1985年の挫折


長渕剛といへば1978〜1991年(+『Captain of the Ship』)で、特に1986〜87にその頂点を見るが、その前年、1985年といふのは特異な年である。ターニングポイントといつてもよい。

1984年までにドラマ「家族ゲーム」「家族ゲーム2」を終了させ、フォークからポップへと転身していた長渕は、MTVの常態化もあつて日本の歌謡界が空前のロックブームにあつた中で、「弾き語りに限界を感じ」(1986年のラジオでの発言)、まづ3月30日に「久しぶりに俺は泣いたんだ」、7月22日に「勇次」といふ2枚のシングルをリリースし、8月22日に、ロックサウンドに完全にシフトしたアルバム『Hungry』をリリースする。
その文体変革の実験は、8月26日の千葉県文化会館を皮切りに、Band of Spiritsを率いた全国コンサートツアー「LIVE'85 - '86 HUNGRY」にて遂行されていく。

しかしながら、この悲痛な実験は失敗に終はる。「あの頃の長渕」において、唯一の失敗である。
弾き語りに限界を感じ、時代のロックの流れに身体が反応したこのツアーでは、「愛してるのに」など既発曲のアレンジが、とてもひどいのであつた。
特異な年といふのはこの点においてである。
メロディを外してトーキングブルーズ調にアレンジするのはよいが、ブルーズでなく、トーキングロックになつてしまつてゐて、トーキングロックといふのはありえないので、実にひどいしろものなのであつた(そもロック調で創られた『Hungry』収録曲はとてもよい)。

おそらく、このひどさは、長渕がキャリアで初めて、自分を失くしてしまつたことからくる。
そして、この「無理」に、身体が答へを出した。

1986年1月22日の日本武道館公演を最後に、過労によりダウン。重度の鬱状態のため残り全ての公演をキャンセルしたのであつた。

しかし、このダウンにより長渕は、ポップ、ロックを通過して原点回帰を果たした、「レース」をはじめとする「弾き語り名曲」群を大量に創りあげ、それは『Stay Dream』として結実することになる。

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そして、11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 STAY DREAM』がスタート。1987年2月25の、再びの大阪城ホールでの「伝説の」追加公演が『LAST CRIME』と題して開催され、見事すぎる復活を遂げた。

さらに、4月10日には主演4作目の連続ドラマ『親子ジグザグ』(TBS系列)が放映開始、8月5日、最高傑作アルバム『LICENSE』をリリース。同年末の第29回日本レコード大賞で、アルバム大賞を獲得する。




by ichiro_ishikawa | 2017-07-09 20:43 | 音楽 | Comments(0)  

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