中森明菜 1982-1986

ニューミュージック、フュージョンの70年代からパンク、ニューウェーブの80年代へといふ流れの表舞台では、山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディーから松田聖子へといふ主役交代劇が行われていて、それは俺史における幼稚園、小学校低学年から高学年へといふ推移の中にあつた。
1985年には歌謡界とロック界は垣根が無くなり、1986年、ボウイの大ブレイクによりロックが歌謡曲を凌駕するわけだが、それはまさにビートルズが起こしたポップ革命と相似で、つまりビートルズを用意したブリルビルポップとボウイを用意した80年アイドル歌謡といふものは同質のものがある。
つまり作詞作曲編曲者、バックミュージシャン及び事務所やレコード会社、メディアサイドの卓越したプロデュース力に支えられ、アイドル歌手といふ黄金が花開いたのが80〜84年である。

松田聖子、中森明菜、小泉今日子、中山美穂が四天王で、荻野目洋子と早見優を加へた6人が、なんと言つても超一流アイドルであらう。
実のところは中山美穂と小泉今日子、荻野目洋子あたりがリアルタイムで、早見優、そして松田聖子と中森明菜は、リアルタイムで好きになるには自分が幼少過ぎたため、40を超えてから再発見したのであつた。
特に中森明菜はごく最近のことである。
ミッツ・マングローブやマツコ・デラックスの明菜崇拝ぶりとともに当時の映像をyoutubeでみるにつけ、これはやはり聖子級であり、聖子にとつての明菜とは、ビートルズにとつてのストーンズ的な、まさに二大レジェンドと称するに相応しいことが決定的となつたのであつた。

全盛期は16歳のデビューから21歳まで。1982年から1986年までである。初期の、清純とツッパリの交互攻勢といふ戦略も特筆に値する。
以下にその軌跡を辿らん。


スローモーション
1982年5月1日 
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


少女A
1982年7月28日
作詞・作曲=売野雅勇・芹澤廣明


セカンド・ラブ
1982年11月10日
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


1⁄2の神話
1983年2月23日
作詞・作曲=売野雅勇・大沢誉志幸


トワイライト -夕暮れ便り-
1983年6月1日
作詞・作曲=来生えつこ・来生たかお


禁区
1983年9月7日
作詞・作曲=売野雅勇・細野晴臣


北ウイング
1984年1月1日
作詞・作曲=康珍化・林哲司


サザン・ウインド
1984年4月11日
作詞・作曲=来生えつこ・玉置浩二


十戒 (1984)
1984年7月25日
作詞・作曲=売野雅勇・高中正義


飾りじゃないのよ涙は
1984年11月14日
作詞・作曲=井上陽水


ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕
1985年3月8日
作詞・作曲=康珍化・松岡直也


SAND BEIGE -砂漠へ-
1985年6月19日
作詞・作曲=許瑛子・都志見隆


SOLITUDE
1985年10月9日
作詞・作曲=湯川れい子・タケカワユキヒデ


DESIRE -情熱-
1986年2月3日
作詞・作曲 阿木燿子・鈴木キサブロー



by ichiro_ishikawa | 2017-10-28 22:57 | 音楽 | Comments(0)  

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