人の年齢を気にする方だ。
最初に意識したのは明石家さんま。
知つとるケのテーマで「今年で30、知つとるケのケ♪」と、30にもなつてこんなことやつてるといふ自嘲的(英語でいふサーカスティック)な歌をひょうきん族で歌つてゐて、当時中1ぐらいだつた俺は、さんまももう30かと普通の感想を持つた。
次は長渕で、「もうすぐこの僕も30歳。で、僕のギターにはいつもヘビーゲージ♪」と歌つてゐた。これは高校のときに少し後追いで聴いたのだが、長渕ももう30かとやはり普通の感想を持つた。
次はなんと西城秀樹だ。西城は俺が幼稚園とか小学校低学年のころ、つまり70年代のアイドルだが、1988年の夜ヒットに出た際、「33歳になつた」的な話をしていたのを、なぜか鮮明に憶えてゐる。そのとき17歳だつた俺は、あの西城ももうおじいちやんか…と思つたことも鮮明に憶えている。
次は氷室で、雑誌のインタビューか何かで30になつて変はつたことはと聞かれ、ヒゲが濃くなつたと答へてゐた。当時二十歳の俺は、氷室ももう30か、と普通の感想を持つた。
最後は福島康之だ。ライブのMCで「もうすぐ35になる」的なことを言つてゐて、衝撃を受けた。あの福島くんももうゴリゴリのおつさんじやないか…と、てめえもすでに30超えてゐたのにもかかはらず、哀しみを憶えた。
そんなわけでまづ30で若者ではなくなるといふ切なさ、33、35となるともはや誤魔化しのきかないれつきとしたおつさんであるといふ諦めのやうなものを感じてきたのだつた。
やはりロックだつたのだらう。ドントトラストオーヴァー30的価値観で生きてきた、そのターニングポイントに際して、戸惑つたのだらう。
そんな俺は今日47歳。35超えたあたりから年齢はどうでもよくなつたのでなんの感慨もない。
しかしよくよく考へると50マイナス3。なんか空恐ろしいことは否めない。
50といつたら後鳥羽上皇とかさういふイメージであるのに、当のてめえは15とか、いつても19ぐらいの感覚のままでゐるといふ。空恐ろしい。
47といへば、小林秀雄はすでに「無常といふこと」「モオツアルト」も出してゐて、重要な仕事は終へてゐる。これから近代絵画や考へるヒント、そして本居宣長へ向かつていくわけだ。
池田晶子にいたつては、なんと47を待たずしてま46でこの世を去つてゐる…。
早くしなければ。