連載 日本ジャズ史(7) 1920-30年代 菊池滋弥

菊池滋弥

1903年(明治36)京橋生まれ。慶応幼稚舎から慶応大学に進学してピアニスト、学生ジャズバンドのリーダーとして活躍。1919年(大正8)に貴族院議員の父菊池武徳に随行してワシントンに滞在した後、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコなどを訪れ翌年帰国。この渡米中に、オリジナル・ディキシーランド・ジャズバンドのレコードを買つたり、実際の演奏を劇場などで聴いてその魅力にとりつかれる。

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1924年(大正13)

ジャズの教則本を収集するために二度目の渡米をしてかなりの資料を持ち帰つた。そして、慶応の同級生でジャズを研究してゐた、男爵益田太郎の子息たちと知り合ひ、ドラム、ピアノ、バンジョー、トランペットなどをそれぞれ習得していた克信、義信、智信、貞信ら兄弟と品川御殿山の益田邸に集まりジャズに取り組むやうに。


1926年(大正15)

日系二世の堂本誉次(tp)が来日。彼は「カジ」という愛称で呼ばれ、トランペット、ピアノ、編曲に優れた才能と感性をもつてゐた。その堂本が益田家と親しかった関係から益田兄弟にジャズの指導をおこなひ、ジャズバンドを作るやうに促す。古賀郁夫(sax)、紙恭輔(sax)、福井孝太郎(vln)、高橋宣光(dr)ら慶大生が集まり「カレッジアンズ・ジャズバンド」を結成。


1927年(昭和2)頃

政友会の代議士の高橋光威の息子高橋宣光が、本格的なジャズバンドを作らうと菊地滋弥に提案し、慶応の校旗にちなんで名付けられた「レッド・エンド・ブルー・ジャズバンド(Red and Blue Jazz Band)」が始まる。

高橋がマネージャー格で、堂本は家業の貿易商が多忙となり、菊地滋弥を中心に活動するやうになつた。


1928年(昭和3年)1月16日

「レッド・エンド・ブルー・ジャズバンド」は日本橋の三越劇場で演奏会を開く。1928年から1929年にかけて、ニッポノホンとコロムビアに18面のレコード録音を行なふ。

また、ハワイ生まれのアメリカ人、アーネスト・カアイが来日して、菊池たちのバンドと親しくなり、彼らもカアイの指導をうけるようになる。カアイはサックス、トランペット、ピアノ、ギター、ウクレレ、琴、三味線まで、あらゆる楽器をこなした。


1928年(昭和3年)6月23日

青山の青年会館で菊池たちレッド・アンド・ブルー主催、アーネスト・カアイをゲストにジャズ演奏会。



by ichiro_ishikawa | 2018-11-18 14:40 | 音楽 | Comments(0)  

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