目に見えないと理解できない日本人


日本人は抽象的、論理的思考が苦手で、それは散文より詩歌、裁判より示談、以心伝心、忖度といつた方向に向かひがち、といふところにも表れてゐる。

目に見えない唯一神より山でも海でも現実の目の前に見える森羅万象に宿るところの八百万の神を信奉することも然り。

先日の大降雪で、誰かが、さうした特徴をさらに抽象せしめて、目に見えるものしか信じない、コトが起こらないと次の動きができないといふ日本人の特徴を指摘して、だから正確に予報がなされてゐても、実際に雪が降つたのを確認してから人々は対処しだし、例によつて交通機関の麻痺、帰宅難民で溢れた、効率的に動くのが本当に苦手な国民だ、といふやうなことを書いてゐて、なるへそと思つた。

確かに効率は悪い。殊に仕事などにおいてはダメだ。しかしどこか、さうさう、確かに目に見えないとよく分からぬ、といふところがある。
人に何かをしてもらつて神に感謝するよりその人に感謝する。人が弱つてゐるときには遠くで真摯にお祈りするよりも、何ができるわけではないけれど、とにかく駆けつけたい。

この、目に見えるものしか信じない、コトが起こらないと次の動きができない心性といふのは深いものがある。

それは、理屈より感覚や身体性を信ずるといふことにもつながつてゐて、たとへば、人が死ぬといふことなどにおいては、死ぬとはいかなることかさつぱり分からないと分かり、しかし今までゐた人が無くなるといふ事態に面接したときにピタッと死といふものを理解もしている、といふ独特の感知の仕方が成され、つまりわからないがわかる、わかるがわからない、といつたところをぐるぐるまわり、それは哲学の萌芽であらうと思はれる。

以上、オチなし。




by ichiro_ishikawa | 2018-01-25 15:10 | 日々の泡 | Comments(0)  

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