中山美穂 80s読本


前投稿にて超大作「日本の歌謡曲オールタイムベスト」(全4回)をやつたが、選の線引きが難しかつた。客観的な基準を設けたのだが、思ひ入れが客観的データを改竄しようとする。1人の歌手につき1曲というシバリも、松田聖子や中森明菜などにおいては無理が生じる。「レコード売上枚数」や「世間へのインパクト」を優先して選出したが、「こつちの方が明らかに良い曲」といふ「俺の目」が客観に抗つて行くのを鎮めるのには難儀した(独り相撲)。

また、「老人にも受け入れられる」といふ基準においてロックをどう扱ふかといふ問題もあつた。今回の「歌謡曲」の定義は「ポピュラーミュージック、大衆音楽」であり、つまりロックも入る。しかしロックの牙のやうなものは老人を害することがしばしばあるのである。清志郎の牙は害する。しかし尾崎の牙は受け入れられる。このあたりになるともはや客観性は失はれてゐると言はざるを得ない。証明できないからだ。確信しかない。

そんなこんなで、掬へなかつた歌手、楽曲は多々あるのだが、中でも特筆すべきが中山美穂である。
何が問題だつたかといふと、中山はいきなりの連ドラ主演、松本隆&筒美京平からの楽曲提供と、鳴り物入りのデビューで最初から完成してゐたのだけれど、初期は他の大物歌手に阻まれてかトップヒットとはなつてゐない。彼女の中での最も人口に膾炙した一曲となると「ユーアーマイオンリーシャイニングスター」、あるいはワンズとの共演作「世界中の誰よりきつと」にならう。だが、それらは「俺の中」で「終はつた」中山美穂であり、歌詞及び楽曲のクオリティが相対的に低いと感じるのであつた。タイトルを見ても下記の曲との差は歴然としてゐる。平成に入りつまらぬ曲が売れるやうになつたと言へる。かといつてよりセールスの落ちる曲をランクインさせるわけにもゆかぬ。さうしたヂレンマをひとり密かに抱へては苦悶してゐたのが、中山美穂においてであつた。

といふことで、「手の届きさうな綺麗なお姉さん」になる以前の「手の届かない生意気オンナ」であつた、「あの頃の中山美穂」を検証する。
※[データ]は主にウィキペディアから拾ひ編集
※YouTubeの下のキャプションが俺の説明。


「C」 

1st 1985年6月21日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20294512.jpg

[ゴールドディスク]

第27回日本レコード大賞(最優秀新人賞)

第23回ゴールデン・アロー賞(最優秀新人賞) 

[チャート最高順位]

オリコン 週間12位/1985年度年間67位

ザ・ベストテン 15位

[データ]

本人主演TBS系ドラマ『夏・体験物語』主題歌。 『ザ・ベストテン』(今週のスポットライト)、『ザ・トップテン』(話題曲コーナー)、『夜のヒットスタジオ』等多くの音楽番組で披露。 2ヶ月後には同タイトルのファーストアルバムも発売。 

初回プレス版は、イエロークリア盤、ピクチャーレーベルとなつてをり、またジャケットには「『夏・体験物語』主題歌」の表記が無い。 

松本隆は中山のデビュードラマ『毎度お騒がせします』を見て作詞を志願、中山の同期新人でもある本田美奈子のレコーディングに加はつてゐた作曲の筒美京平の元へ行き自ら作曲を依頼した。松本が中山側へコンタクトを取つた時には既に中山の歌手デビューの話は決まつてをり、当初デビュー曲の作曲家は林哲司の予定だつた。尚、林はカップリングの「スピード・ウェイ」を手がけてゐる。 

ジャケットではドラマ『毎度おさわがせします』で当時付いていた不良イメージを払拭する為に、水色と白の服にピンクのバックで爽やかさと可愛らしさを演出した(当時のプロデューサー)。


1982年、小金井市立緑中学の1年時より雑誌モデルやCMなどの芸能活動をしてゐた中山は、1985年1月、おそらくは芸能活動のため都心に転校してゐた板橋第五中学3年時の3学期にドラマ『毎度お騒がせします』で女優デビュー。中学卒業後、モデル事務所からバーニング傘下のボックスコーポレーションに移籍し、同年6月に歌手デビューを果たす。都立北園高校定時制1年の夏である。

上記データにもあるが、ドラマを見て虜になつた、あの松本隆が自ら作詞を志願し筒美京平を誘ふといふ圧倒的なデビューであつた。その年1985年の新人賞を女優、歌手として総ナメにした。




生意気

2nd 1985年10月1日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20300556.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間8位

ザ・ベストテン 11位

ザ・トップテン 10位


デビューから4ヶ月後、芸能活動に専念するため高校1年を2学期で中退。その秋、早くもセカンドシングルを放つ。当時のアイドルは一季節ごとにシングルを放つてゐた。オリコンで8位も、まだ音楽番組にはランクインできず。



BE-BOP-HIGHSCHOOL

3rd 1985年12月5日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20321311.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間4位/1986年度年間54位

ザ・ベストテン 5位

[データ]

本人主演の東映映画『ビー・バップ・ハイスクール』主題歌。 『ザ・ベストテン』に初ランクイン。


デビューの1年目の冬には早くも映画『ビーバップ・ハイスクール』(同時上映『野蛮人のように』)で主演デビュー。少年キング連載『湘南爆走族』と並び、当時の男子中高生に大人気を誇つてゐたヤングマガジン連載漫画の実写化である。小泉今日子をモデルとした泉今日子役であつた。1985年は松田聖子が結婚し、中森明菜、小泉今日子、中山美穂による超ハイレベルなトップアイドル争いが繰り広げられてをり、中山は3番手だつた。



色・ホワイトブレンド

4th 1986年2月5日

作詞・作曲:竹内まりや

c0005419_20315801.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間5位/1986年度年間38位

ザ・ベストテン 5位

[データ]

自身が出演したCM、資生堂'86春のキャンペーンソング。CMのキャッチコピーも曲タイトル同様「色・ホワイトブレンド」。 

竹内まりやが楽曲を提供し、シングルで初の売上20万枚超え。 レコーディングの際、竹内が当時まだ小さかつた子供を夫の山下達郎に預けてスタジオを訪れ、英語の発音や唄い方などを中山に指導した。 


通つてゐれば高校1年の3学期、4枚目のシングルを放つ。松本隆&筒美京平コンビから一転、竹内まりやである。生意気ツッパリ路線とは別の側面を演出し、芸風に幅をもたせた。楽曲はまりや流石の名曲であるが最高位5位。



クローズ・アップ

5th 1986年5月16日

作詞:松本隆/作曲:財津和夫

c0005419_20314318.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間4位/1986年度年間95位

ザ・ベストテン 4位

歌のトップテン 3位


通つてゐれば高校2年の1学期、竹内まりやが窮屈だつたか再び生意気路線で松本隆を招聘、作曲はなんとチューリップ財津和夫。ここから次の「JINGI」までが、第一次全盛期であらう。最高位は『歌のトップテン』でじわつと3位まで浮上。『夜のヒットスタジオ』にBOØWYで出演した氷室京介が、そのオープニングメドレーにて歌つた曲でもある。




JINGI・愛してもらいます

6th 1986年7月15日

作詞:松本隆/作曲:小室哲哉

c0005419_20312273.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間4位/1986年度年間89位

ザ・ベストテン 10位

[データ]

自身主演の東映映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』主題歌。 

デモテープを作つた小室哲哉は「イントロ、Aメロ、Bメロ、サビとコード進行が全部同じだ、同じ4小節が4つ並んでゐる」と自分の力量の無さに打ちのめされてゐたが、それをクレッシェンドに上げていつた大村雅朗の仕上げ方に衝撃を受けた(ディスクユニオン刊「作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997」梶田昌史・田渕浩久著 168P)。


通つてゐれば高校2年の夏休み直前、ビーバップ第二弾の主演&主題歌で、作曲は当時まだ駆け出しの小室哲哉。松本隆と小室の組合せは分業制ならでは。上記データにあるやうに、小室と大村雅朗という作編曲チームの功績は大きい。「月面で宙返りした顔のくせにマドンナを口説く度胸は表彰もん」といふ、松本隆が「ビーバップに寄る」といふアクシデントも奏功してゐる。



ツイてるねノッてるね

7th 1986年8月21日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20310809.jpg

[ゴールドディスク]

第28回日本レコード大賞(金賞) 

[チャート最高順位]

オリコン 週間3位/1986年度年間51位

ザ・ベストテン 3位/1986年度年間24位

歌のトップテン 3位

[データ]

資生堂 '86秋のキャンペーンソングに起用され、CMには中山美穂本人も出演。 

前作「JINGI・愛してもらいます」から僅か1ヶ月でのリリース。 各音楽ランキングで初のトップ3入り。


通つてゐれば高校2年の夏休み、7枚目のシングル。中山美穂の最高傑作。再びの松本隆&筒美京平により、中山美穂が完成した瞬間である。最高位は初のトップ3。レコード大賞金賞も受賞。ここから第二次全盛期に入る。BOØWYでいふ「B.Blue」。



WAKU WAKUさせて

8th 1986年11月21日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20304554.jpg

[ゴールドディスク]

第16回FNS歌謡祭(優秀歌謡音楽賞) 

[チャート最高順位]

オリコン 週間3位/1986年12月度月間1位/1987年度年間17位

ザ・ベストテン 3位

歌のトップテン 2位/1987年度年間9位

[データ]

本人主演フジテレビ系ドラマ『な・ま・い・き盛り』主題歌。 


通つてゐれば高校2年の秋、第二次松本隆&筒美京平の第2弾。これも最高傑作。BOØWYでいふ「ONLY YOU」。



「派手!!!」

9th 1987年3月18日

作詞:松本隆/作曲:筒美京平

c0005419_20303683.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間2位/1987年度年間24位

ザ・ベストテン 4位

歌のトップテン 3位

[データ]

本人主演のTBS系ドラマ『ママはアイドル』主題歌。 松本隆・筒美京平による最後の作品。


第二次松本隆&筒美京平三部作の最終作にして3連続の最高傑作。通つてゐれば高校2年の3学期。



50/50

10th 1987年7月7日

作詞:田口俊/作曲:小室哲哉

c0005419_20302647.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間2位/1987年度年間23位

ザ・ベストテン 2位/1987年度年間12位

歌のトップテン 1位/1987年度年間14位

[データ]

作曲の小室哲哉は一アイドルから社会現象になりつつあつた中山に向けて、「自分のメロディーをより多くの人に知つてもらふチャンスだ」と必死になつて作つた結果、自然とテンションが上がつて「ちよつと攻撃的なメロディになつた」と振り返つてゐる(角川書店刊『月刊カドカワ』1992年11月号136P)。 

間奏を中心として、楽曲全体がカリプソ調のサウンド。 

『歌のトップテン』で初の首位を獲得、翌週も首位を守り2週連続首位獲得となつた。


小室哲哉によるリベンジ。作詞は田口俊。どういふ経緯での起用か不明だが、松本隆にくらべると言葉が刺さらない。しかし一番いいときであつた中山美穂当人の力で魅力的な曲に仕上がつてゐる。通つてゐれば高校3年、17歳の夏である。



CATCH ME

11th1987年10月7日

作詞・作曲:角松敏生

c0005419_20301928.jpg

[チャート最高順位]

オリコン 週間1位/1987年度年間38位

ザ・ベストテン 2位

歌のトップテン 2位

[データ]

本人主演フジテレビ系ドラマ『おヒマなら来てよネ!』主題歌。実際にドラマで使用されていたのはAlbum Version。 

初のオリコン週間首位獲得曲。 


まさかの角松敏生の抜擢で、歌詞も曲も洗練されてゐるが、やはり言葉が刺さらない。綺麗にまとまりすぎてゐるからか。しかしこれも絶頂期の圧倒的な中山の魅力で遂にオリコン初の1位を獲得。

俺の判断では中山美穂はここがピークで、以降は、相対的に言へば「ふつうにとても綺麗なお姉さん」になつて行く。

通つてゐれば高校3年、17歳の秋。

じつに14〜17歳といふ、アルチュウル・ランボオばりの早熟をみせた奇跡の3年間であつた。








by ichiro_ishikawa | 2018-11-05 19:49 | 音楽 | Comments(0)  

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

<< リッチー・フレイの歌の艶 日本の歌謡曲オールタイムベスト... >>