美しい花

「美しい花がある、花の美しさというものはない」

 これぞ、小林秀雄の核心がよく現れたフレーズだ。
 いや、どのフレーズにもその核心は秘められているのだけれど、最もキャッチーなフレーズのひとつとしてピックアップしてみた。

 美しい花を見て、花びらの色がどうだ、付き具合がどうだ、枝のしなり具合がどうだ、あれこれ抽象して、その花から美しさを分析するというやり方を、小林は嫌った。美しい花がある、ということだけが重要で、それは全的に直覚されなければ何を言ったことにもならない。その全的に直覚されたところからのみ、小林はものを言う。直覚されたものが自ずと自らを明かし始めるのを辛抱強く待ち、じっと耳を傾ける。結果、現れるのは、美しい花、それ自体であり、小林の精神はこのとき、無私なのだ。小林が語るのではない、対象がその秘密を明かす。この時、小林と対象は2つの異なるものではない。小林がとりあげ、語るもの、美しい花であれ、陶器であれ、デカルトであれ、パスカルであれ、ニーチェであれ、ドストエフスキーであれ、ランボオであれ、モオツァルトであれ、菊池寛であれ、志賀直哉であれ、それらはすべて小林秀雄の思うところのそれらではなく、それら自体だ。同時に小林秀雄だ。小林秀雄の批評とはそういうものだ。

 ああ、うまく言えねえ。うまく言えねえし、すげえとりこぼしてる。ということは、分かってないということ。ちゃんと分かってから書けばいいものを、せっかちなせいでつい。

by ichiro_ishikawa | 2005-07-27 21:11 | 文学 | Comments(0)  

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