連載 日本ジャズ史(3) 1920-30年代のジャズシンガー


二村定一

(ふたむら ていいち、本名:林 貞一、

1900年6月13日 - 1948年9月12日)

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昭和初期を代表する歌手・ボードビリアン。山口県下関市出身。愛称は「べーちゃん」。

高田雅夫1895年9月30日 - 1929年5月24。舞踏家。赤坂のローヤル館、松竹の新星歌舞劇団、根岸興行部の根岸大歌劇団等で活躍に弟子入りし浅草オペラの根岸歌劇団に参画。やがて作曲家佐々紅華との関係が深まりお伽歌劇、創作オペラに出演。大正11年の《カルメン》では伍長モラレスの役。

大正後期からジャズ・ソングを歌うように。

昭和に入ると、放送オペラにも出演。


外資系レコード会社の2大レーベルのビクターとコロムビアが電気吹込みレコードを企画・製作するやうになり、昭和3年、明瞭な日本語で《青空》《アラビアの唄》吹込。浅草電気館のアトラクションにも出演し一世を風靡。

昭和4年、佐々紅華が作曲した和製ジャズ・ソング「君恋し」、大阪モダンを情緒豊かに歌った「浪花小唄」がヒット。浅草電気館のレヴューにも出演。人気は絶頂を極める。

昭和5年夏、佐々紅華とともにコロムビア移籍。

昭和6年、藤山一郎が古賀メロディーで一世を風靡すると、二村はレコード界ではあまり活躍が見られなくなる。一方で、浅草でエノケンとコンビを組みレヴューで人気を誇るやうに。ジャズのフィーリングをいかしたレヴュー形式のオペレッタを志向。やがて、エノケンとの均衡が崩れ凋落が始まる。エノケンが映画・演劇とも東宝の専属になると、二人の差は歴然に。

戦後、零落した二村はエノケン手を差しのべられ舞台に復帰したが酒の飲み過ぎで美声は失はれてをり、舞台をこなすのがやつとだつた。

昭和23年、公演中に倒れ48歳の生涯を終へる。


藤山一郎(増永丈夫)は、二村に刺激され流行歌を歌うやうになつたが、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽部)時代からバリトン歌手として外国人歌手と伍してもひけをとらぬ独唱ぶりを示した。



二村の全盛期が去つた後は、ディック・ミネ中野忠晴らジャズシンガーが登場。


女性歌手では妖艶なソプラノの淡谷のり子、二世歌手の川畑文子ヘレン隅田 ベティ稲田が活躍。






ジャズ、ブルーズといふより歌謡曲だが、当時舶来楽曲に影響を受けた曲はすべてジャズといつた。


by ichiro_ishikawa | 2018-11-16 16:31 | 音楽 | Comments(0)  

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