バッファロー・スプリングフィールド年表


[スティーヴン・スティルズ]
1945年1月3日、テキサス州ダラス出身。

軍人の家庭に生まれ、幼い頃から父の仕事の関係でアメリカ各地、中米などを転々とし、各地でブルース、フォークミュージック、ラテン音楽など様々な音楽に触れる。  フロリダ大学を辞め、いくつかのバンドを転々とする。

1960年頃 レーダース(ドラム)@フロリダ州ゲインズヴィル。
コンティネンタルズ(ギター)with ドン・フェルダー(のちにイーグルスに加入)。
1964年3月 クリス・サーンズ(vo,g)とのデュオ@ニューオーリーンズ。
クリス・サーンズとオーグメンテッド・セヴンスに参加。
ジョン・ホプキンズ(vo,g)、ピート・トーケルスン(vo, bj)とフォークトリオ@ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ。
1964年6月 コーヒーハウス「フォー・ウィンズ」にてリッチー・フューレイと出逢ふ。


[リッチー・フューレイ]
1944年5月9日、オハイオ州イエロースプリングス出身。
1962年9月 カレッジへ進学。モンクス結成。ボブ・ハーメリンク(vo)、ネルス・ガスタフスン(vo)
らの大所帯コーラスグループ、ア・カペラ・クワイヤにも加入。
1964年3月 グリニッジ・ヴィレッジへ。「カフェ・ワー」で飛び入りを許される。
1964年6月 コーヒーハウス「フォー・ウィンズ」にてスティーヴン・スティルズと出逢ふ。


[スティーヴン・スティルズ、リッチー・フューレイ]
1964年7月 スティルズ、モンクスとベイ・シンガーズ(from ボストン)が合体し、
オウ・ゴー・ゴー・シンガーズ(Au Go-Go Singers)結成。
1964年11月 アルバム『They Call Us Au Go-Go Singers』発表、6週間の巡業。
1965年4月 Au Go-Go Singers解散。
スティルズは残党4人とザ・カンパニーズを組み、乞はれるままにカナダへ演奏旅行。
1965年4月18日、クラブ「フォース・ディメンション」(マニトバ州ウィニペグ)にて、スクワイアーズニール・ヤングと出逢ふ。
フューレイは百科事典の訪問販売食ひつなぎながら俳優養成学校に通ひ、一時はいとこを頼りコネチカットに引き篭もる。
フューレイはヴィレッジに返り咲き再び歌ひ始める。
スティルズは、LAにてピート・トーケルスン(vo, g)やロン・ロング(vo,g)らヴィレッジ時代の友人たちとバッファロー・フィッシュを結成。
1965年9月 スティルズ、NBCテレビのタレントオーディションの受けるも歯並びが悪く落選。トーケルスンは合格、モンキーズに。
スティルズ、同じ落選組のヴァン・ダイク・パークス「Hello, I've Returned」を共作。


[ニール・ヤング]
1945年11月12日、カナダ・トロント出身。
1961年1月 最初のバンド、ジェイズに参加
1961年9月 ハイスクールに進学、スターダスターズトワイライターズに籍を置く。
ベースを弾く親友ケン・コブランと行動を共にするやうに。クラシックス結成。
1962年12月 スクワイアーズを旗上げ(シャドウズ風のインストを得意とする)。
1963年7月23日 初録音。
1963年9月 シングル「The Sultan / Aurora」発売。
大量のビートルズナンバーを演目に取り入れながら13回のメンバー交替。
1965年4月18日、クラブ「フォース・ディメンション」(マニトバ州ウィニペグ)にて、ザ・カンパニーズとしてカナダへ演奏旅行に来てゐたスティーブン・スティルズリッチー・フューレイと出逢ふ。
1965年6月16日 スクワイアーズ解散。
1965年7月 ケン・コブランとフォー・トゥ・ゴー(別名キャスタウェイズ)結成、短命に。
1965年9月 ニューヨークのエレクトラレコードにて「Nowadays Clancy Can't Even Sing」「Sugar Mountain」など自作7曲を弾き語りでデモ録音。
1965年11月  ケン・コブランを連れ立つて再びニューヨークへ。スティルズを訪ねるも再会できずフューレイとは偶然遭遇。
1965年12月 トロントに戻り、ブルース・パーマーの誘いでR&Bバンド、マイナー・バーズ(Mynah Birds)に加入。モータウンと7年契約。
1966年2月 デトロイトにてブライアン・ホランドの制作によるデビュー・アルバムを吹き込むも、
メンバーのリッキー・ジェイムズ・マシューズ(リック・ジェイムズ)が米国海軍脱走兵であると発覚し軍隊に戻されバンド消滅。

1966
1966年2月 スティルズとフューレイがLAで再会。
1966年4月 サンセット・ブールヴァードにてスティルズとフューレイの乗る白いバンの前に、反対車線からヤングとパーマーを乗せたポンティアック53年型の霊柩車が現れ、後を追い、再会。その日のうちにスティルズは、マネジメントを依頼するつもりだつたバリー・フリードマンにフューレイ、ヤング、パーマーを引き合はせる。
バリー・フリードマンにビリー・マンディがドラマーとして呼ばれ、“ハード(Herd)”とバンド名が仮決定。
1966年4月9日 ビリー・マンディが脱退。10月から丸1年、マザーズ・オブ・インヴェンションに参加して『Absolutely Free』('67.5)の制作へ。
バーズやザ・ディラーズのマネジメントをさばくジム・ディクスンの紹介でデューイ・マーティンがドラムで加入。
メンバー寄宿のファウンティン・ストリートの借家の前に停めてあつたローラー車のプレートから読み取れた“バッファロー・スプリングフィールド”を正式バンド名に決定。
1966年4月11日 ハリウッドの「トルバドゥア」でお披露目ステージ開催。数日後にはザ・ディラーズ、バーズの前座としてカリフォルニアを短期間ツアー。  ツアー終了後、クリス・ヒルマン(ザ・バーズ)がサンセット・ストリップの「ウィスキー・ア・ゴーゴー」のオーナーに強く働き掛け、バッファロー・スプリングフィールドは1966年6月から2カ月間、ウィスキー・ア・ゴーゴーのレギュラーとして採用。
バンドの相談役だつたディッキー・デイヴィスがヨーク/パラ・プロダクション(ソニー&シェールを売り出したチャーリー・グリーンブライアン・ストーンが主宰)、2万2千ドルの契約金を提示したアトコとの契約を獲得。

1966年6月 フィル・スペクターゆかりのゴールド・スター・スタジオにてレコーディング開始。
1966年7月18日 「Go and Say Goodbye」Nowadays Clancy Can't Even Sing録音(LAゴールド・スター・スタジオ)。

1966年7月25日  「Hollywood Bowlハリウッド・ボウル」にてライヴ(「Go And Say Goodbye」、「Nowadays Clancy Can't Even Sing」、「Sit Down I Think I Love You」、「My Kind Of Love」)


1966年7月31日 デビュー・シングル「Nowadays Clancy Can't Even Sing / Go And Say Goodbye発売。ロサンゼルスでトップ25まで上昇。
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1966年8月 Sit Down, I Think I Love You」「Leave」Hot Dusty Roads」、「Everybody's Wrong」Burned」「Do I Have to Come Right Out and Say It」「Baby Don't Scold Me」「Out of My Mind」「Pay the Price」録音(LAゴールド・スター・スタジオ)

1966年9月2日 アナハイム公演前にブルース・パーマーがマリファナ不法所持で逮捕・勾留。

1966年9月11日 Flying on the Ground Is Wrong」録音(LAコロムビア)。

1966年10月28日 ウイスキー・ア・ゴーゴー公演でもパーマーが穴を開ける(両日ともジム・フィールダーが代役)。

1966年11月 セカンドシングルBurned / Everybody's Wrong」発売。

1966年12月5日 「For What It's Worth」録音(LAコロムビア)
1966年12月5日 ファースト・アルバム『Buffalo Springfield』発売。
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1966年12月23日 サード・シングルFor What It's Worth (Stop, Hey What's That Sound) / Do I Have To Come Right Out And Say It発売。
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1966年12月30日 NY「ナイト・アウル・カフェ」公演。
1966年12月31日〜1967年1月9日 NYのクラブ「オンディー」公演。12月31日はオーティス・レディングと共演。公演中、ベースアンプのヴォリュームの大きさをめぐりスティルズとパーマーが喧嘩。


1967

1967年1月9日 パーマーがマリファナ所持で再逮捕。三ヶ月の刑務所暮らしとその後のカナダへの送還が言ひ渡される。
ニューヨークのアトランティック・スタジオで次作用のマテリアルを録音。
第3弾シングル「For What It's Worth」がヒット。
1967年1月20日 テレビ「Hollywood Palace」収録。ディッキー・デイヴィスが代役で客に背を向けて演奏。音源は録音版を流す。

1967年1月20日〜22日 LA公演では、ケン・フォーシ(LOVE)がパーマーの代役。
1967年1月25日のサンフランシスコ公演〜2月10日のテキサス州ラボック公演までは、 ケン・コブランがパーマーの代役。
1967年2月17日 CBSテレビ「The Smothers Brothers Show」収録。ロード・クルーのマイルス・トーマスがアンプに腰掛ける横向きのベーシストを。
 
1967年2月22日 カリフォルニア州ダーザナ公演から、ジム・フィールダーが正式加入。
1967年2月26日 「Pretty Girl Why」録音(unused/unfinished。NYのアトランティック・スタジオ)。
1967年3月  「For What It's Worth」のヒットを受け、「Baby Don't Scold Me」「For What It's Worth」に差し替へ曲順も変更したァースト・アルバム『Buffalo Springfield』のセカンドプレス発売。

1967年3月15日 「Everydays」録音(LAゴールド・スター・スタジオ)。
1967年4月4日  「Mr. Soul」「Bluebird」録音(LAのサンセット・サウンド)
1967年4月11日 6晩連続サンフランシスコ公演中に、6月出演が決まったNBCテレビ「The Johnny Carson Show」出演をめぐり、スティルズとヤングがギターを投げつけあう大喧嘩。

1967年5月6日 「Expecting To Fly」をヤングがジャック・ニッチェ(arr)、ラス・タイトルマン(g)、ジム・ゴードン(ds)、ドン・ランディ(p)、リー・クレイトン(vo)らと録音(LAのサンセット・サウンド)

1967年5月25日 パーマーが不法入国でスティル宅に。6月8日のコロラド州オーロラ公演からステージ復帰。ジム・フィールダーは脱退し、ティム・バックリィのバック、BS&T結成、クリス・ヒルマン、ジーン・クラーク(ザ・バーズ)の手伝ひを。
1967年5月31日 ヤング脱退を宣言。

1967年6月 シングル「Bluebird (1:59 edit) / Mr Soul」発売。
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1967年6月18日 モンタレー・ポップ・フェスティバル出演(ヤング抜き。ダグ・ハスティングスデヴィッド・クロスビーらをゲストに)。

「For What It's Worth」「Nowadays Clancy Can't Even Sing」「A Child's Claim To Fame」「Bluebird」

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1967年6月21日 「A Child's Claim to Fame」録音(LAコロムビア)。
1967年6月22日、8月8日、10月3日 「Rock & Roll Woman」(LAのサンセット・サウンド)。
1967年6月30日、9月1-5日 「Hung Upside Down」録音(LAのサンセット・サウンド、コロムビアレコーディングスタジオ)。
1967年8月 ヤング復帰。アトランティックの社長アーメット・アーティガンの働きかけにより、グリーン、ストーンのコンビはグループのプロデュースから撤退。アーティガン自身がメインプロデューサーを務め、レコーディングを進める。
1967年8月 「Good Time Boy」録音(LAのサンセット・サウンド)。
1967年8月25日、9月5-18日 「Broken Arrow」録音(LAのサンセット・サウンド、コロムビアレコーディングスタジオ)。

1967年9月 シングルRock And Roll Woman / A Child's Claim To Fame」発売。
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1967年9月5日 「Sad Memory」録音(LAのサンセット・サウンド)。

1967年10月30日 セカンド・アルバム『Buffalo Springfield Again』発売。
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1967年11月15日ー12月13日 「On The Way Home」録音(LAのサンセット・サウンド)

1967年12月 シングル「Expecting To Fly / Everydays」発売。
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1967年暮れ〜1968年初め 「Four Days Gone」「Carefree Country Day」録音
1967年暮れ〜1968年2月 「The Hour Of Not Quite Rain」録音
1968年1月3日〜20日 「Special Care」録音 (LAのサンセット・サウンド。ドラムはバディ・マイルズ)


1968

1968年1月 ブルース・パーマーが脱退。ジム・メッシーナ加入。
1968年2月5日 「I Am A Child」録音(LAのサンセット・サウンド)
1968年2月16日 「Questions」録音(LAのサンセット・サウンド)
1968年2月16日〜30日 「Merry-Go-Round」録音(LAのサンセット・サウンド)
1968年2月〜3月 「Uno Mundo」録音(LAのサンセット・サウンド)
1968年2月〜3月6日 「Kind Woman」録音(LAのサンセット・サウンド、NYのアトランティック・スタジオ)
1968年2月26日 「Pretty Girl Why」ジム・フィールダー・バージョン録音(NYのアトランティック・スタジオ)。
1968年3月9日 「It's So Hard to Wait」録音(LAのサンセット・サウンド)。
1968年3月20日 ヤング、メッシーナ、フューレイに加えてエリック・クラプトンも巻き込んだドラッグ事件が決定打となって解散決定。
1968年5月5日 ロングビーチ・アリーナでラスト・コンサート。
1968年7月30日 『Last Time Around』発売(フューレイとメッシーナが編集)。
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参考文献
・レコードのジャケットや盤面
・「レコードコレクターズ」2001年8月号
・ウィキペディア
・いろんな人のウエブサイトやブログ

by ichiro_ishikawa | 2018-10-15 20:34 | 音楽 | Comments(0)  

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