詳細年表 20代までの小林秀雄

「おやのおん」ランボオ、長谷川泰子〜奈良逃亡、「様々なる意匠」


1902(明治35)

4月11日、東京市神田区神田猿楽町三丁目三番地(現千代田区猿楽町二丁目八番五号)に生れる。
(高見澤潤子の『兄小林秀雄』によれば、本当の誕生日は三月末だったという。ちなみに同書によると小林秀雄の血液型はB型)
父、小林豊造は明治七年兵庫県出石(いずし)郡の清水家に生まれ、のちに旧但馬藩の家老職であった小林家の養嗣子になる。明治32年、東京高等工業学校に付設された工業教員養成所の金工科を卒業し、東京高工助教授、御木本真珠店貴金属工場長を経て、日本ダイヤモンド株式会社を設立した。欧米各国に学び、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し、また蓄音機のルビー針を開発した技術者でもある。
母、精子は明治13年、東京市牛込区牛込北山伏町14番地の城谷家に生まれる。女学校を卒業し、茶の湯、生け花、琴などにも通じていたという。


1904年(明治372歳

6月3日、牛込の納戸町にて妹冨士子(後に高見沢潤子)誕生(高見澤潤子『兄小林秀雄』によれば本当は5月19日という)


1909明治42 7歳

4月、白金尋常小学校入学。この年、芝区白金志田町十五番地に住む


1910年(明治43)8歳

作文「おやのおん」 


1914年(大正3)12歳

秋、学芸会で世界大戦の原因から現状を演説


1915年(大正4)13歳 一中1年

3月 白金尋常小学校卒業

4月 東京府立第一中学校入学、同期生に石丸重治、木村庄三郎、正岡忠三郎、一期上に蔵原惟人、富永太郎が在学

芝区白金今里町七十七番地に住む


1917年大正615歳  一中3年

12月、父豊造、日本ダイヤモンド株式会社設立、専務取締役


1918年大正716歳  一中4年

一年上級の河上徹太郎を知る


1920年大正9)18歳  浪人

3月 府立一中卒業。一高入試に失敗し、浪人


1921年(大正10)19歳  一高1年

3月20日 父豊造、四六歳で死没

3月21日 第一高等学校合格発表

4月 第一高等学校文科丙類入学。野球部入部後、すぐ退部。マンドリンクラブ結成

10月 盲腸周囲炎と神経症のため休学

この年、母精子、肺患のため鎌倉に転地療養

初めて志賀直哉に会う(?)


1922年(大正11)20歳  一高2年
小説「蛸の自殺」(「跫音」)。志賀直哉に送り、賞賛の手紙を受取る


1923年(大正12)21歳  一高3年
9月1日 神田須田町で関東大震災に遭遇
9月6日 船と徒歩で鎌倉に療養中の母に会いに行く


1924年(大正13)22歳  一高4年
2月? 母と妹の三人で豊多摩郡杉並村馬橋226番地に転居

2月27日 荻窪の波多野完治宅で永井龍男と知り合う

4月8日 京都山科の伯父清水精一郎の招きで妹と上洛、従兄の西村孝次に会う

4月? 京都山科の志賀直哉の家に行く

4月? 奈良に行く(従兄と妹と) 

春? 神田の本屋でランボオの「地獄の季節」に初めて出会う?

6月10日 「一ツの脳髄」を書き上げる

7月 「一ツの脳髄」「青銅時代」

8月11日 「飴」を書き上げる

8月26日 京都の第三高等学校で、一高対三高の野球試合を観戦

8月27日? 京都山科の志賀直哉を訪ねる

9月 京都の富永太郎に『地獄の季節』の「別れ」の一節を送る

9月14日 「断片十二」を書き上げる

12月 石丸重治らの「山繭」に参加

*この年、堀辰雄に伴われて田端の芥川龍之介を訪ねる(?要調査)

*この年、青山二郎と知り合う


1925年(大正14)23歳  東京帝大1年

2月 「ポンキンの笑ひ」(『山繭』)

2月16日 志賀直哉へ手紙  

3月 第一高等学校卒業  

4月 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学

4月10日~5月1日 小笠原旅行、「紀行断片」を書く

4月初め 富永太郎を通じて中原中也を知る

5月24日 富永太郎とともに「山繭」脱退

夏  病床の富永太郎を見舞う

9月 中原中也の帰郷中に長谷川泰子に会う

10月8日 大島に旅行(泰子は待ち合わせに間に合わず)、帰京後盲腸炎(腸捻転?)で入院・手術

11月12日 富永太郎、肺結核により二四歳で死去

11月14日 正岡忠三郎、入院中の小林に富永太郎の死を告げる

11月下旬 杉並町天沼に長谷川泰子と同棲

12月21日 富永太郎の遺稿出版のため会合


1926年(大正15/昭和元24歳  東京帝大2
2月 「佐藤春夫のヂレンマ」(文藝春秋)
10月 「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(「ランボオI」)(「仏蘭西文学研究」)
11月 「富永太郎」(「山繭」)
*鎌倉町長谷大仏前に住み、逗子町新宿の池谷信三郎方に仮寓したりする
*辰野隆助教授に師事する              


1927年(昭和2)24歳  東京帝大3
1月 「志賀直哉の独創性」を書き、武者小路実篤に届けるが未発表に終わる

1月18日 武者小路実篤から書簡

5月 初めての単行本『エドガー・ポー』(新しき村出版部)    

8月3日 大阪毎日新聞・東京日日新聞主催の第一回全国都市対抗野球大会が神宮球場で開催され、後の巨人の水原監督らとともに神奈川代表で出場。台湾の台北チームと戦う。(→「スポーツ」1959年1月) 

9月? この頃目黒に住む

9月 「芥川龍之介の美神と宿命」(『大調和』)

11月 「『悪の華』一面」(『仏蘭西文学研究』)

12月 「女とポンキン」(『大調和』)


1928年(昭和3)26歳  奈良時代

2月 村井康男を通じて大岡昇平を知る。豊多摩郡中野町谷戸(東中野)に転居

3月 「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東京帝国大学卒業

5月25日 長谷川泰子と別れ、関西へ向かう。
月末、大阪の日蓮宗の寺に宿坊する。
5月末 妹、富士子への手紙1(大阪から)「僕はとうとう逃げ出した...」
5月末? 河上徹太郎への葉書(大阪から)「今僕は大阪の天王寺辺のあるお寺にゐる...」
6月初? 妹、富士子への手紙2(大阪から)「大阪はいやな処だ。電車だけはいゝ...)
6月初? 妹、富士子への手紙3(大阪から)「人間が不幸になるのは自然に反抗するからだ...」
6月初? 妹、富士子への手紙4(大阪から)「奈良にでも住まうかと考へてゐる...」
6月初? 妹、富士子への手紙5(京都から)「あの女には心情といふものが欠除してゐるのだ...」
6月中? 奈良市の割烹旅館江戸三に宿泊
6月中? 奈良市幸町の志賀直哉邸に出入りする
6月中? 西村孝次、奈良の小林秀雄を訪ねる  
7月13日 妹、富士子への手紙6(奈良から)「九月に式をあげる相だね...」  
8月 志賀一家と箕島に海水浴に行く
8月末? 西村孝次と祇園乙部の妓楼に
9月 妹、富士子への手紙7(奈良から)「これから少し書け相な気がする...」
9月 妹、富士子が高見澤(田河水泡)と結婚
10月20日 母が関西へ
11月17日 西村孝次と二月堂へ
初冬? 妹富士子及びその夫高見澤への手紙


1929年(昭和4)27歳  様々なる意匠
1月末 奈良より帰京し、東京府下滝野川町田端155番地に住む

4月 「改造」の懸賞論文のため「様々なる意匠」執筆
4月?「様々なる意匠」を改造社社員の深田久弥に渡す

9月 「改造」の懸賞評論で「様々なる意匠」が第二席に入選し、同誌9月号に掲載される

10月~ 『文学』(第一書房)同人に、ランボオ「地獄の季節」を創刊号から訳載

12月 「志賀直哉」(『思想』)


1930年(昭和5)28歳  批評家デビュー

2月 

「からくり」(『文学』第五號

「横顔」(『詩神』)

ポオ「メルツェルの将棋差し」(翻訳、『新青年』)

ランボオ「堪忍」(翻訳、『詩神』)


4月 

「アシルと亀の子」『文藝春秋』、以後文芸時評の連載開始

「ナンセンス文学」(『近代生活』 )

「新興芸術派運動」(『時事新報』)


4月13日
新興芸術派倶楽部第一回総会に出席


5月 

堀辰雄、梶井基次郎、河上徹太郎らと『作品』創刊、ランボオ『飾畫』を創刊号から訳載。

「アシルと亀の子II」(『文藝春秋』)


6月 

「アシルと亀の子III」(『文藝春秋』)

座談会「既成芸術派検討座談会」(『近代生活』)


7月 

「アシルと亀の子IV」(『文藝春秋』)


8月 

「アシルと亀の子V」(『文藝春秋』)


9月 

「文学は絵空ごとか」(『文藝春秋』)

ランボオ「七歳の詩人」(翻訳、『詩・現実』第二冊)

座談会「最近文学の享楽的傾向に就いて」(『作品』)


10月 

ランボオ『地獄の季節(翻訳)』(白水社)「ランボオII」を収録

「文学と風潮」(『文藝春秋』)

「新しい文学と新しい文壇」(『婦人サロン』)

「アルチュル・ランボオ」(『ふらんす』)


11月

「横光利一」(『文藝春秋』)

「批評家失格I」(『新潮』)

「私信-深田久彌へ」(『作品』)

「近頃感想」(『讀賣新聞』)

「我まゝな感想」(『帝国大学新聞』)


12月 

「物質への情熱」(『文藝春秋』)

「中村正常君へ-私信」(『文学風景』)

「アルチュル・ランボオの恋愛観」(『詩神』)

「感想(毎月雑誌に...)」(『時事新報』)

*この年あたりに菊池寛、佐佐木茂索と知り合う
秋 一高生の木庭一郎(中村光夫)が来訪



1931年(昭和6)29歳

1月 

「マルクスの悟達」『文藝春秋』


2月 

「文藝時評(今月は...」『文藝春秋』

「批評家失格」「谷川徹三『生活・哲学・芸術』評」『改造』

「井伏鱒二の作品について」(発表誌未詳)


3月 

「心理小説」『文藝春秋』

文芸時評の連載が終了し、新進批評家としての立場を固める

「二月の作品」『作品』


4月 

「文芸批評の科学性に関する論争」「新潮」)

「室生犀星」『改造』)

「三月の作品」『作品』)


5月 

「谷崎潤一郎」『中央公論』)

「再び心理小説について」『改造』)


6月 

「『安城家の兄弟』」『改造』)

「心理小説」『詩と詩論』)

「もぎとられたあだ花」『時事新報』)


7月 

最初の評論集『文藝評論』(白水社)

「フランス文学とわが国の新文学」(『新潮』)

ボードレール『悪の華』の一部翻訳『作品』)

「辰野隆『さ・え・ら』」『讀賣新聞』)

「直木三十五の解剖」「「恋愛と暴露」について」「窪川いね子のオリジナリテイ」「文学的イリュージョンについて」「プロレタリアの星」「黒」「重盛の悩み」(以上『東京日日新聞』)(→「文芸月評I」に収載)


8月 

「弁明-正宗白鳥氏へ」『文藝春秋』

「困却如件-津田英一郎君へ」『時事新報』


9月 

「眠られぬ夜」『古東多万』


10月 

座談会「「作品」の会合」『作品』


11月 

「おふえりあ遺文」『改造』

「ポオ『ユレカ』(翻訳)」『文科(第二輯)』

ランボオ『酩酊船』(翻訳、白水社)


12月 

「純粋小説といふものについて」(『文学』第七號、岩波講座『日本文学』付録)

「横光利一『書方草紙』評」『東京朝日新聞』と『讀賣新聞』

*この頃、母とともに鎌倉町佐介通二〇八番地に転居



by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 13:00 | 文学 | Comments(1)  

Commented by ajt0 at 2019-09-08 01:55 x
こんなに大量にまとめてもらってありがとうございます、大変ありがたいです。
僕は、小林さんの作品は実は読んでなくて対談がとても好きなのであなたのサイトなんかも参考にさせていただいて、ある程度、集められました。
大変、感謝です。
出版社も、対談を戦後のだけでもいいかげん全録して出してくれたらと思うのですが、ほったらかしなのが残念です。

気になったところが一点。
21歳の時、小林さんが、生涯一度だけ、高浜虚子さんに会ってます。
江藤淳さんとの対談、歴史について、で話されています。
関東大震災後、一週間後くらいに、お母さんがいた鎌倉へ見舞に行く時に、虚子さんの知人から頼まれて、東京にいるこの方も御無事です、それじゃ失礼って帰ったらしいですよ。
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