ロックと俺


それが何であれ、何かにガツンとやられた経験といふのが大事なのだらうと思ふ。といふか、それがその後の一生を支配するといふのは事実だらう。

俺はティーンエイジャーの頃にロックにやられた。
爾後、生きるイコールロックであると言へる。

すつかりズージャしか聴かない人間になつたけれど、ズージャばかり聴いてゐること自体も、ロックなのである。
甥っ子の成長に目を細めてゐても、定年の日を指折り数へ年金の計算をしてゐても、実はこれがロックなのであつた、俺の場合は。

その対象、行為はもはや問題ではない。
如何に生きるか、それがロックに生きる、だからだ。
身体を切れば血が吹き出る代はりにロックが流れ出るまでに、骨の髄までロックなのであつた。エピタフも無論、ロック、である。いたづらで遺族がフォークと書いても、風雨がロックと書き直してしまふこと必至だ。
ロックに生きるとは、無私、中庸といふことだ。


by ichiro_ishikawa | 2017-11-21 15:40 | 音楽 | Comments(0)  

名前
URL
削除用パスワード

<< ヴァン・モリスンがまた新作 ディランbootlegシリーズ... >>