戦後に小学生になつた以降の世代(1938年生まれ以降、現80代未満)と、それ以前の世代(現80代以上)の致命的な違ひは、文語を読めなくなつたこと。
文語が分からないと古典が読めない。
文学が、特に古典が教育で一番大事だから、
これは致命的だ。
なんだかんだいつて、一番の急所は教育である。
戦勝国は敗戦国に何をするかといへば、教育にダメージを与へる。不平等条約などは実際的だが小手先である。のちに頭のいい奴が現れれば撤廃される。教育へのダメージとは頭のいいやつの出現をゆるさないといふ根本への制裁なのだ。
敗戦と関係があるかは分からないが、学制の変更は、明らかに退化だらう。
旧制だと、中学5年(13〜17才)、高校4年(18〜21才)、大学3年(22〜24才)。
つまり、旧制中学は今の中高にあたり、旧制高校は今の大学の学部に、旧制大学とは今の大学院にあたる。
5・4・3 → 3・3・4・2
1902年4月生まれの小林秀雄でいへば、
13歳で中学、18歳は浪人、19歳で高校、23で大学、25歳で卒業となつてゐる。
1915年(大正4年)4月、東京府立第一中学校入学同1920年(大正9年)3月、府立一中卒業、第一高等学校受験、不合格→1年浪人
1921年(大正10年)4月、第一高等学校文科丙類入学
1925年(大正14年)4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学
1928年(昭和3年)3月、東京帝国大学卒業
東京帝大で仏文に進むまでの23歳までは一般教養として古典も数学もみつちりやつてゐた、その上での仏文、といふことが重要だ。
戦後、文語はめつきりやらなくなつた。
外国語より国語、文語をみつちりやる方が、賢い人間が育まれる。賢いとは畢竟、優しい、思いやりがある、といふことだ。