  
【事象】(実相観入)へのアレゴリーなのか。  

  岡潔の色紙 ≪数は量のかげ≫とは、
≪ヒルベルトは[アキシオマチック](幾何学的)に数の観念を組み立て≫
の≪写生≫なのだろう。

  【黄金比矩形】から『自然比矩形』へ ≪写生≫する。 

黄金比 橋架け渡し 自然比へ
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