BOØWYの6年は実は長かつた


たつた6年間、わずか6枚のアルバムを残し、
とよく言はれるが、ロックバンドとして、これはそこそこ長いといふのが正確ではないか。

氷室目線でいえば、まづ高校を出てから(1979年)暴威/BOØWY結成(1980〜81年)まで数年あるし、ファーストアルバム『MORAL』(1982年3月、レコーディングは1981年5月から)まで、さらに1年。セカンド『INSTANT LOVE』のリリースは紆余曲折を経ての1983年9月である。
さらにユイ音楽工房、東芝EMIと契約したのが1984年。サード『BOØWY』が1985年2月からベルリンのハンザスタジオで録音され、リリースは6月で、セカンドからは2年近くかかつてゐる。

一般の人生に置き換へれば、高校卒業後、大学に進んだ人間が学部の4年間(1979〜82)にバンドを渡り歩いてなんとか1枚のアルバムリリースにこぎつけ、土台が整ひ完成版を出すまでに、さらに卒業後3年を費やしたことになる。なかなかの苦労人と言へよう。

実はこの1985年、サード『BOØWY』で一旦完成なのである。高校卒業から7年。氷室は25歳になつてゐた。
そして翌1986年、4th『JUST A HERO』を放つた時が完成からのさらなる跳躍で、バンドとしてここが頂点であつた。その後、矢継ぎ早に同年秋に放つた『BEAT EMOTION』は余技であり、それがレコード大賞優秀アルバム賞を受賞するなど商業的な成果を見せたことも相まつて半ばポップバンドの使命的に、ボーナスとしてリリースしたのが翌1987年のラストアルバム『PSYCHOPATH』なのであつた。

BOØWYの6年は実は長かつた_c0005419_00341813.jpg


つまり、『JUST A HERO』で完結してをり、本来そこで解散してもよかつたものを2年も延ばして2作もボーナスアルバムを作つたのである。
その精力的なライブ活動ももちろん踏まへて、リアルタイムでその軌跡を振り返つてみると、自然と上述のやうに考へられるゆゑ、BOØWYは長命バンドであつたとさへ言つても過言ではない。

氷室はその後、『Flowers for Algernon』(1988)、『Neo Fascio』(1989)『Higher Self』(1991)『Memories of Blue』(1993)の4作、布袋は『GUITARHYTHM』(1988)からCOMPLEXの2年2作を挟み(1989〜90)、『GUITARHYTHM II』(1991)、『III』(1992)、『IV』(1994)で、ソロデビューから完結までをみるわけである。
ともに1995年以降は遺産ーーあまりにも莫大なーーで食ひつないでいることは否めない。ただ、その後も氷室は『MISSING PIECE』(1996年)、『I・DE・A』(1997年)、『MELLOW』(2000年)、『Follow the wind』(2003年)、布袋は『King & Queen』(1996年)、『DOBERMAN』(2003年)、『GUITARHYTHM V』(2009年)と、傑作も残してゐる。そこがやはり凄い。




by ichiro_ishikawa | 2019-06-05 22:53 | 音楽 | Comments(0)  

名前
URL
削除用パスワード

<< My GUITARHYTHM ... 立法の経緯 2 >>