小林秀雄の読み方


小林秀雄の原文は極めて明快だのに、小林秀雄を書いた文章は晦渋に過ぎて読み進めることが苦痛である。
といふかまつたく面白くないので、読み切れない。
といふ事態がままある。これが不思議だ。わかりやすく目の前にあるものを分かりにくく書き直す、あるひは分かりにくく解説するといふ行為は何のために為されてゐるのか。


母親がてめえの子供を、
「あの子はああいふ子」といふときの眼。
その理屈抜きの正確さ。
小林秀雄は、あらゆる対象をこの目でみようとした。ランボオ、ドストエフスキイ、モオツアルト、実朝、西行、宣長。それらが見ているものを見、哀しんでいるところを哀しむことがまづあつて、それらは、そも、母親の視点ではなかつたか。あの子はああいふ子、といふことを、なるべく論理的に書かうとした、しかしそも理屈でないことでそれらは出来上がつてゐるがために、散文ではなく詩が現れざるを得ない。

小林秀雄の批評とは、母親が我が子を詠んだ散文詩である、といふのはさういふ事情であり、さういふやうに小林秀雄を読んで行くとスツとすべてが腑に落ちるし、そのやうな読み方しか小林秀雄を読む術はない。



by ichiro_ishikawa | 2018-01-25 15:33 | 文学 | Comments(0)  

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