エセー 二十年


昨年末からこの2月まで荒井/松任谷由実だけをずーつと聴き続けてゐるが、そのユーミンに続き、Apple Musicにサニーデイ サービスが入つた。
ふとボブ ディランの「It's All Over Now Baby Blue」が聴きたくなり、長いタイトルの入力が面倒なため「Baby Blue」で検索したところ、サニーデイ サービスの「Baby Blue」が浮上。
これまで時折サニーデイ サービスを検索してきたが、都度、全体の配信が止められてゐたのか、全く引つかからず、かと言つてCDを引つ張り出して聴くのも勇気がゐるので、諦め、ずつと放置してゐたのだつた。それがここに来て、一斉配信となつたやうだ。

「Baby Blue」を擁するサニーデイ サービス『サニーデイ サービス』は確か1997年の秋のリリースで、
俺で言ふカゼッタベルキ時代の初年の秋である。
あのとき『サニーデイ サービス』は新作だつた。曽我部は同い年といふこともあり、「ついにロックで同い年が出てきちつたか…先を越された。早くしねえと」と大いに焦つたものだつた。
1997年の秋冬はいろいろあつたため、そのいろいろがこびりついてゐる『サニーデイ サービス』は翌1998年以降、封印してゐた(捨てないところが貧乏性)ので、今回本格的に聴くのは20年ぶりであつた。なかなかどうして、名作過ぎる。
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20年といふのは文学的なある節目だ。
『ノルウェーの森』(1987)は飛行機の中で「ノルウェーの森」を聴いた「僕」が20年前を思ひ出すところからスタートする(はず、確か)。
そして言はずもがな「秋」(1950)は、東大寺の二月堂を訪れた当時48歳の小林秀雄が、長谷川泰子から逃げて来た20年前の「奈良時代」を思ひ出すところからスタートする。

名作は、20年前の苦々しい懐古であることが多い(とは言へこの2作だけ)。
つまり20年前のカゼツタベルキは、文学的な機が熟してゐる、と言へる。そしていま、「時間といふものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じ」てゐる。

さういへば、あのとき「秋」と『サニーデイ サービス』とを同時に読み、聴きしてゐた。

「二十年ぶりである。人間は、なんと程よく過去を忘れるものだ。実にいろいろな事があつたと思ふのもまた実に程よく忘れてゐるといふその事だ。どうやら俺は日向の猫に類してゐる」
(「秋」小林秀雄)




by ichiro_ishikawa | 2019-02-13 10:19 | 日々の泡 | Comments(1)  

Commented by 名無し at 2019-02-15 06:25 x
めっちゃ読みづらい。人に読んでもらおうと文章書いてんじゃないの?
気取ってんのか知らないけど、語りたいなら家で独り言喋っとけば?
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